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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第15話 二人の亀裂

「おい、お前らいい加減に……!」


 けれど、私がそれを言い終わる前に、悠衣が凄まじい剣幕で怒鳴ってしまったのだった。


「や、やめてよ! 男鹿のことなんて、何とも思ってない! あくまでただのクラスメートだよ! むしろ、ウザいし口うるさいし、正直言ってあたしの苦手なタイプなんだから!!」


 悠衣の声はあまりにも大きく、それに驚いた生徒たちは一斉に口を噤んだ。教室の中は水を打ったように、しんと静まり返る。


 悠衣はおそらく意図的に怒鳴ったわけではない。ただ、誤解されるかもしれない、事実無根の噂を広められるかも――といった恐怖心のあまり、つい反射的にやってしまったのだ。


 それが逆に悪目立ちしてしまうなど、想像する余裕も無かったのだろう。


 ただ、一定の効果もあった。四人の女子たちが、悠衣の必死な剣幕にすっかり鼻白んだ様子を見せたからだ。


 頼むから、これで諦めてくれ。祈るような心境で成り行きを見守っていると、四人の中の一人が教室の入口へついと目をやって、「あ……」と声を上げる。


 私と悠衣も、それにつられて視線を入口へ向けた。


 そこには、サッカー部の朝練を終えた入江と男鹿が、揃って立っていた。二人とも、突然、直面した状況と、教室を包む異様な空気に戸惑った気配を滲ませている。


 その様子から察するに、先ほどの悠衣の言葉もばっちり聞いていたのだろう。悠衣もそれに気づき、激しい狼狽を見せた。


「お、男鹿……!」


(あああ、最悪のタイミングじゃないか……!)


 男鹿は気まずそうに視線を彷徨わせる。ひょっとすると――いや、ひょっとしなくとも傷ついたのだ。


 悠衣の弁明には激しい嫌悪が滲んでいた。それは男鹿に対する感情というより、四人の女子たちの下衆な勘繰りに対する嫌悪だし、最初から事の成り行きを知っていればすぐにそうだと分かる。


 だが、男鹿が悠衣たちのやり取りを最初から全て完璧に聞いていたとも限らない。


 それほど……そんなに吐き捨てるほど俺の事が嫌いなのか。男鹿がそう勘違いしてしまったとしても、何らおかしくない。


 悠衣は男鹿に対し口を開きかけた。何か弁明しなければと思ったのだろう。けれど、そのままぎゅっと唇を引き結び、無言で自分の席に座った。男鹿の方は振り返りもせず、何かと戦うかのようにして、細い肩に力を籠めている。


 下手にあれこれ言い繕うと、四人組にまた勘違いされ、執拗な追及を受ける。だから、何も反応しないのが一番だと考えたのだ。自分を守るために、そして何より男鹿を守るために。


「何か、白けちゃった」

「マジつまんな~い。……行こ」


 四人組は、まるで悠衣のせいだと言わんばかりに吐き捨てると、私たちから離れていった。


 せっかく思うぞんぶん囃し立て、骨の髄までしゃぶり尽くすチャンスだったゴシップネタが、悠衣の過剰反応性のせいでオシャカになってしまったのだ。彼女たちにしてみれば、運よく手の中に転がり込んできた玩具を川に落としてしまったような心境なのだろう。 


 ともかく、とっとと行ってくれ。そして二度と悠衣に近づかないでくれ。私は心の中でそう念じた。ついでに四人組の背中に向かってお祓いをする神主さんよろしく、真っ白い紙垂(しで)の垂れた大麻(おおぬさ)をバッサバッサと振りまくってやる。


 まあ、あくまで精神世界での話なのが残念なところだけど。相手がクラスメートでなければ、目一杯に握った塩を、思いきり顔面に叩きつけてやったところだ。


 それを機に、教室は再び元のざわめきを取り戻す。男鹿と入江も教室の中に入ってきて、それぞれ自分の席へ向かう。


 男鹿の席は悠衣の隣で、いつもなら軽口を含んだ挨拶を交わすのに、今日は互いに目も合わさない。先ほどの、悠衣のセリフが原因なのは明らかだ。


 でも、悠衣はきっと男鹿に謝らないし、謝れない。男鹿と喋ったら、クラスの女子に「ほーら、やっぱりね!」と確信を抱かせる事になってしまうからだ。


 かと言って、男鹿も自分から悠衣に声をかけることはしない。あれほどはっきり、ウザくて口うるさくて苦手なタイプと言われてしまったのだ。どれだけ仲が良くても、さすがにカチンとくるのが普通だと思う。


 しかも、今度はクラスの男子が男鹿の元へやって来て、これまた余計な事を口にし始める。


「おい、男鹿ぁ! お前、A組の女子と付き合うんだって?」

「モテ男は辛いよな~! 俺もサッカー部に入れば良かったぜ」


「はあ? 別にまだそうと決まったわけじゃねーし……つか、何でそのこと知ってんだ?」


 男鹿が冗談めかしつつ尋ねると、クラスの男子たちはどっと笑い声を上げた。


「何でって、お前とA組の女子のこと、SNSで拡散されてんぞ。知らねーのか?」


「SNS……!? 何だよそりゃ……!!」


 その反応を見るに、男鹿もSNSで告白の件が拡散されていることを、今の今まで知らなかったようだ。


 A組の女子の告白に応じるか否かの返事もまだらしい。昨日、渡り廊下で会った時の男鹿は随分と困惑していたようだから、一旦、返事を保留にしたのだろう。


 男鹿はまだ、A組の女子との交際を決めたわけではない。このまま交際する可能性もあるが、断る可能性だって十分にある。


 それなら、まだ希望はあるのではないか。私は悠衣の方へ視線を向ける。ところが、悠衣は張り詰めた顔をして、小さく肩を震わせていた。かなり気分が悪そうだ。額や頬は、冷や汗でびっしょりと濡れている。机を一心に見つめるその瞳孔が、不安定に細かく揺れていた。


「悠衣、大丈夫か? 真っ青だぞ。保健室に行った方がいいんじゃないか?」


「でも……これから一限目の授業があるし……」


「無理するな。そのままだと倒れるぞ」


「うん……」


 悠衣の声はか細く、今にも消え入りそうだった。これは本格的にまずい。とてもこのまま授業を受けられるような状態じゃない。私は悠衣の腕に両手を添え、席を立つのを支える。すると、隣の席に座る男鹿もさすがに心配したのか、悠衣に声をかけた。


「お……おい、姫崎。顔、真っ青だぞ。大丈夫か?」


 ところが、悠衣は声を荒げてそれを拒絶するのだった。  


「もうやめて! ……お願いだから放っておいてよ!」


 男鹿が凍りついたのが分かった。そして、はっきりと傷ついた表情で悠衣から視線を外し、顔を背ける。


 悠衣としては、男鹿を拒絶したつもりは無かったかもしれない。ただこれ以上クラスの注目を集め、余計な疑念を生じさせるようなことはしたくなかっただけなのだと思う。


 でも、男鹿にとってそうではなかったという事は、彼の仕草を見ていれば明らかだった。


 くだらない噂だけだったら、まだどうにかなったかもしれない。誤解を解きさえすれば、仲直りできたかも。


 でも、悠衣のその言葉で、男鹿との間に生じた亀裂が決定的になってしまったような気がした。


 


 そして、それは決して私の気のせいではなかったのだ。






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