第5話 話の通じない人
学校の授業が全て終わり、掃除も終わって帰宅時間になった。
私は悠衣やクラスメートに別れを告げると、自転車にまたがって自宅への道を漕ぎだした。
その途中で、ふと学校で悠衣と交わした会話を思い出す。
(そういえば……手帳を買おうかと思ってたんだっけ。悠衣もあったら便利だって言ってたし……文房具店を覗いてみるか)
そして、私は百八十度方向転換すると、来た道を戻り始めた。
虹ヶ丘高校のそばを通る国道を南にずっと下っていくと、JR新陽海駅があり、その新陽海駅の前には、アーケードのある商店街が広がっている。
その中にある、水雲堂という文房具店は、古い店だが品揃えが良く、駅前に行った時にはよく利用していた。
もちろん、手帳もいくつか置いているだろう。自転車を使えば、虹ヶ丘から水雲堂まで十五分ほどだし、寄ってみることにする。
まず、私はJR新陽海駅に向かった。商店街には、自転車を止める場所が無い上、殆どの場所が駐禁になっている。古くて小さい商店街だから、自転車が止めてあったら車や通行人の邪魔になるのだろう。適当な路地裏に停めていたら、見回りのおじさんやおばさんに怒られることもあるくらいだ。
だから、余計なトラブルを防ぐためにも、新陽海駅の駐輪場に自転車を停めるのが一番、無難なのだ。
自転車を駐輪場に停め、それから商店街に戻り、目的地である水雲堂に入る。すると、うちの高校の生徒の他に、星蘭高校や月渡学園の制服を着た生徒の姿もあった。ここはJRの駅前だから、電車通をしている他校の生徒たちも利用するのだろう。
私はまっすぐに、手帳売り場に向かった。それは入口のすぐ脇にあるスペースにあり、便箋や葉書、グリーティングカードの隣に、たくさんの種類の手帳が並べられている。
サラリーマンが持っていそうなゴツいデザインのものから、いかにも女子高生向けといったかわいらしいものまで、種類はさまざまだ。
(おお~、結構いろいろあるんだなあ。どれにしようか……?)
こういう時、何を基準に商品を選ぶか。その人の価値観が出ると思う。センス重視の人は、手帳の表紙が可愛いものやお洒落なものを選ぶだろう。実際、そういう商品もいっぱいある。
でも、私はモノを選ぶ時に、デザイン性はあまり重視しない。そりゃ、お洒落なものの方が、そうでないものよりは良いに決まってる。でも、私にとって重要なのは、それよりも機能性なのだ。
しっかり書き込めるか、使いやすそうか。重要なことを書き込んだ時、一目見て分かりやすい仕様になっているか。そういった事の方が、『カワイイ』よりずっと大事だ。
こんな事を言うと、かわいいもの好きの妹には「オッサン臭い」と言われるのだけど。
(……よし、これにするか)
結局、私が選んだのは、紺色の布地が表紙の、至ってシンプルな手帳だった。ボタンで留めるタイプの留め具がついていて耐久性が高そうだし、ペンを差し込む場所もあり、カードやメモを挟むスペースも充実している。
何より、カレンダーのマスが大きく、書き込んだ予定も見やすそうだ。明るい紺色だから、女性が持っていてもそこまで硬い印象ではない。まさに私の好みに、どストライクだった。
水雲堂で目当ての手帳を購入してから、私は再び新陽海駅の駐輪場へ向かった。
ところがその途中、駅前のロータリーの端っこで、虹ヶ丘の生徒と、星蘭の生徒が併せて三人、もめている場面に出くわした。
事情はよく分からないが、虹ヶ丘の生徒一人を、星蘭の生徒二人が、激しく問い詰めているように見える。
「ん……?」
その時、私はそのもめている集団と、ロータリーを挟んで反対側にいた。何事かと思ってよく見ると、問い詰められている虹ヶ丘の生徒は悠衣だった。
残る二人組――制服から察するに、間違いなく星蘭高校の生徒だが、そちらには全く見覚えが無い。完全に私の知らない顔だ。
悠衣と星蘭の二人がどういう関係なのか分からない。だが、少なくとも悠衣は嫌がっているように見える。俯いていて、表情もひどく強張っているし、いつもの元気で明るい悠衣じゃない。むしろ、私がこれまで見たことの無い悠衣の姿だった。
(悠衣……!)
気づけば、私の足は悠衣たちの方へ向いていた。といっても、ロータリーは湾曲していて、駅を利用する自動車やバスでごった返しているので、悠衣たちの元へ行こうと思ったら大きく迂回しなければならない。私は駅の利用者を避けながら、目的地へ向かった。
三人に近づくにつれ、会話の内容も聞こえてくるようになる。星蘭の二人組は、剣呑に声を張り上げた。
「ふーん……悠衣、あんた虹ヶ丘に行ったって本当だったんだ? 親友のあたしらに、こそこそ隠れてさあ。一体どういうつもり?」
「ホント、ホント! あんた、中学時代、進路の話をした時に言ってたよね? うちらと一緒に星蘭に行くつもりだって。別にいいよ、虹ヶ丘に行くなら行くでさあ。うちらにも、そう言えば良かったじゃん」
「あーあ、傷ついたなー! 友達だと思ってたのにさー。ねえ、理由を聞かせてよ。何で嘘をついてまであたしらを裏切ったワケ?」
「ほんと、マジでムカつくんだけど!」
二人の星蘭の制服を着た女子は、いわゆるギャルという感じのファッションをしていた。髪は明らかに染めてるし、多分、化粧もしてる。お約束というべきか、スカートもめちゃくちゃ短い。さすがに星蘭の生徒も、今時そこまで制服を着崩した生徒はあまり見かけない。だから、何だかひどく浮いて見える。どっちかと言うと、ハロウィンか何かの仮装みたいで滑稽だけど、本人たちはそれでカワイイつもりなんだろう。
だがまあ、そいつらの事はどうでもいい。問題は悠衣だ。悠衣は身を縮め、俯いている。心なしか、怯えているようにも見えた。間違っても、仲の良い知り合いや友達と話しているという雰囲気じゃない。むしろ、カツアゲか何かに巻き込まれているかのようだ。
「べ……別に、裏切ってないし。あたしがどの高校へ行こうと、あたしの勝手でしょ。それより、もう帰りたいんだけど」
悠衣が弱々しい声音で反論すると、星蘭の女子たちは目を吊り上げた。
「はあ? 何言ってんの、あんた? あたしら、わざわざ電車に乗って、この駅まで来たんだよ? それなのに、聞かれたことにも答えずに追い返そうっての?」
「バカじゃないの、死ぬの? っつーかあんた、いつからそんな偉くなったワケ!?」
――そんな事、知らんがな。私は何も言えずにいる悠衣の代わりに、そう内心で突っ込んだ。あんたらが勝手に悠衣に付きまとい、この駅で待ち伏せしてたんじゃないのか。だって悠衣は、あんた達との再会を全く喜んでいないじゃないか。
相手の暴論にさすがの悠衣も納得できなかったらしく、小さな声で反論する。
「そんな……もうあたしは、二人とは関係ないし。放っておいてよ……」
すると星蘭の女子二人は、見るからに不機嫌になって、苛々と喚き散らした。
「……は? 何言ってんだ、テメー? いつからあんた、あたしらにそんな口きけるようになったんだよ? ダセエ制服、着ちゃってさあ!」
「ホント、うちらを無視したり、盾突いたり……マジ、生意気なんですけど。うちらに逆らったら、どうなるか……忘れたわけじゃないよね?」
ドスの効いた脅しに、悠衣はぎょっとした表情をする。
「そ……園ちゃん、浜ちー……何するの……!?」
その声には、明らかに恐怖と怯えが滲んでいた。それを聞いた星蘭の女子二人組は、勝ち誇ったような顔をし、鞄の中へ手を突っ込む。そして手にしたものを見せつけるように、悠衣の眼前へ掲げた。
「じゃーん、これ見なよ。制限機能やフィルタリング機能なしのスマホ。高校生になったから、買い替えたんだ。これで個人情報、流し放題ってわけ。例えば……誰かさんのプロフィールに、セフレ募集とか、パパ活募集中とかのタグをつけてさ!」
セフレにパパ活。どこかで聞いた言葉だ。一方、途端に悠衣は青ざめた。
「や……やめて……! やめてよ……!!」
「何言ってんの? 自業自得でしょ。うちらに逆らうからだよ!」
「あんたもさあ、ホント懲りないよねー。中学時代に何度も経験したじゃん。あたしらの反感を買ったら、嫌な噂を流されるって。それで、噂を信じた同級生から軽蔑されて、ますます居場所がなくなって……マジでウケるし。アホなの? ……まあ、あんたにはそれがお似合いだよ。高校でもその生活が続くってだけの話。安心しなよ、虹ヶ丘の生徒からハブられたら、またあたしらが構ってあげるから」
そして、星蘭の二人組は、ケタケタと声を上げて笑う。
そういう事だったのか。私は歩調を速めた。悠衣にまつわる不愉快な噂は、この二人が流したものだったのだ。悠衣を服従させるために、虚構の噂を作り上げて広めたのだろう。
控えめに見ても、この二人がしたことは人として許されないと思うが、当の本人たちには恐ろしいほど罪悪感が無い。多分この二人は、目の前でもし悠衣が死んだとしても、やはりケラケラ笑っているのだろう。
こんな奴らに関わってしまったこと自体が不幸だとしか思えないが、大抵の中学校は行き先を選べないので、悠衣も避けられなかったのだ。
楽しそうに笑う星蘭の女子を目にし、悠衣は蒼白になって叫んだ。
「や、やめてよ! あたし、今度はちゃんと友達を作るって決めたの! ちゃんとした友達を作って、ちゃんとクラスの皆とも仲良くなって……高校では、ちゃんとした学校生活を送るって決めたの!! だから……だから、お願い。邪魔をしないで! 二人には、迷惑をかけないから……!!」
しかし、星蘭の女子生徒は冷ややかに髪を掻き上げるばかりだった。
「……何それ、ムカつく。あたしらは、ちゃんとした友達じゃないってワケ!?」
「あたしは……あたしは友達だって思ってたよ! 園ちゃんのことも、浜ちーのことも……ずっと友達だって思ってたよ。違うのは二人の方でしょ? 二人は、一度でもあたしのこと、友達だと思ったことあるの!?」
「はあ? 当たり前じゃん」
「うそ! 友達だったら……普通の友達だったら、あんなひどい嘘の噂を流したりしない! みんなに軽蔑されて、孤立するよう差し向けたりなんかしない! 二人は、パシリが欲しかっただけだよ。何でもいう事を聞いてくれる奴隷が欲しかっただけ。あたしは友達なんかじゃなかったし、本当は……きっと、他の誰でも良かったんだよ……!!」
悠衣は肩を上下させた。瞳には涙を溜めている。悠衣にとっては、精一杯の反撃であり、精一杯の懇願だったのだろう。
だが、どれだけ心を籠めようとも、それが通じない相手もいる。星蘭の女子は悠衣の話に心を打たれるどころか、逆にひどく苛立ったようだった。
「……何、ワケ分かんない話してんの? 一人で盛り上がっちゃってさ。キモいんだよ」
「やっぱお前、お仕置きな。マジ、ムカつくし。さっきの個人情報、流しとくわ。さーて、中学の時は学校の中だけだったけど、今度はどこまで噂が広がるかなー? 全国規模、いや世界規模かもね~? あはっ!」
「そ、そんな……! あたし、せっかく……!!」
「せっかく、何? あたしらと別れられると思った? 甘いんだよ、バーカ! お前みたいな便利な玩具、そう簡単に手放すわけないだろ!!」
――その時。
ようやくロータリーを迂回し、反対側までやって来た私は、迷わず悠衣に声をかけた。
「悠衣」
悠衣はまさかそこに私が現れるなどとは、思いもしなかったのだろう。驚いたように目を瞠りながら、慌ててこちらを振り返る。
「り……りっちゃん……!?」
「待たせたな。行こう」
私は待ち合わせにやって来た風を装って、悠衣の手を握る。そして、その場から引き離そうとした。穏便に事を進めるには、それが一番だと思ったからだ。
しかし星蘭の女子たちは、そう簡単に悠衣を解放してはくれなかった。棘のある態度で、私を睨む。
「ちょっと待ちなよ。あんた、何?」
「何って、悠衣の友達だけど」
「友達ぃ? その制服、虹ヶ丘だよね? あんた、知ってんの? 悠衣が中学の時、クラスメートに何て呼ばれてたか」
「浜ちー、やめて!」
悠衣は悲鳴にも似た声を上げるが、星蘭の女子は口元にニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべて、それを完全に無視する。
「セフレ女とか売春女とかさー、他にもいろいろあるけど、そういうのばっかだよ。ひどくね? 超ウケるし! だからこいつ、友達とか一人もいないの!」
そう言って、ギャハギャハと下品に笑う相手に対し、私は静かに尋ねた。
「……。ふーん。それで?」
「それでって……」
「中学は中学だろ。お前らも、もう高校生なんだから、少しは中学の時のことから卒業した方がいいんじゃないか? その制服、星蘭だろ? そこでしっかり新しい友達を作ればいい」
「りっちゃん……」
悠衣の瞳に、涙が盛り上がった。多分、私が星蘭女子の言葉ではなく、悠衣を信じたことが、嬉しいのだろうと思う。それに対し、星蘭女子は明らかにムッとした表情をした。
「はあ? あんたにそんな事、言われる筋合いないんだけど」
こういう手合いは、下手に刺激しない方がいい。何を言ったって、反省や後悔などしないからだ。それどころか、訳の分からない逆恨みをし、粘着してくることすらある。だから、相手にしないのが一番なのだ。
経験上、それは良く分かっていたが、さすがにこの二人が悠衣にしたことを考えると、何か言わずにはいられなかった。
「そっちこそ、どういう筋合いで悠衣を付け回すんだ? 悠衣は虹ヶ丘でごく普通の新しい学校生活を送ってるぞ。お前らがそばにいなくて、むしろ生き生きしてるくらいだ。……お前らこそ、何のつもりで悠衣に接触してきたのか知らないが、分かれた男を追い掛け回す元カノじゃあるまいし、ちょっと未練がましくないか?」
「なっ……!?」
「こいつ……!」
敵意をあらわにする二人を無視し、私は悠衣に言った。
「悠衣、行こう」