第12話 図書館の日々②
宮永くんが勧めてくれた小説を読み、その翌日、あたしがその感想を話して盛り上がる。
その繰り返しで、あたしと宮永くんの仲は徐々に縮まっていった。
図書委員の受付の仕事は一週間ほどで終わってしまったが、その後もあたしは本を借りるため、毎日、図書室へと通い続けた。
すると大抵、宮永くんが先に図書室へ来ていて本を読んでいる。
(ほんと、よほど本が好きなんだろうな……)
でも、宮永くんと読んだ本について感想を言い合ったり考察し合ったりするのは、あたしの楽しみにもなっていた。
今日も図書室へ足を運んだあたしは、さっそく宮永くんの姿を見つけ近づいていく。
宮永くんは図書室の一番奥の椅子に座っていた。
あたしはテーブルを挟んだ真向いの席に腰を下ろしつつ、宮永くん意に声をかける。
「宮永くん、このあいだ紹介してくれた三冊、読み終わったよ!」
「え、全部? もう? すごく早いね」
「うん、だってどれもめっちゃ面白かったもん! あっという間に読み終わったよ。……ね、その話してもいい? 誰かと感想を言い合いたいんだけど、本を読んでる知り合いが周りにいなくて……宮永くんしか話せる人がいないんだよね」
「うん、いいよ。今日は時間あるし。僕で良ければ」
図書室の中はいつも通り、適度にざわついている。これくらいだったら、小声で会話すれば悪目立ちすることもないし、周りに迷惑はかからないだろう。
おまけにあたし達が座っているのは、図書室の一番奥の席で、他の生徒たちとは離れているし。
あたしはさっそく、昨夜に読んだ三冊の本を鞄から取り出す。
「まずはこれ! 『冴えない漫画家のオレですが、元カノの娘と再デビューすることになりました』! ……話は面白かったけど、最近のラノベのタイトルって長いよねー」
「そうだね。あらすじを読まなくてもどんな話か分かるから便利といえば便利だけど、僕はもう少しシンプルな方が好きかな」
「だよねー。あまり長いとタイトルが覚えられないし、今はもう長いのが当たり前になってるみたいなとこがあるから、むしろ没個性になっちゃってるし」
因みにこのラノベは、とある少年漫画家の再生物語だ。
主人公・雅騎は、かつては人気作家だったけど人気連載が終わってからは鳴かず飛ばず、従って新規の仕事もほとんど無い。
そんな彼の元にある日突然、大学時代の元カノが転がり込んでくる。
彼女は雅騎と別れた後、別の男性と結婚したものの現在は離婚しており、シングルマザーとして働いているのだが、一人娘の聖奈の預け先に困っている。
そして主人公・雅騎に給料付きで託児をしてくれないかと提案してくるのだ。
漫画の仕事がない雅騎は他に収入源がなく、ヒット作で得た貯金を細々と切り崩す生活を続けてきたが、それも今や底をつきかけている。そのため渋々、元カノの提案を受けることにしたのだった。
ところが、彼女の八歳になる娘・聖奈との相性は最悪。
何せ聖奈は異様なまでに気が強く、口も達者で何でもズバズバ、雅騎にとっては生意気なことこの上ない。
しかし実は、聖奈は大の少年漫画好きであり、雅騎が少年漫画家であることを知られてから徐々に二人の関係は変わっていく。
聖奈は少年漫画家である雅騎よりもたくさんの少年漫画を読み込んでいて、昔の名作はもちろん最近の話題作も全て網羅しているというかなりの猛者だった。
その聖奈が雅騎の描く漫画の時代遅れなところやつまらないところをビシバシ指摘してくるのだ。絵が古い、キャラが共感できない、ストーリーが説教くさい等々。
最初は、子ども――しかも女の子に少年漫画の何が分かると反発していた雅騎だが、やがてその言葉に耳を傾けるようになる。
聖奈の痛烈な指摘は、雅騎が心のどこかで感じ始めていたことと全く同じだったからだ。
やがて雅騎は積極的に聖奈の意見を参考にしつつ漫画を描くようになる。
まずネームを聖奈に読んでもらって感想を聞き、自分の漫画の良いところは残しつつ、悪いところは努力して修正し、再びそれを聖奈に読んでもらう。その繰り返しだ。
その甲斐あってか、雅騎の漫画は再び脚光を浴びるようになり……。
「……まあ、こんなうまい話、現実にはそうホイホイ転がっていないと思うけど。でもお話としては面白かったよ。聖奈が少年漫画好きの男の子じゃなくて、女の子っていう設定が今っぽいよね。普通の一般家庭の子なのに、語尾になんでか『ですわ』がつくのが違和感ありまくりだったけど……ま、そこはラノベならではのご愛敬よね。
最初は主人公の雅騎と喧嘩ばかりだったのに、漫画を通して雅騎と聖奈が信頼関係を築いていって、それが雅騎の漫画の面白さに還元されていくのがすごく良かった。聖奈は最初、歯に衣着せぬ物言いの生意気なガキって感じに描かれているんだけど、漫画に関する知見が深くて、漫画愛も本物だし、だからこそ譲れなくてきつい言い方になってしまっただけなんだよね。
一方の雅騎も聖奈のことを煙たがりながらも良いところは良いと認めていく。相手は自分の年齢の半分にも満たない子どもなのに、相手の指摘の正しいところは冷静に受け入れるの。そう考えると、おじさん主人公だけど、王道の成長ものだよね。雅騎も聖奈も互いに成長していくっていう」
あたしが感想を述べると、今度は宮永くんが口を開く。
「そうだね。でも雅騎の変化は、聖奈を認めたからだけじゃないと僕は思うよ。雅騎は自分の殻を破ろうとしているんじゃないかな。昔の成功に対するプライドや思い込み、そこから来る思い上がりで周囲が見えなくなっていた自分のことも、作家としてはもう駄目なんじゃないかっていう臆病な自分のことも、全部ひっくるめて一度ゼロにしてやり直したいんだ。そして、聖奈と接する過程でそういう心の壁がどんどん破られていく……ある意味、心の断捨離の話でもあるよね」
「あ、そっか……言われてみたら、確かにそういう面もあるね!」
「僕はこのラノベ、意外とリアルな描写が多いのが気になったかな。キャラ付けなんかは確かにいかにもなラノベなんだけど……たとえば聖奈が漫画に詳しくなったのって、友達がいなくて市の図書館に入り浸るようになったからだよね?」
「そうそう! シングルマザーの家庭だからって、仲間外れにされるの。現実にも未だにあるっていうよね、いわゆる片親は可哀想みたいなやつ。だから何なのってカンジ! ……聖奈が少年漫画に夢中になったのも分かる気がするな。あたしが言うのもなんだけど、ほとんどの少女漫画っていかにイケメンとくっつくか、キュンキュンしかしてないもんね。でも少年漫画なら理不尽や悪と戦う事ができる。きっと……それくらい悔しかったし、何より負けたくなかったんだね」
「主人公・雅騎の、このまま自分は落ちぶれていくだけなのかという焦りと、過去にヒット作を生み出しているが故にプライドが邪魔して、今の流行や人気作をひねくれた視点で見てしまう点、そういう葛藤や苦悩がよく描かれていると個人的には思うんだ。ラノベだと何の苦労や努力も無く望んだものがすんなり手に入る展開が多いからね。だけどシリアスなネタも入れつつ楽しくライトに読ませる技術、この小説はすごいと思う」
「そうだよね。俺の漫画なんてもう誰にも必要とされていないって最初は悶々としていた雅騎も、聖奈と出会ってから『何とかしてこいつに面白いって言わせる漫画を描いてやる‼』みたいな感じに変わってきて、それからはどっちかと言うとスポ根ものってかんじ! 雅騎と聖奈の二人がタッグを組んで漫画を仕上げて、編集部内でのコンペを目指すんだけど、ギリのところで落選して、でも最後にはネットでバズって他の出版社からの出版依頼っていう流れ、読んでて最高に爽快だった!」
因みにヒロインは、雅騎の担当編集者である阿久津百花だ。百花は雅騎より八歳も年下だが有能な編集者で、結果を出せないでいる雅騎のことを励まし、陰に日向に支えてくれる。
やがて雅騎は百花に対し、淡い恋心を抱くようになる。
物語の終盤――編集部内でコンペが行われた際に、実は雅騎の漫画の他にもう一本、新人漫画家のネームが残ったのだが、「旬の過ぎた年寄り漫画家より、新しい漫画家を育成すべき」という理由で雅騎の漫画が落とされてしまった。
純粋な漫画の面白さや実力ではなく、年齢で落とされてしまったのだ。
それに納得がいかない百花は、雅騎の漫画をSNSでバズらせることを思いつく。
最終的に雅騎の漫画は他の出版社で連載することになるのだが、それでも百花は一貫して雅騎を応援してくれるのだ。
「脇キャラだけど、雅騎の元カノ・礼奈のキャラも良いよね。過剰に優しいわけでも無ければ、冷たいわけでも否定するわけでも無い。聖奈と雅騎の漫画づくりに口を挟むことなく、二人をそっと見守っている。聖奈は学校の宿題をきちんとすること、雅騎には家事を負担してもらう代わりに自分が家賃を肩代わりする事など、一定のルールを作ってそれ以上は過剰に干渉してこないんだ」
宮永くんの言葉にあたしも頷く。
「むしろ時どき、お菓子やジュースの差し入れをしてくれたりね」
「こういう人が隣にいてくれたら、クリエイターは幸せだろうなって思うよ」
(そっか……宮永くんは陶芸家志望なんだっけ。陶芸家にもいろいろ大変な事ってあるんだろうな……)
その気持ちは分かる気がする。あたしも創作の悩みを共有できる人が欲しくて、漫画研究部に入ろうと思ったから。
ネットやSNSでもそういう相手を探せなくはないけど、対面ならではの共感性や心強さみたいなのはあるし。
特にSNSだと、悩みよりもキラキラした面を強調する人が多くて、かえって気が滅入る場合もある。SNSの性質上、仕方のない事なのかもしれないけど。
だから、虚飾にまみれていない生の言葉を交わせるという意味でも、同じ夢を追う友達が欲しかった。
(まあでも、それはただの夢で終わっちゃったわけだけども)
深く考えると漫画研究部での辛い経験を思い出し、ネガティブな感情がぶり返してきそうだった。
あたしは話を次に進めることにする。
鞄から取り出したのは二冊目の本だ。
「次はこの『嶽罪』!」