証(あかし)
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主要登場人物
春子
正吾
今日は、とてもいい天気。
大切な私の青春をこの世から消滅させるには
丁度良い日。
「ちょっと出かけるわ。」
「春子さん、どちらに?」
「最後の日記を燃やしてもらおうと思って。」
「そうですか。私がもらい受けたいのに。」
「いいの。これは私の青春だから。」
兄さんの孫のお嫁さんは、私のことを気にかけてくれて
本当に良い子。
学園を作った甲斐があったわ。
女性が作る学校だからと、女子高になってしまったけれど
後世に共学校になってくれればそれでいい。
そう。この場所が好き。
この先の公園にある川のほとりで
いつも彼は、遠くを見ていた。
はじめて会ったのは、16歳の頃。
「春子、郵便もってきてくれ。」
「はーい。」
郵便を待っていると、1人の青年がやってきた。
「郵便です。こんにちは。」
「こん、にちは。」
うまく挨拶できなかった。
ほほ笑む青年を見送った。
それが、彼との出会いだった。
毎日、毎日、郵便を待った。
ある日、公園で
川を見ながら、じっと物思いにふけっている彼がいた。
横顔が素敵で、見とれてしまう。
一瞥したようにも見えたけれど、
彼は行ってしまった。
それからも、毎日、郵便を届けてくるのを待った。
名前も調べた。
郵便が届けられるのが楽しみで、いつの日か
私は、彼のことが好きになっていた。
でも時は戦時中、想いを告げるのは難しい。
しかも郵便物をもらうだけの関係。
でも、いつか平和になったら、私の想いを伝える。
そう思っていた。
でも、運命は残酷だった。
ある日、郵便を待っていると。
「郵便です。こんにちは。」
「こんにちは。」
「桜が綺麗ですね。」
彼が初めて話かけてきた。
とてもうれしかった。
「今日で、自分の配達は終わりになります。
出征することになりました。お国のために尽くして来ます。
今まで、待っていてくださって、ありがとうございました。」
言葉が出なかった。
あっけにとられる私に、彼は一言言った。
「来週、月曜日に出征します。もしよろしければ、見送ってください。」
そう言うと、走り去ってしまった。
何も言えなかった。
想いを伝えることすらできていない。
知っているのは年齢と名前だけ。
もっと知りたい。彼をもっと知りたい。
もう、それさえもかなわない。
私が、ほんの少しでも勇気を出していれば
ほんの少しでも運命が変わったかもしれないのに。
彼の出征の日。
駅には沢山の人だかりが出来ていた。
彼だけではない、他の方も出征のようだった。
汽車が入ってくる。
彼は、ひと際たくさんの人に囲まれていた。
私は、遠くで彼も見守るだけ、
「バンザーイ!バンザーイ!」
出発の時間みたい。私は何も伝えられなかった。
今もこんな遠くで見守るしかできない。
意気地なし。
その時、彼が、大きく手を振った。
まるで、私に向けられたもの・・・、な訳がない。
でも、私だって。
小さく、手を振った。
“あなたのことをお慕い申し上げています。
無事に帰って来て。その時は、想いを伝えさせてください。“
その気持ちを込めて。
私は、今日から、彼への気持ちを日記にすることにした。
名前はそうね。
“恋愛読本。”
恋愛の仕方を知らない小娘が
大好きな人に想いを伝えるまでの日記。
これが私の出来る精いっぱい。
大好きなあの人が、私の中に住んでいた
その証となる日記。
それから毎日、彼への想いをつづった。
日本の四季の美しさ。
彼の好きだった公園の風景。
私の稚拙な文章で、表現できる限界まで。
いつかあなたに見てもらうために。
2年後、戦争が終わった。
これで彼が帰ってくる。
そう想いを馳せながら、日記をつづった。
それから何か月たっただろう。
人づてに彼が亡くなったことを聞いた。
私の読本は、ここで終わり。
想いは伝えられなかった。
でも、落ち込んだら彼に笑われる。
ならば、私はこの想いを胸に
人の尊さと人を愛するすばらしさを教える。
そんな教師を志した。
恋愛読本。は終わってしまったのだから。
たまには、あの川を眺めていこうかしら。
そう思い、久しぶりにあの場所に近づいた。
近くに来ると、先客がいるようだ。
昼間の公園は、人がまばらで過ごしやすい。
この川は変わらない。
そう私が16の頃から。
先客も年配の方だ。
同じくらいの方かしら、まるでいつかの彼みたい。
少し遠くを見ている。
「この川は変わりませんね。」
先客の年配の男性が話しかけてきた。
「そうですね。私が幼少のころから変わりませんね。」
「ひさしぶりにこの場所に来ました。この場所は、私の青春の思い出です。」
「私は、ずっとこの川を見ていました。
何も変わりませんね。時間は沢山過ぎたのに。」
「……この場所で、ある人に言い忘れていることがあるんです。
その方の代わりに聞いてもらえませんか?」
私は、彼の横顔を思い出し、衝動的に言ってしまった。
「私でよろしければ、喜んで。」
「……ありがとうございます。」
私の命は後わずか、違う人でも良い。笑われても良い。
ずっと前、自分の気持ちにケジメを付けたはず。
でも・・・、それでも・・・。
私の恋愛読本をこの世から無くす為に。
「いつも、手紙を配る貴方と会うことが楽しみでした。
私に向けられている笑顔がうれしくて、
いつも、ドキドキしていました。
あなたのことが……ずっと好きでした。」
伝えられなかったこの言葉。彼にはもう届かない。
でも口に出して言えたから、もう満足……。
彼は、無表情だった。
しばらくすると私をまっすぐに見つめ、
深呼吸をしていた。
「手紙を届けるときのあなたの笑顔が
今でも、この心に焼き付いて忘れられません。
出征の前に、あなたに話しかけた時
心臓が飛び出そうになるほど緊張しました。
駅で、小さく手を振ってもらった時に
生きて帰ると心に誓いました。
終戦後、家が焼け、戻る場所なく九州に居ました。
貴方には違う人生がある、そう心から願って。
でも、私は、弱虫です。忘れられなかった。
中川春子さん。
私は、貴方のことがずっと好きでした。
遅くなって申し訳ありません。……郵便屋失格ですね。」
いたずらに笑う彼は、私の大好きな
「手塚さん……。手塚正吾さん……。」
はじめて彼の名前を口にした。
……私の恋愛読本は、まだ終わっていなかった。
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