第25話 直接対決①
そういえば、以前も似たようなことがあった。
あれは陶芸部の部室である第三美術室で、玄幽焼の話をしていた時の事だ。
あたしが宮永くんの器を褒めたら、宮永くんは何故だか急に元気がなくなってしまった。
多分だけど、宮永くんは陶芸や玄幽焼のことが大好きな一方で、どこかわだかまりも抱えている。今回のこともそれと関係があるのだろうか。
けれど宮永くんは、すぐ穏やかな表情に戻ってしまった。そして今度はあたしに尋ねてくる。
「……結城さんは? 漫画の方はうまく進んでる?」
「あ……うん、まあまあ。少しずつだけど、進んでる……かな」
「よかった……すごく悩んでたみたいだったから、僕は不必要にきついことを言ってしまったんじゃないかって後悔していたんだ」
あたしが以前、宮永くんに自作の漫画の感想を求めたことだ。
確かに宮永くんの感想は、あたしにとってなかなかに厳しいものだったけど、おかげで吹っ切れた部分もあるから今ではとても感謝してる。
「あ、そこは全然大丈夫だし。むしろためになったって思ってるから、気にしないで!」
「本当? 良かった……新作はどんな漫画を描いているの?」
「え!? それはえっと……一応、学園もの……かな。でも、いろいろ今までにないことに挑戦してて、大変だけどやりがいを感じるよ」
「そっか。結城さんはスランプを脱したんだね。新作が完成したら、また読んでみたいな」
「ええ!? う、うん……考えとくね……」
まさか宮永くんをモデルに新作を描いているなんて言えない。あたしは曖昧に笑ってその場を誤魔化したのだった。
ともかく文芸部に新たな部員、小坂さんと村瀬さんが加わった。
細田先輩が言うには、部員が増えたおかげで部活動の予算もしっかり確保でき、文化祭の文集も去年と同じ規模で作れそうだという。
その上、部室もより広い教室へ移ることができることとなった。これまでの、倉庫同然の手狭な空き教室から、第二司書室に移動することが決まったのだ。
第二司書室は他の教室に比べたら狭いけど、ファイルや書類がぎゅうぎゅうに押し込まれた棚などが無いせいか、元の空き教室に比べると二倍近く広くなったように感じる。
おまけに、一時期は国語科の先生たちの準備室にもなっていたらしく、給湯器や冷蔵庫まで完備だ。
さっそく文芸部のみんなで第二司書室に引っ越しを始め、待遇の改善を喜び合った。
しかしその事が、あたしに大きなトラブルを呼び込んでくることになる。
部員が増え部室も変わり、新生文芸部の活動が始まってちょうど三日目。
放課後を迎えると、あたしはいつも通り文芸部の部室へ向かうため教室を出た。
すると廊下の向こうから、怒鳴り声が聞こえてくる。
何事かと目を向けると、小坂さんと村瀬さんが数人の二年生女子に囲まれていた。
忘れたくても忘れられない、西田先輩とその取り巻きだ。
西田先輩はいつものとげとげしい声で小坂さんや村瀬さんを責めて立てている。「はあ!? 漫画研究部に入るって言ったじゃん!」とか、「今さら何言ってんの!? ふざけんなよ!!」とか。
そのセリフから、彼女たちが何について揉めているのか、あたしはすぐに察しがついた。
西田先輩たちは小坂さんや村瀬さんが文芸部に入部したことをどこかしらで聞きつけ、それを邪魔しに来たのだ。
西田先輩たちとはもう二度と口をききたくないし、顔も見たくない。
でも、小坂さんや村瀬さんをこのまま放っておくわけにはいかなかった。
あたしは足早に西田先輩の軍団に囲まれている小坂さんと村瀬さんへ近づいて行って、声をかける。
「小坂さん、村瀬さん! 一緒に文芸部に行こ!」
「ゆ、結城さん……!」
小坂さんと村瀬さんはすっかり脅え、目に涙を溜め震えていた。
二人ともあたしの姿を見て心からほっとした表情をする。
一方の西田先輩はもともと不機嫌そうだったのがさらにムッとし、今にもぶちキレそうだ。
大きく体を反らし、威嚇するようにあたしを見下ろした。
「久しぶりじゃん、結城。生きてたんだ? 人づてに聞いたけど、あんた文芸部に入ったんだって?」
あたしも通学鞄の取っ手を握りしめ、西田先輩を睨み付けた。いくら先輩とはいえ、こんな人に絶対負けたくない!
「別にあたしがどの部に入ろうと、西田先輩には関係ないじゃないですか。放っておいてもらえます?」
すると西田先輩はニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべた。完全にあたしを馬鹿にしている顔だ。
「まあそうなんだけどさ。あんな存在感うっすいクラブによく入る気になったよね。どうせ陰キャオタクの集まりでしょ? 来年には部そのものが消滅してんじゃない?」
「だったら何なんですか。文芸部がオタクの集まりだったとしても、部活動らしい活動を一つもせずグダグダ駄弁ってお菓子食べるくらいしかさせてくれない漫研よりはずーっとマシです。……少なくともあたし達にとっては!
もういいじゃないですか。あたし達と西田先輩たちの考え方は相容れない事は分かってるから、こうして別の部に入ることにしたんです。それなのにしつこくつきまとって脅したりして、何がしたいんですか? もうあたし達を解放してください!」
「そりゃ、あんたがどの部に入って何をしようと、うちらの知ったこっちゃないよ。でも小坂と村瀬は返してもらうからね」
「は……はあ!? 何ですか、それ!」
意味が分からない。返してもらうって何?
小坂さんや村瀬さんは西田先輩の所有物じゃないのに!
けれど西田先輩は、自分がいかに横暴で傲慢なことを口にしているか気づきもしないらしく、歯を剥いて声を荒げる。
「あんたが小坂と村瀬を漫研から引き抜いて文芸部に入部させたって事は、こっちも把握してんだよ! どうせウチらへの嫌がらせだろうけど、そうはさせるかっての!!」
「嫌がらせって……何であたしがそんな事を! 言いがかりをつけるのもいい加減にしてください!! そもそも小坂さんや村瀬さんの意思をちゃんと確かめたんですか!? 二人とも文芸部に入る前に、漫研に入部するのを諦めたって言ってましたよ!」
「だったら何さ? 小坂と村瀬ならウチらが漫研に戻れって言ったら絶対に大人しく従うでしょ。……ねえ?」
西田先輩は小坂さんと村瀬さんをぎろりと睨み付けた。
「そ、それは……」
「でも……」
「はあ!? 何? よく聞こえないんだけど! 先輩に何か言われたら、返事は『はい』でしょ!!」
西田先輩からドスの効いた一喝を浴び、小坂さんと村瀬さんは二人揃ってびくりと体を強張らせた。
もはや先輩後輩というより、完全にご主人様とその奴隷だ。
(何よこれ……! こんなの、完全にイジメ……っていうより、もはや脅迫じゃん!!)
部活動の先輩が厳しいのが一概に悪いとは思わない。厳しいけど面倒見のいい先輩、厳しいけどいざという時は優しくて頼りがいのある先輩。世の中にはそういう先輩たちもいるだろう。
でも西田先輩の場合はただひたすら、精神的に圧力をかけてくるだけだ。
こんな人と一緒にいたって、心の平穏や健康を失うばかりで、得られるものなんて何もない。
ただ苦痛があるだけだ。
そう考えると、ふつふつと怒りが沸き上がって来る。
「西田先輩たちには残念かもしれないですけど、小坂さんと村瀬さんは文芸部への入部届を既に職員室に提出しているんです! 二人はもう、れっきとした文芸部員なんです!! それが小坂さんと村瀬さんの選択なんですよ、西田先輩。辛くとも、現実を受け入れてください!」
あたしは西田先輩にそう言い放った。西田先輩は顔を歪め、目を吊り上げる。
「何が『現実』だ、いけしゃあしゃあと……! そもそもはあんたが漫画研究部を駄目にしたんだ! 何もかもあんたのせいでおかしくなったんだ、この疫病神!!」
「知りませんよ、そんなの。こっちだって言いたいことは山ほどあるけど、ただ言わずにいるだけです。西田先輩がそう思うならそれでいいんじゃないですか? でも絶対に漫研には戻りませんから!!
それに小坂さんや村瀬さんに先輩の意見を強引に押し付けるのもやめてください。小坂さんや村瀬さんにだって部活動を楽しむ権利があるんです! それなのに、頭ごなしに入部すると決めつけて権力振りかざして、支配者みたいに振舞うなんておかしいです!!」
「お前、マジムカつく! 誰が支配者だって!? こっちは上下関係をきっちりしろって言ってるだけだろ!!」
あたしと西田先輩の口論はヒートアップする一方だ。
小坂さんや村瀬さんのためにも、あたしは絶対に退く気はない。
でもそれは西田先輩も同じみたいで、互いに一歩も譲らない膠着状態だ。
それを見かねたのか、西田先輩の取り巻きの一人があたしと西田先輩の間に割って入った。確か、槙野英玲奈という名前の先輩だったはず。
「まあまあ、友香も一年相手に熱くなるのやめなよ」
「英玲奈……だってさ!! こいつムカつくじゃん! 一年のくせに!!」
「ごめんね、結城さん。私たちも確かに大人げないところ、あったと思う。もう漫画を描くことに反対しないから、小坂さんや村瀬さんと一緒に漫研へ戻っておいでよ。文芸部で漫画描くなんて、どう考えても不自然だよ」
槙野先輩はそう言って、優しく笑う。
何故、急に先輩たちの態度が軟化したのだろう。どう考えても怪しいし、すぐに信用する気にはなれない。
そんな強い警戒感が顔に出ていたらしく、槙野先輩はすかさず言った。
「私たちも初めての後輩だったから、慣れてない部分もあったと思うし、傷つけちゃったのなら謝るから。……ね? 仲良くしよ?」
「……。でも……」
しかしそれにしたって、散々あたしをからかって馬鹿にし、追い出そうとした西田先輩たちが急に改心したとも思えない。
何か裏がありそうな気がする。ううん、絶対に何かあるに決まってる。
思わず身構えると、槙野先輩はさらに付け加えた。
「ねえ、友香も私たちも反省してるし、でも結城さんもちょっと強情だったと思うし。喧嘩両成敗にしよ。互いに一歩、譲り合うのが公平だし、一番だと思わない?」
槙野先輩は小首を傾げ、上目遣いで提案してくる。
何だかすごく悲しげで、おまけに申し訳なさそう。
先輩の表情のあまりの沈痛ぶりに、罪悪感が沸き上がって来た。さすがにそれを跳ね付ける勇気はない。
「互いに一歩譲り合うのが公平」という槙野先輩の言い分も至極まっとうで正しいような気がするし。
それは小坂さんや村瀬さんも同じみたい。戸惑った様子で互いに顔を見合わせ、あたしにも視線を送って来る。
(二人とも、槙野先輩の話を聞いてどう思ってるんだろう? ひょっとして……漫研に戻りたいって思ってるのかな?)
急に不安が襲ってきた。
もし村瀬さんや小坂さんが漫画研究部に戻りたいと思っているなら、あたしは余計なお節介をしているということになってしまう。
できれば小坂さんや村瀬さんと三人だけで話をしたいけど、西田先輩や槙野先輩たちはあたしたち三人を壁際に追いやってぐるりと囲んでいて、とても逃がしてはくれなさそうだ。
そして、正直に言うとあたし自身も迷ってた。
決して文芸部に不満があるわけじゃない。
ただ、あたしは星蘭の漫画研究部に強い憧れを抱いてきた。
本当は漫研で漫画を描きたい。
一緒に漫画を描き、支え合うことのできる友達が欲しい。
その願望を簡単に捨て去ることなんてできなかった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
悩んでいると、今度はそこへ宮永くんがやって来る。
多分、文芸部に向かう途中なのだろう。通学鞄を提げている。
宮永くんはいつもの落ち着いた声であたし達に声をかけた。
「結城さんに小坂さん、村瀬さん? どうしたの、こんなところで」
「宮永くん……!」
一方、西田先輩は訝しげだ。
「何よコイツ?」
「あれ、この子……この間、結城さんと一緒に図書室で受付をしてた子じゃない? ひょっとして……文芸部、とか?」
どうやら槙野先輩の方は宮永くんのことを覚えていたらしい。文芸部が何の用かと、剣呑な視線を向けている。
けれど宮永くんは、西田先輩や槙野先輩たちの攻撃的な視線を一斉に浴びても全く動じることなく、静かに言った。
「そういうあなた達は漫画研究部の部員ですよね。結城さんたちと何の話をしていたんですか?」
「あんたには関係ないでしょ。口出すなよ、一年坊主!」
「別に口出しするつもりは無いですけど。……そういえば、漫画研究部は第二美術室からの立ち退きを迫られているそうですね?」
「え!?」
あたしは驚きのあまり、素っ頓狂な声を発してしまった。
漫研が第二美術室を追い出されようとしている……?
そんなの初めて聞いた。
けれど宮永くんの言ったことは事実らしく、西田先輩たちは明らかに狼狽した様子を見せる。
「な、何であんたがそんなこと知ってんのよ!?」
「僕は文芸部と陶芸部をかけ持ちしているんです。陶芸部の教室は第三美術室で第二美術室のすぐ隣だから、漫研の内情もよく知ってますよ。
……漫研は今年、一年生が一人も入って来なくて部員数が激減し、他の文科系の部から非難されていますよね。『やる気も活動の実体も無い、あんな少人数体制のクラブが、広々とした第二美術室を占拠するのはおかしい』、と。
特に美術部は去年今年と部員が大幅に増加し、第一美術室だけでは部室が狭すぎるため、前々から第二美術室も使いたがっていましたから。
だから追い出される前に一刻も早く部員を確保し、表面だけでもきちんと活動をしているという体裁を整えたい……そう思ってるんじゃないですか?」
それを聞いて、あたしは愕然とした。
「一年生の部員が入らなかった……一人も……?」
つまり、漫画研究部の入部を諦めたのはあたしたちだけではなかったのだ。
あれから第二美術室にはほとんど近づいていないから、そんな事になっているなんて知らなかった。
西田先輩は一瞬、気まずそうな顔をしたが、すぐに自棄を起こし苛々と喚き散らす。
「……ああそうだよ! 結城、全部あんたのせいだよ! あんたがあんな大騒ぎしてウチらを悪者扱いして……そのせいで、一年がびびってみんな出て行ったんだよ!!」
(そりゃ、あんなことしてたら、そうなるのも当然でしょ)
いくら漫画研究部に興味があると言ったって、どんな待遇でも我慢できるわけじゃない。
あんな陰湿なイジメにあうと分かっていたら、誰だって入部を敬遠するに決まってる。
西田先輩たちは気に入らないあたしを追い出して勝った気になっていたのかもしれないけど、結局はそれが自分自身の首を絞めたのだ。
漫研から新入部員が逃げたのは、西田先輩たちの自業自得であって、それをあたしのせいにされても困る。
「……何だかおかしいと思ってました。あんなにあたしを排除したがっていたのに、急に引き止めて今さら和解しようとしたり、不自然に謝ったりして……全ては自分たちが第二美術室に居座るためだったんですね!?」
あたしは怒りを込めて先輩たちを問い詰めた。
西田先輩はもちろん、槙野先輩も全く反省していないし、自分たちが悪かったとも思っていないのではないか。
ただ、自分たちの利益を守るために、あたし達を利用したいだけなのではないか。
すると槙野先輩は悪びれもせず、あたし達に向かって拝むように両手を合わせるのだった。