第17話 本音と本音
そうこうして手をこまねいているうちに、一週間が経った。
しかしそれでも、状況は全く改善しなかった。
それどころか、悠衣と男鹿の関係は悪化するばかりだ。絶交状態は相変わらずで、互いに意地になっている感すらある。
あと数日で、宿泊研修も始まるというのに。それを考えると、ますます頭が痛くなる。
悠衣と男鹿、そして私と入江は同じ班なのに、どうなってしまうのだろう。こんな険悪な雰囲気のままで宿泊研修を乗り越えられるのだろうか。たとえ宿泊研修が無かったとしても、この事態が異常なのは変わりないけれど。
(本当にこのままでいいのか……? このまま、自然の成り行きに任せていてもいいのか!? 悠衣と男鹿は、放っておいて関係が修復する段階は、とうに越えているような気がするけど。私は一体、どうすればいいんだ……?)
とにかく、何かしら動くにしても、まずは本人たちの気持ちを確認しなければ。
悠衣や男鹿がそれぞれこの状況に対しどう思っていて、本当は何を望んでいるのか。それを把握しておかないと、せっかく勇気を出して行動を起こしたところで、盛大な空振りに終わりかねない。
まずは悠衣と話してみよう。そう思い立った私は美術部の活動が終わった帰り道、頃合いを見計らい、悠衣に思い切って聞いてみることにした。
一緒に下駄箱で靴を履き替え、校門に向かうその途中、周囲には他の生徒の姿も殆ど無い。遠くグラウンドの方から、運動部の掛け声が聞こえてくるのみだ。
「悠衣、ちょっといいか? 話があるんだ。悠衣にとっては聞かれたくない事かもしれないけど、今、話しておかないと後悔すると思うから……」
そう切り出すと、悠衣は足を止め、私の方を振り返った。
「どうしたの、りっちゃん。急に改まって」
「うすうす察しはついてると思うけど、私が聞きたいのは男鹿の事だ」
「……」
「悠衣が噂話や風評に敏感なのは分かってる。でも、ちょっと男鹿を避けすぎじゃないか? 反応を見るに男鹿もその事に気づいてるし、多分、傷ついてる。 その……いくら何でも、やり過ぎじゃないか? 本当に……本当に、このまま男鹿と疎遠になってしまっていいのか?」
ずっと聞きたかった質問なためか、一気に捲し立てるようになってしまった。ところが悠衣はというと、あまりこの話題に乗り気ではないみたいだ。私から視線を逸らし、淡々とした声音で答える。
「いい悪いも何も……前も言った通り、あたしには男鹿をどうこうしようなんて言うつもりはないよ。そんな資格もないって思ってるし。あたしはあくまで、男鹿にとってはただのクラスメートなんだから」
そんなわけない。ただのクラスメイトなら、あんなに男鹿のことを気にしたりしないし、入江に「男鹿とつき合っちゃえよ」と茶化されて顔を真っ赤にしたりもしない。
「……。怒ってるのか、男鹿のこと?」
だから悠衣はそんな風に、男鹿のことを突き放すのだろうか。けれど悠衣は、さっぱりした調子でそれを否定するのだった。
「どうして? 怒るわけないじゃん。そもそも男鹿が誰と付き合おうが、あたしには関係が無いんだし。むしろ、男鹿がA組の女子と付き合うのはハッピーな事だって思ってるし、二人が上手くいけばいいと思ってる。男鹿は友達としていい奴だと思ってるから」
「悠衣が本当にそう思っているなら、私もこれ以上、口を挟むつもりは無い。でも……私には悠衣が無理をしているように思えてならないんだ。本心ではそんなこと思っていないのに、やせ我慢をして強がっているんじゃないかって……このままじゃ、男鹿が本当にA組の女子と付き合うことになってしまうぞ。もし、手遅れになってしまって後悔することになっても……それでも、本当にこのままでいいのか?」
「それでもいいよ。どんな結末になっても、あたしは男鹿の意思を尊重したい。男鹿は中学生の時、孤立していたあたしをずっと見守ってくれたんだから……今度はあたしがその恩返しをする番だよ。それに……あたしが男鹿の事を好きだっていう点は別に否定しないけど、それでもつき合うかどうかっていうのは別問題だし、むしろそういうことは全然望んでないから。だから、あたしはこのままでいいって思ってるんだ」
「悠衣……」
「あ、でもね。りっちゃんはあたしのことを心配して言ってくれているんだって、それは分かってるつもりだよ。ごめんね、心配させて。でも……本当に大丈夫だから」
悠衣はそう言って朗らかに笑う。つまり、悠衣は男鹿に対して何のわだかまりも抱いていないし、A組の女子――森本杏奈今との関係にも興味はない。だから、男鹿に対する今の態度も改めるつもりは全くないと、そういうことだろう。
(それが悠衣の本心なら、私もこれ以上は何も言うつもりは無いけど……私には、悠衣が頑なになっているような気がするんだよな。自分に対し、無理矢理そう言い聞かせているような……。本当にそれが悠衣の本音なのか……?)
それは分からない。悠衣の本音は世界でただ一人、悠衣本人しか知らないし、自身ですら本当の気持ちに気づいていないという事だって十分にあり得ると思う。
正直に言って、私には悠衣が本心を口にしているとは思えない。だって、これまでずっと悠衣と男鹿の関係をそばで見てきたのだ。さっき聞いた悠衣の言葉は、それまでの彼女の行動とあまりにもかけ離れすぎているし、心変わりが起きたのだとしても、無理矢理な感じが強すぎて不自然さしか感じない。
でも、もしそれが本当に悠衣の願いだったとしたら……或いは、本心でなくとも決意が固く揺るがなかったとしたら。いずれにせよ、私の行動が完全にはた迷惑なお節介になってしまうかもしれないのは同じなのだ。
(これだから恋愛ってのは苦手なんだ。面倒だしまだるっこしいし、そもそも正解なんて存在し無いんだから……。自分のことだったとしても手に余るのに、他人の恋愛なんてどう動けばいいのかさっぱりだ)
ついつい、そう愚痴りたくもなるが、仕方がない。嘆いたところで何かが変わるわけではないし、私が恋愛上級者になれるというわけでもない。
とにかく、悠衣の本音が一体どこにあるのか、その答えは今のところ保留にしておこうと思う。悠衣が私にしてくれた先ほどの説明に、どうしても納得することができないからだ。
だから私は、今は取り敢えず男鹿の気持ちを先に確かめることにしようと考えた。
もし悠衣が男鹿との仲直りを望んでいたとしても、男鹿の方がそれを望んでいなければ関係修復は叶わないからだ。
A組の女子に告白されてからというもの、男鹿もまた悠衣と不自然に距離を取っている。男鹿はこの事態を内心でどう思っているのだろうか。
それを知るには、男鹿本人に直接聞くのが手っ取り早いのだが、生憎とここ最近は男鹿との接点が殆どない。
私は大抵、悠衣と一緒に行動しているが、男鹿は徹底的に悠衣を避けているので、結局のところ私とも距離を取る形になっている。話しかけるタイミングを窺ってみるが、なかなかその機会が掴めない。
おまけに、男鹿は未だに松葉杖を使わなければ移動することができないので、むやみやたらと呼び出すわけにもいかないのだ。
しかも、休憩時間には大抵、例のA組女子が友達を引き連れて三人で男鹿のところにやって来るので、余計に声をかける暇がない。
(ホンットに邪魔だな、あいつら!)
しかも、A組の女子たちは、今やお墨付きを得たとばかりに堂々とB組の教室の中へと入って来ている。そして、見せつけるようにして男鹿と楽しげに会話した後、お約束のように私と悠衣をぎろりと睨み付けて帰っていく。
悠衣は相変わらずそれを無視しているけど、私はだんだん腹が立ってきて三人組を睨み返すようになった。だって、いちいち鬱陶しいじゃないか。三人組の狙いは悠衣だと分かっているから、余計に腹立たしい。
そもそも、別に悠衣は男鹿とA組女子の恋路を邪魔しているわけでも何でもないのだから、睨まれる覚えがないではないか。不要な喧嘩は買わないが、不当な喧嘩には応じる主義だ。
そうして私が鋭く睨み返すと、三人組は渋々といった様子でB組の教室を離れる。彼女たちを追い払うのには、一定の効果があるらしい。だがそれでも、肝心の男鹿と二人きりで話すチャンスはなかなか訪れない。
じりじりとしていたところ、ついにその時がやって来た。
それは、芸術選択教科の時間の前休憩だ。昼休憩の後に二時間連続で行われる芸術選択教科は、大勢の生徒が一斉に教室を移動するので、男鹿にも声をかけやすいと睨んだのだ。
因みに、私と悠衣は美術を選択しているけれど、男鹿と入江は書道を選択している。
私は悠衣とお弁当を食べた後、二人でいち早く美術室へ移動すると、適当な用事をでっち上げて美術室に悠衣を残し一人で男鹿を探しに向かった。
書道教室は美術教室と同じ芸術棟にあるが、美術教室が三階なのに対し、書道教室は二階にある。私は書道教室へ向かうため、芸術棟の中にある階段を使って二階に降りていった。
すると、階段を降りたところでちょうど男鹿に出くわす。ただ、間の悪いことに入江も一緒だ。
私は少しだけ躊躇した。どうしよう、また機会を改めようか。けれど、すぐにそんな機会など再び訪れるか分からないと考え直し、この場で男鹿に声をかけることにした。宿泊研修は、もう目の前だ。それまでには何とか二人の関係を改善したい。
「男鹿! ちょっと、話があるんだが!」
思い切って声をかけたためか、かなり前のめりな調子になってしまった。それに驚いたのか、男鹿は微かに眉根を寄せる。
「話……? 何だよ、急に?」
「それがその……ここでは話しにくいというか……二人きりで話したいんだ」
入江の方にちらりと目をやって答えると、当の入江は邪魔者扱いされたと感じたらしく、不服そうに唇を尖らせた。
「はあ? 何だよ二人きりって。まさか、結城まで男鹿に告白でもするつもりか?」
何故、そうなる。男女が二人きりになったら告白って、どんだけ単細胞なんだ。私は内心でそう突っ込んだが、ここで入江の機嫌を損ねるわけにはいかない。
「そうじゃない。悪いが、小学生男子はちょっと黙っててくれないか。話がややこしくなるから!」
「何だよ、ひでーな! 俺は小学生男子じゃないし、だいたいこれでも、あの頃と比べて十センチは背が伸びてんだぞ! 確かに高校生としてはチビだけど!」
いやだから、そういう反応が小学生じみているというんだ。私は思わずジト目になってしまった。こっちは、せっかく手に入れたチャンスを、絶対に無駄にしたくないのに。
そう思うと、ついつい苛立ってしまったが、幸いにも男鹿はすぐに私の気持ちを察してくれたらしい。あっさりと私の頼みに応じてくれた。
「いいぞ、別に。話に付き合っても」
「!! ……本当か!?」
「ああ。入江、悪いけど先に書道教室へ向かっててくれ」
男鹿が自身で決めた事なら、入江もそれ以上ごねる気はないらしい。
「りょーかい。あ、教科書と書道道具を貸せよ。ついでに持って行っててやるから」
「ああ、サンキュ」
入江が男鹿の教科書を抱え、書道教室の方へ立ち去ったあと、私と男鹿は芸術棟の非常階段へ向かった。非常階段は鉄製の外付け階段となっていて、芸術棟の中では一番端にある。
そもそも生徒の出入りが少ない芸術棟で、更に外れに位置するため、普段から利用する生徒が殆どいない。さらに裏手は竹林になっているので、人目を気にする必要も無い。だから、こういった人に聞かれたくない話をする時にはうってつけのスポットだった。
非常階段の踊り場に到着するや否や、私は男鹿に詰め寄った。
「時間が惜しいから、単刀直入に聞くぞ。察しがついているかもしれないけど、話というのは悠衣とのことだ」
すると男鹿は、私の質問にさして驚いた様子もなく、肩を竦めて非常階段の手摺に背を預けた。足の怪我がまだ治っていないので、その姿勢が楽なのだろう。
「……やっぱりな。多分そうじゃないかとは思ってたぜ」
どうやら男鹿は、私の用件の内容をあらかた予想していたらしい。
「分かってるなら、話は早い。男鹿は今のこの状況をどう思っているんだ?」
「どうって?」
「とぼけるな! ついこの間まで、悠衣とあれほど仲が良かったのに……今の距離感は明らかに異常だろ! いつまでこんなことを続けるつもりなんだ? 男鹿はこのままでいいと本当に思っているのか!?」