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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第30話 川魚の掴み取り体験

 それから一時間ほどして、私たちを乗せた観光バスは高速道路から一般道路へ戻る。そこはもう、本格的な田舎地帯だ。


 俵山もかなりの田舎だが、この辺りは更にすさまじい。一面田んぼだらけで、ところどころに民家が建っているのが見えるが、隣の家へ行くのに徒歩十分はかかるのではないかというほど間隔が空いている。


 おまけに放牧されている牛の姿も見られ、私たちは驚きの声を上げた。呑気に草を食む肉牛たちは見ていてとても癒されるが、それはさすがに俵山でさえも、滅多に見られない光景だ。


 一面に広がる田んぼはみな代掻きを終えており、中には既に田植えを終えているところもある。観光バスはそんな長閑な景色の中を進んでいき、山際の大きな宿泊施設へ向かった。


 そして、いよいよ宿泊施設に到着だ。周囲を豊かな緑で囲まれた広い敷地内の中には、学校の校舎にも似た雰囲気を持つ宿泊棟があり、キャンプ場も隣接している。キャンプ場ではテントを張ることができるのはもちろん、コテージも複数ある。今はまだ寒い時期なので、私たちはコテージを利用することになっているらしい。三泊二日の宿泊研修のうち、一晩は施設で寝泊まりし、もう一晩はコテージに宿泊、という形だ。


 キャンプ場には他にも、炊事場やかまどスペースなどもある。今日はここでカレーライスを作る予定になっている。


 他にもトイレやシャワー棟など、ごく一般的なキャンプ場施設は一通りそろっているが、中でも特に珍しい施設がある。それは、魚の掴み取りができるという人工池だ。


 そこでは、事前に放流された養殖もののイワナやヤマメの掴み取りを体験することができ、獲った魚は炊事場にあるかまどで串焼きにすることもできるらしい。そのための魚の捌き方や串打ちの仕方を勉強するのも、今回の研修の一環だ。


 宿泊施設に到着し、バスを降りた私たちは、さっそく一か所に集められた。そして、施設長の挨拶を聞き、学年主任の先生の注意事項に耳を傾けた後、さっそくお昼ご飯を取ることになる。


 昼食の内容は、それぞれ持参した弁当だ。施設の中には芝生の生えた広いレジャースペースもあり、それぞれ班ごとに分かれて弁当を広げる。天気が良く、気持ちがいい。芝生はふかふかで、爽やかな風が吹き抜けていく。


 ただ、男鹿と悠衣はやはり互いにあまり言葉を交わさなかった。少しずつ、元の雰囲気に戻っているとは思うのだけど。


 昼休みが終わったあと、虹ヶ丘高校の生徒は再び集合し、それぞれ施設の中を移動することになった。


 虹ヶ丘高校の一年はA組からE組まで全部で五つの組が存在するが、みな一斉に同じスケジュールをこなしていくわけではない。それではさすがに人数が多すぎて、収容しきれない施設が出てきてしまう。


 そのため、五つの組を二つほどの大きなグループに分け、それぞれ別の行事を体験させ、それを途中でごっそり交換させるという方法を取るようだ。だから、経験するイベントは同じだが、順序が違う。そうやって回していくのが伝統らしい。


 因みに、私たちB組のスケジュールは、A組とは別々だ。だから宿泊研修の期間中に、私たちと森本杏奈とその一味と接触することは、ほぼないだろう。その事を知り、私は大いに安心した。この間のこともあるし、彼女たちにこれ以上、私たちの日常を引っ掻き回されたくない。


 私たちB組は、まず川魚の掴み取りを体験することになった。


 現場となる人工池は、天然の川をうまく利用して作られてあった。床はコンクリートで固めてあるものの、池を囲む岩は天然のものをそのまま利用してあるので、安全性と自然さが上手く両立していると思う。


 川の上流と下流に柵と網が敷いてあって、魚が逃げられないようになっているのだ。


 まず、地元で養殖業をしているという男性職員さんから、様々な講義を受けた。男性職員さんはヤマメやイワナの違いやそれぞれの生態、種類、地元における川魚の養殖の歴史などを、私たちにも分かりやすいように丁寧に教えてくれる。それから実際に川魚の掴み取りの仕方やその際の注意点、更に魚の捌き方などのレクチャーを受けた。


 それから、実際に掴み取り体験へ突入だ。生徒たちはジャージのズボンの裾をまくし上げ、慎重に人工池へと足を踏み入れていく。


 池には既に魚が放流されていて、時おり陽の光を受けた魚影がきらきらと鮮やかな光を放つのが見えた。水の深さはそれほどではなく、ちょうど足首までくらいだ。傾斜が緩やかで、足場は安定しているとはいえ、水は川の水がそのまま流れている。そのためか、澄み切っていてとてもきれいだけど、飛び上がるほど冷たいらしい。あちこちで、「冷たっ!」とか、「ヒンヤリするー‼」とか、悲鳴にも似た歓声が上がる。


 でもみんな、心から嫌がっているわけではなく、とても楽しそうだ。


 クラスメートたちはみな、続々と人工池に入っていく。男鹿は一応、足の怪我が治っていないので、岸で見学をすることにするらしい。私と悠衣、そして入江も靴と靴下を脱いで、人工池に足を浸した。その瞬間、入江や悠衣は弾んだ声を上げる。 


「うひゃあ、つっめてー!」 


「すごい水がきれいだね。このまま飲めそう! でも、確かに冷たい……!」


 ……確かにこれは冷たい。本当の本当に冷たい。でも、気持ちのいい冷たさだ。今日は快晴で気温が結構高いから、水が冷たくても辛くはない。転ばないようにそろそろと歩いていると、足首と足首の間を魚がさっと掠めていく。


「魚、いっぱいいるな。しかも、めちゃくちゃすばしっこいぞ。本当にこれ、素手で掴めるのか?」


 私は前屈みになって両手を構え、魚の動きを追う。悠衣も全く同じポーズになって、先ほど受けた講習の内容を繰り返した。


「ええと……確か、岩場とかの狭い場所に追い詰めるんだよね。それから一気に掴みかかるといいって、養殖所の人が言っていた」


「岩場といったって、魚はビュンビュン泳いでるし、まず追い詰めるまでが大変そうだな……」


「やっぱあれじゃね? 脅かせばびっくりして逃げていくんじゃね?」


 入江はそう言うと、水をバシャバシャと豪快に蹴り上げた。水飛沫が派手に舞い、それが周囲にいた私たちや他の生徒にも容赦なくかかる。途端に方々から、ギャーッと悲鳴が上がった。私と悠衣も、口々に入江へ抗議をする。


「ちょっと、入江! 冷たいってば!」


「お前~、何っっって迷惑な奴なんだ!! 暴れるならもっと離れた場所にしろ!」


 すると、さすがの入江も肩を竦め、バツの悪そうな顔になった。入江の履いているジャージのズボンは、今やすっかり川の水で濡れそぼっている。そりゃ、あれだけ暴れ回ったんだ。当然の結果だろう。しかし当の入江は、全くめげた様子がない。


「わ、悪かったって! ……でも、ほら見ろよ。魚は隅っこの方へ逃げてくぞ!」


「あ、ほんとだ……」


「まあ、あれだけ派手にバシャバシャやれば、誰でもびっくりするよな」


「この調子で、ガンガン捕まえようぜ!」


 生徒たちはみな、めいめい分かれて魚取りに熱中する。みんな揃って中腰になり、テスト期間ですら見たことのない真剣な表情で水中を睨み付ける。その視線の先では、鱗を陽光で反射させながら、すいすいと気持ちよく泳ぐ魚たち。


 暫くすると、「やったあ、獲れた!」とか、「魚、めっちゃヌルヌルするー!」と、あちこちで歓声が上がり始めた。早くも魚を捕獲した生徒たちは、おっかなびっくりでそれでも嬉しそうに、ピチピチしている魚を掴んでいる。未だ収穫ゼロの生徒たちはそれを目にし、我も我もと再び水中との睨めっこだ。


 因みに私はと言うと、魚に触れる事すら困難という、極めて厳しい状態だった。バレーの授業で惨憺たる結果を叩き出した私が、魚の掴み取りで急遽、才能に開花するはずもない。


 ……いいんだ、別に。私には他に重要な目的があるんだから。


 改めて周囲を見渡すと、生徒はみんなめいめい勝手に動いている。中にはトイレに行ったり、体が冷えて日向で温まる生徒もいるので、意外と岸に上がっている生徒も多く見られた。


 これだったら、男鹿と悠衣がどこかで二人きりになったとしても、気に留める者はいないだろう。まさに好機(チャンス)到来だ。


(さて、どうしようか。一番、手っ取り早いのは、悠衣と男鹿にそれぞれ同じ用事を別々に頼み、故意に鉢合わせさせるという方法だな。古典的な方法だから、うまくいくかどうかは分からないけど……)


 ともかく、入江を巻き込んで協力を仰がなければ。私はさっそく入江に声をかけようと、その姿を探す。ところが、入江は掴み取りを思う存分堪能していて、それどころではないのだった。


「うおっしゃー、一匹ゲット!! 見て見て、姫崎! けっこう大きくね!? おおーい、男鹿! お前も来いよ! 水の中に入るだけだったら、大丈夫だって!!」

 

 入江の表情は生き生きと輝いていて、多分クラスの誰よりも、川魚の掴み取りを楽しんでいる。おまけにキラキラとした木漏れ日が魚を掴んで喜ぶ入江の姿を照らしていて、その様は完全に青春漫画の一ページだ。


 いやいや、待て待て。青春を謳歌する前に、私たちにはやらなければならないことがあるだろうが!


(あ……あいつ、絶対に仲直り作戦のこと忘れてるだろ!!)


 そりゃあ、入江にだってこの宿泊研修を楽しむ権利はある。だから、もし仲直り作戦の事をきれいさっぱり忘れてしまって、はしゃぎまくっていたとしても、私にはそれを責める権利など微塵もない。そう、理屈では分かっているのだ。理屈では。


(それにしたって普通、こんなにケロッと完全忘却できるもんか!? 小学生男子でも、もう少ししっかりしとるわ!)


 ただ、悪いことばかりでもなかった。入江のテンションの高さに引き摺られてか、悠衣も楽しそうにしているからだ。


 おまけに男鹿も入江に誘われてか、右足の包帯と湿布を取ると、人工池の中に入って来た。数週間前に打撲したその右足は、今や殆ど腫れているようには見えない。そもそも切り傷などのように傷口が開いているわけではないのだし、本人もほぼ治りかけだというから、水に入るだけなら問題はないだろう。魚の掴み取りをするのはさすがに無理だろうが、掴み取りの空気を楽しむことはできる。


 悠衣と男鹿は未だにぎこちないが、無邪気な入江がちょうどいい緩衝材になっているのだ。


(まあ、入江は入江で、いろいろ考えてる……のか? いや多分、何も考えてないな、あれは。でも、そういうのが功を奏す時もあるのかもしれない)


 それに、宿泊研修はまだまだ始まったばかりだ。今やっている魚の掴み取りが終わったあとは、コテージに入って部屋の備品の確認をすることになっている。それから休憩をした後、炊事場で夕食のカレーライスづくりに取り掛かる予定だ。そして明日も、イベントが目白押しとなっている。


 チャンスはまだあるのだから、焦ることはない。私もそう切り替え、みんなと掴み取りを楽しんでしまうことにした。


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