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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第22話 不利な対決②

 片や悠衣は、変わらず小刻みに震え青ざめていたが、どうにか気丈に息を一つ吐くと、震える声を押し殺しながら森本杏奈たち一味へ静かに口を開く。


 悠衣も自らの立場の不利を十分に理解しているだろうが、それでもこの理不尽な状況に負けたくないのだろう。


「……好きにしたら? 何度でも言うけど、あたしは男鹿が誰とつき合おうが、邪魔をするつもりは無いし、これまでもした覚えはない。むしろ、本当に何もしていないんだから、いくらあたしを悪者にしたって、男鹿との関係は好転したりしないよ。別の方向に努力した方がいいんじゃない?」


「は……はあ!? この期に及んで、まだ言い逃れするつもり!?」


「……っていうか、もう行ってもいいかな? あたしたち、これから部活動に行かなきゃだし、こんな公開処刑もどきになんて、つき合っていられない」


「何よ、逃げるの!? 卑怯者!!」


 悠衣はその言葉を無視し、森本杏奈たちから顔を背けると、「行こ、りっちゃん」と小さく私に囁き、その場を去ろうとした。


 その瞬間、野次馬の間から「何だ、やっぱり噂は本当なんだ」とか、「そうでなきゃ、逃げたりしないよねー」などという悪意あふれた言葉が漏れ聞こえてくる。


 悠衣にもその言葉は聞こえているだろうが、それでもこれ以上、森本杏奈と衝突しないという選択をしたのだろう。


 何でこっちが悪いみたいな流れになってるんだ。多少、腹は立ったものの、悠衣がそういう選択をしたなら私も異論を挟むつもりはない。森本杏奈をこれでもかと睨み付けてやってから、悠衣の後を追う。


 ところが森本杏奈たちは、そんな悠衣を逃がしはしなかった。


 立ち去ろうとする悠衣に気づき、森本杏奈の取り巻きたちは怒りで顔を歪め、悪鬼のような形相を浮かべると、即座に悠衣の腕を次々と乱暴に掴んだ。そしてあろうことか、二人がかりで掴んだ悠衣の腕を強引に引っ張ったのだ。


 そのせいで、悠衣は大きく体勢を崩した。幸い、抱えていた鞄を落としたくらいで済んだが、下手をすると廊下に転倒して背中や頭を打っていたかもしれない。


 さすがの悠衣も悲鳴を上げ、取り巻きたちの手を振りほどこうとする。


「ちょっ……離して!」

「悠衣!」


 しかし、悠衣がどれだけ悲鳴を上げて抗っても、取り巻きたちは決して手を放そうとはしない。それどころか決して獲物を逃がすまいと、歯を剥いた挙句、目を爛々と光らせている。


「おい、やめろお前ら! 暴力を振るうのか!?」


 私は見かねてそう叫んだが、取り巻き立ちもすっかり頭に血が上ってしまっているらしく、髪を振り乱し、血走った目で噛みついてくるのだった。


「何よ!? だって、こうでもしないと分からないでしょ!?」


「そうよ! 卑怯なことをしてるのはそっちなんだから! 好き放題に杏奈と男鹿くんの関係を搔き回したくせに、このまま逃げ得だなんて、絶対に認めないからね!!」


 案の定というべきか、もはや冷静な会話が成立する段階ではない。多くの野次馬の視線を浴びているのも相まってか、森本杏奈の取り巻き二人はすっかり興奮しきっている。


 このままでは危険だ。悠衣が床に引き摺り倒されてしまう。誰か腕力に自信のある人が助けてくれないかと周囲を見回すが、野次馬は高みの見物を決め込んでいて絶対に関わろうとしないし、森本杏奈に至ってはまるで自分が被害者であるかのように怯えた素振りを見せている。


(一体誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ? 全てはお前のどうでもいい見栄と、浅ましいプライドが招いた事態だろう!)


 彼女の、あまりの厚顔無恥さに、さすがの私もブチぎれそうになった。


 悠衣は好きで逃げ出そうとしたわけじゃない。どれだけひどい仕打ちを受けても、自ら身を引こうとしたのだ。こんな廊下で延々と争っていても、野次馬を喜ばせるだけで何の意味もない。それが分かっているからこそ、歯を食いしばって理不尽な扱いに耐え、森本杏奈との諍いを避けようとしたのだ。


 そんなの、少し考えたら分かるだろうに。


(何が、『逃げ得』だ! 卑怯なのは、一体どっちだ!? 思考回路があまりにも腐りすぎだろ!顔面に一発くらいぶち込んでやったら、少しはまともになるんじゃないか? ショック療法って言葉も、世の中にはあるくらいだしな!)


 もしここが学校でなかったら、森本杏奈を張り倒し、馬乗りになってボコッたついでに、逆さ吊りにして校門前に晒してやりたいくらいだった。


 いや、それでも全く足りてない。全くもって、全然ちっとも物足りない。それくらい、私は腹の底から激怒していた。


 それでも怒りを抑えたのは、悠衣の存在があったからだ。悠衣は青ざめ震えながらも、最後まで冷静に対処しようとしていた。私はその気持ちを汲みたいし、だからこそ今ここで、悠衣を差し置いて私がブチぎれるわけにはいかない。


(そうでなかったら、うちの裏にある林で獲れた、ありとあらゆる昆虫を全部、森本杏奈のブラウスの中に投入してやるのに!!)


 冗談ではなく、私は半ば本気でそう考えていた。実際、小学生の時、いじめっ子男子に似たような仕返しをした事がある。その報復があってから、いじめっ子男子は決して私に手を出してくることがなくなった。むしろ、怯えた野良猫のような目で私を見てくるようにさえなった。


 さすがにちょっとやり過ぎたかと思ったものだが、そういった経緯から効果のほどは実証されている。


(……まあ、最後の手段としては、それもありかもな。ムカデ……は犯罪になるかもしれないから除外するとして、無害なカミキリムシとかゾウムシとかコガネムシとか……クモなんかもいいかもな! デカくて足がすっげー長くて、ウニョウニョしてるヤツがいるんだよな)


 半ば本気でそう考えたものの、私はすぐに、現状はそれどころではないと切り替えた。少なくとも今は、昆虫は手元にないのだし、ともかく悠衣の安全を最優先に確保しなければ。


「おい、もうそろそろ気が済んだだろ! いい加減に悠衣から手を離せ!!」 


 私は、未だ取っ組み合っている悠衣と取り巻きたちの間に強引に体を割り込ませ、取り巻き立ちの手を悠衣から引き剥がした。


 突然、悠衣から手を引き離されたものだから、取り巻きたちは勢い余ってたたらを踏んだが、そんなの私の知ったことじゃない。


 それから、取り巻きたちの手から逃れ、自由になった悠衣を私は自分の後ろへ押しやった。前面に出る格好となった私と睨みあう取り巻きたちは、激しく肩を上下させ、こちらを睨みつけている。


 少しは冷静になったのか、再び手を出してくる気配はない。もっとも、それもいつまで続くかは分からないが。


 とにもかくにも、ようやく一息ついた、その時。周囲を取り囲む野次馬の向こうから、馴染みのある男子生徒の声が聞こえてきた。


「ちょっと悪い、通してくれ!」


(この声は……!)


 人垣をどうにか掻き分け、現れたのは、松葉杖を突いた男鹿だった。そばには入江の姿もある。二人とも、たいてい授業が終わったらすぐにサッカー部の部室棟へ向かうが、今日はまだ校舎の中にいたらしい。


 男鹿は、私や悠衣と森本杏奈の一味が対峙しているそのそばまでやって来て、戸惑った表情で睨みあう両者の顔を交互に見る。


「姫崎!? と、森本さん……? 何やってんだ、こんなところで?」


「お……男鹿くん……!」


 ただならぬ気配を察したのか、男鹿の表情は困惑しつつも険しい。その表情を見て、森本杏奈たち三人の勢いも弱まった。先ほどまで睨み付けていた私たちから視線を逸らし、気まずげに俯いている。彼女らも、男鹿の視線が全く気にならないほど無神経ではないらしい。


 おかげで、一瞬触発だった緊迫した空気も、少しだけ弛緩する。


(森本杏奈を説得できるとしたら、それはきっと男鹿だけだ)


 そんなことを考えていると、男鹿がさっそく私へと視線を向ける。


「結城、これは一体どういうことなんだ?」


 悠衣は先ほどまで掴まれていた恐怖で縮こまっているし、森本杏奈たち三人組はもじもじと視線を逸らせている。だから男鹿は、私に尋ねるしかないと判断したのだろう。せっかくご指名を頂戴したのだ。私は包み隠さず事実を述べさせてもらうことにした。


「いいところへ来たな、男鹿。何とかしてくれ。森本さんが悠衣に対し、恋路の邪魔をしているんじゃないかって、怒っているんだ」


「……!」


 男鹿はそれで、この対立が何を原因としていてどういった経緯で発生したものか、その全てを悟ったらしい。瞬く間に表情を曇らせた。男鹿は多分、この異常な事態を招いたのは自分にも原因があるとすぐに気づいたのだろう。


 一方、森本杏奈はさすがにバツが悪いのか、男鹿から視線を逸らせて小さくなった。悠衣もまた、男鹿の顔を直視せず、視線を俯ける。男鹿へ視線を向けているのは、この修羅場がどうなるのかと好奇心をたぎらせている、周囲の無遠慮な野次馬ばかりだ。


 男鹿はそういった大勢の野次馬の視線に戸惑いを見せながらも、森本杏奈に向かって声をかけた。


「森本さん……俺、何度も言ったよな? 俺は森本さんとつき合うつもりは無い。好意は嬉しいけど……付き合うには俺たち、あまりにも互いの事を知らなさすぎる」


「!! 男鹿くん……!」


 森本杏奈は弾かれたように顔を上げた。どうやら痛く傷ついた様子だ。制服の袖からちょこんと出た小さな手を軽く握り、それをこれまた小さな口元にやって、ウルウルと瞳を揺らす。必要以上に見る者の罪悪感を掻き立てる表情だ。


 男鹿も一瞬だけ言葉を詰まらせたけれど、己を奮い立たせるようにして言葉を続ける。


「それにまだ入学して一か月も経ってないんだし、恋愛よりは生活や勉強に集中したいんだ。だから……悪いけど、君の告白には応えられない」


 そう告げられた途端、森本杏奈は目元に大粒の涙を浮かべた。そしてヒックヒックと、小さな肩を上下させながら、子猫が甘える時のような鼻声まじりの舌足らずな声で訴える。


「わ……わたしとつき合えないのは、姫崎さんがいるせい……? 男鹿くんは、姫崎さんのことが好きだから……!?」


 すると、男鹿は少しだけムッとしたようだった。突き放すような口調で言い返す。


「それは……森本さんとは関係のない話だろ」


「そんな、ひどい……!」


 自分から相手の不興を買うようなことを言ったくせに、いまや森本杏奈は完全に悲劇のヒロイン気取りだ。びくりと体を震わせ、「ひうっ……!」と気味の悪い声を発し、これ見よがしにポロポロと涙を流す。言葉にはせずとも全身で、告白をかたくなに拒む男鹿を責め立てているみたいだった。


 男鹿も私と同じことを感じたのか、眉をひそめる。



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