第16話 嫌な奴ら
悠衣の体調不良は完全に精神的なものだったらしく、一時間ほど保健室で休んだらかなり落ち着いたみたいだった。一時限目の現代文のあと、二時限目の英Ⅰが始まる頃には教室に戻って来た。
しかし、それで万事解決ではない。何故なら、それからというもの悠衣と男鹿は、めっきり会話をしなくなってしまったからだ。
悠衣は言うまでもなく男鹿を避けているし、男鹿の方も悠衣とは極力関わらないようにしているのが伝わってくる。授業の合間にある休憩時間はもちろん、昼食の時も、以前のように二人が楽しげに会話することなど全くない。
そもそも、男鹿とA組女子の噂が流れ始めた日から、男鹿と入江は校庭や屋上で弁当を食べるようになってしまい、教室の中にいる事がめっきり減ったために、悠衣と接触する機会は殆ど失われてしまった。
二人の間に亀裂ができる前は、あれほど仲睦まじげだったのに。今や会話どころか視線も合わさない状況だ。その不自然すぎる事態に、さすがの入江も戸惑ったらしく、私にこっそり聞いてくる。
「なあ、最近の男鹿と姫崎、何かヘンじゃね? あいつら喧嘩でもしてんのか?」
私は溜息をつきつつ、首を振る。
「喧嘩……とはちょっと違うな。むしろそれより、事態はもっと複雑で深刻なんだ」
「はあ? 何でだよ? あいつら、すげえ仲が良かったじゃん。もしかしてあれか? 男鹿が他のクラスの女子に告られたのが原因か?」
「まあ、直接の原因はそれだな。でも、問題の本質はもっと根深いんだ。男鹿は決して悪くないが、かと言って悠衣が悪いというわけでもないんだ」
しかし、その説明ではいまいちピンと来ないらしい。入江は半眼になって肩を竦める。
「ふうん……? よく分かんねーな。いろいろ事情はあると思うけど、さっさと仲直りすればいいのにな。同じクラスで席も隣同士なのに、ギスギスしてるのって何か嫌じゃん?」
「そうだな……私もそうなればいいと思うけど。どうしたらいいんだろうな……?」
何とかしたい。でも、どうしたらいいのか分からない。だってこれは、悠衣と男鹿の問題だからだ。私や入江はどうしたって部外者で、そういった自覚が自分自身にもあるからこそ、簡単に身動きが取れないでいる。
(本当に、どうすればいいんだ……? この期に及んでもなお、二人の関係を静かに見守った方がいいのか? でも、動くにしたって何をすればいいのか分からないし。悠衣はいつもより過敏になっているだろうから、下手をすれば男鹿との仲を余計に裂いてしまうことにもなりかねない……!)
おまけに、更にややこしい事態が発生した。何と男鹿に告白したという例のA組の女子が、頻繁にB組の教室へ姿を見せるようになったのだ。
さすがに教室の中に入ってくるようなことはまだないが、ほぼ毎日B組の教室の前にやって来ては、扉のところで男鹿を呼び出す。まるで、その様をB組のみなに見せつけるかのように。
彼女の名は、森本杏奈。いつも二人の友達を連れていて、常に三人で行動している。
B組にやって来る時もしかりだ。そして、B組の教室の前で男鹿と楽しげに会話すると、私たちの方を――特に悠衣を睨み付けてA組に帰っていく。どうやら、男鹿が悠衣と仲が良かったことを、どこからか聞きつけたらしい。勝手に悠衣を恋のライバル認定しているのだろう。
もしかすると、悠衣が横から男鹿を奪い取ろうとしていると、勘違いしているのかもしれない。
それもまあ、一回や二回、睨まれるくらいなら無視もできるが、彼女たちがB組に来るたびそういう悪意ある視線を向けられたら、さすがに私も不快感を隠せない。
何でそんな、全面的にこっちが悪いみたいな扱いを受けなきゃならないんだ。こっちはどっちかと言うと、そっちが始めたバカ騒ぎに巻き込まれた被害者なんだぞ。
「何か、男鹿に告白したっていうA組の女子って、思ってたよりずっと態度悪いな」
つい悪態をつくと、悠衣はそれを宥めるように小さく笑う。
「気にしちゃ駄目だよ。あたしたちとは、何の関係も無いことなんだし」
「でもあいつら、絶対に悠衣を目の敵にしているぞ。今は睨んでいるだけだからいいけど、そのうち何してくるか……分かったもんじゃない」
「今は我慢しなきゃかもね。でも、そのうちきっと飽きてきて、あたしのことなんて忘れちゃうと思うよ」
悠衣はあくまで、A組の女子たちと関わり合いになるつもりはなさそうだ。敵対するのはもちろん、彼女たちの挑発に乗るつもりもないらしい。このまま徹底的に無視をして、相手の気持ちが冷めるのを待つつもりなのだろう。しかし私は、それがあまり適切な対応だとは思えないのだった。
(そうかな……? 悠衣の言う通り、私たちに対する過剰な関心を捨ててくれればいいけど……)
相手は自分が男鹿に告白した状況や心情を、積極的にSNSに乗っけて拡散するような輩なのだ。私たちの持っている常識と彼女たちの常識は違う。このまま放ったらかしにしていたら、いつか何かを仕出かすんじゃないか。そういった不安がどうしても拭えない。
しかもさらに不愉快なのは、A組の女子たちがうちの教室へ来るたび、B組の他の生徒たちが騒ぎ立てる事だ。「あいつら、もうつき合ってんじゃね?」とか、「男鹿もまんざらじゃなさそうだよな」とか、「しかもA組の女子、めっちゃカワイイし。俺もあんな彼女欲しー!」とか、「俺もマジでそう思うわー。男鹿のやつ、マジ、ラノベ主人公かよ~。うらやま!」とか。
確かに、森本杏奈は可愛い顔立ちをしていると思う。いわゆる小動物系な顔立ちで、瞳は大きくてつぶら、それに対し鼻や口など全てのパーツがこじんまりとしている。
背も低い。ブラウスの上から薄手のニットを羽織っているが、袖が手の甲を覆い尽くすほどで、流行りのブカブカ感をうまい具合に演出している。要するに、男性ウケのしやすい容姿をしているのだ。
そのせいか、仕草もいちいち可愛らしい。小さくくしゃみをする時の表情、髪をかき上げる時の首の角度、そしてくすくすと笑う時の手の位置。そして何より、相手を見つめる時の上目遣い。女子でも可愛いと思うのだ。男子なら、胸がキュンキュンすること間違いなしだろう。
それが悪いと言うつもりはない。森本杏奈は普通に振舞っているだけかもしれないし、彼女が小柄で小動物系っぽいから、余計にそう見えてしまうのかもしれないという事も、十分に分かってるつもりだ。
しかし、毎日のように森本杏奈から悪意に満ちた視線を向けられているせいか、そういった彼女の仕草からどうにも計算され尽くした、あざとさのようなものを感じてしまう。
彼女は相手によって接する時の態度を使い分けていて、自分に都合のいい相手にただ媚びを売っているだけではないか。
もっとも、森本杏奈に対してそんな懐疑的な印象を抱いているのは、クラスの中で私だけらしい。聞くところによると、森本杏奈はB組の男鹿以外のクラスメートにも愛想を振りまいているらしく、B組の中での彼女の評価は、ますますうなぎ登りに上がっていく。
今では男女に関わらず、「森本杏奈は、可愛い上に性格もいい」というのがみなの共通認識だ。
過去の噂が暴露され、評判が駄々下がりな悠衣に対し、人気が上昇するばかりの森本杏奈。今やクラスの誰もが、男鹿には悠衣より森本杏奈の方がふさわしいと思っている。森本杏奈は、故意にそのシチュエーションを作り出し、悠衣を追い詰めようとしているのではないか。それは私が穿った見方をしすぎているのだろうか。
一方、当の男鹿はそういった冷やかしの言葉を浴びる度に「そんなんじゃねーよ」と軽く受け流し、あまり相手にしていない。
告白された当初こそ混乱していたようだが、今は冷静に判断し行動しているように見える。周囲の好奇心に溢れた視線や茶化しにもムキになることがなく、いつもの男鹿らしさを取り戻している。
しかし、それをいい事にクラスの連中は完全に男鹿とA組の女子――森本杏奈をカップルとして扱っているのだった。
男子も女子も、所詮は他人の恋バナだから発言の全てが無責任で無神経だし、どうせSNSで広がっているんだからという言い訳を免罪符に、どれだけイジッても許されると考えている節すらある。ネット上で、芸能人や有名人の恋愛事情で盛り上がる感覚に似ているだろうか。
無責任に騒いでいる本人たちには悪気が無いし、あったとしても自分でその事に気づいていない。みんなやってるからいいじゃん、くらいの軽い気持ちなのだ。
ともかく、男鹿は本人が望むと望まざるとに関わらず、クラスの中でちょっとした時の人になってしまった。
私たちはまだ高校に入学したばかりの一年生で、異性に興味がある生徒や恋愛に憧れている生徒も相手を見つけられていない者が大半だ。
そんな中、男鹿は早々に女子から告白を受けた。しかも、誰が見ても可愛いと感じられる美少女から。そのため、クラス中から羨望と嫉妬を一身に受けてしまうこととなったのだ。
おまけに日々、森本杏奈の熱烈な訪問を受けるものだから、注目をするなという方がどだい無理な話なのだった。
それが悠衣と男鹿の間に更なる隙間風を生み出すこととなってしまった。
悠衣はそういった事で注目を浴びることを、極端に嫌っている。しかも、ある意味で悠衣もまた、注目の的なのだ。
教室の中でかつて苦しめられた噂を暴露され、悠衣の過去を知らなかった生徒にまでその内容を知られてしまった。そんな中、うかうかと男鹿に近づいてしまったら、確実に何か下心があるのではないか、あの噂は本当で男子を誘惑しようとしているのではないかと邪推されてしまう。
悠衣がそれを良しとするはずもない。結果として、悠衣はますます男鹿から遠ざかってしまうのだ。そして男鹿も、敢えて成り行きに任せ自ら動こうとはしていない。
(悠衣が本当に男鹿とA組の女子のことに興味がないなら、それでもいい。本当に男鹿の事が好きでも何でもなくて、心の底からどうでもいいと思ってるなら、それでもいい。問題は、そうじゃないってことだ。悠衣は必死で平静を装っているけど、かなり無理をしてるって事は一緒にいて分かる)
また、男鹿の方も無理をしているのではないかと、私にはそう思われてならなかった。男鹿は悠衣に拒絶された日から、徹頭徹尾、悠衣を避けている。でも、その素振りが何だかぎこちないように感じられるのだ。
男鹿は多分、悠衣に対して怒っているとか、冷たくされた当てつけでそういった行動を取っているわけではない。男鹿が悠衣と距離を取るのは、むしろ悠衣の事を気遣っているからなのではないか。
男鹿は自分の置かれた状況をよく理解していて、自分が大きく注目を浴びたばかりに悠衣を巻き込んでしまったこと、そしてその結果としてひどく傷つけてしまったことに気づいているのではないか。
(やっぱり駄目だ! このままじゃ悠衣も男鹿も、二人とも苦しみ続けることになる……!!)
しかし、具体的にどう動くかとなると、まるで妙案が浮かばなかった。
そもそも私は、恋愛とかそういうジャンルは得意じゃないんだ。昔からそういった浮いた話には無縁だったし、告白なんてしたこともされたことも無い。女っ気が無い、珍獣だとからかわれても特に不快に思ったりはしなかった。だって、自分でもその通りだという自覚があるからだ。
別に恋愛そのものを否定したりはしない。恋愛なんて嫌だと、わざと距離を取っているつもりもない。ただ、世の中には友情や兄弟愛、家族愛、ペット愛など様々な形の愛がある。その中で、男女の恋愛のみに特別な価値があるとは思っていないし、そこに格別の幸せや生き甲斐を見い出すつもりも無いというだけだ。
けれどこういった事があると、少しは真面目に恋愛をしてみるべきだったかという後悔が沸き上がって来る。自転車に乗れない人間が他人に自転車の乗り方をアドバイスするなんて、そもそもが無理な話に決まっている。でも、今の私がしようとしているのはまさにそれだ。
身を焦がす恋とやらを事前に経験していたら、少しはこのややこしくて嘆かわしい状況も変えられたかもしれないのに。