第22話 文芸部員の事情
その後、あたしは文芸部の入部が認められ、正式な文芸部員となった。
そして、学校の授業を終えた後、放課後は文芸部で小説を読んだり漫画のネームを切ったりし、家に帰って自室で漫画制作という忙しい日々が始まった。
「こんにちはー!」
あたしが元気よく文芸部の部室に入ると、みんな先に来ていていつもの定位置に座っている。
「こんにちは~」
最初に声をかけてくれるのは、恋愛小説が大好きな天羽さん。
「ういーっす」
宝生さんはいつも通り、ノートパソコンで熱心に執筆をしている。
「今日もお疲れ、結城さん」
相沢くんはペンタブ片手に人懐こい笑みを浮かべ、
「よお」
その隣に座ってノートパソコンのキーボードを叩く北原くんは、最近、ようやくあたしと目を合わせてくれるようになってきた。
「……ども」
七河先輩は、相変わらず蚊の泣くような声だ。この人が演劇部員だなんて未だに信じられない。
でも文芸部をかけ持ちするだけあって本は好きらしく、いつもなにがしか本を読んでいる。
あたしは一通りみんなと声をかけあった後、いつも座っている席に座った。最初に宮永くんが勧めてくれた、宮永くんの隣の席だ。
けれど今日、宮永くんの姿はない。今日は陶芸部の活動日なのか、文芸部には来ていないみたいだ。
だから、今日はあたしを含めて七人での活動だ。
「よく来たね、結城くん! いや、本当に結城くんが我が文芸部に入部してくれるなんて……これはまさに欣喜雀躍ものだな!」
熱血部長の細田先輩は熱く拳を振り上げそう語ったが、あたしは首をかしげた。
「き……きん……? ジャク……?」
すると、パソコンを操作している宝生さんがさっそくその意味を調べてくれた。
「ええーと……雀のように躍り上がり、飛び跳ねて喜ぶこと……だって。ちょっと部長、フツーの日本語話してくださいよ!」
「何を言うんだ、宝生くん! 今のはれっきとした日本語だぞ!」
「はいはい。これだから本読みは、すぐ難しい言葉を使いたがるんだから」
宝生さんはぶつくさ言って、シルバーの色をした眼鏡のフレームを押し上げると、再びパソコンでの執筆作業に戻る。
その隣に座る天羽さんが、あたしに声をかけてきた。
因みに天羽さんは、今日もピンクの可愛いブックカバーがついた文庫本を読んでいる。
「結城さんは今日、何をするの?」
「次に描く漫画の勉強も兼ねて、クラブ活動を題材にした青春小説を何冊か読んでみようかと思って」
実際、あたしは図書館から青春小説を五冊ほど借りてきていた。そのうち三冊は宮永くんのおすすめ、残りの二冊は自分でネットを調べ、興味を抱いた小説だ。
すると、その会話を聞いていたのか、北原くんがノートパソコンのキーボードを打つ手を止めて言った。
「青春小説か。青春小説はいいぞ! 因みに俺のおすすめは……」
ところが、北原くんの真向かいに座る宝生さんが、パソコンのディスプレイ越しに彼を半眼で睨み、牽制する。
「やめなよ、北原。あんたのおすすめってラノベばっかじゃん」
「なっ……ラノベの何が悪い!? むしろ青春ものこそラノベの専売特許だろ!」
「そりゃ昔はそうだったかもしれないけどさ。今のニーズを見てみなよ。どこもかしこも中高年に突入したおっさん向けのラブコメばっかじゃん」
「き、決めつけるな! 一口にラブコメといってもいろいろあって……少しずつテイストやターゲット層が違うんだ!! もちろん、中高年の需要を狙ったものもあれば、若い読者層の取り込みを意識した作品もある! ……まあWEBの奴らには、一般市場のことなんか分からないかもしれないけどな!」
二人は何やら熱い応酬を繰り広げているけれど、あたしには何のことだかさっぱりだ。
それに気づいたのか、天羽さんが宝生さんと北原くんをたしなめる。
「もー、やめなよ二人とも! ……ごめんね、北原くんはラノベ作家志望で公募中心なのに対し、花菜ちゃんはWEBで小説を連載してるからか、何かと折り合いが悪いんだ」
「え……宝生さん、WEB小説を書いてるの!?」
あたしが目を丸くすると、天羽さんはまるで自分のことみたいに、嬉しそうに頷いた。
「そうなの。しかも10万ポイント以上を獲得している人気作を三作も同時連載してるんだよ!」
「10万……? えっと……それってすごい事なの?」
「めっちゃすごいよ! おまけにジャンルも異世界・ハイファン・異世界恋愛とばらばらだし!」
つまり、宝生さんはいろんなジャンルの小説を書いていて、それがどれも大人気ということらいしい。
確かに漫画に置き換えてみるとすごい事だと思う。スポーツ漫画とバトル漫画、恋愛漫画を全て描き分け、しかも全てヒットさせるみたいなものだろうから。
しかし北原くんは、どうやらそれには批判的みたいだ。
「ふん! WEB小説なんて、テンプレさえ抑えときゃ誰だって高ポイント取れるだろ……!」
すると、相沢くんがすかさず横から反論する。
「慶、それは認識が甘いよ。WEBだって現実と変わらない熾烈な競争社会なんだから、そこで結果を出している宝生さんは本当に実力があるんだよ」
「大海、テメーどっちの味方なんだ!?」
「いや、敵とか味方とかじゃなく、僕は客観的な意見を言ったまでなんだけど……」
すっかりご機嫌ナナメになってしまった北原くんと、困ったように頭を掻く相沢くん。
二人を尻目に、天羽さんはスマホを取り出した。彼女が開いたのは、有名な小説投稿サイトのランキングページだ。
「それでね、花菜の連載の中で私が一番好きなのは、この『悪役令嬢に転生したので闇落ち王子を救います』って作品なの!」
「あ、いわゆる悪役令嬢ものだね。最近コミカライズも増えてるもんね」
天羽さんに勧められて、あたしはランキング入りしている宝生さんの小説、『悪役令嬢に転生したので闇落ち王子を救います』のあらすじを読んでみた。
――ブラック企業に勤めるOL、久瀬真彩はある日とうとう過労で倒れ、気づいたら異世界に転生していた。そこはかつて自分がプレイしていた大好きな乙女ゲーム、『ランロルフォン王国物語~公爵令嬢と六人の王子さま~』の世界の中だった。
その題名の通り、ゲームの舞台はランロルフォンというヨーロッパ風の王国。
その王国の王さまには七人の王子がいるが、ある日その中の第二王子が謀反を起こして父である国王を殺害し、王国の崩壊と消滅を企む。
物語上のヒロインである公爵令嬢・シャルロットは、ゲームの攻略キャラである他の王子――第一王子と第三~第七王子のいずれかと絆を深め、王国の崩壊を阻止する。それが乙女ゲーム・『ランロルフォン王国物語~公爵令嬢と六人の王子さま~』の大まかなあらすじだ。
しかし実際に真彩が転生したのは主人公の公爵令嬢・シャルロットではなく、あろうことか第二王子の許嫁で、彼と共に王国を崩壊させる悪役令嬢のアンジェリクだった。
アンジェリクはランロルフォン王国の前国王に重用された重臣の娘だ。しかし彼女の父親は現国王には軽んじられており、そのせいで一族はかなり落ちぶれてしまった。
しかも前国王に重用されていたことを妬んでいた現国王派の貴族たちからひどい陰口を叩かれたり、いわれのない流言を広められたりするなどして、アンジェリクは貴族社会の中で肩身の狭い思いをし続けていた。
ゲーム上の設定では、彼女はそのひどい仕打ちを根に持ち、第二王子と共に王国崩壊を目論むこととなる。
とはいえ、悪役である第二王子の王国崩壊が達成されてしまったら、もちろんストーリーはバッドエンド。特にアンジェリクは第二王子に利用されるだけ利用された挙句、最終的には彼に殺されてしまうのだ。「お前はもう用済みだ」と告げられて。
その事を知っている真彩はとりあえず、第二王子以外の他の王子と主人公・シャルロットが協力して第二王子の謀反を止め、王国が崩壊しないトゥルーエンドを目指すことにする。そして、主人公・シャルロットたちの活躍を裏から支えつつ、アンジェリク自身も殺されない方法を探るのだった。
しかしそこで一つ問題があった。シャルロットが他王子と結ばれるそれぞれのルートは、エンディングこそハッピーだがその過程でたくさんの民衆が死んだり、王城が焼け落ちたりと波乱万丈の展開を迎えるのだ。ゲームのシナリオとしては面白いが、犠牲が出れば出るほど悪役であるアンジェリカはその責を問われ、裁判にかけられたり投獄されたり、さんざんな目に遭う。
そこで真彩は乙女ゲームの知識を駆使し、自らは表立って動くことなくあくまで悪役令嬢を演じながら、その裏で主人公・シャルロットや他王子へ慎重に根回しし、慎重にストーリーを進めていく。そして大きな事件やトラブルを全て未然に防いでいく。
最初は順調に思えた『ストーリー攻略』。しかし難易度がハードモードに設定されているらしく、何度やっても王国は滅亡してしまう。どれだけ手を回して犠牲を最小限にしても、必ずどこかでほころびが出てしまうのだ。
そして最後にはいつも第二王子がランロルフォン王国を滅ぼし、結果的にアンジェリクは処刑されたり牢獄の中で餓死したりしてしまう。
おまけに、その度にゲームの最初、『ニューゲーム』状態に戻ってしまうのだ。このままでは永遠に同じことの繰り返しだ。しかもアンジェリクの最期はどれも壮絶すぎて、何度も体験するなんてとても精神が耐えられない。
そこでアンジェリクは新たな手に打って出ることを思いつく。そもそもの元凶である第二王子を攻略し、彼の王国に対する裏切り――つまり闇落ちを回避しよう、と。しかしそのシナリオはゲームの中には存在しない、ゲームで得た知識が全く通用しないルートだった。
アンジェリクに転生した真彩の奮闘やいかに――……!?
「お……面白い……!」
あらすじだけのつもりが、気づけばつい本編も読んでしまっていた。
平易で簡素な文章。ほとんどがセリフで地の文は最低限だ。
でもヒロインであるアンジェリクのキャラが立っているし、それだけじゃなくて、登場人物が多いにもかかわらずどのキャラにも際立った個性がある。だからぐいぐい読み進められるのだ。
おまけに展開も早く、気になる謎もどんどん出てきて、スマホの画面をスクロールする手を止められない。
ラブコメ描写もツボを押さえている。
愛佳は凄くアグレッシブでガッツのある性格だけど、王子たちもそれに負けないくらい魅力的。最初は悪役令嬢と虐げられていたアンジェリクだが、知恵と勇気を駆使して王国の滅亡回避へと動き続ける。
やがてそれが王子たちや貴族たちの心を動かし、アンジェリクは次第に彼らの信頼を得るようになる。そのあたりのカタルシスもすごくしっかりしていて、本当に読んでいて楽しい。
感想欄にもたくさんコメントが並んでいて、すごく人気があるみたいだ。
天羽さんは興奮気味に身を乗り出す。
「ね、面白いでしょ? 『闇落ち王子』は王子たちがみんな魅力的なんだけど、何より第二王子が素敵なんだよね。最初はただの悪役かと思いきや、深い過去があったり彼なりの信念があったり。ゲームではいい父親として描かれていた国王が、実際には陰で悪に手を染めていて、唯一それを知ってしまった第二王子は実は国王を止めようと孤軍奮闘していたの。
最終的には七人の王子みんなが和解して国王に立ち向かっていく。その王子たちの仲を取り持つのが、アンジェリク。ラブコメ要素もいっぱいで、普段は冷徹クールな第二王子が、他の王子と親しくなるアンジェリクを見て嫉妬するところとか、ベタだけどすっごい盛り上がるんだよね~!」
「た、確かに……謎がありつつ展開もしっかりしてて、恋愛要素もちゃんとある。エンタメとして完成度高いってかんじ。同じ高校一年生が描いた小説だとは思えない……!!」
あたしは半ば愕然としつつ呟いた。
宝生さんの描いているWEB小説は、書籍として出版されている小説とは少し毛色が違うというか、どちらかというと漫画の連載に近い気がする。
だからこそ、宝生さんの小説がエンタメとしていかにレベルが高いか、それがよく分かる。
すると、宝生さんは少しはにかんで、細い眼鏡のフレームを押し上げた。
「あたし、小学生の頃からずっとWEB小説、読みまくってきたんだよね。この界隈のことはよく知ってるし、人気のテンプレも、そのテンプレがどういう流れでどう派生してきたかもすべて把握してる。もちろん、今現在どういう設定やキャラが好まれるのか、その流行も熟知してるしね。ただそれだけ」
「でも宝生さん、出版社から書籍化の打診もいくつか来たんでしょ?」
相沢くんの言葉を聞いて、あたしはさらに目を丸くした。
「え、そうなの!?」
書籍化したら、プロデビューだ。そんな人が自分の身近にいるなんて信じられない。
けれど、宝生さんの反応は鈍かった。
「うん、まあ……でも今のところ、全部断ってるけどね」
「な、何で!? もったいない!!」
「うち、親がちょっと……いろいろと難しい人でさ。WEBで小説書いてること、知られたくないんだよね。だから書籍デビューは高校卒業まで待つつもり。今は新作含めて、ひたすら小説を書き溜めてるんだ。その時が来たら思う存分、出版できるように」
「で、でも人気だっていつまで続くか分かんないじゃん! 高校卒業する時まで、出版社の人が覚えてくれているかどうかも分からないし。せっかくのチャンスなのに……!」
納得がいかないあたしに、天羽さんが教えてくれる。
「花菜のお父さんとお母さん、すごくきちっとした人たちで、アニメとかゲームとか漫画とかラノベとか……そういうのが大嫌いなんだって。だから花菜がWEB小説好きなのも認めてないの。それで何度も親子で大喧嘩したんだって」
「そんな……!」
あたしは絶句するしかなかった。
家族が自分の夢に対して否定的な場合が存在するなんて、思いもしなかったからだ。
うちは、ばあちゃんは勿論のこと、立夏や晴夏もあたしが漫画を描くことに反対してないし、むしろ応援してくれている。
そりゃ、漫画のために学業をおろそかにしたり手伝いを怠けたりしていたら怒られるけど、やるべきことをちゃんとしていたらそれ以上、干渉されることはない。
だから今まで、それが当たり前だと思ってた。
(でも……今まで意識してなかったけど、そういう環境ってすごく貴重で恵まれているのかも……)