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第一章 シッダールタ王子

 紀元前500年頃の4月8日、現在のインドとネパールの国境付近にあったシャカ国の首都カピラバストゥ(カピラ城)の都は歓喜に沸いていました。マーヤー王妃が初めての王子を出産されたのでした。


 当時のインドでは出産は実家に帰ってするのがならわしでしたから、マーヤー王妃は朝早くに出産のために実家に里帰りする旅に出られました。その日はまるで天が祝福しているかのような気持ちのいい晴天でした。そして旅の途中、カピラバストゥ郊外のルンビニの花園まで来た時、マーヤー王妃は「美しいお花をもっと良く見たいから馬車を止めて下さい」と馬車の御者ぎょしゃにおっしゃいました。

御意ぎょい」と御者は答えて馬車をゆっくりと止めました。

 馬車が止まると、マーヤー王妃はアショーカ樹の花があまりにも美しかったので花を手折たおろうと右手を伸ばされた途端、急に産気づかれて王子を出産されました。王子が生まれたことで実家に帰る必要が無くなり、カピラバストゥへと戻られました。城門を入ってカピラバストゥの都を馬車が王宮へと進んで行きます。当時のインドでは街を異民族の侵略から守る為に街全体を城壁で囲っていました。

 マーヤー王妃を出迎えられたスッドーダナ王は満面の笑みを浮かべて「良く頑張った。ゆっくりと産後の養生をするのだぞ」と出産の労をねぎらい、産後の体を気づかわれました。スッドーダナ王は目的を達成する芯の強い子に育って欲しいという願いを込めて「シッダールタ」と王子を命名されました。

 ゴータマ・シッダールタ王子生誕の祝宴が盛大にもよおされ、人々は王子の誕生と国の繁栄を心の底から喜びました。



 しかし、喜びは長くは続きませんでした。マーヤー王妃の産後の肥立ひだちが悪く、王子の誕生から七日後に亡くなったのでした。葬儀には多くの人達が訪れ、早過ぎる死をいたみ、冥福を祈りました。



 生まれたばかりのシッダールタ王子には養母が必要でした。スッドーダナ王はシッダールタ王子の養母は王妃の血縁者が良いと考え、マーヤー王妃の妹であるマハー・プラジャーパティと再婚しました。こうしてシッダールタ王子は養母マハー・プラジャーパティ王妃に育てられることになりました。



 マハー・プラジャーパティ王妃はまるで実の子であるかのようにシッダールタ王子に愛情を注いで育てました。王子誕生から5年が経ち、シッダールタ王子は従兄弟いとこのダイバダッタと城内でよく遊ぶ活発な子供に成長しました。この頃からシッダールタ王子の教育も始まり、読み書きから始まり、次第に高度な内容も教えられるようになり、9才に成るとバラモン教の導師グルから瞑想も習いました。

 その後、武術・兵法・地理・歴史・政治学・バラモン教(ウパニシャッド哲学)など高度な教育を受けました。シッダールタ王子は武術でも学問でも非凡な才能を示して教師達を驚かせました。シッダールタ王子は15才くらいから、それらの科目の中でも特にバラモン教に強い興味を持つようになっていきました。



 王宮の庭で、鋤入祭くわいれさいという祭りが行われていました。この祭りは、神々に豊作を祈る儀式で、作物のみのりを得るための大切なものでした。スッドーダナ王自らが鋤を持って畑を耕されました。

 この祭りに参加していたシッダールタは土が耕される様子をジッと見ています。土を掘り起こすと、土の中から虫が出てきました。やがてその虫は小鳥に捕らえられ空に飛び立っていきました。すると今度は空高く飛んでいたたかが、小鳥を捕まえに行きます。この様子を見ていたシッダールタは式典を途中で退席してしまいました。

 祭が終わった後、シッダールタが祭を途中で退席したことを心配したマハー・プラジャパティ王妃はシッダールタに話しかけました。

「シッダールタ、どうかしたの?」

「土を掘り返したら虫が出て来たと思ったら小鳥が虫を食べちゃったんだ。そしたら、今度は大きい鳥が飛んで来て小鳥を捕まえて飛んで行ったんだ」

「そうだったの! 虫と小鳥はかわいそうだね。でもね、シッダールタ、大きい鳥が悪いわけじゃないのよ。大きい鳥は小鳥や小動物を食べないと死んじゃうから仕方がないのよ」

「それはそうだけど……」

「シッダールタが虫や小鳥がかわいそうだと思う優しい子に育って母さんは嬉しいわ」



 いつものようにダイバダッタと遊んでいると、一羽の白鳥が飛んで来ました。ダイバダッタは持っていた弓矢で白鳥に狙いを定めて矢を放つと白鳥に命中して、シッダールタの前に落ちて来ました。シッダールタはすぐに矢を抜き、傷の手当てをしてやりました。そこへダイバダッタがやって来て「その白鳥はおれ仕留しとめたのだから返してくれ」と言いました。

「白鳥が死んでいるのなら返そう。しかし、この白鳥はまだ生きているし、私が手当したのだから私のものだ」とシッダールタは譲りませんでした。

「ちえっ、覚えてろよ」と台詞ぜりふくとダイバダッタはどこかへ行ってしまいました。

 その後、シッダールタは白鳥が元気になるまで献身的けんしんてきに世話をし、白鳥が元気になると大空へ返してあげました。元気に飛んで行く白鳥を見送っているシッダールタの表情はとても嬉しそうな笑顔でした。



 ある日バラモン教の授業が終わると、シッダールタ王子はたまたまこの日は王宮に来ていた母方の従妹いとこであるヤショーダラー姫に話しかけました。「ヤショーダラー、久しぶりだね。今バラモン教の授業が終わったところなんだ。バラモン教で教えている輪廻転生って本当にあると思う?」

「あるに決まってるじゃない。みんなそう思ってるよ」

みんなそう思ってることは知ってるけど、僕は納得してないんだ。善いことをすると良い来世に生まれるなんて、善いことをするように導く為の作り話じゃないかと思うんだ」

「シッダールタって人とは違う視点で物事を見てるのね。哲学者や求道ぐどう者に向いてるかもね」

「実はそういうのにちょっと興味があって、真理に到達して解脱げだつを果たすためにどんな修行をしているのか見に行きたいと思っているんだ」

「あっ、それ私も見たいわ!」

「本当に? じゃあ、今度一緒に見に行こうか?」

「ええ、行きましょう!」



 数日後、シッダールタ王子はヤショーダラー姫を迎えに行き、二人でこっそりとカピラ城を抜け出して、馬を並べて修行者達を探しに行きました。当時のインドでは至るところに修行者がいたので見つけることは簡単でした。修行者達はじっと坐って瞑想をする者、土に埋まっている者、断食をしてガリガリに痩せている者など銘銘めいめいがそれぞれいろいろな修行や苦行を行っていました。話を聞くと皆が必ずしもバラモン教の教えを盲信しているわけではなく、沙門サマナと呼ばれる自由思想家も多くいました。彼らは修行によって到達できる境地にこそ意味があると考えているようでした。また、アーラーラ・カーラーマ師とウッダカ・ラーマプッタ師という高名な瞑想の師匠がいるという情報も得られました。



 カピラバストゥに帰る途中に不可触民街を通りました。不可触民とは4つのカーストに属さない最下層の被差別民のことです。家を持たない路上生活者達もおり、病気で苦んでいる者も大勢おり、至る所に死体が放置され、まるで地獄のような有様ありさまにシッダールタ王子とヤショーダラー姫は大きなショックを受けました。シッダールタ王子は王宮に帰る前にヤショーダラー姫を家まで送り届けました。「じぁ、また」とシッダールタ王子は力の無い声で言うとヤショーダラー姫と別れました。



 その夜、シッダールタ王子は何とか不可触民街のあの人達を救うことができないかと考えていました。バラモン教の教えによると解脱げだつを達成すればあらゆる苦しみから解放されると習った。シッダールタ自身が解脱げだつを達成する方法を見つけ出し、人々に教えを説くしか方法がないと考えました。



 スッドーダナ王はマハー・プラジャーパティ王妃に話しかけました。「困ったうわさを耳にしたんだが、どうもシッダールタは王位をぐよりも出家修行者に成りたがっているそうなんだ」

「そのようね。シッダールタを結婚させれば出家しようなんて気は無くなるんじゃないかしら」

「それはいい考えだが相手はどうする? シッダールタのことだから私達が勝手に決めた縁談には興味を示さないだろう」

「相手のことなら、どうやら最近ヤショーダラーと仲がいいみたいですよ」

「ヤショーダラーか。それはいい! ヤショーダラーは美人だし聡明で気立てが良く芯のしっかりした女性だ。すぐに縁談を進めよう」



 こうして縁談はトントン拍子で進み、シッダールタが16才の時、バラモン教の司祭の前でシッダールタ王子とヤショーダラー姫は夫婦になることを誓いました。盛大な披露宴がもよおされ多くの人達が二人の婚礼をお祝いしました。披露宴の後は屋根の無い馬車に乗ってカビラバストゥの都をゆっくりとまわりました。みんな新郎新婦を一目見ようと集まり、沿道は多くの人々であふれました。そしてシッダールタは貧しい者達には食料や衣服を配って廻りました。



 シッダールタ王子がヤショーダラー妃に話しかけました。

「一緒に瞑想をしてみないか?」

「瞑想ってどんな効果があるの?」

「瞑想をすると心が落ち着いて悩むことが無くなるよ。それから集中力がついて何でもてきぱきできるようになるよ。勉強だって集中してやれば効果てきめんだよ。武術には特に効果があるんだ。瞑想には気合いが大事なんだけど、武術で気合いを身に付けることができるし、瞑想の効果で武術が上達するんだ。武術の試合では何て言うか、神がかり的な状態になって無敵に成れるんだ」

「神がかり状態って、本当なの?」

「本当だよ。体と心が完全に一体化していて、自然に体が動いているような感じで、試合が自分の思うように進み、負ける気がしないんだ」

「そんなにすごい効果があるんだ! そう言えばシッダールタの武術は指導してくれている将軍が舌を巻くほどすごいそうね」

「でもいつでも神がかった状態に成れるわけじゃないんだ。普段の練習では一度もなかったよ。試合の時のようにものすごく真剣になった時にだけそう成るんだ。つまり瞑想と武術はとても相性がいいってことなんだ。それから瞑想の効果で一番大事なことは悟りが開けてあらゆる苦しみから解放されると言われているよ」

「そんなにすごい効果があるならやってみようかな」

「私がやっているような正式なすわり方じゃなくてもいいんだ。椅子に坐ってやってごらん。大事なのは背筋を真っ直ぐにすることなんだ。目は開いたまま視線を斜め下に向けて、呼吸に集中しつつ、呼吸を数えるんだ。呼吸は普通の呼吸だけど、初心者の場合は意識的に呼吸した方が集中しやすいよ。数え方は1から10まで数えたら、また1に戻るんだ。途中で雑念が湧いた場合も1に戻るんだ。それと集中とは呼吸全体を意識することではなくて、どこか1点に集中することなんだ。私の場合は鼻で空気の流れを集中して感じるようにしているんだ。ではやってみて」

こうして二人は約30分間瞑想をしました。

「どうだった?」

「あまり良く解らなかった。途中で雑念がいっぱい出てきたから」

「初めは誰でもそんなものだよ。毎日続けることが大事なんだ。今日はもう寝よう。おやすみ」



 マハー・プラジャーパティ王妃は実子ができるとシッダールタより、実子が可愛くなることを恐れて子供を作りませんでしたが、シッダールタも既に結婚したため、もう子供を作ってもよいだろうと思い始めました。そして、シッダールタが19才の時に異母弟ナンダが誕生しました。第二王子の誕生を祝って盛大な祝宴が執り行われ、カピラバストゥは歓喜に沸きました。



 シッダールタ王子が20才に成るとスッドーダナ王は王子を後継者にする為に会議に同席させるようになりました。しかし、官僚達が自身の利益しか考えず、真に国民の為に働いている者がいないことに失望し、ますます政治に興味を失っていきました。



 ある夜、ヤショーダラー妃がシッダールタ王子に話しかけました。

「もし子供が生まれたらうれしい?」

「そりぁ嬉しいよ。って、ひょっとして出来たのか?」

ヤショーダラー妃は無言でうなずきました。

「やったー! 良くやった。明日の朝、さっそく父に報告しよう。これからは一人の体ではないのだから体に気を付けないといけないよ」



 それから半年後、ヤショーダラー妃は出産のために実家に帰省し、元気な男の赤ちゃんを抱いてカピラバストゥの都に戻って来ました。


「良く頑張がんばったね! 産後はしっかりと養生しないといけないよ」とシッダールタは出産の労をねぎらい、産後の体を気づかいました。

「元気な男の子ですよ。抱いてあげて下さい」とヤショーダラー妃は言うと生まれたばかりの赤ちゃんをシッダールタ王子に抱かせました。

「名前だけど、釈迦族のトーテム(特定の部族に宗教的に結び付けられた野生の動物や植物などの象徴)は龍だから、釈迦族の頭に成る者という意味でラーフラと名付けようと思うけどいい?」

「素敵な名前ですね」

「よし、決まりだ!」


 盛大な祝宴がもよおされ、カピラバストゥの都は歓喜に沸きました。


 ラーフラの寝顔を見ていてシッダールタはラーフラもいつかは死ぬ時が来ると思った。人生には必ず苦しみがある。最後には必ず死があるからだ。ラーフラのために何としても解脱げだつを達成して死の問題を解決しなければならないと決意を新たにしました。しかし出家修行するとなると父であるスッドーダナ王はひどく落胆されるだろうこと、ヤショーダラーから幸せな結婚生活を奪ってしまうことを考えるとシッダールタは大いに悩み苦しみました。

 数ヶ月もの間シッダールタ大いに悩み苦しみました。しかし、どうしても出家修行して死の問題を解決しないではいられませんでした。

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