第十四話 幼い使用人のささやかな反抗
「さあ、降りなさい」
「ここって……あんたの別荘じゃない」
「くす、そうよ。今日はここで二人と食事しようと思って。ご苦労さま。お代はこれで良いかしら」
タクシーを一時間走らせ、着いた先はフローラの家がいくつか所有する別荘の一つで、森に囲まれた二階建ての洋館であった。
フローラの家もセシリアと同じ様に広大な農地を所有する地主貴族で、彼女の家はお城の様に大きく、資産はセシリアの家も上回る程の財を為していた。
だが、ポールはそれ以上にタクシーの運転手にフローラが払った料金に驚いており、あんな大金を軽く出せるとは、流石貴族と感心していた。
「さあ、入りなさい。セシリアは、ここ前にも来た事あるわよね?」
「一度だけね。随分としみったれた場所に招待してくれたじゃない。オペラが中止になったお詫びにはちょっと釣り合わないんじゃないかしら?」
「どうかしら? それを判断するのは、セシリアじゃなくて、ポールだと思うけど。くす、さ、こっちに来て、ポール」
「はい……」
と、可能な限りの嫌味を言っていたセシリアをポールと共に案内して、三人が中に入り、一階にある食堂へと入る。
「まだ、用意は出来てない?」
「もう少し、時間が……」
「そう。まあ、座って」
「ええ。ポール、あなたはこっちよ」
「え?」
食堂に入ると、待機していた女中にフローラが食事の用意が出来てるかの確認をし、その間にセシリアに手を引かれたポールが、彼女の膝の上に座るよう命じる。
「ここに座れと言ってるの。早く」
「は……はい」
一瞬、何を言ってるのか、理解出来なかったポールであったが、命令された通り、セシリアの膝の上に座ると、セシリアはポールを幼い我が子を抱く様に、ぎゅっと後ろから抱き付く。
「な、何てはしたないの。まだ子どもとは言え、男を膝の上に乗せるなんて……貴族としてのマナー以前に人として、おかしいですわ」
「ごめんなさい、ウチではいつもこうしてるの。それに、私の使用人が、この屋敷を動き回って、汚さない様に躾をしないといけないし。ね?」
「はい……」
いつもこんな事をしてるなんてのは、当然嘘であったが、それでもフローラが見ている前でセシリアにまるでぬいぐるみの様に、膝の上に乗せられて、抱かれるのは恥ずかしく、顔を赤くしてポールも頷く。
過剰とも言える、セシリアの独占欲を目の当たりにし、フローラも顔をしかめるが、このままポールを彼女の独占させる気はなく、
「さっさと離れなさい。そんな格好でどうやって、食事する気なの? お行儀が悪いどころか、私に対しても失礼だわ」
「お行儀や世間のマナーなんかより、私の命令の方が優先よ。わかってるわね?」
「はい」
フローラがポールにセシリアから離れるように促すが、セシリアは当然、離す筈はなく、更にきつく抱き付く。
こんな状態では、食事も食べられないので、ポールも困っていたが、セシリアの命令は絶対であり、フローラの言う事は断らざるを得なかったのだ。
「ふん、何て嫌な主なの。使用人をここまで束縛するなんて、異常だわ。ポール、こんな女の下で仕えるのは止めなさい。代わりに私が雇ってあげるから、嫌になったら、いつでも連絡に来て」
「御託はいいわ。お腹がすいたから、さっさと夕飯の用意をなさい。食べたら、さっさと帰るから」
「あら、迎えのタクシーは明日の朝まで来ないわよ。まさか、歩いて帰る気? もう暗くなってるのに、暴漢にでも襲われたら、あなた達じゃ一溜まりもないんじゃないかしら」
「うるさいわね、帰ると言ったら、帰るのよ。暴漢なんか私が撃退してやるわ」
と強がった事は言うものの、この別荘は森の中にある上、一番近い町からは、歩いて何時間も人気のない道を歩かないといけないので、女と子供が二人で歩いたら、非常に危険なのは彼女もわかっていた。
「お待たせしました」
「ご苦労。彼の分はそこのテーブルに置いておいて」
「はい」
何て言い合っている間に、メイドが食事を運んできたので、フローラの命令どおり、ポールの分の食事もきちんとテーブルに置く。
ステーキとサラダ、スープに、ムニエル、パンなど、典型的なディナーであったが、その匂いを嗅ぐ内にポールも自然にお腹が空いてきてしまった。
「ポール、こっちに来なさい」
「ちょっと、何であんたの隣なの?」
「今日のゲストだし、私が直接もてなしたいからよ。まさか、レディーの誘いを断る気じゃないでしょうね?」
「駄目よ。絶対に行っちゃ」
「はうう……」
ポールを睨みつけながら、セシリアが彼に念を押すが、そうは言っても折角用意してくれた食事を食べないのは、フローラに対しても失礼だと思い、ポールも悩み続けていた。
「ほら、冷めるわよ。早く来なさい」
「っ! せ、セシリア様! あのフローラ様が折角用意してくれたので!」
「ポールっ!?」
悩んだ結果、無礼とはわかりながらも、主に対してそう口にしたポールがセシリアから立ち上がり、深々と頭を下げて、フローラの隣に行く。
理不尽な命令であったので、ポールもこれ以上、セシリアに従うと、フローラと喧嘩になってしまうと思い、彼としても苦渋の決断であった。
「そんな……」
「ホホホ、素晴らしい執事だわ。あんな格好じゃ、却ってセシリアにも恥をかかせちゃうものね。さ、ポール。乾杯しましょう。これはワインじゃなくて、ブドウジュースだけど、まだ子供だから我慢してね」
「は、はい……」
ポールに反抗され、ショックを受けて青ざめていたセシリアを横目に、フローラは隣に座っていたポールとブドウジュースで乾杯を交わして、得意気な顔をして飲む。
ずっとライバル視していた、セシリアのショックを受けた顔を見ただけでも、フローラは舞い上がってしまい、今まで感じた事のないくらい、勝ち誇った気分になっていた。
「ねえ、ポールは、いつもセシリアと食事は一緒なの?」
「いえ、いつもは他の使用人の方達と……」
と、フローラは他愛もない話をしながら、ポールとのディナーを存分に楽しむ。
ポールは時折、セシリアを横目に見るが、彼女はショックのあまり固まっており、食事もほぼ手付かずのまま呆然としていた。
「ご馳走様。くす、どうだった、ポール?」
「美味しかったです。今日はありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。折角、招待したオペラも中止になって申し訳ないわ」
夕食も食べ終わり、口直しに水を飲んだ後、ポールがフローラに礼を言って、セシリアの元に戻る。
彼女は、未だにうな垂れており、ショックでまともに考える事も出来なくなっていた。
「情けない顔。でも、あなたが悪いわね。ポールに無茶な命令をするから、こうなるのよ。全部自業自得。いつもこんな扱いしてるのかしら、セシリアって」
「……黙ってなさいよ……」
と、突き放すような視線で、フローラがセシリアにそう言うと、セシリアは彼女を睨んでそう呟くのがやっとであった。
だが、そんなセシリアを見てポールが、
「あのフローラ様!」
「何?」
「今日はご招待ありがとうございました。でも、こういうことはこれっきりにしてください。セシリア様と喧嘩になってしまうのは、良くないと思うので……」
「ポール……」
せめてもの償いとして、ポールがフローラに頭を下げて、そう告げる。
セシリアを裏切ってしまった事は事実であり、これ以上、フローラと関わって、主を怒らせてはならないと、幼い彼なりの言葉であった。
「そう、確かに私も悪かったかもね。今後は気をつけるわ」
ポールの言葉を聞き、フローラも思いの外、穏やかな口調で彼の頭を撫で、そう告げる。
「くす、良い執事を持ったわね、セシリア」
「そ、そうね」
聞き分けの良い事を口にしたフローラにセシリアも動揺しながら、そう答えると、フローラはポールの肩に手を起き、
「今日はもう遅いわ。二階の寝室でゆっくり休みなさい。おやすみ、ポール。ちゅっ」
「っ!」
「なあっ!?」
と、彼に耳打ちした後、フローラはポールの頬にキスをし、食堂を後にする。
セシリアもポールもしばし茫然としていたが、
「ポール〜〜……」
「は、はい!」
「帰ったら覚悟なさい!」
「はい……」
そうポールに睨み付けながら、告げた後、セシリアも食堂を去る。
セシリアのお仕置きよりも彼女を怒らせてしまった事に申し訳なさを感じたポールは、今後、どうやって美しいながらも嫉妬深い彼女に仕えていくか、頭を悩ましていたのであった。




