第18話 本音と本音②
もどかしさが募るあまり、私はつい詰問口調になってしまう。しかし男鹿は、表情を特に変えることも無く、私から視線を逸らす。
「このままでいいと思ってなかったら、何だって言うんだよ? そもそも、俺に決定権はない。結城だって分かってるだろ」
「……。どういう意味だよ?」
「俺は姫崎の事を避けたくて避けてるわけじゃない。別にあいつに対して怒ってるとか嫌になったとか、そういうわけでもないしな。でも……姫崎の方は、明らかに俺を避けてるだろ。あんなに強烈に拒絶されたら……遠ざかる以外にどうすりゃいいってんだ?」
「それはそうだが……でも……!」
「ただ、姫崎が俺の事を怒ってるその理由は、ちゃんと分かってるつもりだよ。あいつは中学生の時にいろいろあったから……噂とか人の目とか、そういうのを異常に警戒するんだ。それなのに、A組の森本さんが俺に告ってきて、それがきっかけで姫崎はクラスの奴らから貰い事故同然に茶化されて……だからその疑念を払しょくするためにも、できるだけ俺から離れようとしてるし、近づくわけにもいかないんだろ」
それを聞いた私は、胸の内で少しほっとした。さすが、悠衣と腐れ縁だと口にするだけのことはあるな、と。
男鹿は冷静に自分の状況を把握しているし、悠衣の気持ちもよく分かっている。決して感情的になっているわけではなく、男鹿なりに判断して行動しているのだ。
そして一方で、だからこそ、それはどうなんだと思う気持ちもある。自分の状況も悠衣の気持ちも全て分かっているなら、この先の展開もある程度、読めているはずだからだ。
このまま空気を読んで何もせずにいたら、膠着状態は永遠に解消しない。その事もまた、男鹿はよく分かっているだろうに。
「でもあれは、A組の女子が勝手にSNSで拡散させたんであって、男鹿が悪いわけじゃないだろ? 男鹿が責められる理由はどこにも無いはずだ! そもそも男鹿は告られて、それをOKしたのか? どうなんだ?」
更に問い詰めると、男鹿は呆れたような視線を私へと向けた。
「お前……えらく他人のプライベートに踏み込んでくるな」
「そりゃ、私だってこんな無神経な真似はしたくないけど……でも、男鹿がOKしたかどうかで話は全然違ってくるじゃないか」
まあぶっちゃけ私も、こんな話をクラスの男子とする日が来るなんて思いもしなかった。あまり行儀の良い行動ではないという事もよく分かっているが、今は状況が状況だ。
私は少しでも、悠衣と男鹿の仲が元に戻るよう手を貸したい。暇つぶしに他人の恋愛事情を詮索してやろうなどという、下衆の勘繰りで行動しているのでは、断じてない。
それは男鹿も察してくれたのか、逡巡する様子は見せたものの、私の問いに答えてくれた。
「……OKしてないよ。するわけないだろ。相手の女子は、向こうから告ってくるまで、俺、名前どころか存在さえ知らなかったんだぜ? そりゃ、告白された時は正直、ちょっと嬉しかったけど……でもだからって、性格はおろか名前もよく知らない相手とつき合うなんてあまりにも無茶な話だろ。どう考えたって長続きするとは思えない。
それに、何も知らないのに可愛いから付き合うとか……相手にも失礼だし」
男鹿らしい判断だな、と私は思った。高校生になったばかりの男子が、学年でも有数の美少女に告白されたのだ。普通はその事実に舞い上がって、つい交際をOKしてしまうこともあるだろう。
実際、渡り廊下で会った時の男鹿は、ぼんやりとしていて夢見心地みたいな様子だった。まさか自分が森本杏奈のような美少女から交際を申し込まれるとは思いもしなかったのだ。
けれど男鹿は、その後、冷静に考えたのだろう。森本杏奈と付き合うべきか否か。そして、真剣に考えたからこそ、森本杏奈とは付き合わないという選択をしたのだ。
「それじゃ、ちゃんと向こうにはお断りしたんだな?」
「したよ。何度もな」
「でも、それならどうして、A組の女子たちは今も頻繁にB組まで通ってくるんだ?」
男鹿の説明は、どうしても現在の状況と噛み合っているとは思えないのだが。私がそう口にすると、男鹿はわずかに声を荒げた。
「そりゃ、こっちが聞きてーよ! 何か知らねえけど、『本気で好きだから簡単に諦められない』とか、『友達から始めて、好きになってくるまで待つ』とか言って、どれだけこっちにその気がないことを説明しても、諦めてくれないんだよ。声をかけられたらその都度、もう来ないでくれって断ってんだけど……」
「何だそりゃ? 男鹿が何度も断ってるのに、あんなに毎日つきまとってるっていうのか、A組の女子たちは? こう言っちゃなんだが……ちょっと悪質じゃないか?」
「そうなのか? 俺だってこういう事には慣れてないし、どうしたらいいのかも分かんねーし。でも、女子である結城がそう言うなら、そうなのかもな」
「まあ、私も人にどうこう言えるほど、経験豊富なわけじゃないが……」
それにしても、森本杏奈は何を考えているのだろう。普通は告白したとしても、きっぱりと断られたら諦めるものではないだろうか。だって、相手は自分のことを好きでも何でもないんだから、そんな状態で強引に付き合ったって虚しいだけだ。
もちろん、どうしても諦められないとか、付き合う中で徐々に好きになるといった事例も世の中にはあることだろう。でも、男鹿には他に好きな人がおり、森本杏奈もそれを知っている。
(だからこそ、毎日あてつけのようにB組にやって来ては、悠衣を睨んでいくわけだしな)
それなのに、森本杏奈は全く引き下がる気配を見せない。あれほどの美少女だ。別に男鹿でなくたって、付き合いたいという男子はそれこそ山のようにいるだろうに。彼女がそれほど男鹿にこだわる理由は何なのだろう。
「……因みに、A組の女子は男鹿のどういうところを好きになったんだ? 普通は告白の際にそういった事も伝えるものだろ」
どうにも腑に落ちなくて新たな質問を繰り出すが、男鹿もまた困ったような顔をして、あやふやな反応をよこすのだった。
「それもピンと来ねーんだよなあ……。何でも、高校に入学してから偶然サッカーをしてた俺を見かけて、つき合ってみたいと思ったらしいぞ」
「何だよそりゃ? それじゃ、サッカー部の部員だったら誰でも良かったって事か? ますますワケが分からん」
「だろ? だから俺も参ってんだよ……」
男鹿にもわけが分からなくて、困り果てているようだ。森本杏奈からそれほどの好意を寄せられる理由に、全く心当たりがないからだろう。
私は、ふと考えこんだ。
今はまだ五月。虹ヶ丘高校に入学してから、一か月とちょっとしか経っていない。A組の女子は、それほどの短期間に男鹿を見初め、交際を申し出てきたのだ。
そんな短期間に、人を好きになることがあるのだろうか。あったとしても、それは一時的な思い込みに過ぎないのではないだろうか。
もし私だったら、一目で気になる人が現れたとしても、少し様子を見ると思う。接近したり話しかけたりくらいはするかもしれないが、突然、告白したりなんて、多分しない。だから、私にはどうしても森本杏奈の言動が理解できない。
(まあ、世の中には一目惚れという言葉もあるし、実際にそれで結婚までしたという話を聞いた事もあるけど……A組の女子にとって、男鹿との出会いはそれほど電撃的で運命的なものだったって事か? あまりそういう風には見えないけど……)
A組の女子に良い印象がないせいか、どうにも意地の悪い見方をしてしまう。彼女は別に男鹿が好きなのではなく、単に彼氏が欲しかっただけではないのか?
晴れて高校に入学したのだ。誰だって一度は、素敵な青春を謳歌したいと願うだろう。私だってそうだった。不安も多少はあったものの、希望に胸を膨らませて虹ヶ丘の校門をくぐったものだ。
素敵な青春――その内容は人によってさまざまだろうが、例えば彼氏が欲しい、彼女と楽しい生活を送りたい、などといった夢を描く者がいたとしてもおかしくはない。というか、むしろ一度はそういったシチュエーションをみな夢見るものなのではないだろうか。
(まあ、私は珍獣だからな。その辺の感覚はよく分からん。……っつーか、マジでさっぱり分からん!)
それはともかく、だ。森本杏奈も高校生になって男子とつき合うことに憧れたのだろう。それこそ、漫画とかドラマみたいに。
彼氏と手を繋いで下校して、お昼を一緒に食べて、家に帰ってSNSで連絡を取りあって、休日は仲良く映画館とかでデートして……そして、みんなからその様子を羨ましがられる。承認欲求の強い者にとっては、まさに夢のようなパラダイス生活だろう。
そして、OKが出易そうな相手を探し求めた結果が、たまたま男鹿だった――という事なのでは?
(こういう言い方はなんだけど、男鹿ってちょうどいいんだよな、いろいろと。極端なイケメンじゃないし、サッカーや勉強も成績は上の方だけど特別優れてるってわけじゃない。あくまで標準内だ。
おまけに爽やかだし、性格も見るからに良さそうだし、容姿もいかにも典型的な男子高校生って感じで……要するに好感度が高いんだよな。大きなプラスも無いけど、マイナスも無い。つき合ってるって周囲に知られても、特に問題がないっていうか……。
むしろ『ああいう男子を選ぶんだ、いい意味で意外!』とか、『ルックスや成績で選んだわけじゃないのか、しっかりしてるな』って評価される……みたいな?)
俵山は田舎だ。都会では、誰とつき合い誰と恋愛するかは自由なのかもしれないが、こういった田舎ではそうもいかないのが現実だ。
交際のお相手から受ける印象次第で、本人の評価が上がったり下がったりといった事は普通にある。
例えば、同じ女子でも不良男子とつき合っている場合と、学歴の高い優秀男子とつき合っている場合とでは、社会的に受ける評価が全く違ってくる。
そんなの間違っているという人もいるかもしれないし、私も閉鎖的で前時代的だとは思うが、でもそれが歴然とした事実であり現実なのだ。
とりわけ不倫など、社会的に許されない交際をしている者に対する風当たりは強い。別に不倫を正当化するつもりは毛頭ないが、それにしてもみんな自分のことでもないのに、寄ってたかっての大バッシングだ。
だからこそ、私もできるだけ蒼司と距離を取ろうとしている。好きとか嫌いとかの問題ではなく、この俵山で生きていくため、私と蒼司の身を守るためだ。
その中でも、特に高校生の世界は狭い。交際の事実や相手のことは瞬時に校内中に知れ渡ってしまう。A組の女子だって、そういった問題を考えないではなかっただろう。
一刻も早く彼氏を作り、周囲の羨望を集めたい。けれど、いかにもな男子を選んで「やっぱり美人は、付き合う男子も選び放題だよねー」、「ほんと、うらましー」などと陰で嫌味を囁かれたくはない。
様々な条件を考慮し、選別と妥協を繰り返した結果が、男鹿という答えだったのではないか。
ひょっとしたら、A組の女子は男鹿に対し、「つき合ってあげる」くらいのつもりで告白したのかもしれない。
男鹿が全体的にフツメンなのに対し、森本杏奈はカワイイと評判の美少女だ。うちのクラスの男子も、しきりとそれで騒いでいる。森本杏奈が教室に現れると、見るからにそわそわし出す男子もいるくらいだ。
彼女はあくまで、男鹿に会いに来ているのだと分かっているにもかかわらず、浮足立たずにはいられないのだろう。
だから、男鹿に告白してOKされることはあっても、断られることはないに違いない。そんな絶対の確信すら抱いていたかもしれない。
ところが、現実はそうでなかった。当の男鹿には森本杏奈の告白を受け入れるつもりが毛頭なかったどころか、他に親密そうな女子――悠衣までいたのだ。
男鹿と悠衣がとても仲が良く、ただのクラスメート以上の雰囲気である事を、もちろん森本杏奈も既に知っている。そして、男鹿から告白を断られたのは悠衣の存在が原因だと、そう勘付いたのだ。
その時、森本杏奈はどんな心境だったろうか。フツメンの男鹿に振られ、自分よりどう見ても外見的に可愛くない悠衣に彼氏候補を奪われ、彼女のプライドはいたく傷つけられたであろうことは想像に難くない。少なくとも、快い気がしなかったのは確かだろう。
ひょっとすると、そこで森本杏奈の闘争心に火が付いたのかもしれない。何としてでも、悠衣から男鹿を奪ってやる。私の方がカワイイんだから、負けるはずなどない。
彼女たち三人にとって、もはや男鹿と付き合うより、そちらの方が目的になっているのではないだろうか。だから、あれほど執拗に私や悠衣を睨んでくるのではないか。
A組の女子がそこまで企んでいるかどうかは分からない。全ては私の、ちょっぴり悪意の入り混じった想像だ。
しかし、いろいろととばっちりを受けているせいか、彼女は自分のことにしか見えなくなってしまっているのではないかと勘繰ってしまう。いくら自分の恋を成就させるためとはいえ、あまりにも自己中心的に過ぎるのではないか。
世界は彼女を中心に回っているわけじゃない。たとえ本人が、若さ故に錯覚しがちなその手の万能感に、ずぶずぶに浸っていたとしても。
何はともあれ、男鹿と悠衣が仲直りするには、あの邪魔な女子たちを一掃するのが最低条件だ。男鹿は森本杏奈と交際するつもりは無いのだから、こちらも容赦する必要はない。
しかし、どんな手段を用いたものか。相手は男鹿がどれだけ断っても、執拗に追い掛け回しているのだ。並みの常識が通用するとは、とても思えないが。
私が急に黙りこくって考え込んだためか、男鹿は戸惑った様子を見せつつ口を開いた。
「……ともかく、俺が姫崎と普通に接したいと願ったとしても、姫崎の方がそれを望んでいなければ意味がないだろ。今の状態がいいと思ってるわけじゃないけど、でもどうにかしろと俺に迫られたところで、現実にはどうしようもない」
「まあ……確かに男鹿の言ってることも分かるけど……」
現実問題として、悠衣は男鹿を徹底的に避けている。もし男鹿が勇気を出し、悠衣に話しかけたとしても、このままではいつぞやのような強烈な拒否を食らって終わるだけだろう。男鹿もそれを分かっているから、敢えて行動を起こさないでいるのだ。
つまり、悠衣の気持ちを変えない事には、この膠着状態は解消しようがないのだ。
(でも、悠衣は男鹿に対し、怒ってないって言ってたな。それが本心かどうかは分からないけど、もしそれが本音だったとしたら、男鹿と距離を取ってる理由が他に何かあるって事なのか……?)
そもそも、男鹿は悠衣のことをどう思っているのだろうか。男鹿は本当に悠衣のことが好きなのだろうか。
それらしい気配はあっても、はっきりと本人の口から本当に気持ちを聞いたことはない。そうではないかと、私が勝手に想像しているだけだ。