第8話 結城家の食卓
「何ていうか……いつも描いてる漫画と、かなりテイストが違うんだな。いつもは高校生の胸キュン系とかいう恋愛ものを描いてるのに。……どうしたんだ?」
尋ねると、舞夏は肩を竦めて答えた。
「胸キュン青春ものを描いてるのは、それが一番、受賞をしやすい題材だから。いわゆるテンプレってやつ? 審査員や編集者のウケがいいネタなんだよね。実際に受賞してるのも、一番、学園恋愛ものが多いし。
だから別に、自分が一番に描きたいものってわけじゃないよ。描きたくないって言うのとも違うけど……人気のジャンルだから、あたしが描かなくても青春物が上手い人は他にたくさんいるしね」
「なるほどなー……」
「まあ、少女漫画の世界では、学園ものが主流だから、ぶっちゃけファンタジーとかスポーツものとか、もし描けたとしても、今の需要はほぼ無いっていうのは間違いないと思う」
「でも、学園ものは自分のやりたい事じゃない?」
「うーん……そういうわけでもないよ。ただ、学園ものは競争率が高すぎるんだよね。描けて当たり前みたいなところがあるから、それとは別に、自分なりの武器が欲しいかなって。
それに、流行っていつかは変わるでしょ? 流行が変わった時に学園ものしか描けなかったら、やっていけないかもしれないし、それだと廃業するしかないじゃん。だから、学生の内にできるだけいろいろな題材に挑戦しといた方がいいかなって」
「そんなことまで考えてるのか」
「そりゃ、本気だからねー。できれば、高校生のうちにデビューしたいけど……どうなるかは分からないし」
それを聞いた私は、思わず眉を顰めた。
「高校生のうちに……? 高校生になったばかりなのにか? 気持ちは分からなくもないが、そんなに焦らなくてもいいんじゃないか?」
「そうも言ってられないよ。少女漫画家のデビューって超早いんだから。十代でデビューする人も珍しくない。言い方は悪いかもだけど、二十代って少女漫画の世界だと『中年』扱いだし、三十歳以上はもはや『高齢者』って言われてるんだよ。よほど売れた人じゃないと、三十超えて少女系の漫画家は続けられない。レディースに転向することが出来たら、ワンチャンあるかもだけど……。レディースにはレディースの様式とか、好まれる絵とかあって、少女漫画とはちょっと毛色が違うし」
「ふーん……。舞夏は『ピュアラブ』の月刊漫画スクール賞の最終選考には残ったことがあるんだっけ?」
「うん……でも、それ以降はさっぱり。絵とかストーリーとか、キャラとか……何かが致命的に悪いってわけじゃないんだと思う。ただ、あたしの描く漫画は、何かが足りないんじゃないかな。受賞するまでのあと一歩……多分、その壁が突破できてないって感じ」
「それもあって、たまには別ジャンルの漫画を描いてみようと思ったのか」
「『月刊シオン』は、『月刊ピュアラブ』と違って、テンプレ以外の少女漫画も、けっこう連載してるからね。……それで、どうだった? 面白い? それとも面白くない?」
舞夏は真剣な顔をして、こちらに身を乗り出した。
舞夏はけっこう、我が儘でいい加減なところもあるが、漫画のこととなると人並外れた集中力を発揮し、まるでオリンピックを目指すスポーツ選手みたいに真面目になる。適当なことを言って茶を濁すなんてことは、とてもできそうにない空気だ。
実のところ、私には、この漫画が賞を取れる内容なのかどうかは、分からない。ただ、純粋に読者としての批評ならできる。舞夏もそれは承知で、むしろその『純粋な読者としての批評』の方を求めているのだろう。
「そうだな……まあまあ、面白いよ。こういう、『世にも不思議な物語』系で、読後感が悪くないのも個人的には好きだし。鏡の中の世界だと思っていたのが本当は現実で、現実だと思っていた世界が本当は鏡の中だったっていう点も、それなりに意外性があると思う」
「ホント?」
「気になるのは、ヒロインの茉莉かな。鏡の茉莉に説得されて、私の人生は私のものって気づく展開は、悪いわけじゃないと思うけど、漫画としてはちょっとキャラが受動的過ぎるというか……鏡を修復したのも、もう一人の茉莉の方だし、山場はもっと主人公である茉莉のキャラを動かした方がいい気もする。小説なら心理描写だけでいいかもだけど……これは漫画なんだしな。今の茉莉のキャラだと、振り回されてばかりで、あまり共感はできないかな」
「そっか……そうだよねー。ううーん……」
「キャラの絵が地味なのはいいと思うな。作品の方向性にも合ってるし、目があまり大きくなくて、見やすい感じがする。ただ、賞に出すなら、それがマイナスになる可能性もあるかもしれない。あくまで素人の考えだけど、やっぱ、華やかだったり派手な絵の方が、人目を惹くだろうしな。
でも、自分の幅を広げるためっていう目的があるなら、やってみていいんじゃないか? もし受賞レースには掠らなくても、経験値を上げるためなら、十分に意味がある気がする」
私が感想を言い終えると、舞夏は眉根を寄せ考え込んだ。私の批評が気に食わなかったとか反発しているとか、そういう事ではなく、批評を自分の中で咀嚼しているのだろう。暫くして、舞夏はようやく顔を上げた。
「んー、うん……取り敢えず、仕上げてみるよ。あと、山場はもう少し考えてみる」
「私はこの漫画、『高校生の胸キュン』より好きだぞ。まあ、私があんまり恋愛もの自体を好きじゃないってこともあるけど」
「あはは、立夏はどっちかって言うと、昔から少年漫画とかの方が好きだしね。でも……ありがと! やっぱ立夏のアドバイスはためになるよ。いいところと悪いところが、すっごい分かりやすいし」
「役に立てたのなら、何よりだ。そういえば……星蘭はどうだ? そっちももう、授業が始まってるんだろ?」
私がそう聞いた時には、既に舞夏は机に向かい、手を動かしていた。
「うん、始まってるよー。でも、漫画の締め切りに追われて、今はそれどころじゃないっていうのが正直なところ。来週になったら、もう少しゆっくりできると思うけど……」
「漫画が大事なのは分かるけど、学生生活も大切にしろよ。少しは楽しまないと、高校生活は二度と戻ってこないんだから」
「分かってるって。……立夏って、言う事がちょいちょい、年寄じみてるよね」
「……放っとけ」
楽しむのは大事だ。何故なら、そういうのは漫画や創作物には結構はっきり表れるから。
作者が楽しんでいる作品は、作品そのものも楽しいことが多いと思う。技術的に未熟であったとしても、全く気にならないくらいに。
逆に、作り手が義務感や功名心に溢れていると、作品も何となくつまらないものになりがちだ。そういう下心は、多分、いくら隠していても不思議と滲み出してしまうものなのだろう。
私は創作活動を殆どしない、完全な『客』の立場だけど、だからこそ、それが良く分かる。舞夏は、自分にはデビューできない壁があると言っていたけど、案外そういうところなんじゃないかと、私は思っている。
(……まあ、今は情報が溢れているからな。賢く立ち回らないと、やっていけないんだろうけど……)
舞夏の部屋を出て一階に降りると、ばあちゃんがさっそく私を捕まえ、夕飯の手伝いをしろと命令した。他にすることも無かったし、私はそれを手伝う事にする。
夕飯のメニューは案の定、煮魚だ。それにアスパラとベーコンの炒め物、わかめと豆腐のみそ汁、そしてキャベツとしらすのおひたし。
舞夏も二階から降りてきて、二人して茶碗にご飯を継ぎ分けたりみそ汁をよそったりしていると、姉の晴夏がようやく帰って来た。
「ただいまー。あ、今日の夕飯、煮魚なんだ。おいしそう!」
晴夏が台所へ顔を覗かせると、さっそくばあちゃんが声をかける。
「晴夏、手を洗って着替えをしておいで」
「はーい」
晴夏はすぐに二階にある自室へ向かった。その間、私たちはできた料理を盆にのせて居間に運び、それを配膳していく。食事は居間で、みなで揃って食べる。昔からの、我が家の伝統だ。舞夏はよほど腹を空かせているのか、甘えた声でばあちゃんに言った。
「あー、お腹空いたー。おばあちゃーん、もう食べてもいい?」
「待ちな。夕飯は皆が揃ってからって決まってるだろう」
「それは分かってるけど、仕方ないじゃん。お腹空いたんだもーん!」
「まったく……舞夏は本当に甘えん坊だね」
「だってあたし、末っ子だし~!」
舞夏は訳の分からない理屈をごね、唇を尖らせる。私は呆れて、それに突っ込んだ。
「末っ子と言ったって、殆ど変わらないだろ。私たち、三つ子なんだから」
「それはそうだけど、でも、順番は順番だもんねー。晴夏が一番先に生まれてきて、次に生まれたのが立夏、そして最後に生まれてきたのはあたし。だから、あたしだけが末っ子特権を発動させることが出来るんだよ、どう、羨ましい?」
「いーや、全然。っていうかお前、漫画の事はあんなに真剣なのに、他のことはさっぱりだな」
私と姉の晴夏、そして妹の舞夏は、誕生日が全く同じで、いわゆる三つ子というやつだ。そのせいか、顔もよく似ている。
今は別々の高校へ通っているからそうでもないが、小学校や中学校の時は三人とも同じ学校に通っていたから、よく間違われた。
でも不思議と、性格は全く違う。
晴夏は真面目で引っ込み思案の努力家タイプ、舞夏は好きな事にはのめり込むけど興味の無い事は殆どしない、気まぐれな芸術家タイプ。
ちなみに私は、小さい頃から肝が据わっているとよく言われた。良く言えば動じない、悪く言えば可愛げが無い。まあ、別に好きでこの性格になったわけじゃないから、そんなこと言われたって仕方ないんだけど。
やがて、私服に着替えた晴夏が居間に戻って来た。
「みんな、お待たせー」
「遅~い、晴夏! 何やってんの!? もう待ちくたびれたんですけど!」
舞夏に責められ、晴夏はびくっとして首を竦める。
「ご、ごめん、舞夏……」
晴夏は一応、長女のはずなのだが、気が弱いため妹にもおどおどしている。舞夏は舞夏で我が強いから、末っ子を自認しているくせに、いつもやたらと偉そうだ。
結果として、姉の晴夏はいつも妹の舞夏にやり込められてしまう。私はすかさず、晴夏に助け船を出した。
「気にしなくていいぞ、晴夏。舞夏は今、末っ子モード発動中なんだ」
「それはそれで、何か納得いかないんですけど! それじゃまるで、あたしが我が儘を言ってるみたいじゃん」
「言ってるだろ。違うのか?」
「ふ、二人とも……喧嘩は良くないよ。私がみんなを待たせたのは事実だし……」
「あのな、晴夏。そのすぐに、自分のせいみたいに言う癖は良くないぞ。晴夏がそんなだから、舞夏がこんな風に調子に乗るんだ」
「別に、調子に乗ってなんか無いし~。ってゆーか、あたしの扱い、ひどくない!?」
やいのやいのと言い合っていると、とうとうばあちゃんの雷が、ピシャリと落ちた。
「静かにおし、三人とも。食事時に騒ぐなんて、はしたないよ」
次いで、ギロリと鋭い眼光。私たち三姉妹は、揃って身を竦ませた。
私にすれば、ばあちゃんこそ百戦錬磨の真のモノノフだ。誰もそれに逆らったりなどできない。舞夏を始め、私たちは慌てて合掌する。
「もう、ばあちゃんてば、古いよそんなの~。……とにかく、早く食べよ。いただきまーす!」
「い、いただきます……」
「いただきます」
煮魚は酒と生姜が効いていて、絶品だった。私もばあちゃんから、いくつか料理を教わっているけど、これはばあちゃんにしか出せない味だ。
ばあちゃんは静かにしろと言ったけど、騒ぐのが駄目なだけで、食事中でも会話は普通にする。舞夏は進学先である星蘭高校の事を話し、晴夏は月渡学園の話をし、私は虹ヶ丘高校の話をそれぞれした。
会話がひと段落したところで、今度はばあちゃんが口を開く。
舞夏のセリフにある少女漫画のくだりは、一昔前のものですね。当時は本当にそう言われてました。今は少女漫画でも異世界ものとかあるし、昔ほどジャンルも年齢層も偏ってない気がします。
楽しむのは大事……自戒を込めて、ですね。