第14話 舞夏の苦悩
「あの……宮永くんって陶芸家志望なんだよね?」
「……あ、うん。そうだけど」
「ひょっとして……本当は陶芸家になるのは気が向かない、とか?」
小声で尋ねると、宮永くんは黒ぶち眼鏡の奥で目を丸くした。
「え、どうして?」
「だって宮永くん、クラスでは家が窯元だとか陶芸家志望だってほとんど口にしないし、ぶっちゃけ隠してるよね? だから本当は実家の工房を継ぎたくないのかなーって」
すると、宮永くんは微笑んで首を振った。
「ああいや、そういうわけじゃないんだ。でも、陶芸のことをクラスで隠しているのは事実だけどね」
「やっぱりそうだよね。でも、陶芸が嫌なわけでも無いのに何で隠してるの?」
「嫌じゃないから……好きだからこそ隠してるんだよ。世の中には陶芸に詳しい人ばかりじゃない。『渋い』とか『お年寄りの趣味みたい』とか……それくらいならまだ許せるけど、『泥だらけになって汚い』とか『実家の家業を背負わされて可哀想』とか。無神経で無遠慮なことを口にする人って一定数いるからね」
「あ……」
あたしはぎくりとする。
(やば……あたしも『渋っ!』って言っちゃった……!)
そういえばあの時、確かに宮永くんの反応は微妙だった。
理由が分からなくて流してしまったけど、ひょっとしたらあたしの無神経な一言で、嫌な思いをさせてしまったのかもしれない。
「……そういうのは無視するのに限るけど、僕もそこまで大人にはなれないから……面倒な衝突を避けるために陶芸のことは黙ってるんだ」
宮永くんの気持ちはあたしもよく分かる。
夢や目標を持っていることを周囲に公表すことは、それなりにリスクを伴うからだ。
世の中は不思議なもので、一般的には人生において夢や目標を持つのはいい事だとされているけれど、実際には夢や目標を追うことに対してネガティブな考えを持つ人はきわめて多い。
やたらリスクを強調した忠告をしてきたり、そんなことは分不相応だからやめておけと説教をしたり。
でもまあ、それくらいならこっちも許容できる。失敗するリスクがあること、そのリスクがまあまあ高い事はあたしもよく理解しているから。
許せないのは、夢や目標を追っている人間に横槍を入れ、邪魔をして滅茶苦茶にすることを喜んだり、夢を持っていることを理由にイジメの対象にしたりすることだ。
やれムカつくだの馬鹿みたいだの、生意気、甘ったれている、反吐が出る、失敗して痛い目を見ればいいのに――などなど。
そしてこれまた不思議なことに、他人の夢にネガティブな人は大抵、あたしよりもずっと時間的・金銭的・体力的余裕があって暇を持て余しているにもかかわらず、ぐだぐだしていて絶対に何もしない人たちなのだ。まさに、漫画研究部の西田先輩やその取り巻きたちみたいに。
相手に何か迷惑をかけているわけでも無ければ、夢を追うキラキラ人生すごいでしょと自慢しているわけでも無い。
実際、あたしだって別に実家が太いわけじゃないし、お金も時間もギリギリのところでやりくりしてる状態だ。
他人に自慢できるところなんて一つもないし。
でもネガティブな人には、いくらこちらの事情を説明しても理解しようとしてくれない。
彼らと衝突するのを避けたかったら、夢など何も無いのだという素振りをするしかない。
現にあたしがもし漫画家になることを隠していたら、西田先輩にイチャモンをつけられることも無かったし、大原部長に馬鹿にされることも無かっただろう。
(でも、あたしの宮永くんに対する反応も、それと似たようなものだったかも……)
あたしは自分の顔の前で両手を合わせ、謝る仕草をする。
「あの……ごめんね。『渋っ!』とか言っちゃって」
「いいんだ。結城さんのは悪意がないって分かってるから。むしろ僕は結城さんのこと尊敬してる」
「え……あたしを?」
今度はあたしが目を丸くした。
「結城さんは堂々と『漫画家を目指してる』って公言しているだろ? そのせいでトラブルになっても自分の気持ちを隠さない。それってすごい事だと思うんだ。……僕には真似できない事だから」
「そ、そんな……あたしはただ、頑固で負けず嫌いなだけで……! もう、急にびっくりするじゃん!」
「ごめん、驚かせるつもりじゃなかったんだ。ただ、本当にそう思ったから……それだけは伝えたかったんだ」
宮永くんの頬は心なしか赤かった。それを隠すためか、慌てて黒ぶち眼鏡のフレームを右手の中指で押し上げる。
照れてる宮永くん、めっちゃカワイイ。
いつもは真面目なぶん、ギャップがめちゃくちゃヤバい。
こんなの反則でしょ。
あたしの頬も多分、赤くなってるんだと思う。
うなじから耳のあたりまですごく熱い。
っていうか、まさかそういう反応が返ってくるとは思わなかったから、どうしたらいいのか分からなくて、一瞬、言葉に詰まってしまった。
でも、ヘンな風に誤魔化したくなかったから、あたしは勇気を出して言った。
「あたし、陶芸のことほとんど知らないんだ。もし良かったら、今度教えてよ。宮永くんの好きな陶芸の世界のこと!」
「もちろん。結城さんなら喜んで!」
宮永くんはそう言って、朗らかに笑った。
教室では大人しくて目立たないけど、実際に話してみるとけっこうよく喋りよく笑うし、何より本に対する情熱がすごい。
だからか、宮永くんと小説について話すのはとても刺激的でワクワクするし、何よりためになる。
気が付けば、いつしか宮永くんと話すのが、あたしの学校生活の楽しみの一つになっていた。
その日もあたしは宮永くんおすすめの小説を二冊、図書室で借りて帰ることにした。
(……っていうか、漫画づくりのためっていうより、もはや宮永くんと話すために小説を読んでいるような気が……まあいいか)
それから宮永くんと別れ、家路につく。
漫画研究部で先輩たちと揉めてからというものの、所属クラブは決めていない。まだあのトラブルを心のどこかで引き摺っていて、どこかに所属する気になれなかったからだ。
あたしは末っ子ということもあってか、割とワガママで自由奔放みたいに言われることが多いけど、だからといって決して傷つかないわけじゃない。
もう、漫研の時みたいないざこざは、二度とごめんだった。
家に帰るといつものように家族そろって母屋で食事をし、それからいつもの手伝いを終えて二階の自室へ向かう。そしてさっそく図書室で借りた二冊の本を取り出した。
一つは『サラ・ヴァドアールの魔女』というヨーロッパの児童文学で、もう一冊の『DUNK!!』は高校のバスケットボール部を題材にしたスポーツものだ。
どちらも宮永くんのおすすめということもあり、安定して面白い。
児童文学は文章がごつくて馴染みがないけど、世界観がとても本格的。海外の児童文学にしては上下巻と短いので読みやすい。
スポーツものの方は迫力ある試合シーンの描写と丁寧なキャラクターどうしの関係性のギャップが印象的。チームメンバーの信頼が一つ一つ、着実に築かれた上で最後には強豪に勝つ。
王道だけど、それだけに最後はとても感動する。
「あー、やっぱ面白い! 宮永くんセレクトに外れなしだね!」
けれどこうして、いろいろな小説を読み続けていると、気づくこともある。
たくさんの「上手い」作品に接することで、否が応にも自分自身の実力不足を痛感させられるのだ。
「あたし……全然、漫画の勉強が足りてない……何ていうか、見せ方もまだまだだし盛り上げ方もイマイチだし、ストーリーもワンパターンなものしか描けない。……何より、あたしならではのこれっていう武器が何一つないんだ」
宮永くんの勧めてくれた小説はどれも、何かすごく突出したものがあって、それを生かした作品が多かった。
妖怪や山といった専門知識を生かしたものだったり、キャラクターの魅力を最大限に生かしたものだったり、もしくは読み手を飽きさせないようストーリー展開の随所に工夫がしてあったり、人間の内面を描く描写力の高さを生かしたものだったり。
プロの作家さんたちはきっと自らの『武器』を身に着けそれを生かすため、日夜、研鑽を積んでいるんだと思う。
でもあたしは、胸を張って『これがあたしの武器です』と言えるようなものは、まだ何も持っていない。
(もちろん、構成力やキャラクター造形・配置のバランス、ストーリーのパターンの種類など、まず基本的なものがそもそも足りてないんだけど)
たとえば『冴えない漫画家のオレですが、元カノの娘と再デビューすることになりました』の作者からは、たとえ多少リアリティが欠けようとも、読者を楽しませるエンターテイメントに徹したキャラづくりやストーリーづくりをするんだという意気込みを感じるし、『嶽罪』の作者はきっと誰にも負けないと胸を張れるほど山や登山の分野に詳しく、また実際に山が大好きで、自らもたびたび挑戦している。
『好き』がそのまま仕事に直結しているのだから、これほどの強みは他にないだろう。
そして、『有栖川家の四姉妹』の作者は、敢えて一般受けを狙わず、自分の作風とそれを支えてくれる熱心なファンを大事にし、自分の世界観を貫き通そうとしている。そうすることでブランドイメージを守っているのだろう。
作者に確かな文章力や描写力があるからこそ可能な戦略だ。
もちろん、『宿り木の下で』や『どこまでも群青』、『透明少女』も面白いだけでなく、それぞれ他にはない特徴や個性があって、すごく記憶に残ったし読みごたえもあった。
宮永くんに教えてもらってこの三冊に出会い、心から感動したからこそ、他にも面白い本があれば読んでみたいと思えたのだ。
実力があるのは当たり前。その上で、どうオリジナリティを出し、どうライバルと差をつけ、どのように生き残り戦略を図るか。プロとしてやっていくためには、その域にまで達さなくてはならないのだ。
面白い小説を読めば読むほど分かる。
自分の実力が足りてないこと、プロになるためにはもっともっと学ばなければならないことがたくさんあること。
流行をなぞって満足しているだけでは不十分で、もっともっと高い階段を自ら上っていかなければならないこと。
「他より少し上手」なだけでは生き残れない。
「あなたの作品が読みたい!」と、たくさんの読者に選んでもらえるようにならなければ、すぐにその他大勢に埋没して忘れ去られてしまうのだ。
ただ、そう痛感する一方で、モヤモヤする気持ちもあった。
(でも、いくら作品の見せ方や幅を持たせる知識とか、漫画を良くするための技術を習得したり勉強をしたりしたって、『ピュアラブ』で求められているのはシンプルで分かりやすい胸キュン恋愛青春ものなんだよね……あとはせいぜい、いま流行りのファンタジーくらい。
せっかく頑張って漫画スキルを身に着けても、『ピュアラブ』で生かせなかったら意味ないような気がするし……とにかくまずはデビューしなきゃ何も始まらないもんね。
うーん……一体なにを優先するべきなんだろう? 漫画の実力や技術をしっかり身に着けるのが先か、それとも編集者の好みそうな漫画を描いてとにかくデビューするのが先か……)
あたしはガシガシと頭を掻き回す。
「うあ~~~!! 一体、何が正解なんだろう……!?」
なんかここ最近、ずっと同じところをぐるぐるしている気がする。
ああしたらどうか、こうすればいいのでは。
思いつくものはたくさんあるけど、その中のどれを優先したらいいのか分からないのだ。
やってみたいこととか身につけたい技術はいっぱいある。
ゆくゆくは漫画家として必要になるだろうし、もっと単純に、面白い漫画を描くため自分を高めたいという気持ちもある。
けれど、そうして苦労して身につけた技術は本当にデビューするのに必要なんだろうか。どうしてもそんな考えが頭をよぎってしまう。
どれだけ完成度を極めたところで『ピュアラブ』で求められるのは胸キュン恋愛青春もの。
キャラのパターンも話の展開のパターンもシチュエーションも、全てがテンプレ化していてそれ以外の要素は基本的に何一つ求められていない。
つまり……デビューしようと頑張る努力と面白い漫画を描こうとする努力は、両立し得ないということなのではないだろうか。
だって『ピュアラブ』が求めているのはあくまでテンプレ恋愛漫画で、その他の有象無象じゃない。
デビューを狙うなら無駄を徹底して排除し、効率よくテンプレ漫画を追求するのが一番の近道なのではないか。
(それならそうと割り切れればいいけど……あたしはその『テンプレ漫画』を何度も描いているにもかかわらず、ちっともデビューできずにいるし。
あれも駄目、これもイマイチ。だったらあたしは何をすればいいの? どんな漫画を描けばいいんだろう……)