第五話 女主人との二人だけの舞踏会
「ねえ、ポール」
「? はい」
ある日の午後、庭で草むしりをしていたポールにセシリアが話しかけ、
「明日、ちょっと私に付き合いなさい。新しい農具の展示を見に行きたいから、付き添いをお願いするわ」
「わかりました」
と簡潔に告げて、セシリアはポールの元を立ち去る。
彼女は農園の経営もしているので、農具の購入や視察も大事な仕事の一つであり、きっと荷物持ちでも頼まれるのだろうと、ポールも思いながら、庭の掃除を続けていったのであった。
翌日――
「うーん、この脱穀機は便利そうね……あと、こっちの鍬も……」
二人で都会の農具の販売場へと行き、セシリアは真剣な眼差しで、高価な陳列されていた農具を物色する。
ポールも農家の生まれではあったが、どれも彼の家では手の届かない様な最新の農具ばかりで、羨ましさを感じていたが、セシリアに買ってくれとねだる訳にも行かず、かと言って彼も農具に詳しい訳では無いので、トランクを持ちながら、ただ黙って見ている事しか出来ずにいた。
「決めたわ。この脱穀機を購入する事にするわ。ちょっと待ってなさい」
購入する品を決めたセシリアは、すぐに店員の下へ向かい、購入の手続きを行う。
店員たちと商談をしている彼女を見て、やっぱりセシリアは自分とは遠い存在なんだとぼんやりと思い、何となく孤独な感じもしていた。
「待たせたわね。じゃあ、行くわよ」
三十分ほど経ち、ようやく購入の手続きを終えたセシリアは、ポールの元に戻り、店を後にする。
脱穀機は後日、彼女の屋敷に業者が届ける事になっていたので、ポールは結局、ただ付いて来ただけで、今日の仕事は終わってしまったのであった。
「ポール、ほらボサっとしない。汽車の時間に遅れるわ」
「は、はい。帰りは汽車なんですか?」
「違うわ。まだ寄る所があるの。黙って付いて来なさい」
「はあ……」
そう言って、セシリアの後を付いて行き、二人で駅へと向かう。
一体、どこに行くんだろうと首を傾げていたポールであったが、それ以上にこのトランクには何が入っているのかと首を傾げていた。
「ほら、こっちよ。座りなさい」
「えっと……良いんですか、本当に?」
「当然じゃない。主人と違う車両に乗ったら、付き人の意味がないわ。荷物だってあるんだしね」
駅に着くと、セシリアにあらかじめ取っておいた一等車の乗車券を渡され、大きなトランクを持ちながら、一緒に一等車両に乗り、向かい合って座る。
自分の様な平民が、乗れるような値段の席では無かったので、付き添いとは言え、本当に良いのかと恐縮していたポールであったが、そんな彼を得意気な笑みで見下ろし、
「ふふ、どう、初めての一等車は?」
「あ……はい、凄く良いです……」
「なら良かったわ。今後も、汽車で移動する時は、あなたにも一等車で同席してもらうから今の内に慣れてもらおうと思ってね。んにしても、一等車にしては座り心地良くないわね、この席。変えてもらおうかしら」
と不平を漏らしていたセシリアであったが、ポールはこんな広くて豪華な席に座らされ、周囲もセシリアの様な身なりの整った上流階級の客ばかりだったので、とても落ち着きはしなかった。
「あの、これから何処に……?」
「んーー、ちょっと休暇を楽しもうと思って。あ、お腹空いた? 何か頼む? よくわからないなら、私が勝手に頼むわよ」
何処へ向かうのかと困惑していたポールを他所にセシリアはメニューを開いて、駅員にコース料理を注文する。
この車両は一等車の中でも特に豪華な席で、貴族や実業家、政府高官などでの御用達の席であり、中はまるで宮殿の部屋の様に床に絨毯がしかれ、シャンデリアもあり、椅子もフカフカでポールには場違いすぎて居心地が悪かった。
「ふーんふん♪ 料理は中々の味ね。ほら、ポール。遠慮しないで食べる」
「は、はい……」
注文されたコース料理を、慣れない手つきでナイフとフォークを使って食べるが、あまりにも住む世界が違い過ぎて緊張してしまい、味もよくわからなかった。
あくまでも使用人としての付き添いだが、傍から見たら、年の離れた姉弟か、親子にでも見られているのだろうかと思いながら、時折、景色を眺めながら、セシリアと共に遅目の昼食を摂っていった。
「付いたわ。今日はここに泊まるわよ」
「えっと……このホテルは……」
三時間ほど汽車に乗り、着いた先は海に近い所にあるお城のような五階建てのホテルで、これまた平民にはとても泊まれそうにない高級なホテルであった。
「息抜きしようと思ってね。チェックインの手続きするから、待ってなさい」
ホテルに入るや、ロビーで手早くセシリアがチェックインを済ませ、豪華なシャンデリアに見とれていたポールの手を引く。
「はい、着いたわよ。ふふ、良い景色でしょう。ここから眺める海はとても綺麗で、よくお父様やお母様とも来たの」
五階にある最も高いスウィートルームを取ったセシリアは、ボーイに案内されて、部屋に入るや窓を全開にして、そこから見える何処までも続く夕日が沈みかけていた海を見せる。
海を見た事がなかったポールにとって、その光景はあまりにも幻想的で、別世界に居るよな美しさであった。
「あの、僕の部屋は……」
「ここに決まってるじゃない。一緒に寝るのよ。今日は護衛も兼ねて、同行させたんだからね。表向きの理由はだけど、くす」
「はあ……」
またセシリアと同じ部屋で寝るのかと、苦笑していたが、護衛と言っても、特に喧嘩が強い訳でもなく、いざと言う時、セシリアを守れるのかと不安に感じていたが、
「盾に位はなれるでしょう? どうしてもって言うなら、大声で助けを呼ぶとか、警察に駆け込むとかしてくれれば良いわ。少なくとも私を置いて、一人で逃げたりはしないでしょう?」
「が、頑張ります」
と、頭を撫でてセシリアがポールに言うが、彼女も彼が暴漢を自分の手で撃退するような事は期待しておらず、あくまで口実に過ぎなかったし、少なくとも自分を見捨てて逃げる様な事はしないと信頼はしていたし、ポールもそれに応えようとしていた。
「くす、まあ、このホテルは守衛も居るし、変な客は居ないと思うから安心なさい。夕飯まで少し時間あるから、ここでちょっとくつろぎましょう」
「はい。あの、今日はどうして僕をここに……」
「二人とのデート♪ もあるけど、貴方にも貴族や上流階級がよく利用する場所に慣れて貰おうと思って。近い内に宮殿や貴族が主催する晩餐会や舞踏会にも同行させるつもりだから」
「僕が晩餐会に……」
「そうよ。いつもアンジュとメイドの一人か二人を同行させているけど、貴方にも同行してもらうわ。しっかりリードして、私に恥をかかせないようになさい。ふふ、今日はちょっとその予行練習しましょうか。そこのバルコニーに出なさい」
「は、はい」
部屋のバルコニーに出て、セシリアがポールの手を握り、
「ダンスのステップを教えるわ。もしかしたら、私の相手をすることがあるかもしれないから、少しは様になるようになさい。さ、私の手をしっかり握って」
「うう……」
セシリアが彼と向かい合って、手を握って体を密着させ、ダンスのステップを教え込む。
主人とは言え、女性であるセシリアに完全にリードされ、やや複雑な心境であったが、夕日に照らされたセシリアの顔はとても美しく、意識がすべて吸い込まれてしまいそうな位、見とれてしまっていた。
「もう、ボーっとしないの。んっ……」
「――っ!」
自分の顔に見とれていてステップがぎこちなくなっていたポールに、セシリアが不意に口づけをする。
「んん……どう? 目が覚めた? 音楽がないから、やり辛いかもしれないけど、取り敢えず私に合わせない」
「はうう……」
初めてではなかったが、いきなりセシリアにキスをされ、彼女の唇が重なったのを感じて、更にパニックになる。
穏やかな眼差しで見下ろすセシリアの顔は夕闇に照らされて、いつも以上に美しく艶やかに見え、どんどんポールは虜になっていった。
「こら、またボーっとしてるわよ。もう一回ね。ちゅっ♡」
自分に見惚れて足が止まる度に、ポールにキスをし、彼女の唇が頬に触れるたびに顔が真っ赤になって胸が熱くなる。
二人きりの舞踏会は、こうして甘い空気の中、陽が沈むまで続いていったのであった。