第三十七話 令嬢離れが出来ない使用人
「うわああ……」
セシリアと共に馬車に乗り、首都にある劇場へと到着すると、その勇壮な建物にポールもしばし圧倒される。
客たちも、高貴な貴族や政府高官、資産家など裕福な層ばかりで、自分のような庶民が来て良いものかと子供心に圧倒されていたが、セシリアはそんな彼の手を引いて微笑みながら、
「ほら、行くわよ。慣れてないかもしれないけど、これも社会勉強だと思いなさい」
「は、はい」
戸惑っていたポールの手を引いて、セシリアが一番高い特等席に彼を案内していく。
特等席など、ポールの収入ではとても買える値段ではなかったので、こんなお金をポンと出せるセシリアは改めて凄いのだと彼も思い知ったのであった。
「ふふ、オーケストラは初めて?」
「は、はい。そんなの観に行く機会もなかったので……」
「そう。なら、つまらないかもしれないけど、素晴らしい演奏だから、あなたも好きになって欲しいわ」
最上階にある特等席に座り、緊張した面持ちでいたポールの手を握って優しくセシリアが言うと、ポールも強張った表情のままうんと頷く。
だが、今まで縁がなかったので、二時間近くある演奏を最後まで聴けるか、ポールも不安であった。
(うわああ、凄い演奏……)
指揮者が一礼した後、観客が拍手すると、間もなく演奏が始まり、その音響にポールも圧倒されてしまう。
管弦楽の演奏を生で聴くのは初めてだったが、何だか次元が違う世界に住んでいるみたいで、ポールも目を丸くするばかりであり、あっという間に時間が過ぎていったのであった。
「ふふ、どうだった、ポール?」
「あ、はい……その……凄かったです」
演奏が終わり、観衆の拍手で幕を下ろすと、ポールは既に目が点となっており、セシリアもそんな彼を母親のような穏やかな目で見つめる。
初めてならこんな物だろうと、セシリアも思っていたが、これからクラシックに関する知識も一応、仕込んでおかないといけないと思い、
「あなた、家に居る時は、音楽とか聴いていたの?」
「いえ……たまに、大道芸の演奏や歌を見るくらいで……」
「くす、そう」
貧しい農家出身だったため、娯楽を楽しむ余裕もなかった彼は、たまに村にやってくる大道芸人の演奏や近くの町の劇場で演劇を見る位しか楽しみはなく、今のようなクラシックなど学校の授業で習ったくらいで、実際に聴く機会などありはしなかった。
「なら、これからも色々と私が教えてあげるから、ポールも……」
「あーら、あなたも来ていたの。奇遇じゃない」
「…………」
セシリアがポールと手を繋いで、劇場から出ると、ドレスを着たフローラが、甲高い声で二人に声をかけてきたので、セシリアも顔を強張らせる。
「きゃー、ポールじゃない。あなたも付き合わされていたのね」
「こ、こんばんは、フローラ様」
「こんばんは。もう帰り? 私はこれから、オペラの深夜公演を観に行くのだけど」
「あんたも暇ね。そんな夜中まで遊び惚けるなんて。私はもう帰るから、あなたはオペラでも何でも好きになさい」
「きいいっ! 相変わらず、嫌味ばかりね。ポールも来る?」
「許可する訳ないでしょ。ほら、行くわよ。この子の相手なんかしてたら、時間の無駄でしかないわ」
「はうう……あの、それでは失礼します」
「あ、ちょっと。ったく……」
これ以上、フローラの相手はしてられないと、セシリアがポールの手を引いて、外で待機させていた馬車に乗り込む。
ポールはフローラと一緒に居ても良かったのだが、セシリアの命令には逆らえず、フローラも時間がなかったので、ため息をついて、劇場へと向かっていったのであった。
翌日――
「ふふ、どうだった、昨日は?」
「えっと……凄かったです」
屋敷に戻ったセシリアが、いつもの様にポールを膝の上に乗せて、頭を撫でながら、初めてのオーケストラの感想を聞くと、ポールも困った顔をして、正直に述べる。
「どう凄かったのか聞きたいのだけど、初めてじゃ、そんな物かしら。これから、ああいう演奏会や、演劇、映画の鑑賞会なんかにも付き合って貰うけど、あなたも私の伴侶に相応しくなれるくらいの、教養は身につけて貰わないとね」
「はうう……」
「ん? 何よ?」
そう言うと、ポールは泣きそうな顔をして、セシリアに抱きつき、
「まだ、こうやって抱っこして貰いです」
「今は良いけど、大きくなったらおかしいでしょう?」
「そうですけど……セシリア様にこうやって、抱き締められると落ち着くので、いつまでもしていたです」
まるで大人になるのを拒否するかのように、ポールはセシリアにしがみついて、そう懇願すると、彼女も困った顔をして、
「あなたもいい加減、大人になりなさい。子供のままでいたいの?」
「今は考えたくないんです……」
彼女の豊満な胸に顔をうずめながら、ポールはセシリアにあくまでも抱きつく。
ポールはセシリアの事は誰よりも慕っていたが、大人になって彼女の夫となるのは想像も出来ず、むしろ嫌がってすらいた。
釣り合う自信が無いのとセシリアにはこうして、いつまでも母親みたいに甘えていたいので、その関係が崩れてしまうのを恐れていたからだ、
「あなた、ちょっとおかしいわよ。私はポールの母親じゃないの。何度も言ってるでしょう」
「僕にはお母様以上の存在なんですう……セシリア様とはこうしていた……んっ!」
「ん、んんっ!」
尚も甘えてくるポールに業を煮やしたのか、セシリアが彼と強引に唇を重ねる。
「ん、ちゅっ、んん……はあっ! いい加減になさい……ポールは私の物なの。私がこうだと言えば、あなたは従わないといけないのよ。わかるわね?」
「うう……はい……」
接吻が終わると、セシリアはポールを睨みながら、そう念を押し、ポールも渋々頷く。
どうすればポールが自分を一人の女性として意識してくれるのか、セシリアも頭を抱えるばかりであった。




