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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第23話 助っ人登場

「ともかく、その事で姫崎を巻き込むのだけはやめて欲しい。俺と姫崎は、本当に森本さんが想像しているような関係じゃないんだ。だから……」


 だが、男鹿が最後まで言い終わらないうちに、二人の取り巻きが金切り声を上げてそれを遮ってしまう。


「な……何よ! 杏奈のことは突き放して、姫崎さんのことは庇うんだ? やっぱり男鹿くん、その子のことが好きなんじゃない!」


「そうだよ、杏奈が可哀想だよ! こんなに健気なのに!!」


 森本杏奈は肩を震わせ、再びポロポロと涙を流す。二人の友人はそれを庇うように、両側から彼女を抱きしめ、背中をさすっている。


 男鹿はそれら一連の反応にひどく戸惑っているようだった。それはそうだろう。森本杏奈らの主張だと、男鹿には交際を受け入れる以外の一切の選択肢は無いという事になってしまう。途方に暮れて当然だ。


 けれど男鹿は、私の後ろで力なく佇んでいる悠衣へと視線を向けると、決然とした表情になった。


「……ごめん。でも、何と言われようと、俺の気持ちは変わらないから。俺は、森本さんのことを良く知ってるわけじゃない。それなのに、告白されたから取り敢えずつき合うなんて、明らかに軽々しいしその場のノリだけって感じだろ。そういう無責任な真似、できるなら俺はしたくない。何ていうか……そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな? 森本さんは十分魅力的だし、森本さんのことをよく理解した上でつき合いたいっていう奴が、絶対にこれから現れるよ」


 そんなに誠意をこめてお断りしなくてもいいのに。男鹿の言葉は、私も呆れてしまうほど真剣でまっすぐだった。その言葉は、野次馬たちの心をも揺さぶったようだ。周りの聴衆たちは、徐々にざわめき始める。


「何だ、森本さんがフラれたって話、本当だったのかよ?」


「しかもその腹いせに、何の関係も無い別の女子へ嫌がらせしたってワケ? うわ、サイテー」


「森本さんって、普段からカワイイってチヤホヤされてるから、何したって許されると思ってるんでしょ」


「姫崎さん、カワイソー。全然、加害者じゃないし、むしろ被害者じゃね?」


 それらの声はこれまでになく、森本杏奈に対して冷淡だった。森本杏奈に対する支持の声と不支持の声は、今のところ半々といったところだろうか。痛み分けだと考えると、とうてい納得がいかないが、今までの圧倒的不利な状況を考えるとずいぶん持ち直した方だ。それもこれも、男鹿の誠意溢れる説得があったからだ。


 やれやれ、これで森本杏奈一味も少しは諦めてくれるだろう。そう考えていたのも束の間、意外なところから声が上がった。周囲を取り囲む生徒の一人が、男鹿を責めるような口調でヤジを飛ばしたのだ。


「っつーか、そんな言い方ないんじゃね? 森本さん、いい子じゃねーかよ!」


 男鹿はそのヤジを飛ばした男子生徒に、首を傾げる。

「ええと……? 誰だ、あんた……?」


「そもそも、森本さんの何がそんなに不満なんだ? そっちの尻軽ビッチよりかは、ずっといいだろ、どう見ても」


 悠衣が再び、びくりと体を強張らせたのが分かった。森本杏奈の口にした悠衣に関する噂は全部、でたらめだ。悠衣が中学生時代、悪意ある同級生に流された嘘なのだ。


 もっとも、その事情を知るものは少なく、いくら悠衣が真面目な生活態度を貫いたとしても、悪い噂の方を信じてしまう者が出てくるのは仕方のないことなのかもしれない。


 許せないのは、森本杏奈とその取り巻きだ。悠衣はせっかく過去を振り払って新たな人生を歩もうとしているのに。このような場で、まるで悠衣の罪を暴くかのように、大勢の前で噂の中身を披露した。どんな理由があろうと、例え悪意のない思い込みが原因だろうと、とうてい許せるものではない。


 すぐに、悠衣の潔白を証明しなければ。周囲の者たちが信用しないというのであれば、信じるまで何度でも言い続けてやる。


 しかし、実際に声を挙げたのは私ではなく、男鹿だった。


「……今、何つった?」


「男鹿……!?」


 男鹿は、普段の穏やかな彼からすると、信じられないような険悪な表情を浮かべていた。声も低く、まるで大型の番犬が空き巣に向かって呻るみたいな声音だ。


 みながぎょっとした視線を向ける中、それでも男鹿の怒りは収まらなかった。声を上げた男子を睨み付けると、彼に向かってつかつかと歩み寄り、躊躇なく両手でその胸倉に掴みかかったのだ。


 主を失った松葉杖が、カランと硬質な音を立て廊下の床に転がる。


「あ、おい!」


 入江が慌てて男鹿を止めようとするが、自分と男鹿、二人分の鞄を抱えているため動きが鈍く、間に合わない。


「い、痛ぇな! 何するんだよ!?」


 悠衣のことを尻軽ビッチ呼ばわりした男子は、男鹿に向かって非難の言葉を口にしたものの、その声は完全に上擦っていた。心なしか、怯えているようにも聞こえる。対する男鹿は、手加減することなく激しい怒りを彼にぶつけた。


「お前こそ、いい加減な事を言うな! 姫崎のどこが尻軽ビッチなんだ!? お前が姫崎の何を知ってるっていうんだ!!」 


「は、放せよ! 俺はただ、聞いたことをそのまま言っただけで……!!」


「聞いたことをそのまま言っただけ……? ふざけんな! お前らのような奴らがいるから、何度でも同じことが繰り返されるんだ!! お前のそのちょっとした言葉が、悪意ある嘘を拡散させてしまうと分からないか? それが相手をどれだけ傷つけるか考えたことあるか!? それとも、悪気が無いんだから仕方ない、自分は悪くないとでも言うつもりか!? いいか、何度でも言うぞ! 適当な又聞きで勝手にイメージ膨らませて、決めつけてんじゃねえ!! これ以上、姫崎を追い詰めるようなら、俺が許さねえからな!!」


 男鹿は足の打撲など全く感じさせず、男子の胸倉を力一杯に掴んで締め付ける。もともと運動神経が良く、細身ながらも筋肉質な体格をしているから、力も強い。掴まれた男子も抵抗を試みているが、男鹿の手を振り切れないでいる。


 かくいう私も、すっかり驚いてしまった。いつもはあんなに温厚で冷静なのに、こんなにも激しい感情が男鹿の仲に眠っていただなんて。でもすぐに、いやそれだけじゃない、と気づいた。


(どう考えても、男鹿はそんなに簡単に怒る性格じゃない。今これほどの怒りを見せているのは、悠衣が絡んでいるからだ! 悠衣を守るために、男鹿は敢えて激昂してるんだ……!!)


 ちらりと視線を転じると、あまりの迫力に森本杏奈一味はすっかり蒼白になっていた。彼女たちも、これほど怒る男鹿を見たのは初めてなのだろう。


 周りの生徒も、男鹿と掴みあっている男子から距離を取り、余計な火の粉を被るまいと警戒する視線を向けている。ことここにいたっても、野次馬たちは何もするつもりがないらしい。


 唯一、私と悠衣だけが慌てて男鹿を止めに入った。


「おい、男鹿! 落ち着けって! お前、足を怪我してんだぞ!?」


「そうだよ! 男鹿、もうやめて! もう……もう、いいから!! あたしのことはいいの! 男鹿に何かあったら、その方が嫌だよ……!」


 私に続いて悠衣が悲痛な声を上げる。しかし男鹿からは、男子の胸元から手を放そうとする気配がない。


「何言ってんだよ、こういう噂を流す奴のせいで、中学の時にどれだけ苦しめられたか……姫崎だって、一日たりとも忘れたことはないだろ! こういう無責任な奴らは、放っておいては駄目なんだ! 少しは痛い目にあわせねえと……いつか飽きるだろう、いつか終わるだろう、いつか分かってくれるだろう、そのいつかを待ってたら潰されるだけだ!」


「男鹿……!」


「中学の時のこと、俺も後悔してることがある。あの時、俺はあまり女子のことに首を突っ込むと、却って話がややこしくなるんじゃないかと思って、敢えて口は出さなかった。下手に表立って庇ったら、姫崎の立場が余計に悪くなるんじゃないかって……。でも、それは間違ってた。もっと戦うべきだったんだ! だって俺も、姫崎が不当な噂を流されたことは、間違ってるってずっと思ってたんだから!!」


 男鹿の怒気に呑まれたのか、廊下はしんと静まり返った。そして、男鹿の叫びを聞いた入江もまた、表情を曇らせ俯くのが目に入る。半分は強い罪悪感を抱いていて、半分は自分自身も傷ついている――そんな表情。


 男鹿や入江、そして悠衣が普段、中学生時代のことを話題にすることはない。それどころか、互いに何もなかったように振舞っている。


 だが、口にしないからと言って、決して忘れたわけではないのだ。中学生の時に経験したいじめのせいで、悠衣が傷つき今もなお引き摺っているのと同じように、男鹿や入江もまた傷ついていたのかもしれない。


 だが、最も傷ついた当人である悠衣を前に、そのようなことを口にするわけにはいかないということも分かっている。だから三人とも、互いに忘れたようなふりをしているだけなのだ。


 あの陰湿ないじめで心から愉快な思いをしていたのは、きっと加害者の二人だけだ。


「……!! もう、いいよ……! その言葉だけで、もう十分だよ……!!」


 悠衣は声を震わせ、男鹿の背後から男子を掴んでいるその腕に縋りついた。だがそれでも、男鹿が手を放す気配はない。男鹿の怒りはそれほど激しいのだ。


 周囲の野次馬たちは全く役に立たないし、私と悠衣が二人がかりで手を放すよう男鹿を説得したところで、効果があるとは思えない。力尽くで引き剥がすなんて、もっと不可能だし。


 一体、どうしたものか。そう困り果てていると、静まり返った廊下に、不意に両手を叩く音が響いた。音のした方へ顔を向けると、私たちをぐるりと取り囲んだ野次馬の向こうに、いつの間にか蒼司の姿がある。


 手を叩く音に気づいた他の生徒たちも、一斉に視線を蒼司へと向ける。当の蒼司は、大勢から注目されてもいっさい動じることなく、さっと割れた野次馬の輪の切れ目を颯爽と通り抜け、こちらへやって来る。


「みんな、廊下で集まって何を騒いでいるのかな? もうとっくに下校の時間は過ぎてるよ?」


「あ……。えっと、これは……」


 この騒ぎの張本人である森本杏奈一味は、とても気まずそうだった。それはそうだろう。おそらく彼女たちも、ここまで事が大きくなるとは思っていなかったに違いない。公衆の面前で適度に悠衣に恥をかかせたら、自分たちまで火傷しないうちに、さっさと切り上げるつもりだったのだろう。


 それなのに、男鹿が登場してきて真相を暴露した挙句、教師までやって来たのだ。状況は完全に彼女たちの想定外の方に転がっている。


 一方、野次馬たちは蒼司の出現を目の当たりにし、無邪気にざわつき始めた。


「え……すっごい、イケメン……! 誰……?」


「うちの高校に、こんなかっこいい先生、いたっけ?」


「確か、美術の先生だよ。最初の頃にいた女性の先生がすぐに産休に入ったから、その代わりに赴任したんだって」


「知らなかった。いいなー、美術かあ。あたしも芸術選択科目、美術にしとけば良かったー」


 注目を浴びることに慣れている蒼司は、どよめく生徒たちに笑顔を振りまいている。そして最後に私の方を振り返り、得意げに小さくウインクをした。私にだけ気づくようにというつもりなのだろう。


 何を調子に乗ってるんだ。普段なら半眼でそう突っ込んでいるところだが、今回ばかりは助かった。蒼司の登場で少し冷静さが戻ってきたのか、男鹿が掴みかかっていた男子の胸元から手を離したからだ。


 蒼司はその男鹿に目を留め、穏やかに口を開く。


「君は男鹿くん……だったよね? どういう理由があれ、喧嘩は良くないよ。一緒に職員室へ行こうか」


「……。はい……」


 蒼司にそう告げられ、男鹿は完全に我を取り戻したようだった。先ほどまでの怒りは鳴りを潜めてしまって、すっかり意気消沈してしまう。


 男鹿は特に問題を起こすような生徒じゃないし、入江みたいに課題を頻繁に忘れたりもしない。教師に呼び出されるなどごく稀だろうから、こんなことになってしまってそれなりにショックを受けているみたいだ。


 そんな男鹿を気遣うように、入江が挙手をする。

「あ、俺も! 俺も一緒に行きます!」


 蒼司は頷いて入江の同行を許可し、次にぐるりと野次馬や森本杏奈たちへ視線を向けた。


「それから……この騒動の首謀者は誰? 一体、何が騒ぎの原因なの?」


 そう問われ、森本杏奈一味のみならず野次馬たちも、みな一斉に沈黙した。名指しして問われないように、全員、視線を俯けたり顔を背けたりしている。輪の外側にいる野次馬たちに至っては、余計な難を被る前にと、こそこそ逃げ出し始めているほどだ。あれだけ森本杏奈たちの企てたショーを楽しんでいたくせに、それを認める気は全くないらしい。


 もちろん、騒ぎを起こした張本人である森本杏奈や二人の友人たちが、進んで申告するはずもなかった。


 対する蒼司はある程度、反応が全くないことを予想していたらしく、さして動じた様子もない。ただ、そこで追及の手を緩めるつもりもないらしく、わずかに語調を尖らせる。


「どうしたの? 黙ってちゃ分からないよ。説明できないの? それとも、人には言えないような、恥知らずな真似をしていたのかな?」


 強い言葉を向けられ、さすがに黙ってやり過ごすことはできないと思ったのだろう。森本杏奈の友人の一人が、反射的に首を振って弁明した。


「い、いえ……何でもないんです! ただ、その……いろいろとあって……本当に何でもないんです!」


 あれだけの事を仕出かしたくせに、今更こそこそとそれを隠すのか。あんなに正義のヒーロー気取りで、悠衣のことを『尻軽ビッチ』呼ばわりまでしたくせに。いざ改めて問い詰められると、ろくに釈明ひとつできないのか。


 そう考えると腹が立って腹が立って仕方がない。ついつい、森本杏奈らの方をじろりと睨んでしまう。それを察したわけでもないだろうが、蒼司も目を細め懐疑的な視線を彼女たちへとむけた。


「ふうん……? まあ、いいけど。もう高校生なんだから、少しは分別のある行動を心がけようね。教師に介入されたくないのなら、尚更、それ相応に振舞わないと。知ってると思うけど、高校は義務教育じゃないんだよ。当然、中学校とは違うんだから、どんな傍若無人も子どものいたずらと片付けてもらえるわけじゃない。……その事を忘れない方がいい」


 先ほどまでの穏やかで優しげな態度とは一転し、蒼司はぞっとするほど冷ややかな口調でそう告げた。言葉こそ柔らかいものの、声音は容赦のない残忍ささえ帯びている。


 蒼司はやたらと端正な顔立ちをしているから、その整った顔で脅しじみた説教をされると、余計にその冷酷さや酷薄さが際立つようだった。


 そう感じたのは私だけではないようで、廊下の空気はすっかり凍りついてしまっている。





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