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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第21話 不利な対決

「ずいぶんと余裕じゃない? やっぱ場数を踏んでる人は違うよね。あんた、中学時代はかなりの遊び人だったそうじゃんか? たくさんの男を手玉に取って、だらしない付き合いをしてきたんでしょ? 男鹿くんのことは騙せても、あたしたちのことは騙せないんだからね!!」


(こいつら……!!)


 私は奥歯をギリギリと噛みしめた。森本杏奈たちは悠衣が中学生時代に流された噂を知っているのだ。


 田舎の世間は狭い。わざわざ悠衣の中学校へ足を運ばなくても、SNSを使えば、そういった情報は容易に手に入る。そうでなくとも、うちのクラスの女子も一部は知っていたみたいだし、そこから森本杏奈たちへ伝わっていてもおかしくはない。


 ただ、大勢の生徒が行きかう廊下である上に、取り囲まれて注目されているこの場面でわざわざそれを暴露するところに、許しがたい悪意を感じる。


 いや、ひょっとすると森本杏奈は悠衣へ恥をかかすために、わざと廊下というシチュエーションを選んだのではないか。だって、悠衣と対決するのが目的であれば、校舎の裏でも良かったはずだ。


 それなのに対決の舞台に、わざわざ下校時間帯の人口密度が極端に高い廊下を選んだのは、明らかに相手を貶め辱めてやろうという悪意があるからとしか思えない。


 一方の悠衣は、案の定、青ざめた。鞄を抱える腕はカタカタと細かく震え、体全体も小さくなって俯いてしまう。


 本当はこんなところで森本杏奈と対峙するなんて嫌だったろうし、逃げ出したかっただろうに、事を大きくしないために、精一杯、平静を装っていたのだ。だがその勢いも、今や跡形もなくなってしまっている。


(悠衣……!)


 廊下でこちらの成り行きを面白そうに眺めている野次馬たちは、ひそひそと互いに囁き交わし始めた。


 彼らの好機の目は主に悠衣へと注がれており、「え、今の話、マジ?」とか、「真面目そうな子なのに……人は見かけによらないねー」などと無責任な言葉が漏れ聞こえてくる。


 森本杏奈の一味たちにもそれが聞こえたのか、勝ち誇ったような表情になった。


 やはり、悠衣を窮地に立たせるため、わざと野次馬にも聞こえるよう大声を出したのだ。こいつら、絶対に許すものか。私は悠衣を庇うようにして身を乗り出してから、声を荒げた。


「おい、お前ら。証拠はあるのか?」


「はあ?」


「お前らの話を裏付ける根拠はちゃんとあるのかと聞いてんだ! ないなら、今ここで撤回し、悠衣に謝罪しろ!! 今、すぐ!!」


 すると、悠衣の噂を暴露した取り巻きの女子は、一転して挙動不審になり、口ごもった。


「な、何でよ!? あたしたちはただ、他の高校の生徒から聞いたことを……!」


「その他校の生徒が、必ずしも本当の事を言っているとは限らないだろ!! 高校生にもなって、そんな事も分からないのか!? 


 そもそも、目を付けた男子に交際を断られたからって、何でそれを悠衣に抗議する? 告白をはっきりと断られたのなら、男鹿は少なくともお前のことを好きじゃないってことだろ! それくらい、直接、言われなくたって分かるだろ!! 


 ……男鹿のことを本当に想っているなら、その時点で大人しく諦めるべきじゃないのか!? お前ら、行動があまりにも自分本位すぎるぞ! 本当に男鹿の事を好きなら、これ以上、しつこく付きまとうな!!」 


 私は敢えて周囲にもよく聞こえるように、はきはきとした口調で大声を張り上げた。こちらの言い分もはっきり主張しておかないと、野次馬に一方的で間違った情報が伝わってしまう。


 そもそもは相手から仕掛けてきたのだから、これくらい仕返したって(バチ)は当たらない。


 すると、それを聞いた野次馬たちの空気が少しだけ変わった。少数ではあるが、森本杏奈たちに対して責めるような視線や、疑うような言葉を向ける者が現れ始めたのだ。森本杏奈たちも、この展開は全く予想していなかったようで、慌てて叫び返す。


「男鹿くんは……男鹿くんはわたしのこと好きじゃないなんて、一言も言ってない! ただ、他に好きな子がいるから、わたしとつき合うわけにはいかないって……そう言ったのよ!! 


 わたしだって……わたしだって、姫崎さんが普通の女子なら、諦めてたかもしれない。男鹿くんと姫崎さんがどこからどう見てもお似合いの素敵なカップルなら、わたしが身を引くこともできた。でも、現実はそうじゃないでしょ!? 姫崎さんは平気で男に媚びて、気に入られるように取り入って……汚らわしいことだって平然と手を染める……!! 好きになった人が、そういうことする不潔な女子を好きだって知ったら、何とかしてあげなきゃって思うのが普通でしょ!?」


「だからそれは、ただの言い掛かりだって……!!」


 私はそう返すが、森本杏奈は私の声を更に上回るようなキンキン声で喚き散らす。


「男鹿くんは姫崎さんの正体に気づいてない! 気づいてたら、絶対にわたしの方を選ぶはずよ!! だからわたしは、姫崎さんの正体を暴いて男鹿くんの目を覚まさせてあげるの! だって、どこからどう見てもわたしの方が、男鹿くんに相応しいんだから!!」


 私は今度こそ言葉を失った。森本杏奈は、どうやら自分が口にしたそのセリフを、心の底から真実だと信じているらしい。


 おまけに、彼女は自分の奥底にある本心に、微塵も気づいていないようだ。自分が男鹿に対し、信じられないほど傲慢で上から目線である事も、悠衣に対しておぞましいほどの侮蔑と蔑視を抱いていることも。


 その両方に、怖ろしいほど気づいていない。


 だからこそ、こうして大勢の衆目の前で悠衣を糾弾してやろうなどと考えついたのだ。自分たちは絶対的に正しい、どこも間違ったところなど無いと信じているからこそ、この馬鹿げた『劇』を大勢の前で披露する気になったのだ。


 そして、そこに下手に善意――と、本人は信じている――が絡んでいるが故に、間違いを指摘し思い直してもらうことなど、ほぼ不可能に近い。だって、彼女たちにとって自分の主張は『正しいこと』であり、『どこも間違ってなどいない』のだから。


 森本杏奈にしてみれば、何でわたしの考えを改めなきゃいけないの、という話だろう。要するに、彼女たちはこちらがどんな主張をしたって通じる相手ではない。


 ――何なんだ、こいつら。私は途方に暮れ、脱力感すら覚えた。


 彼女たちは不確実な情報を、疑うことも調べることもせず鵜呑みにし、自分にとって都合の良い虚構の物語(ストーリー)を作り上げ、それを振りかざして平気で攻撃の道具にしてしまう。


 何でそれで、不当に誰かを傷つけてしまうかもしれないという想像ができないんだ。何で一歩でも立ち止まって、冷静に考え直してみるということができないんだ。何で自分が正義だと、ここまで安直に確信することができるんだ。


 百歩譲って、自分が絶対的正義だと確信を抱くのはまだいい。だがそれを、大勢の前で披露して共感を得、或いは支持してもらおうだなんて、おこがましいにも程があると、なぜ分からない? その偏った正義を守るために、自分の気づいていないところで誰かを踏みつけ不当に苦しめているのだと、どうして気づかない? 


 何も難しいことじゃない。ちょっとだけ視線を変え、自分の足元に目を向ければいいだけだ。その気になれば、誰にだってできる事なのに。


 この強烈な思い込み女・森本杏奈に、どう説明すれば納得を得られるというのか。まるで想像もつかない。絶句していると、ざわざわと周囲の野次馬が騒ぎ出す。


「ねえ……これってつまり、どういうことなの?」


「さあ? こういう場合、どっちが悪いんだろ?」


「よく分かんないけど……森本さんがフラれたのにもかかわらず、告った男子に付きまとってるってのは、何か違うんじゃない? いくら可愛いからって、それはさすがに許されないっていうか……」


「確かにねー。姫崎さんのヤバい噂が本当だってどこにも証拠が無いって、自分で認めてるし、最悪の場合、森本さんサイドがでっち上げた可能性だってあるわけだしさー」


 そういった、悠衣に同情してくれる声も無くはないが、森本杏奈に加勢する声の方が圧倒的に多い。


「いや、一概に森本さんが悪いってわけでもなくね? 森本さんは、好きな男子のためを思って行動しているんだからさ」


「むしろ、彼氏想いのいい子だよなー? 森本さんをふった男子も、アホだろ、アホ! どっからどう見ても森本さんの方が可愛いじゃねーか。なあ?」


「そーそー! 結局はカワイイが正義!」


 はあ? 何でだよ! 私は無責任な野次馬のやり取りにイライラした。カワイイは正義って、それは二次元の話だろ。


 カワイイ女性やカッコイイ男性の主張が正しくて、そうでない男女が間違っているというなら、この世は滅茶苦茶になってしまう。かくいう私だって、決して美男美女のカテゴリーには入らない部類の人間だ。むしろ、珍獣と扱われているくらいだし。


 別にその事を気にしたことはないが、それでも容姿のせいでお前が間違っている、疑わしいなどと決めつけられたら、たまったもんじゃないと腹が立つ。


 でも、悔しいけどそういう価値観の人間は結構いる。彼らにとって、人間は外見が九割――容姿や見た目の印象が何よりも大事なのだ。


 そうでなくとも、森本杏奈は可愛くて性格もいいと、うちのクラスでも評判だ。それはA組でも変わらないだろうし、ひょっとすると他のクラスの中にも彼女の評判を聞きつけている生徒がいるかもしれない。


 事前の印象が圧倒的に勝っているから、私たちが多少、彼女の評判を下げることを言ったところで致命傷にはならない。それどころか、痛くも痒くもないのだ。


 そう考えると、私は歯痒くて悔しくてならなかった。


 この勝負は、対峙した時点で私たちの負けだったのだ。事実なんて、どうでもいい。廊下で待ち伏せされていて、それに気づかなかった時点で、私たちがこういう風に『悪役』になるのは決まっていた。


 意識的なのか、無意識的かは分からないが、森本杏奈もその事に気づいている。彼女は自分が悠衣より圧倒的に優位なポジションに立っていることを自覚していて、それを最大限に武器として利用しているのだ。


 私にとってみれば、自分の評判や容姿を笠に着るなんて、卑怯で姑息な手段だとしか思えないが、森本杏奈は悠衣に勝ちさえすればそんな事はどうでもいいと考えているのだろう。


 しかも自分たちに好意的な野次馬の声を耳にし、今こそが攻め時だとでも思ったのか、森本杏奈の友人のうち残る一人が、私と悠衣に向かって大声を張り上げるのだった。


「と、とにかく! さっさと男鹿くんから離れてよ! 男鹿くんだってあなたみたいな素行不良の尻軽ビッチより、杏奈みたいに性格も素行も良い子が彼女になった方が、ずっと幸せに決まってるじゃない! あなたがしつこく男鹿くんに付きまとっているせいで、杏奈はすっごく傷ついてるんだからね!!」


 取り巻きが発した言葉に感化されたのか、周囲の野次馬のうちかなりの人数が、森本杏奈に対してひどく同情した様子を見せる。


 そのうちの何人かは悠衣に対し咎めるような視線を向け、更には軽蔑の色さえ見せている者もいる。彼らもまた、森本杏奈と同じだ。証拠などどこにも無いのに、悠衣が『素行不良の尻軽ビッチ』だと思い込んでしまっているのだ。


(くそ、この環境は私たちにとって圧倒的に不利だ! 私たちを取り囲んでいる生徒たちの殆どが、森本杏奈の方に同情し、肩入れしてる。でも、かと言ってここで私たちが尻尾を巻いて逃げ出したら、森本杏奈たちの主張が正しいから逃亡したのだと、自ら周囲に印象付けてしまうことになってしまうし……! 進むも地獄、引くも地獄、まさに万事休すじゃないか……!!)

 

 そう考えると、返す返すも初期対応のまずさが悔やまれる。


 どんなにムカついたとしても、私たちは森本杏奈の売ってきた喧嘩を買うべきではなかった。彼女たち三人がどれだけ強固に行く手を塞いだとしても足を止めるべきではなかったし、例え突き飛ばしてでも立ち去るべきだった。


 しかし今となっては、どれだけ後悔しても全て後の祭りだ。森本杏奈は最初から容赦なく悠衣を傷つけるつもりだったろうし、むしろいたぶりたくてウズウズしているくらいだ。


 この様子だと、傷つけられた自らのプライドを埋め合わせ、尚且つ、たっぷりお釣りがくるほどでなければ、とても満足しないだろう。


 それに対し、私たちの取るべき手段はあまりにも少ない。まるで、まな板の鯉になったみたいな気分だった。



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