第16話 打開策②
「ただ……何というか、結城さんならではの強みが出ていない気はするな。
僕にとっての結城さんはとても伸び伸びしていて感情豊かな人だけど、この漫画からはそういう描き手の個性みたいなのだほとんど感じられない。確かに基本に忠実できれいにまとまっているんだけど、その一方ですごく作品が大人しくなってしまっていて良く悪くも引っかからないんだ。
こういう言い方は酷かもしれないけど、この作品が商業誌に載っていて他の漫画と一緒に読んだとしても、あまり記憶に残らないかもしれない」
つまり、ありきたりなテンプレすぎて、完全に埋没してしまっているということだろう。
あたしは呆然として黙り込んでしまった。何となく予想はしていたけど、改めて言葉にして伝えられるとけっこうショックがキツい。
ううん、予想していたからこそ、キツいのかもしれない。
ああ、やっぱりか。そうじゃないかと思ってたけど、やはり気のせいじゃなかったんだ。そう痛感させられるし、逃げ道が塞がれて追い詰められる感じ。
宮永くんはハッとし、慌てて付け加える。
「ご……ごめん! 結城さんを傷つけるつもりは無いんだ。ただ、結城さんは本気だと思ったから……僕も本気の感想を伝えなければって思って」
「……ううん、気にしないで。感想が欲しいと頼んだのはあたしなんだし、それに宮永くんの言うことは多分、正しいと思うから。自分でも……うすうす分かってた」
「ここまで来るのに結城さんはすごく努力したんだと思う。実際、漫画としての完成度は高いと思うよ。画面も華やかで少女漫画ならではの艶やかさもある。だからもう少しだけ、自分の『好き』とか『これがやりたい』っていう主張や熱を前面に出したら、もっと良くなるんじゃないかと思うんだ」
奇しくも宮永くんは立夏と同じことを言う。
(立夏もよく『自分の好きなことをすればいい』とか、『もっと楽しめ』って言うしね)
宮永くんと立夏、二人が同じことを言うならそれが事実なのだろう。
つまりあたしの漫画は『何が好きなのか、何がやりたいのかイマイチ伝わってこない、作者もあまり楽しそうに描いているようには見えない、ぶっちゃけツマラナイ漫画』なのだ。
でも、第三者の立場になってよく考えてみれば、あたしだってそんな漫画を進んで読んでみたいとは思えない。
(あー、もう……どうすればいんだろ……?)
好きなこと、か。
でもそう言われると、再び例のモヤモヤが首をもたげてきてしまう。
本当に仕事として漫画家をやっていくのに、個人の好きなことを優先させてもいいのかというジレンマだ。
求められているのは『テンプレ』、それは分かってる。でも、テンプレを勉強し追及すればするほど、あたしみたいな新人は没個性的になってしまう。
だからってテンプレ以外のことをしていいの?
テンプレしか求められていないと分かっているのに?
考えれば考えるほど余計モヤモヤしてきてしまい、あたしは思わず宮永くんに尋ねた。
「あの……これは決して宮永くんのくれた感想に反発してるってわけじゃないし、路線変更とかが面倒くさいとかそういうわけでも無くて、純粋に一つの悩みとして聞いて欲しいんだけど……」
「うん、僕で良かったら聞くよ」
「漫画って小説と同じで、お客さんがいてくれてこそでしょ? 需要があって初めて供給が成り立つと思うんだ。自分の好きなことをやったって、需要がなければ売れないし、売れる見込みがなければまず連載を勝ち取る事さえできない。好きなことをして、それが認められればそれに越したことはないよね。すごく幸せなことだとも思うけど……そんな幸運に見舞われるとは限らないし、そもそも好きなことをして売れるのはごく限られた一部の人たちだけじゃないかなって気もする。だから仕事でやる以上、やりたくないこともやるのは当然なのかなって思っちゃって……ほら、それは漫画家だけじゃなくて、他のどの仕事も同じでしょ?」
「……」
「そのあたり……宮永くんはどう思う? もし自分の好きじゃない事をしないと陶芸家になれなかったら? むしろ幸運に見舞われなくて好きじゃない事ばかりしなきゃいけなくなっても、それでも陶芸家を目指す?
……ご、ごめんね。変なこと聞いて。でも……考えれば考えるほど頭がぐるぐるしてきて分かんなくなっちゃうんだ。あたしは漫画家になりたい。趣味じゃなくて、漫画を描いてそれで生計を立てていきたい。でもそのために何を優先させるべきなのか、何を選択してどう努力すべきなのかなって」
言い終わって、あたしはちょっと後悔した。こんな悩みあまりにも抽象的過ぎて、どう答えていいか分からないだろうし、迷惑だと思われるだけかも。
無理を言って漫画を読んでもらって、その上、困らせるようなことなんてしたくない。
でも、宮永くんは決して嫌な顔をしなかったし、結城さんは考えすぎだよと笑いもしなかった。
それどころか束の間、真顔で考えこんだ後、静かに口を開く。
「……分かるよ。結城さんは不安なんだね。自分のやってることが『正しい』かどうか分からないから、自分を信じることができなくて、暗闇の中に閉じ込められひたすらもがいているような感覚に陥ってるんだ」
「そ……そう! それ、それ!! あたしの言いたいことまで言い当てちゃうなんて、さすが宮永くんだね!」
宮永くんは淡く微笑み、言葉を続ける。
「……結城さんの悩み、よく分かるよ。僕も時々、ふと思うことがある。自分はこのままでいいのか、足りないところを埋めるために何をすればいいのかって。でも、父や先輩たちの作品と比べると、一から十まで足りない事ばかりで、何から手を付けていいのかも分からない。結局、基礎的なことをコツコツ積み上げていくしかないってことに気づくんだ」
「そっか……宮永くんも大変な思いをしてるんだね……」
あたしは陶芸の世界のことは何も知らない。でもきっと、とても技術がいる仕事なのだと思う。だって、今すぐ陶器を作れと言われたって、あたしにはとてもそんな事できっこないからだ。
そもそも伝統工芸の世界そのものが厳しいということは、あたしにも何となくわかる。テレビとかでもしょっちゅう、「伝統技術の継承が危機的状況」みたいな言葉を聞くからだ。
技術や伝統を受け継ぐだけでも大変なのに、それを産業として継続させていかねばならないなんて。
ちょっとやそっと気合いや根性があるだけでは、絶対に務まらないと思う。
「漫画の世界はきっと、陶芸と違って求められるものがはっきりしてるから……はっきりしすぎていて逆に惑わされたり混乱したりすることもあるのかなって思う」
「うん……」
「技術を磨くのを優先するか、個性を追求するか、それともテンプレ道を突き進むか。それは結局のところ結城さん次第なんだと思うよ。ただ……」
「ただ?」
その時、宮永くんの顔にふと影が差す。
「……この世には確かに才能を持った人間が存在する。いわゆる天才と呼ばれる人たちだね。彼らはある日突然現れて、『凡人たち』がそれまで苦労して積み上げてきたものをあっという間に塗り替えて、新たな潮流、新たな流行を生み出してしまう。そうして一度、主導権を奪われてしまったら、それを取り戻すのは容易じゃない。新たに別のものを積み上げようと足掻いても、空振りの徒労に終わってしまう。『客』は一度、『本物』を知ってしまったら、凡人の生み出す凡作には二度と見向きもしなくなってしまうから」
宮永くんの口振りは重々しく、まるでそういった天才を間近で見てきたかのようだった。
あまりにも真に迫った口振りに、あたしも思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「そして、そういう『天才』たちって意外とすぐそこにいるものなんだよ。だからこそ、自分の好きなことは何か、得意なことは何か。日ごろから突き詰めておく必要があるんだと思う。そうでないと……いざという時が来た時に戦えないから。
もし天才たちと同じ土俵で戦わなくてはならなくなった場合、強い力を秘めた作品が必要だ。情熱や愛情、悲しみや怒りでもいいかもしれない。或いは他の追随を許さない圧倒的な技術力を磨くのもありだと思う。とにかく何か大きな熱量を秘めた作品でなければ、とても太刀打ちできないんだ。凡人がそこそこの出来の作品を振りかざしたって、天才にはとても敵わないからね。……もちろん人それぞれ考え方はあると思うけど。僕はそう思ってる」
確かに、とあたしも思った。
漫画の世界にも天才や売れっ子作家は山ほどいる。今はまだ純粋に無邪気に、その人たちの背中を追っていればそれで良いかもしれない。けれど、プロデビューするとなれば否が応にも、彼らと競争していかなければならないのだ。
そして勝つとまではいかなくても、ある程度、結果を出さなければならない。
こちらにその気が無くても同じ市場で並べられ、容赦なく比べられてしまうのだ。
(あたしにはまだ、強みとなるようなものも、圧倒的な技術も、人を惹きつけるほどの熱も何一つ無い。もし仮に今すぐデビューできたとしても、宮永くんの言う通りあっという間に埋没してしまう……!)
それにテンプレを追及するのにもデメリットはある。
晴夏も言っていたけど、『自分の得意な事ややりたい事と流行のテンプレが必ずしも一致するとは限らない』という問題だ。
むしろ、あたしの苦手なジャンルやテンプレが大流行する可能性だって大いにある。テンプレしか身につけていなかったら、そういった流行の変化についていけなくなってしまう。
そして、いやいや仕事をすれば、きっとそれが相手にも伝わってしまうだろう。
表現とはそういうものだから。
(あたしが好きな漫画作者の本音が、『これが今の流行だから』とか、『好きで描いてるんじゃない、仕事だから仕方なくやってるだけ』だったら、それがどれだけ面白い漫画だったとしてもすごく悲しいしがっかりすると思う……)
自分がされて悲しいこと、残念に思うことを他の人に対してやってしまうのは、いくら漫画家をやっていくためとはいえ好ましい事ではないような気もする。
それに、「好きじゃないけど仕事だから仕方ない」と自分に言い聞かせ、いやいや漫画を描くのも、それはそれで辛そうだ。
それにテンプレ作品は作品そのものではなくテンプレそのものが評価されやすい傾向がある。それはすなわち、人気のあるテンプレなら誰が描いてもいい、代わりはいくらでもいるという状態になりはしないか。
せっかくヒットを飛ばしたとしても、そのテンプレの『上位互換』が登場したら、あっという間に取って代わられてしまうのでは。
(やっぱり自分にしかできない事や、自分の『好き』で勝負すべきなのかな……)
しかしそれはそれで、また別の問題が浮上してくる。
「でも……好きなことをするって言うほど簡単じゃなくない? だってあたし……自分が本当は何が好きか、まだよく分からないし、好きなことをしろって言われれば言われるほど逆に何をしていいのか分からなくなるよ」
頭を抱えると、宮永くんも困ったように笑う。
「それは何だか共感できるな。僕もしょっちゅう悩むし、分からなくなる。自分の中の陶芸における美とは何か、何を追求していくべきか。そのせいか、親父にもよく言われるよ。お前はもっと陶芸以外のこともしろ、様々なものを見ていろんな世界に触れ、自分の中の『引き出し』を増やさないとすぐに行き詰まるぞって。親父に言わすと、僕は何でも真面目に杓子定規に考えすぎらしい。だから自分の世界を広げるために本を読み始めたんだけど」
「そっか……宮永くんが本をたくさん読むのは、陶芸のためだったんだね」
「最初は美術書や有名な陶芸作家のエッセイなどから入って、徐々に美術に関連した小説なども読み始めて……おかげで今では完全に、大切な趣味の一つになりつつあるよ」
あたしが一生懸命、漫画家になりたいのと同じように、宮永くんは実家の家業を継ぐため陶芸の道を究めようとしている。
あたしと同じくらい宮永くんも真剣なんだ。
こういう風に、自分の夢に対して真剣で一途な人、あたしの周りにはいなかった。
漫画研究部は完全に期待外れでけっきょく馴染めなかったし、かと言って代わりに夢中になれそうな部活動も今のところは無い。
そのせいか、宮永くんの真摯さに強く惹かれた。
宮永くんはどんな陶芸作品を作るんだろう。
作品を作っている時の宮永くんはどんな姿なのだろう。
そう思うと、これまで以上に宮永くんへの興味が沸き上がって来た。
「あ、あのね。……あたし、宮永くんの作品を見て見たいな」
あたしが突然、そんなことを言い出したので当惑したのだろう。宮永くんの表情はすこし怪訝そうだ。
「僕の作品? でも学校ではまだ基礎的な事しかしていないし……」
「途中でもいいんだ。宮永くんがどんなものを作る人なのか、それが知りたいの! だってあたし……まだ宮永くんのこと、ほとんど何も知らないから。だから、宮永くんのことがもっと知りたい!」
「えっ……?」
勢い任せに言ってしまってから、ふと我に返り、頭の中が真っ白になった。
なに、今の。
まるで告白みたいじゃん。
宮永くんのことがもっと知りたいって……それもう、ほぼほぼ告白じゃん!
そう感じたのはあたしだけじゃなかったらしい。黒ぶち眼鏡の奥で、宮永くんの瞳が激しく揺れている。
どうしたらいいの、このビミョーな空気。
ほら、宮永くんも困ってる、めっちゃ困ってる!
あたしはばたばたと両手を振り、慌てて弁解した。
「……あ、ごめん! 今のはその……宮永くんの作品が知りたいって意味で……!!」
すると、何故か宮永くんも、めちゃくちゃ慌てて頷いた。
「そう……そうだね。僕も結城さんの漫画を見せてもらったんだから、僕の作品も見せないとフェアじゃないよね!」
「ほんと? やったあ、すごく楽しみ!」
「ははは、ご期待に沿えるかどうかは分からないけど……明日の放課後、第三美術室に来てくれる?」
「うん、分かった!」
そして、あたし達は二人揃って笑い合う。
何か一瞬、妙な感じになっちゃったけど、宮永くんはあまり気にしてないみたい。
ああよかった。一時はどうなるかと思った。
ちょっとした一言のせいで、宮永くんと微妙な関係になるなんて絶対にイヤだし。
ほんと、気をつけなきゃ。