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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第13話 嵐の前

「あー、テスト週間もようやく終わりだねー! この一週間、しんどかったー!」


 悠衣が大きく伸びをすると、男鹿も凝りをほぐすようにして首を回す。


「確かに、解放感が半端ないな。テストの答案が採点されて返って来るのが怖くもあるが……まずはひと段落だな」


 私も、何だか肩から重い荷が下りたような心地だ。ところが、みなが解放感に浸る中、撃沈状態で机に突っ伏している入江は、弱々しい声で呻き声を上げる。


「うおーい、今、答案の採点の話なんかすんなよなー。こっちはただでさえ、息も絶え絶えだったってのに……!」


「入江、ほんとに顔色悪いよ。大丈夫?」


 悠衣が心配そうに声をかけると、入江はますます脱力し、陸に打ち上げられたクラゲみたいに、しおしおになってしまった。


「大丈夫じゃねーよ! 昨日の夜は殆ど徹夜だったし。しかも最後がよりにもよって、内藤先生のライティングだもんなー。マジ、死ぬかと思った……!!」


「そういえば、入江は内藤先生にこっぴどく叱られたんだっけ」


「そうなんだよ! これで赤点取って追試とか、もー地獄以外の何ものでもないし、そんな最悪の状況を回避するためには嫌でも勉強するしかないだろ?」


 入江が泣きそうな顔をして同意を求めるので、男鹿も同情して頷く。


「まあな。高校の内申って、中学の時ほど受験に影響しないって言うけど、やっぱ教師に目を付けられるのは面倒だしな」


 入江の場合、半分は自業自得だからどうにも同情しきれない部分もあるが、いつもより遅い時間まで勉強していたのは私も同じだ。激しい運動や労働をしたというわけではないけれど、体全体にどんよりと疲労が蓄積している感じがする。早く家に帰って休みたい。


 ところが、クラスの生徒の中には、「カラオケ行こー!」などと話している者もいる。


「これからカラオケか……みんな元気だなあ」


 私が何気なくそう漏らすと、悠衣も「だねー。そんな体力、残ってないよ」と苦笑いして答える。


「このあたりだと、駅前商店街のカラオケ店に行くのかな?」


 確かに、俵山には商業施設や娯楽施設の類は殆ど無い。辛うじて、スーパーやコンビニがあるくらいだ。そういった施設はみな、JR新陽海のあたりに集中している。


 虹ヶ丘高校からはバスで行けるし、徒歩でも三十分とかからないので、不便というほどではない。でも、こういうテストの後などは、行くのが億劫に感じるのも事実だ。


 カラオケ――その単語を聞いた入江は、耳聡くピクリと反応する。そして、がばっと豪快に体を起こしてからキラキラと目を輝かせた。つい先ほどまで、しなびたクラゲ状態で撃沈していたのもどこへやら、すっかり生き生きと復活して声を弾ませる。


「なあ、俺らもカラオケ行こねー? こう、パーッとストレス発散してえじゃん!」


「え、でも……」 


 しかし案の定、悠衣は言葉を濁らせた。勉強会をあれほど嫌がった悠衣が、カラオケをOKするわけがない。それを察したのか、男鹿がすぐに口を開いた。呆れた様子で、向かいに座る入江の額を人差し指で小突く。 


「お前、やめとけって。徹夜明けだって言ってただろ。そんなヘロヘロ状態でカラオケ行って、歌えんのかよ? 明日から早速、サッカー部の朝練が再開されるんだぞ」


「それはそうだけどさー。まあ、今回は無理でも、いつか行こーぜ。せっかく高校生になったんだから、高校ライフを満喫しないでどーすんだよ?」


 別に、高校生だからカラオケに行かなければならないという法則はないのでは? などと思ってしまうが、入江の言ってることも分かる。授業と部活の繰り返しだけじゃ、あまりにも刺激が無さすぎるし、中学生の時と何も変わらない。


 虹ヶ丘高校の校則では、カラオケは特に禁止されていないから、羽目を外さない範囲で楽しむのは悪いことではないと思う。


(でも……悠衣は賛成しないんじゃないかな)


 カラオケ店があるのは校外だし、一見するとそれほど学校の生徒の目を気にする必要は無いように思える。しかし俵山は狭いから、実際にはどこで誰が見ているか分からない。


 それを考えると、やはり悠衣は男鹿や入江とカラオケ店に入るのを嫌がるのではないか。


 これまでの経緯を考えると、そう判断するのが自然だ。


 ところが、悠衣は意外にも入江の提案を受け入れたのだった。


「別に……いいよ」


「えっ……?」


 男鹿はひどく驚き、目を見開いた。まさか悠衣がそう答えるとは、思いもしなかったのだろう。私

もつい反射的に、悠衣へ問い質してしまった。


「悠衣、本当にいいのか?」


 すると悠衣は、微かに表情を強張らせたものの、存外、気丈な声で答える。


「うん。入江の言う通り、たまには息抜きも必要だと思うし。それに……あたしも変わらなきゃって思うから」


「悠衣……!」


 私は嬉しくて、思わず笑顔が溢れた。悠衣は自らの力で、過去のトラウマから立ち直ろうとしているんだ。まだ恐るおそるだし、ようやく一歩を踏み出したばかりの段階かもしれないけど、でも確実に変化してる。変わろうとしているんだ。


 ふと隣を見ると、男鹿も笑顔だった。単純に嬉しいとか喜ばしいという感じじゃなくて、何か慈しむような笑顔。自然と零れたという感じで、作った感じが全くない。


 それが何だかすごく大人びて見えて、私もついどきりとしてしまう。


 別に、男鹿に対して特別な感情を抱いているわけじゃない。でも、ずっと(さなぎ)だと思っていたものが、あるとき突然美しい蝶になったら、誰だって驚きと感動で目を見開くだろう。


 きっと、このままうまくいく。悠衣も男鹿も、すぐには無理でも、いつか互いに心の底から笑い合い、一緒にいられるようになる。私がそんな確信を抱いた時だった。


 教室の扉の方から、同じクラスの男子が男鹿に声をかけてくる。


「おい、男鹿ぁー! お前に用があるっていう他クラスのやつが来てるぞー」


 それを聞いた男鹿は、不思議そうに首を捻った。


「はあ……? 何なんだよ、用って? 相手は誰だよ?」


「何だよ、果し合いか?」


 入江がそう茶化し、悠衣はその肩をぺしっと軽く叩く。


「んなわけないでしょ、今どき何言ってんの」


「分かってるよ、冗談だって!」


「何だろ、心当たり全くないけど……まあ一応、行って来るわ」


 男鹿はそう言うと、ぎこちなく席を立ち、松葉杖を突きながら教室の入口へと向かっていった。相手の姿は扉に隠れてよく見えないが、男鹿のリアクションから察するに、先生や部活の先輩というわけではなさそうだ。


 どうやら場所を変えようと提案されたらしい。そのまま男鹿は呼び出し相手と共に、どこかへ歩き去っていく。


「何だ……? 男鹿が呼び出されるなんて珍しいな」

「うん……」


 入江に相槌を打つ悠衣は、心なしか不安そうだった。


 虹ヶ丘高校は、際立った特徴がない地味な校風のおかげか、ガラの悪い生徒は殆どいない。いわゆる不良(ヤンキー)に代表されるような、オラついた生徒はまず見かけることがないのだ。


 だから、誰かに呼び出されたからと言って暴力沙汰に巻き込まれたり、校舎裏で金銭を毟り取られたりといった事態に至ることは多分ないと思う。


 とはいえ、全くトラブルが無いというわけでもなく、滅多に呼び出しなどされない男鹿が呼び出されたのは確かに奇妙な事だった。おそらく悠衣も、大した用件でなければいいけれど、と案じているのだろう。


 ところがしばらく経っても、男鹿はなかなか教室に戻ってこなかった。テスト週間が終わったばかりでまだ部活動は再開されていないこともあり、私たちは教室でのんびりするついでに男鹿の帰りを待っていたのだが、姿を現す気配さえない。


 おまけに入江は、フラフラするから保健室で寝てから帰るという。


 男鹿の帰りがあまり遅いので、私と悠衣はそのまま下校することにした。教室の中に残っている生徒も、私たちを除くとほんの二、三人のみだ。


 その日は朝からしとしとと小雨が降り続いていて、今もまだ止んでいない。下駄箱へ下りるには渡り廊下を通る必要があり、私と悠衣は並んでそちらへ向かった。渡り廊下には屋根がついているので、雨が降っていても濡れることはない。


 教室と同じく、廊下も生徒の姿はまばらだった。中間テストから解放され、既に大多数の生徒は学校を出てしまったのだろう。


「結局、男鹿は教室に戻って来なかったな。何の用だったんだろう? 男鹿の事だから、滅多なことはないと思うけど」


「……」


 私は何気なくそう口にするが、悠衣の表情はどことなく硬さを帯びたままだ。


「まさか、本当に果し合いとか?」


「さすがにそれはないよー」


 そんな話をしながら、渡り廊下に差し掛かった時だった。私たちは思わぬ光景に遭遇し、つと立ち止まった。


 しんと静まり返った廊下の真ん中に、男鹿が一人でぽつんと立っているではないか。


 こんなところにいたのか。私は少し意外に思った。てっきり、どこか別の教室に連れていかれるなどして、男鹿は教室に戻れない状況にあるのだろうと思っていたからだ。しかしこの様子を見ると、戻れないというより自主的に戻らなかったと言った方が正しそうだ。それならそれで構わないが、それにしても渡り廊下でたった一人、何をしているのだろう。


 既に呼び出し相手からの用件は済んだのか、他に人の姿は無い。男鹿は一人で手摺越しに学校の中庭を見下ろしているようだが、その横顔は何とも捉えどころがない表情をしている。どちらかと言うとぼんやりとしているというか、呆然としているみたいだ。


 何だか少し様子がおかしい気もしたが、悠衣は男鹿の姿を見てほっとしたようだ。さっそく近づいていって声をかける。


「男鹿ってば、ここにいたんだ。何してるの、ぼうっとしちゃって。大丈夫?」


 すると、何故か男鹿は悠衣を見て、ぎょっとしたような顔をした。


「あ……い、いや。ちょっと……いろいろあって」


 返事もやたらと、たどたどしくて歯切れが悪い。何だかいつも男鹿らしくない。悠衣もそれに気づいたのか、不思議そうに尋ねる。


「入江は気分が悪いから、保健室で寝て帰るって。さっき、他のクラスの人に呼び出されてたけど、何の用だったの?」


「な、何でも! 何でも無いんだ。……じゃあな!」


 慌てた風にそう言うと、男鹿は松葉杖を突きながらそそくさとその場を立ち去っていった。まるで、一刻も早くこの場から逃げ出したいみたいな勢いだ。そしてまっすぐに、教室の方へと移動していく。私と悠衣は、呆気に取られてそれを見送った。


「どうしたんだろ? あんなに慌てて……そんな余程のことがあったのかな?」


「さあ……?」


 私も悠衣と同じで、首を傾げるばかりだった。私の気のせいではなく、男鹿は明らかに悠衣を避けている。でも、どうして男鹿がそんな態度を取るのか分からない。ついさっきまで、あれほど教室で一緒に楽しく話をしてたのに。


 一体、男鹿に何があったのだろう。


 ただ……いや、はっきりした理由なんて無い。でも、私はこの時、とてつもなく嫌な予感を覚えていた。背中にべっとりと張りつくような、気味の悪い違和感。特に理由もないのに落ち着かなくて、嵐がやってくる前の晩みたいに胸の奥がざわざわし、今すぐどこかへ駆け出してしまいたくなるような……。



 そしてその嫌な予感は、見事に的中してしまうことになる。



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