第七十話 令嬢に突き放され落ち込む使用人が決意したが……
トントン
「どうぞ」
「失礼します。フローラ様、紅茶をお持ちしてまいりました」
「ご苦労。そこに置いておいて」
間もなく夕方になろうとする時間になり、ポールがフローラの部屋にティースタンドを運んできて、彼女の前にセッティングしていく。
「へえ、手馴れてるじゃない。あなた、本当に執事の仕事こなしてたのね」
「あ、ありがとうございます。それではごゆっくり」
「待ちなさいよ。もう少しここに居なさいって」
ティースタンドをセットし、カップに紅茶を淹れたポールが退室しようとすると、フローラが引き止める。
「どうせ、仕事と言っても庭の草むしりとかなんでしょ。そんなの後で良いわよ」
「でも、旦那様の御命令ですので……」
「ああ、もう今の主人はお父様じゃなくて私よ! 私の命令優先しなさい。お父様には後で話しておくから」
「は、はい」
そう言われると、ポールもフローラの命令に従うしかなく、一緒にお茶をすることになる。
「思ったより、真面目にやってるじゃない。セシリアの時もいつもこうなら、あいつは何が不満だったのかしら?」
「そ、それは……よくわかりません」
フローラと向かい合って座り、申し訳程度にポールも紅茶をすするが、今、思い出してもポールはセシリアにこのフローラの屋敷に追い出された理由がよくわからなかった。
(僕、悪くないもん……セシリア様がワガママ言ってるんだ)
未だにセシリアを怒らせた理由がわからないポールであったが、セシリアを恋しく思う気持ちは募るばかりであり、早く彼女に会いたいとばかり思っていた。
「いっそ、ここで暮らさない。セシリアもたまに来るから、別に良いでしょう」
「あの、フローラ様にご迷惑をかけちゃいそうなので……」
「別に迷惑なんて思ってないけどなあ。てか、セシリアの部屋にノックなしで入ってるって本当? それじゃ、怒るわよ。私でも流石に怒るわね、うん」
「うう……」
フローラにまで言われてしまい、ポールは縮こまってしまうが、未だに彼は納得がいかなかった。
セシリアは最初の頃は自分を好きなだけ甘やかしてくれたのに、どうして今になって自分が馴れ馴れしく接してきたからって怒るのかわからなかったのだ。
「まあ、ここでは真面目にやってくれれば問題ないわよ。それにしても、紅茶を淹れるのも上手よね。アンジュに教わったのかしら?」
「はい。アンジュさん、厳しいけど、しっかり指導してくれますので」
「ふーん。アンジュももうセシリアの屋敷に来て長いけど、ちゃんと部下の指導やってるのね。なんか愛想悪いから、あんま好きじゃないけど」
「は、はあ……」
そんな事を言われても、ポールも何も答えようがなかったので、ただ相槌を打つ。
「あの、僕、そろそろ……」
「待ちなさいって。もうちょっといましょうよ」
「でも、仕事に戻らないと、いけませんので」
「私も主の一人でしょう。だから、言うことを聞く」
強引にフローラに引き留められ、ポールも部屋に留まる。
だが、そんなフローラの強引さも悪い気分はあまりしなくなっていた。
「今夜は私と一緒に寝る?」
「え? そ、そんな事をしたら怒られます……」
「セシリアとは出来て私とは無理なの? 何で?」
「それは、セシリア様は……」
(セシリア様は……何だろう?)
ポールがそう言いかけて、言葉を詰まらせる。
セシリアにあそこまで馴れ馴れしくしてしまったのはなぜだろうと、ポール自身も改めて思い返すが、理由がわからなかった。
仮にも使用人と主人という間柄なのだから、ノックもせずに部屋に入ったり、彼女に抱き付いたりするのは失礼というレベルですらなく、普通であれば即解雇されてもおかしくはないのだが、セシリアはそれでもポールを正式にクビにすることはなく、
「セシリアは何?」
「あ、あの……セシリア様は僕のご主人様なので……」
「今は私が主人でしょう。てか、使用人が主の部屋に勝手に入るとか、普通に有り得ないから。掃除の時間でもない限りさ」
セシリアの部屋の掃除は主にアンジュや、年配の女性のメイドがやっており、ポールは昼間は入る事は許されておらず、夜中にこっそり入るしか出来なかったのだ。
(でも、セシリア様と一緒に寝たいし、抱っこもしてもらいたいし……)
彼女の事を思い出すと、嫌でもセシリアへの想いが募ってしまい、止められなくなってしまう。
早くセシリアの屋敷に帰りたい思いが募るいっぽうだったが、今帰っても、すぐに追い出されてしまいそうだったので、
トントン。
「失礼します。フローラ様。旦那様がお呼びです」
「お父様が? はーい。じゃあ、行ってくるわ。ポール、それ片付けておいて」
「あ、はい」
メイドがフローラの部屋に入り、彼女を呼び出したので、フローラは退室し、ポールも持ってきたティースタンドを片付ける。
とにかく今はセシリアの命令通り、ここで働き、彼女が帰ってきても良いと言うのを待つしかなかった。
「はああ……」
夜中になり、ポールは寝室に行き、溜息を付きながら、ベッドに倒れこむ。
仕事自体は、セシリアの屋敷でやっていた事と殆ど変わらなかったし、他の使用人たちもフローラも良くしてくれたので、困りはしなかったが、やはりセシリアの顔が見れないのは何よりの苦痛であった。
「セシリア様に会いたいよー……」
枕を抱きながら、彼女の名前を呟き、一日も早くセシリアの温もりを感じたいと思う。
ポールにとっては、もうセシリアは家族や主人以上の存在になっており、彼女の美しい顔を見れないで生きていくのは耐えられなかったのであった。
「よし」
ベッドの中でついにポールはフローラの屋敷から脱走する事を決心する。
これ以上、彼女の顔が見れない生活は耐え切れず、もう屋敷から出るしかないとポールも思い詰めていたのであった。
翌朝――
「ポール、ちょっと良いかしら」
「は、はい」
起床したポールがフローラに呼び止められ、 ビクっとしながら、振り向くと、
「今日、セシリアが家に来るんだって。夕飯を家で食べるって言うから、ポールもちょっと準備手伝ってくれる?」
「え? せ、セシリア様がですか?」
思いもかけない事を聞いて、ポールもビックリする。
今夜にでもセシリアの屋敷に戻ろうとしていたが、まさかセシリアの方から、フローラの屋敷に来るとは予想もしてなかったので、ポールも動揺してしまった。
(セシリア様が来るんだ……じゃあ、どうしよう?)
嬉しい反面、屋敷に戻ろうという決意も鈍ってしまい、ポールもどうするか悩む。
もしかしたら、自分を連れ戻しに来たのかも知れないと淡い期待を抱く事にしたが、




