第24話 恐怖の説教部屋
「は……はい……」
蒼司から忠告を受けた森本杏奈の友人は、蒼白になってしどろもどろになり、小さな声でそう答えた。私や悠衣に喧嘩を売っていた時の威勢は、今や全く残っていない。
蒼司はそれに構う様子もなく、周囲の生徒たちに向かって大声で告げた。
「はい、みんなも解散! 部活がある人は部活へ、そうでない人は下校しようね」
その号令で、野次馬たちも悪い魔法が解けたかのように、一斉に動き始める。部活棟へ向かう者、帰宅の途に就く者。
森本杏奈たちも、すっかり興が削がれたような表情で、そそくさと廊下を後にした。
私としては、騒動を起こしたことにせめて謝罪しろと思わずにはいられなかったが、これ以上ここに留まられても悠衣や男鹿は迷惑なだけだろう。むしろ二人とも、ようやく森本杏奈一味がいなくなってほっとした表情をしている。
まったく、存在するだけでストレスだなんて、どんだけ迷惑な奴らなんだ。もう二度と関わり合いになりたくない。
それにしても、森本杏奈はこれからどのように打って出るのだろうか。しつこく男鹿や悠衣に付きまとうのか、それともこのまま諦めるのか。
ただ、男鹿がみなの前で悠衣をはっきりと庇った事で、森本杏奈も男鹿には全く脈なしと悟っただろう。むしろたっぷり恥をかかされ、向こうもこれ以上、私たちとは関わりたくないと思っているに違いない。
実際に去り際の彼女は、そういった諦めとも取れる表情をしていた。もっとも、本心ではどう思っているか分からないが。
片や悠衣は、もはや森本杏奈たちの方など一顧だにせず、慌てて蒼司へ訴え出る。
「月宮先生、待ってください! 男鹿は……男鹿くんは悪くないんです!」
「姫崎……」
けれど蒼司は、無情にもそれを却下するのだった。
「そうは言っても、彼が他の生徒に手を出したのは事実だからね。僕はそれを見ちゃったわけだし、教師としては、このまま見過ごすわけにはいかないな」
「で、でも……!」
なおも食い下がろうとする悠衣に、今度は男鹿が静かに告げる。
「気にすんな、姫崎。俺がやったことだ。俺が責を負うのは当然のことだ」
「男鹿……」
私としても、男鹿が連れて行かれるのにはとても納得ができない。そもそもの発端は森本杏奈なのだし、男鹿の怒りももっともだと思うからだ。
どういった過去を持った相手であれ、『尻軽ビッチ』呼ばわりするなんて、暴力を振るう事と同じくらい許されない事だと思う。悠衣に恋愛感情を抱いていることを差し引いても、男鹿の言った事は正しいではないか。
でも、男鹿が手を出してしまった事は事実で、蒼司としてはそれを目撃してしまった以上、教育的指導という教師の本分を果たさなければならないのだろう。
肩を落とし松葉杖を突いて歩く男鹿と、後ろから二人分の鞄を抱えて付いて行く入江。蒼司はその二人を連れて、三階の廊下を立ち去っていく。私と悠衣は廊下に立ち尽くし、その一同を見送った。
悠衣はとても心苦しそうだった。男鹿のことはもちろん心配だろうが、同時に自分を激しく責めている。こんなことになってしまったのは、自分にも責任があると思っているのだろう。私はそんな悠衣を少しでも励まそうと、声をかけた。
「大丈夫だ、悠衣。月宮先生なら多分、頭ごなしに怒鳴り付けたりとか、意味不明な罰を与えたりなんてことはしない」
というか、あの蒼司が教師らしい務めを果たすところは、良くも悪くも想像できなかった。蒼司が男鹿に対してどういった説教をするつもりなのか。正直なところ、私が誰かに教えて欲しいくらいだ。
「うん……きっと、そうだよね……」
悠衣は明らかに元気がなかった。蒼司が助けに入ってくれたとは言え、この結末は悠衣にとって耐え難いものであるに違いない。
既に廊下に集まっていた多くの野次馬は解散し、辺りは閑散としている。もう誰も、私たちには注目もしていない。彼らにとって先ほどの出来事は、日々の退屈を紛らわす一時のお祭り騒ぎでしかないのだろう。
それはそうだ。みな他人のスキャンダルより自分の高校生活を充実させる方が、よほど大事だろうから。
その理屈は分かっているのだが、先ほどの騒ぎがまるで、何かの悪い夢を見せられたかのように思えてくる。
本当に、先ほどまでのバカ騒ぎは何だったのだろう。……何ていうか、すごく、虚しい。
私たちは何となく美術部に顔を出す気になれず、そのまま下校することにした。
私は悠衣を下足場に残すと、一人で美術室へ向かい、望月部長に部活を休む旨を伝える。そして再び戻ると、悠衣から下足場で男鹿を待ちたいと頼まれる。悠衣は男鹿の事を巻き込んでしまったという負い目を感じている。だから直接、謝りたいのだ。
そこで、私と悠衣は一緒に下足場のそばにある中庭のベンチに座って、男鹿がやって来るのを待つことにした。しばらく互いに無言だったが、やがて悠衣が小さくぽつりと呟いた。
「……森本さんはすごいよね。あんな風に、大勢の人に囲まれていても、自分の気持ちをはっきり口にできるなんて。あたしにはとても真似できないよ」
「そうか? あんなのの真似なんて、別にしなくてもいいと思うが……」
悠衣をあまり刺激したくなかったから控えめな表現になってしまったが、むしろあんなのの真似なんかやめてくれ、というのが私の本音だった。私は森本杏奈より今の悠衣の方が好きだ。悠衣は悠衣のままでいいと思うし、トラウマを克服するというならまだしも、無理して斜めった方向に変わらなくていいと思う。
(そもそもあのお嬢さんは、見かけ以上に神経が図太くて、思い上がりも甚だしく、その上かなりの策士だぞ。自分が可愛くて男子に人気がある事もちゃんと知ってるし、それを最大限に利用して生きてるし)
つまり端的に言うと、腹黒くて性格が悪い、という事だ。見た目の可愛らしさからとてもそうは見えないのだが、彼女はおそらく、その事すらも織り込み済みで行動している。狡猾だし、ある意味で非常に性質が悪いとも言えるだろう。好きか嫌いかで言うなら間違いなく嫌いだし、出来得る限り関わり合いになりたくない。それが私の偽らざる本音だ。
もっとも、私にはその生き方を非難する資格はないし、するつもりもない。私の友達――悠衣や男鹿に害の及ばないところで、好きなだけその才能を生かせばいいと思う。もし再び彼女たちが悠衣や男鹿に手を出そうというなら、その時は徹底的に戦ってやるつもりだが。
(やっぱ、最終兵器はアシナガグモで決定だな)
あのやたら足が長くてデカい蜘蛛なら、わざわざ家の裏手にある林の中まで行かなくとも、使っていない離れの軒先に巣を作ってぶら下がっている。入手するのは超簡単だ。私は心の中で、決意の拳を握りしめたのだった。
翻って悠衣はというと、それっきり再び黙ってしまった。そこで、今度は私が話かけてみることにする。
「……。悠衣は、本当に男鹿に告白することを、一度も考えたことはないのか?」
「告白なんて……あたしは、ただ……」
「あ、いや。告白をすべきとか、そういう事を言っているんじゃないんだ。そんなこと、私がどうこう言う筋合いのものでもないしな。ただ、悠衣はずっと男鹿に告白はしないって言い続けていたから……それはどうしてなのかと思ったんだ。だって……私にはどうしても、悠衣が男鹿の事を何とも思っていないようには見えないから……」
すると、悠衣は躊躇うような間を見せた後に、少しずつ話し始めた。
「最初は……最初はね。男鹿の意思を尊重すべきだと思ったの。男鹿が森本さんとつき合いたいなら、そうしたらいいって。だからそのためにも、あたしは出しゃばるべきじゃないって思ったの。だって、もし男鹿が交際を選ぶなら、あたしの存在は邪魔でしかないでしょ? だから白黒つくまでは、男鹿と距離を取ることにしたの」
「そうだったのか……。男鹿のためを考えて、敢えて素っ気なく振舞っていたんだな」
「自分では、そう思ってた。だから、正しいことをしてると思ってたの。あたしは、男鹿のために冷たくしてるんだから、男鹿がどう思おうと、きっと許されるって。……でも、違った。そんなの、自分が傷つかないための言い訳だよ。だって、あたしが男鹿の事を好きなのは、否定しようのない事実なんだから……!
森本さんはすごい可愛いし、男鹿が森本さんとつき合うことを選んだとしても、全然おかしくない。もし本当にそんなことになったら……きっとあたし、立ち直れないよ。でも、自分から身を引いたんだと思えば、多少なりとも失恋のダメージが抑えられる。ズタズタになった自分のプライドを、どうにか保つことができる。あたしは多分、そういう浅ましいことを考えてたの」
「浅ましいって……別にそんなこと……」
「だって……だって、男鹿が森本さんに『つき合うつもりは無い』って言った時、あたしすごくほっとした。男鹿があたしを庇ってくれた時、自分でもびっくりするくらい嬉しかった……! あたしは自分勝手に男鹿を振り回した挙句、森本さんとの喧嘩にまで巻き込んだのに……ほんとにサイテーだよね……!」
悠衣は驚くほど強い言葉で自分自身を罵った。強い緊張を強いられる日々が続いたからだろう、疲れ果てた目元には涙が溢れ、どうしようもなく悠衣の頬を滴り落ちる。
私はどう声をかけていいか分からず、狼狽えるばかりだった。ただ一つ分かるのは、悠衣の言う事は半分、間違っているという事だ。
この一連の騒動の原因は悠衣ではない。間違いなく森本杏奈だ。彼女が男鹿と悠衣を、チープな恋愛劇場に巻き込んだのだ。主演・自分、演出・自分、脚本・自分、監督・自分。全て森本杏奈が自己陶酔に浸るためだけの、誰も幸せになどしない、はた迷惑な茶番劇。
森本杏奈は男鹿との恋愛模様をつぶさにSNS上で発信していたらしい。告白した時の状況だけでなく、B組に通い詰めていること、どれだけ男鹿を想っているか、自分の恋愛がどれだけ素晴らしいか、それらを全てを日記のように情緒たっぷりに記して公開していた。……らしい。
私はそれを見たことはなく人づてに存在を聞いただけだから、詳しくは何が書かれていたのかは知らないし知るつもりもない。ただ、そういった行為自体は別に責められる類のものでもないと思う。SNSの使い方なんて、人それぞれだろうから。
許せないのは、森本杏奈がその恋愛劇場に登場する悪役に、悠衣を選んだことだ。
森本杏奈は悠衣を学校の廊下で公開処刑にし、しかもその上で勝利を収めるつもりでいた。悠衣を大勢の前で叩きのめすことで、男鹿の目を覚まさせるつもりだったのだ。そんな事で男鹿が森本杏奈のことを好きになる筈もないが、彼女にとっては勝算のある計画だったのだろう。だからこそ、あれほど大胆な手に打って出たのだ。
もし失敗すれば、自身が被るイメージダウンも相当なものだが、そんな事も考えられないほど舞い上がっていたのか……もしくは、取り巻きに唆され、すっかりその気になってしまったのかもしれない。「姫崎なんて格下の子に好きな人を取られるなんて、あり得ないよ。杏奈なら絶対に勝てるって!」――と。
まったくもって迷惑千万である上に、思い上がりも甚だしい話だ。そもそも森本杏奈は男鹿のことだって蔑ろにしてるし、終始、自分のことしか考えていない。単に本人がその事に気づいていないだけだ。今回の騒動で『浅ましい』人物がいるとするなら、それは決して悠衣ではなく、確実に森本杏奈だろう。少なくとも私はそう思う。
だから、悠衣が自分を責める必要はないんだ。私はそう言いたくて仕方がなかった。悠衣にだって過失はあったかもだけど、それよりもっと非難されるべき人間は他にいる。
けれど、それを実際に告げたところで、今の悠衣には意味などない事も分かっていた。悠衣は多分、自分が自覚している以上に動揺し混乱している。私が冷静に諭したところで、それに耳を貸す余裕があるとも思えないし、説得の効果があるとは思えない。
(男鹿の方は蒼司が上手くフォローしてくれてると思うけど……どうなったんだろうか?)
気になって中庭から職員室の方を窺うが、窓の向こうは静まり返っていて、特に大きな動きは見られない。職員室は広いので、男鹿や蒼司がどこにいるのか、中庭からでは分からない。
(……そもそもあいつに、教師の役目がちゃんと務まるのか? 蒼司のことだから、『若いうちはどんどん女性とつき合いなさい。恋愛は経験値が大事だよ』とか、そういうズレた類のアドバイスをしてるんじゃないよな? ……そういえば、あいつ昼休憩の時に、男鹿に対してやたらと敵愾心を見せていたな。まさかとは思うが……いや、本当に大丈夫だよな!? 考えれば考えるほど、不安だ……! 不安すぎる!!)
今更ながらに、蒼司と男鹿を一緒に行かせてしまった事を後悔していると、暫くしてその男鹿がようやく下足場に現れた。相変わらず松葉杖を突いていて、そばには入江も一緒だ。
「男鹿……!」
私が呟くと、悠衣は、はっとして弾かれたように立ち上がる。そして、男鹿や入江の元へ駆け寄った。
「お……男鹿、大丈夫だった……? あの……あたし……本当に、ごめ……」
すると、男鹿は悠衣の謝罪を遮るようにして言葉を挟む。
「謝んなよ。俺はただ、俺のしたいようにしただけだ。姫崎が謝る事じゃない」
「で、でも……!」
「……俺、今日はもう帰るわ」
そう言って男鹿は一方的に会話を切り上げた。まるでこれ以上、悠衣とは話などしたくないというかのように。その上、男鹿は拒絶するように悠衣の視線を避け、さっさと靴を履き替えると、松葉杖を突きながら下足場を後にしてしまう。ぎこちなく歩くその後ろ姿は、明らかに疲れが滲んでいた。
男鹿は足を打撲してからも熱心にサッカー部へ顔を出していたから、その部活を休んでさっさと帰ってしまうなんて余程のことだ。悠衣は拒絶されたショックも相まってか、呆然と立ち尽くし、男鹿の後ろ姿を見送っている。
私は男鹿の後を追って下校しようとする入江を慌てて捕まえ、小声で問い詰めた。
「おい、入江。ちょっと待て! 蒼……じゃなくて、月宮先生は男鹿にどんな話をしたんだ?」
ところが、勢い込んで尋ねる私とは対照的に、入江は素っ気なく答える。
「知らねーよ。俺、準備室の外で待ってただけだし」
「準備室……?」
「そ。美術準備室」
「月宮先生は職員室に行くって言ってたぞ。いつの間に、美術準備室が説教部屋になったんだ!?」
「だから、知らねーって。ただ、職員室へ行く途中、月宮先生の方から言い出したんだ。話をするなら、美術準備室の方がいいって」
私は、蒼司が男鹿に『今度、美術室に遊びにおいでよ』と言っていたことを思い出した。しかも明らかに何かを企んでいるような、とっても邪悪な笑顔で。
(まさかとは思うが……他の先生たちの目の届かない美術準備室で男鹿をからかったとか、いたぶったとか……そういうわけじゃないよな!?)
そうだとしたら、男鹿のあの疲れ具合も納得がいく。ただでさえ廊下でのゴタゴタで精神的に疲れていただろうに、蒼司がトドメを差してしまったのではないか。いや、きっとそうに違いない。蒼司ならやりかねない!
(蒼司のやつ、帰ったらとっちめてやる!!)
「じゃあ、また明日な」と言い残し、男鹿の後を追う入江を見送ると、私は心の中でそう拳を振り上げた。普段から体力的にも精神的にもしっかりしていて、忍耐強くもある男鹿を、ああも疲れさせるだなんて。あいつは一体、何をやらかしたんだ?
蒼司はどうも宇宙人なところがあるし、ひょっとすると故意に男鹿に危害を加える意図はなかったのかもしれない。でも、たとえ蒼司本人に悪気が無くても、駄目なものは駄目だと言っておかなければ。
鼻息を荒くする私だったが、その一方で、悠衣は男鹿の素っ気ない態度にひどくショックを受けたらしく、呆然として突っ立っていた。
その力なく見開かれた瞳は、いつまでも男鹿の背中を追っていたのだった。




