第九話 ご主人様の嫉妬も我慢の限界?
「ポール、いつまで寝てるの。早く起きなさい」
「う……はっ! せ、セシリア様……」
翌朝、セシリアに起こされてポールが目を覚ますと、彼女の顔を見るや、慌てて起き上がる。
使用人でありながら、またも主であるセシリアより遅く起きてしまい、慌てていた彼であったが、
「全く、たるんでるわよ、ポール。あまり使用人に対してうるさく言いたくはなかったけど、最近のあなたはちょっと緩みすぎだわ。まだ子供だからと言って、甘やかせ過ぎたかしらね……」
「も、申し訳ございません! 今度から気をつけますので、あの……」
「ふん。その言葉は聞き飽きたわ。さっさと起きて支度なさい。今日はアンジュと二人で出かける予定だったけど、ポールにも付いて来てもらうわ」
と、昨日の事をまだ怒っていたのか、憮然とした態度でそう命じ、ポールもすぐに頷く。
ハンナと会ったのは偶然な上に、彼女とは本当にただのクラスメイト、友人以上の関係ではなかったので、誤解されたままでは困ると思っていたポールであったが、セシリアは彼が自分の知らない所で、同年代の女子と仲良くしていた事自体が許せず、自分の目の届かない場所に極力置かない事にしたのであった。
「じゃがいもの出来は、まあまあ見たいね。ブドウとトマトは、どうかしら?」
セシリアは自身が経営している農園とアンジュと共に視察し、農作物の作付け状況を確認していく。
こうして、セシリアが仕事に励んでいる姿は、十四歳のポールには別世界に住んでいる大人に見えてしまい、やっぱり遠い所に居る人物なのだと思ってしまった。
「ポール、何をボーっとしているの? 今日は、あなたもここの仕事手伝いなさい。農園で働いている人が怪我をして休んで人手が不足しているの」
「わかりました」
と、セシリアの後を付いていたポールが彼女に仕事を手伝うよう命じられ、ポールも即了承し、農園の草むしりに取り掛かる。
セシリアは、ポールがハンナと仲良くしていた罰も兼ねて、農園の仕事を手伝う様、命じたのだが、農作業は、実家に居る時に手伝っていたので、彼にとってはさほど苦ではなく、農夫達の指示を受けながら、農作業に従事していった。
「ふうう……おい、ちょっと休憩にしようか」
それから三時間程経ち、休憩の時間になったので、ポールも他の農夫達と一緒に農園の外に出る。
久しぶりに農作業だったので、ポールも疲れてしまい、備え付けの井戸に並んで水を飲み顔を洗って、しばらく農園の外で座って一休みしていた。
「あれー、ポール、こんな所で何をやってるの?」
「え? は、ハンナ!」
座って一休みしていたポールが、近くを通りかかったハンナに声をかけられ、ビックリして声を張り上げる。
「どうして、ここに……?」
「ん? 私の叔父さんが、ここの農園で働いているから、お母さんが差し入れ届けに行ってくれって言われて。ポールこそ、農園の手伝いまでしてるんだ。大変だねー」
と、ハンナはリンゴとパンが入っていたバスケットと、冷たい水が入った水筒を見せて、そう説明したが、ポールは昨日に引き続いて、ハンナと偶然会った事に動揺してしまい、周囲を見渡して、セシリアが居ないか確認していた。
「じゃあ、ちょっと届けてくるから、待ってて」
「うん」
ポールとゆっくり話したかったハンナであったが、一先ず、母親に頼まれた用事を済ませておきたいと、中で休んでいた叔父の下へ向かい、差し入れを渡しに行く。
取り敢えず、セシリアの姿は見えなかったので、ホッとしたが、まさか二日連続でハンナと会う事になるなど、夢にも思わなかったポールは、何か運命的な物を感じてしまう程であった。
「お待たせ。ね、リンゴ、一個余ったから、食べる?」
「良いの?」
「うん。一人じゃ食べきれないし。へへ、ちょうどナイフ持ってきてるから、二つに分けるね。はい」
ハンナが差し入れのリンゴを一個、ナイフで切り分けて、ポールに半分渡し、彼もありがたくちょうだいし、ハンナも彼の隣に座って一緒にリンゴを食べ始める。
こうして、彼女と二人で並んで座るのも久しぶりなので、懐かしさを感じていたポールとハンナであったが、
「それにしても、こんな所で会うなんて思いもしなかったよ。いつも、農園の仕事もしているの?」
「今日は、人手が足りないって言うから、手伝えって言われて……」
「そうなんだ。大変だねー」
と、他愛もない話をしながら、二人はリンゴを頬張っていく。
元々人懐っこい性格をしているハンナと話していると、ポールもホッとした気分になり、ハンナも連日の級友との再会が嬉しかったのか、彼と体を密着させてリンゴを食べていった。
「セシリア様って、凄く綺麗だけど、ポールから見てどんな人なの?」
「えっと……」
そう訊かれて、ポールも少し考え込む。
セシリアがどんな女性なのか。綺麗で誇り高く、自分の様な使用人にも優しい素晴らしい人だと言おうとしたが、昨日のセシリアを見て、少し言葉に詰まる。
嫉妬深くて、子供っぽい一面もあるのだと思ったポールであったが、まさかそんな事を口にするわけにも行かず、
「綺麗で優しい人だよ」
「ふーん、そうなんだ。やっぱり、普段から素敵な人なんだね」
と、無難な事を口にし、ハンナもやっぱりと言った反応を見せる。
「あら、何をサボっているのかしら、こんな所で?」
「――! せ、セシリア様!?」
不意にセシリアに声をかけられたので、ポールがビックリして、声を張り上げて顔を上げると、いつの間にかセシリアが二人の目の前に立って、穏やかな笑みをして、ポールとハンナを見下ろしていた。
「休憩時間は終わりよ、ポール。早く作業に戻りなさい」
「す、すみません。ハンナ、それじゃこれで……」
「うん、またねー」
(うわあ、本当に綺麗な人)
まさか、セシリアが目の前に現れるとは思わず、ハンナと一緒に居る所を見られて狼狽していたポールであったが、ハンナはセシリアの美貌を目の当たりにし、貴族らしい堂々とした品格と威風を放っていた彼女に圧倒されていた。
「ふふ、ポール。後で、話があるわ。屋敷に帰ったら、待ってるから」
「はい……」
微笑みながら、セシリアが優しい口調でそう告げ、ポールも力なく返事する。
顔は笑っていたが、目が笑っておらず、明らかに怒っていたので、ポールは青ざめながら、農作業に戻っていった。
「セシリア様、今帰りました。あの……」
「ただいま、ポール。ちょっと案内したい所があるの、付いて来て」
「は、はい」
夕方になり、ポールが屋敷に戻ると、セシリアが待っていたとばかり、エントランスで出迎え、彼と外に出て屋敷の裏手に案内する。
何処へ行くのだろうと首を傾げていたポールであったが、拒否もできず、後に付いていったのであった。
「入りなさい」
「あの、ここは……っ!」
屋敷の裏にあった小さな古い納屋に案内されたポールは、セシリアと共に入ると、彼女は即座にドアを閉め鍵をかける。
「ここの納屋は、農具を閉まっている場所だったのだけど、今は殆ど使われてないわ。くす、小さい頃、一度だけ、悪さをしてお父様にここにお仕置きとして閉じ込められた事があったの。その時は本当に怖くて、大泣きしてたわ」
「は、はあ……」
夕闇に照らされながら、懐かしそうにそう語るセシリアを見て、逆に怖くなる。
「んで、本題だけど、あなたって私を怒らせるのが好きなのかしら? あの子と会うのは禁止しないって言った矢先に、まさかあの女の子と逢引するなんて、可愛い顔をして、随分とやんちゃな性格をしているわね」
「ち、違うんです。昨日も今日も本当に偶然で……」
「言い訳するんじゃないわよ!」
パアンっ!
「ひいっ!」
聞いた事のない怒号と共に、セシリアが鞭を地面に思いっきり叩き付け、ポールもその鞭音を聞いて、本気で怯えた顔をする。
「この鞭は、お父様とお母様が私を躾ける時に使っていた物よ。貴方の体をこれで直接ぶつような真似はしたくないんだけど、私もこれ以上、怒ると、我慢の限界を超えちゃうかもしれないわね」
「も、申し訳ありませんでした! でも、今日も本当に……っ!」
蹲っていたポールが必死に弁解しようとすると、セシリアが彼の前に屈んで抱きつき、
「ねえ、これ見て」
「?」
懐から一枚の白黒の写真を取り出すと、そこには中年の夫婦と共に一人の少女が写っていた。
「これ、貴方と同い年、十四歳の頃の私とお父様たちの写真よ。十三年前ね。当時は寄宿生の学校に通っていたわ。貴族の子女が通うね」
とポールに見せ付けながら、セシリアがそう説明するが、これが自分と同い年の頃のセシリアなのかまじまじと魅入る。
今と同じように凛として、貴族らしい気品を兼ね備えた美少女であったが、同時にセシリアが十四歳の頃は、まだ自分は一歳だったのだと考えると、年齢差を改めて思い知る形になった。
「ハンナって子、間近で見たけど、可愛らしくて良い子ね。でも、自分で言うのも何だけど、私が彼女に負けてるとはとても思えないわ。当時と比較してもね」
と、感慨深げにポールに説くが、ハンナは中流家庭の家の出で、セシリアは広大な土地を所有する貴族なのだから、そもそも比較になるはずがないとポールも思っていたが、セシリアは彼の頬を掴んで、
「んっ、んんっ! ちゅっ、んふうう……」
不意に唇を重ねていき、幼い使用人と激しい口付けを交わしていく。
あんな小娘に負けてる筈はない――セシリアは彼にそう言い聞かせながら、彼と抱き合い、唇に吸い付いて、ポールも息が詰まりそうになっていた。
「ちゅっ、んん……んっ、はあっ! 貴方にここまでするのは私だけよ、ポール。わかってる?」
「は、はいい……」
「ふん、本当かしら。今日は、一晩ここで過ごして頭を冷やしなさい。私の写真置いておくから、あの子とどちらが良いかよく考えてみる事ね」
十四歳の頃の自分の写真を彼の下に置き、セシリアが納屋を後にし、鍵をかける。
彼女の昔の写真を眺めながら、セシリアの闇の深さをまた思い知り、茫然と納屋で一晩を過ごしていったのであった。




