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第三章 解脱

 シッダールタはニーランジャナ川沿いを歩いていると、ガヤーの地に大きなピッパラ樹があるのを見つけ、その樹の根元に草を積んでを作ると解脱げだつを達成するまでは決してこの坐を立つまいと堅く決心して結跏趺坐けっかふざという坐り方で坐禅を始めました。実はシッダールタには勝算がありました。苦行を始めたばかりで、まだ体力があった頃は断食をすると1週間くらいで尋常じんじょうではないほどに集中力が高まるという経験をしていたので、スジャータの乳粥を食べて体力を回復した今の状態なら解脱できるような気がしていたのである。



 坐禅はその後7日間もの間、中断することなく徹夜で続けられ、12月8日の未明 、シッダールタは尋常じんじょうではないほどの集中力で呼吸に完全に成り切って深い三昧に入っていました。


 明けの明星の光がシッダールタの目に入った瞬間にハッと悟りが開けました。驚くべきことに明星が自分だったのです。


 明星だけでなく、そらも大地もピッパラ樹も全てが本当の自分だったのです。どういうことかと言うと、私達は自分の肉体があって、その肉体の外側に物質的な世界があると信じて疑いません。しかし、本当はそうではなかったのです。この世界は本当は心の中にあったのです。心の働きによって形成されたものだったのです。


 ニーランジャナー川の流れを見た時、川がシッダールタ自身であり、しかも生きていると感じました。肉体が生きていることが命ではなく、体験そのものが本当の命であることを悟ったのでした。


 世界が心の中にあるということは世界は心に映っているだけであり、物質世界は実在しません。このことは後に【唯識】と呼ばれるようになり、物質が実在しないことは【くう】と呼ばれるようになりました。世界は心に映っているだけということは、今ここで実際に体験している世界そのものが本当の心であり、後に【仏】【仏心】などと呼ばれるようになり、仏としての本質は【仏性】と呼ばれるようになりました。そして悟りを開いて自己の本性が仏であると目覚めることは【成仏】と呼ばれるようになりました。

 また肉体と心だけが自分だと思うことは【有身見うしんけん】という間違った見方であると呼ばれるようになりました。


 山や川、草、木など見るもの触るもの全てがまるで初めて見るように新鮮に感じられ、美しさに満ちていました。そして、シッダールタは深い安堵と圧倒的な至福感に満たされ、とめどない歓喜の涙がシッダールタのほほを濡らし続けていました。


 要するに、シッダールタは心の働きによって形成された物質世界からの解脱げだつを達成したのでした。物質世界を解脱したということは縁起のある諸行無常の世界から解脱したのですから、もはや生まれることも無ければ死ぬことも無く輪廻転生することも無いということです。この時の心の働きを停止する究極の禅定は後に滅尽定めつじんじょうまたは想受滅そうじゅめつと呼ばれました。


 経典にはこの時のシッダールタの言葉を「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉いっさいしゅじょうことごとく皆な如来にょらいの智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」としるされています。何と不思議なことだ。この世のあらゆるものが如来(仏)であり、本当の自分であった。ただ自分が人間であるという妄想があった為に今まで気付くことができなかったのだという意味です。

 その後、シッダールタは数週間この深い安堵と圧倒的な至福感の素晴らしさをピッパラ樹下にして味わい続けました。


 後にこの時のシッダールタが仏として覚醒した体験は【見性けんしょう】と名付けられ、このガヤーの地はブッダガヤーと呼ばれるようになり、ピッパラ樹は菩提樹ぼだいじゅと呼ばれるようになりました。



 数週間後、シッダールタは大きな問題にぶつかっていました。私達は本当は肉体を持った人間ではないのだから、生まれることも無ければ死ぬことも無く輪廻転生することも無いと真理を説いたとしても誰も信じないだろうと思われたからです。シッダールタは何日間もピッパラ樹の下にすわってこの難問に思索を巡らしていました。



 瞑想で三昧を極めて滅尽定に入れば真理はおのずから明らかになるのですから、あえて真理を説く必要はなく、相手を瞑想修行に導きさえすれば良いと考えるようになりました。そして相手を瞑想修行に導く為に順を追って説明することを考えました。この世は苦しみであり、苦しみには原因があり、その原因を滅することで苦しみも滅することができ、苦しみを滅する道(八正道)があるということを四諦という4つの真理にまとめました。この時、悟りが開けてからすでに49日が経過していました。

 そして、教えを誰からくべきかを考えました。やはり最初はかつての師であるアーラーラ・カーラーマ師とウッダカ・ラーマプッタ師に教えを説こうと思いました。彼らならすぐに悟りに到達できるだろうと思い、二人の道場を訪れましたが、残念なことに二人ともすでに他界されていました。

 次に教えを説こうと思ったのは6年間苦行を共にしたコンダンニャ達5人でした。シッダールタはさっそくウルベーラの苦行林に行ってみましたが、既に彼らはいませんでした。苦行林の修行者達に5人の居どころを聞くとイシパタナ(現在のサールナート)の鹿野苑ろくやおんに行ったことが解りました。さっそくシッダールタはイシパタナを目指して歩き出しました。


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> また元の肉体や大地やピッパラ樹のある世界が戻って来ていて、肉体だけでなく、空そらも大地もピッパラ樹も全てが本当の自分だったのです。どういうことかと言うと、私達は自分の肉体があって、その肉体の外側に…
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