第6話 未完成なわたしたち
「う、うん」
「待ちなよ、悠衣! そいつと一緒に行くなら……どうなるか分かってるよね!?」
星蘭女子の一人は、さきほど悠衣に見せつけていたスマホを、再び意味ありげに振って見せる。しかし、相手がその手に出るだろうことは、私も予想済みだ。ちゃんと対策は用意してある。
うまくいくかどうかは分からないが。
私は星蘭女子たちの方を振り返ると、自分の鞄に手を入れた。
「ああ、そうそう。さっきの一部始終、実は録画してあるんだ。個人情報をSNSで拡散させるとかいう話。悠衣のおかしな情報がネットに出回ったら、これを星蘭高校に送り付けるからな」
そして、先ほど買ったばかりの紺色の手帳を鞄から取り出し、ちらっと覗かせて星蘭の女子たちに示した。よく似たデザインをした、スマホケースがある事を知っていたからだ。大きさもまさにぴったり。チラ見せなので、向こうもそれが手帳だとは気づかないだろう。
「知らないようだから、ついでに教えてやるが、星蘭はSNSトラブルにはかなりうるさいぞ。スマホの所持規定が緩い代わりに処罰は厳しく、トラブルが発覚し、しかも加害者側だった場合は停学もあり得る。悪質なものだと、退学処分になることもあるそうだ」
どうして私が星蘭高校の校則を知っているのか。それにもちゃんと理由がある、何を隠そう、くだんの可愛いもの好きの妹が、星蘭高校に通っているからだ。
しかし、目の前の星蘭女子たちは、その校則を知らなかったらしく、僅かに態度を怯ませた。
「た、退学……!?」
「……。それ、脅しのつもりじゃないよね?」
「まさか。わざわざ忠告してやってるんだ。お互い、これ以上、関わり合いにならない方が賢明だぞってな。……簡単だろ?」
そう言い残すと、私は悠衣の手を引き、再び歩き出した。そしてもう二度と、星蘭の女子たちを振り返ることは無かった。
そして星蘭の女子たちも、私と悠衣を追いかけては来なかった。悠衣の手を引いて歩きながら、内心で少しだけほっとする。私のはったりに、多少なりとも効果があったのだろう。
私と悠衣は、しばらく無言で歩いた。駅舎の中に入り、星蘭の女子たちが見えなくなったところで、悠衣が声をかけてくる。
「りっちゃん、どうして駅に……? 自転車通学じゃなかったっけ?」
「ああ、うん……手帳を買うために水雲堂に行ったんだ。自転車を駅の駐輪場に停めてあるから、その途中で悠衣を見かけた」
「……そうなんだ。スマホ、持ってたんだね。うちの高校、スマホの持ち歩きが禁止だから、ちょっとびっくりした」
「あれはスマホじゃない。買ったばかりの手帳だ」
私はそう言うと、水雲堂で買ったばかりの手帳を鞄から取り出し、悠衣に見せる。
「すっごい、シンプルな手帳……りっちゃんらしいね」
悠衣は微笑んだが、その両目からすぐに一筋の涙が零れ落ちた。
「悠衣……」
「ごめ……りっちゃ……!」
「謝るのは私の方だ。……ごめん、悠衣。出しゃばってしまったな。どうしても、見ていられなかった」
すると悠衣は、ぶんぶんと首を横に振る。
「ううん……あたしこそ、ごめ……! 情けないとこ、見せて……りっちゃ……巻き込……じゃ……!!」
一度、溢れた涙は留めることが出来ないらしく、悠衣はとうとうボロボロと涙を流し始めた。何度も両手で目元を拭うが、涙は止まらず、激しくしゃくりあげる。
駅の構内は帰宅途中の学生や社会人が大勢いて、彼らの視線から、私たちが衆目を集めているらしいという事が分かった。私は自販機で茶を二つ買うと、悠衣を連れて再び駅を出た。入って来た北口ではなく、南口の方だ。
新陽海駅の近くには、公園がある。街中の公園なので狭いため、子どもが遊びまわったりする感じではなく、普段からあまり人がいない。
隅っこにブランコが二つあって空いていたので、悠衣と私はそれに座ることにした。ブランコなんて、小学生の時以来だ。
しばらくブランコに揺られていると、気持ちが落ち着いてきたのか、悠衣はぽつぽつと話し始めた。
「……園ちゃんと浜ちーは、あたしの中学の時の友達なんだ。ただ、友達って言っても……そう思ってたのはあたしだけだったんじゃないかって、今となっては思うけど。
あたし、小学生の時はお父さんの仕事の関係で引っ越しが多かったから、あまりじっくりと友達を作ることができなかったんだ。中学生になって、園ちゃんや浜ちーが声をかけてきてくれて……ようやく友達が出来たと思って、最初はすごく嬉しかった。
でも、すぐに気づいたの。園ちゃんと浜ちーの二人は確かに仲がいいけど、あたしは……それとはなんか違うって。どれだけ頑張っても、あたしは二人の中に完全には入れない。園ちゃんと浜ちーは、幼稚園の時からの親友なんだって。だから、あたしがすぐに溶け込めなくても無理はないって、最初はそう思ってたんだけど……」
悠衣は寂しそうに笑う。
「園ちゃんと浜ちーは、段々、二人一緒になって、あたしに命令するようになった。ああしろ、こうしろ、あれを買って来いとか、これを持って来いとか。面白半分に万引きをして来いとか、街中で制服を脱げって命令されたこともある。二人にとって、多分……あたしは暇つぶしの玩具だったの。
あたしは最初、勿論それに抵抗した。だって街中で服を脱ぐとか万引きとか、犯罪じゃん。そんなの、遊びでも何でもないよ」
「そうだな。そんなの……ただのイジメだ」
私が頷くと、悠衣は表情を曇らせた。おそらく悠衣も、私が言っていることが正しいと分かってる。でも本当は、今でも心のどこかで、それはイジメでなく友情だったのだと、信じたい気持ちがあるのだろう。
「でも……そうしたら、二人に嫌な噂を流されるようになった。あたしが逆らえば逆らうほど、お仕置きだと言って、新しい噂をどんどん流すの。最初はあまり信じてなかったクラスメートも、たくさんの噂のせいで、少しずつそういう目であたしを見るようになって……もう、そうなったら駄目なんだよね、何を言っても。弁解すればするほど、怪しいっていう目で見られちゃう。
クラスで孤立したあたしに接してくれるのは、園ちゃんと浜ちーだけだったから、もう地獄だったよ。二人から離れたいのに、離れられない。二人に逆らえば、ますますおかしな噂を流して孤立させられる。どうしようもなくて、だんだん抵抗する気力もなくなって……高校生になっても、このまま二人に支配されるのかと思ったら、絶望しかなかった」
「悠衣……」
「……だから、必死で勉強したの。周囲の人たちには、あたしが虹ヶ丘に進学希望ってことを内緒にして、星蘭に行くつもりのふりして、家でめちゃめちゃ勉強した。どうしても……何があっても、あの二人とは別れたかったから。
あたしね、中学の時は今よりずっとおバカだったから、ホントに大変だったんだよ。だけど……あたしは自分を変えたかった。自分を変えて、ちゃんとした友達を作りたかった。絶望から、抜け出したかったの」
悠衣は言い終えると、再び涙を拭った。言葉で説明すると簡単なことのようだけど、そこには本当に多くの葛藤と努力があったのだろうと思う。私はポツリと口にした。
「……悠衣は戦ったんだな」
「どっちかと言うと、園ちゃんや浜ちーから逃げ出したんだけどね」
「いや、戦ったんだ。正面突破するだけが戦いじゃない。悠衣は……立派だと私は思うぞ」
悠衣は周囲の友人や知人にも、自分の進路先を明かさなかった。多分、情報が漏れないように、細心の注意を払ったのだと思う。
それほど、虹ヶ丘に行きたいという気持ちが強かったのだ。さっきの星蘭女子たちに屈することなく、絶対に自分の青春を取り戻すのだという、強い決意があったのだ。
確かに一見すると、悠衣は彼女たちから逃げたのかもしれない。だが、結果的には勝ったのだと、私は思う。悠衣は自ら退くことで、勝利を手に入れたのだ。
悠衣はしばらく無言だったけれど、やがてブランコを止めて微笑んだ。
「……ありがと、りっちゃん。虹ヶ丘に来て、りっちゃんが友達になってくれて……すごく良かった」
「でも……本当に良かったのか、私で? 入学式の直後とか、花粉症でくしゃみしかしてなかったぞ。どうして私に声をかけたんだ?」
「それは……逆だよ。りっちゃんがくしゃみをしてたから、あたし、声をかけてみようって思ったんだ」
「……へ? どういうことだ?」
首を傾げる私に、悠衣はその真意を説明する。
「だって、入学したばかりの時期だよ? 普通はめっちゃ緊張するし、早く友達を作らなきゃって焦るじゃん。でもりっちゃんは、そういうのが全然なくて、一人でくしゃみばかりしてて……あたし、『この子、強いなあ』って驚いたんだ」
「それは、まあ……そうせざるを得なかったからで……」
「その時ね、あたし思ったの。この子はきっと、陰湿なイジメとか絶対にしない子だなって。一人でも平気で、孤独に強くて、あたしみたいに弱くない。だから……友達になってみようって、そう思ったの」
そう言うと、悠衣は泣き腫らした目で笑った。そう言われると、何だかちょっと照れ臭くなる。悠衣の目には私がそう映っていたなんて。そんな事、思いも寄らなかった。
でも、その分析は、完全に正しいわけじゃない。
「……悠衣。悠衣は勘違いしているぞ。私は悠衣が思っているほど、強くない。一人や孤独が平気なわけじゃない。だって……悠衣が話しかけてきてくれた時、すごく嬉しかったから」
「りっちゃん……」
「だから、その……あれだ。改めてよろしくな、悠衣」
「……うん!」
目に染みるような、鮮やかな夕焼けの中、私と悠衣は並んでブランコを漕いでいた。互いに言葉は少なかったけど、不思議な温かさに包まれていた。
私たちは未完成だ。一人では立ち竦む時もある。自分のあまりの弱さに、絶望することもある。でも一方で、しなやかに強かに、戦う時もある。未完成で、無力で、でもそれ故に強いんだ。
私たちはきっと、まだ何者でもない。だからこそ、何にでもなれるのだから。
翌日、学校へ行くと、悠衣がいつも通り声をかけてきた。
「りっちゃん、おはよー!」
「うーっす、悠衣」
「見て見て、これがあたしの買った手帳! 可愛いでしょー!」
昨日、私は自分が買った手帳を悠衣に見せた。だから、悠衣も自分の買った手帳を見せようと思ったのだろう。因みに悠衣の手帳は、かわいくデフォルメされたカエルとテントウ虫、そして蓮の葉があしらわれている。
「カエルか。悠衣はカエルが好きなのか?」
「うん、このユルイ感じが最高じゃない?」
そんな話をしていると、クラスメートの男鹿くんと入江くんが会話に加わってきた。
「何だ、そりゃ? ゆるキャラってのは分からなくもないが、カエルはなくね?」
「いーの! 男鹿にはただ、この良さが分からないだけだよ」
手帳を抱きしめ、ちろりと男鹿くんを睨む悠衣。そんな二人を、「まあ、まあ」と取りなしつつ、入江くんは言った。
「カエルはそうでもないけど、トカゲは可愛いよな、よく見ると。意外とくりくりした目とか、ニュルニュルした素早い動きとか!」
「いや……まあ、それともちょっと違うと思うぞ」
そういえば男子って、トカゲとか昆虫とか妙なものが好きだよな。そんな事を考えながら、私が半眼で応じると、入江くんは不思議そうな顔をする。
「えー、何でだよ?」
「多分、悠衣はそういうリアルな奴が好きなわけじゃないんだ。あれじゃん、ウサギにしても熊にしても、リアルは結構、怖いだろ」
更に説明してみるが、どうもピンと来ないらしく、男鹿くんと入江くんは顔を見合わせる。
「怖いか? 別に、フツーだろ」
「なあ?」
要領を得ない男子たちに、悠衣もすっかり呆れ顔だ。
「もう、男子ってば、ホント分かってないんだからー! あたしのこと分かってくれるのは、りっちゃんだけだよ~!」
「まあ、男子とか女子とかはともかく、姫崎の言う事は意味不明ってのは確かだな」
「何よー、男鹿のくせにムカつくー!」
悠衣は悪態をついたものの、次には笑顔になっていた。男鹿くんも口ではいろいろ言うけど、怒っている風ではない。それを聞き流している入江くんも同様だ。みんな、そういった会話には慣れているのだろう。
私はそれを見ながら、思った。このクラスで、悠衣やクラスメートと一緒に、一年間をやっていけそうだと。
読了、ありがとうございました! 主人公の自己紹介を兼ねた、友情回でしたね。
次章は、ちょっと恋愛要素を絡めていきたいと思います。よろしくお願いします!