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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
イケメンは爆発しろ!
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第7話 舞夏のネーム 

 結城家は古い家だ。


 そして、広い。無駄に広い。大きな母屋の他に、離れが大小合わせて三つもある。


 結城家には現在、私こと結城立夏の他に、妹と姉、そして他には結城壱夏――私の祖母だ――の四人しか住んでいない。だから、母屋だけで生活空間は事足りている。離れはほぼ無人だ。


 壱夏ばあちゃんがこまめに手入れをしていて、いつでも使えるようにはなっているけれど、特に来客があるわけでもなく、むしろその予定はないと言っていい。


 結城の家がそれほどまでに立派なのは、且つて俵山一帯を治めていた領主の家であった名残なのだそうだ。だが、その俵山の土地も、今は殆ど手放していて、残っているのは山の麓に残っているこの家だけなんだけど。


 ともかく、私たち四人の家族には、この家は広すぎる。それでも引越しをしないのは、ばあちゃんにとってこの家が、じいちゃんとの思い出が詰まっている大切な空間だからだ。


 私たちの前では、壱夏ばあちゃんはあまりそういう話をしないけど。でも、ばあちゃんがどんなに、じいちゃんの事を大事に思っているかは、孫としてよく理解しているつもりだ。


 その日、私はいつものように、虹ヶ丘高校から自転車で帰宅した。家の入口はちょっとした坂になっているため、自転車から降りて押して上がる。そして、一番手前にある二階建ての大きな一軒家――母屋の玄関の引き戸を開く。


「ただいまー」


 昔の家らしく、玄関は特に豪華だ。二畳はあろうかという土間に、立派な上がり框。掃除が大変なので、この半分の広さでいいと、私は常々思っているけれど。とにかく、玄関で靴を脱いでピカピカに磨かれた廊下に上がり、私はまず居間へと向かった。


「ばあちゃん、ただいま」

「立夏か。お帰り」


 壱夏ばあちゃんは、今時珍しく、いつも着物を愛用している。外出の時は勿論、普段の生活も着物という徹底ぶりだ。そのせいか、もうすぐ七十歳を迎えるというのに、背筋がしゃんとしている。接する者に、意味もなく圧迫感を与える原因でもあるけど。


 因みに今日は、藤の花があしらわれた、落ち着いた色調の着物を着ている。季節感もばっちりだ。


 私は居間の中を見回し、ばあちゃんに尋ねた。

「晴夏と舞夏は?」

「舞夏は自分の部屋だよ。晴夏はまだ帰ってない」

「ふうん……まあ、月渡は遠いからな。俵山からだと」


 そう答えつつ、私は蜜柑を手に取った。重厚なちゃぶ台の上に、いつも大きな木製の菓子皿が置かれているが、その中にあったものだ。すると、ちゃぶ台で新聞を読んでいたばあちゃんが、途端に厳めしい顔をする。 


「これ、先に着替えておいで。制服にしわが入るだろう」

「でも、腹が減ってるんだもん」

「馬鹿者! 小さな欲に目が眩み、手順を蔑ろにする者は、ろくなことにはならないよ!」

「そんな、大したことじゃないだろ。婆ちゃんは硬すぎるんだよ」


「誰が汚した制服を洗うと思ってるんだい!?」


 口ごたえをする私に、ばあちゃんはぴしゃりとそう言った。こうなってしまったら、反抗するだけ無意味というものだ。口論をしたところで、ばあちゃんは勝てる相手ではない。


「……へいへい、分かりましたよ」

 私は肩を竦め、一度、部屋に戻ることにした。


 母屋の一階には、台所や居間、仏間などの他に、風呂やトイレなどの水回りがあり、ばあちゃんの部屋も一階にある。私たち姉妹の部屋はみな二階だ。どれも広さは同じ、六畳間ほど。


 私はまっすぐに自分の部屋へ向かうと、私服に着替えた。そして再び二階の廊下に出ると、妹の舞夏が部屋から顔を覗かせる。星蘭高校に通っている、例のかわいいもの好きの妹だ。


「あれ、立夏。帰ってたんだ。おかえりー」

「うん。舞夏は漫画か?」

「まーね。『月刊シオン』の投稿、締め切りがもうすぐだから、今めっちゃ修羅場ってる」


「そうか。体を壊さないように頑張れよ。高校に入学したばかりなんだし」

「分かってるって」

「何か甘いものでも、持って来ようか?」

「いいよ、遠慮しとく。太っちゃうし」


 舞夏はそう答えたものの、すぐに何かを考える表情になった。


「……いや、そうだな。お願いしてもいい?」

「いいぞ。それじゃ、後でな」


 舞夏は頷くと、すぐに自室に引っ込んで扉を閉める。よほど時間が惜しいのだろう。私に、何か用がある様子だった。『甘いもの』はあくまでその口実だ。姉妹だから、その辺のことは口に出さなくても分かる。


(まあ、大方、新作のネームを読んで欲しいとか、そんなだと思うけど)


 舞夏は漫画家を目指している。実際、絵やイラストも、私と違ってとてもうまい。中学生の時から雑誌への投稿を始めているが、賞を取ったことはまだないようだ。もっとも、何度も漫画を仕上げてそれを投稿しているというだけで、私は十分にすごいと思うのだが。


 階段を降り居間に戻ると、ばあちゃんの姿は無かった。そこで台所へ行き、中を覗いてみると、案の定、ばあちゃんは夕飯の支度を始めていた。濃い醤油やみりんの匂いから察するに、今日のメニューは煮物系だ。多分、煮魚じゃないかと思う。


「立夏、着替えたかい」


 私が台所の中に入ると、ばあちゃんはネギを刻みながら声をかけてきた。一度もこっちを振り向いていないのに、私だと分かるなんて、さすがはばあちゃんだ。


「ねえ、ばあちゃん。何か甘いもの、ある?」

「甘いもの? もうすぐ夕飯だよ」

「分かってる。そんなには食べないから。虫封じをする程度にしとく」

「そうかい、それじゃ棚の中に煎餅とかりんとうがあるから、それでも食べてな」


「煎餅とかりんとうか。えらく渋いな……」

「それより、お供え物をお社さまへ持って行っておくれ。いつも通り、失礼の無いようにするんだよ」

「ん、分かった」


 うちにはよその家には無い、変わったところがいくつかあるが、その中の一つが、家の敷地内に赤い鳥居と社がある事だ。ぱっと見はまさに神社そのもので、小さいけど本格的な造りをしている。


 何故、家の敷地内に神社があるか。それは、結城の家の成り立ちと深く関りがあるらしい。


 結城の家は代々、俵山を治めてきた権力者の家系だが、その家系の人間は同時に、宗教的な催事も司って来たという。そのせいか、割と最近まで、結城の一族には不思議な力があると信じられていたそうだ。


 だが、勿論現実には、結城の家の人間にそんな力を持つ人物はいない。私たち三姉妹はもちろん、壱夏ばあちゃんもごく普通の人だ。だからそれは、単なる迷信に過ぎないのだが、ともかく家の中にある神社はその歴史の残像なのだ。


 じいちゃんも生きていたころ、この鳥居と社をとても大切にしていた。だからばあちゃんも、社へのお供えを決して欠かさない。もっとも、ばあちゃんも齢だから、今では私が代わりにお供えすることも多いけど。


 今日も私は、ばあちゃんに言われた通り、お供え物――米や水、塩、御神酒などを台座に乗せたもの――をお社へと運び、そこへ置いてくる。柏手を打ち、きちんと礼をすることも忘れない。これを怠ると、ばあちゃんにこっぴどく叱られるのだ。うちの家を先祖代々、守ってきてくれた神様に、無礼があってはいけないのだと。


 子どもの頃からそう仕込まれているため、ばあちゃんが見ていてもいなくても、そうすることが習慣となっている。


 もっとも、この神社がどんな神様を祭っているのか私はよく知らない。神道の神様ではなく、多分、俵山を守っている土地神様なのではないかと思うけど、聞いてもばあちゃんは教えてくれない。


 いろいろあったから――ばあちゃんは私たち三姉妹を、結城の家に縛り付けたくないと考えているんだと思う。


 お社さまにお供えをしてから、私は母屋に戻った。舞夏が煎餅やかりんとうを好むかどうかは分からないけど、とりあえずそれを持って二階の舞夏の部屋へと向かう。


「舞夏、来てやったぞー」


 ノックをして扉を開けると、舞夏は机に向かって漫画の作業をしていた。顔を上げ、私の方を振り返ると、呆れたように笑う。


「言い方! ……ま、立夏らしくていいけどさ」

 私は遠慮なく舞夏の部屋に入ると、机のそばにあるベッドへ腰かけた。

「一階には煎餅とかりんとうしかなかった。食うか?」

「渋っ! それ絶対、ばあちゃんの趣味でしょ!?」

「結構うまいぞー、煎餅」


「立夏は一番、ばあちゃんに似てるもんね。味の好みとか、性格とか」

「そうか?」

「そうだよ。あたしたち三姉妹の中で、一番おばあちゃんっ子だもん」

「そのせいかな? 虹ヶ丘の友達には、『モノノフ』っぽいって言われてる」

「あー確かに! なんかモノノフ感、溢れてる感じ」


 舞夏もまた遠慮することなく、ケラケラと笑う。会話をしている間も、作業の手は決して止めない。


 ――そんなにモノノフ感なんて、溢れとらんわい。半眼でそう突っ込みつつ、私はさっそく本題に入ることにした。


「……それで? 私に何か用があるんじゃないのか?」


 尋ねると、舞夏はようやく作業の手を止めた。そして机の引き出しを開けて、中から紙の束を取り出した。


「ああ、うん……実は、これから描く予定の、次回の投稿作のネームを切ってみたんだけど。ちょっと感想欲しいんだ」

「次回……? 『月刊ピュアラブ』のか?」


「そっちはもう、原稿に入ってる。今から読んでもらうのは、別の雑誌に投稿しようと思ってる漫画。『月刊シオン』って雑誌なんだけど」


「なるほどな。それはいいけど……私の感想でいいのか?」


「うん。立夏は良いところも悪いところも、率直に指摘してくれるから。中学の時は、同じ漫画部の子たちに読んで感想をもらってたけど、星蘭の漫画部にはまだ入ったばかりで、互いに作品を見せ合う空気じゃないんだ。……だから困ってて」


「そういう話なら構わないぞ。読んで感想を言えばいいんだな?」


「うん、つまらないと思ったら、つまらないって言って。そっちの方がむしろ助かるから」

「了解」


 もっとも、舞夏の漫画は結構うまい。私は昔から、舞夏のネームを幾度か読まされてきたから、それを知っている。もっとも、上手いからと言って、プロとしてデビューできるとは限らない。求められているものは上手いものでなく、面白いものだからだ。


 舞夏はB5のコピー用紙を折りたたみ、本のように重ねたものを、私に手渡した。ざっくりとしたラフで、人物画と台詞が書き込まれている。原稿作業は漫画専用ソフトを使い、中古のパソコンや液タブで行っているらしいが、ネームは紙とペンを使うのが、舞夏のこだわりだ。その方が、アイデアが良く出てくる気がするらしい。私はさっそく、それを読んでいく。


 ――まず、主人公は、茉莉という名の女子高生だ。


 茉莉はある日、骨董屋で鏡を買った。理由は安くてデザインが気に入ったからだが、安いのも道理で、壁掛けの鏡は古ぼけていて、鏡面は少し曇っている。でも、その佇まいがどうしようもなく気に入って、購入を決めたのだった。


 茉莉は家に帰るや否や、さっそく自分の部屋の壁へその鏡をかける。すると、不思議なことが起こった。鏡の向こうに映った自分が、勝手に動き出し、茉莉に話しかけてきたのだ。


 幾度となく会話を交わすうちに、鏡の向こうにいる茉莉も女子高生で、茉莉と同じ家に住み、同じ生活をしていて、同じ学校に通っている事を知る。


 鏡の向こうにも、茉莉の世界とよく似た世界が広がっていたのだ。


 ただ一つ、鏡の向こうとこちらで違う事があった。それは、鏡の中の茉莉には友達がたくさんいる事に比べ、当の茉莉は交友関係で悩んでいる事だった。


 鏡の茉莉は、茉莉の相談に乗り、頑張れ、きっと友達はできるよ、挨拶が大事だよと、励ましてくれた。その甲斐あって、茉莉にもとうとう紗奈という名の友人ができる。


 喜びもつかの間、茉莉はふと違和感を覚える。鏡の茉莉は何者なのだろう。どうしてこの鏡の中にいるのだろう。


 疑念は膨らみ、茉莉はとうとう、そのうち鏡の中の茉莉に、支配されてしまうのではないかという恐怖感まで抱くようになる。何故なら――鏡の向こうにいる茉莉の友達が、茉莉の友達と全く同じ『紗奈』という名前だと知ってしまったからだ。


 まるで、鏡の向こうの世界に、茉莉の世界が侵食されているかのようだった。


 茉莉は徐々に、鏡が薄気味悪く感じるようになった。鏡の茉莉は、悪い子ではない。でも、自分の人生を支配されるなんて、まっぴらだ。そしてとうとう、茉莉は鏡を割ってしまう。


 ところがその時、思いも寄らぬことが起きた。茉莉が鏡を割った瞬間に、茉莉の世界にも同じ亀裂が幾筋も入り、崩壊を始めたのだ。


 その時、茉莉は悟る。鏡の中の世界だったのは、こちら側だったのだ、と。鏡の中だろうと思っていた世界の方が、現実だったのだ。


 しかし、世界は茉莉が叩き割ってしまった。茉莉の意識は、粉々に砕け散る鏡と共に、消え去っていく。


 どれほど時間が経っただろうか。茉莉が気付くと、いつもの自分の部屋の中にいた。


 部屋の中はどこも割れておらず、いつも通り。そして、壁には骨董屋で買ってきた鏡が、以前と同じようにかけられている。


 鏡は全く割れていないし、ひび一つ入っていない。どうして――不思議に思っていると、鏡の茉莉が現れ、説明をしてくれる。


 突然、鏡が割れてびっくりした事、鏡の茉莉――現実に生きている本当の茉莉は、割れた鏡面を元に修復した事。そして、鏡の茉莉は、茉莉に告げる。「これからもあなたと友達でいたい」、と。


 しかし、茉莉は尋ねる。「こちらの世界は、鏡の中の世界。私は偽物の茉莉。それなのに、友達になれるの?」と。すると、本物の茉莉は笑って答えた。「あなたは私かもしれないけど、私じゃない。だって、鏡を叩き割ってしまったのがその証拠。私はこの鏡を、一度だって叩き割ろうなんて思った事はないんだから」


 鏡の向こうは向こう、こちらはこちら。鏡の中だとしても、偽物だったとしても、私の人生は私のもの。茉莉は、再び日常へ戻っていくのだった。


 ――とまあ、大体においてそんなあらすじだった。舞夏によると、漫画のページ数は、最大で二十四ページだという。投稿規約でそう決められているのだそうだ。だから、ストーリーのボリュームとしても、これくらいがちょうどいいのだろう。


 ネームにはキャラクター表も添付されている。いつもの舞夏が描くキャラ絵より、若干、目が小さく、地味めな印象だった。


「……どう?」


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