第12話 恋の気配
それから数日後。担任の先生から宿泊研修に関する話があった。私たちもお昼時間に話題にしていた、班分けの件だ。
こういった場合、出席番号順に分けるとか、くじ引きにするとか、方法はいろいろあると思うけど、先生が提案したのは希望者同士で集まるという案だった。
この手の案は、どこのグループにも属さない人が出てくると気まずくなってしまうが、幸いにも班分けは特に揉めることなくうまくいった。学校生活が始まってからまだ一か月とちょっとだということもあり、孤立したりあぶれたりする生徒は、まだいない。
私は当初の予定通り、悠衣と男鹿、入江の四人で班を作ることにする。悠衣や入江もそれに異論はないようだったが、ただ一人、男鹿は躊躇を見せたのだった。
「本当に俺が一緒でいいのか? 足を引っ張るかもしれねーのに……」
男鹿は、自分が足を怪我して松葉杖を突いていることを、気にしているのだろう。
普段の学校生活ではそういう素振りを殆ど見せない。だが、宿泊研修は野外のカリキュラムが多く、必然的に活動量も増えるため、松葉杖を突いている男鹿は確実に難儀するだろう。
自分が同じ班にいる事で、私たちにつまらない思いをさせてしまうのではと心配しているのだ。
しかし、悠衣はさばさばした様子で答えた。
「いいってば。もともと、そういう話だったじゃん。それとも何? 男鹿は私たちと一緒は嫌なの?」
「んな事言ってねーだろ」
「だったら、問題なーし! ……だよね?」
悠衣はそう言って、私と入江の方を見る。私たちも、全く同意見だ。
「そうだな。悠衣の言う通りだ」
「っつか、今さら新しく他のメンバーを探すってのもなー。そっちのがメンドくさいじゃん。それに、カマドウマの件もあるし?」
入江が茶化した調子でその名を口にすると、男鹿は可笑しそうに笑う。
「まだ言ってんのか、それ。実際にキャンプ場に行ってみて、カマドウマが一匹もいなかったら、どうするんだ?」
すると、悠衣は真剣そのものの表情で、男鹿に食ってかかるのだった。
「その見通しは甘いよ、男鹿! あまりにも甘々すぎる!! あいつらは絶対いるに決まってるよ!!」
「何なんだ、その力説ぶりは……むしろ、カマドウマにいて欲しいくらいの勢いじゃねーか」
それを聞いていた入江は、パチンと指を鳴らして言った。
「あ、それじゃ賭けようぜ! キャンプ場にカマドウマが出るかどうか!」
「いいけど、何を賭けるんだ? 金か?」
私が尋ねると、入江は「何、言ってんだよ!」と、やたら前のめり気味に答える。
「そんなのつまんねーじゃん。賭けるっていったら、やっぱ焼きそばパンだろ!」
自信満々に焼きそばパンを推す入江だったが、悠衣は渋面を作った。
「えー、何それ? 焼きそばパンをもらって喜ぶのって、入江だけじゃない?」
「何言ってんだ、焼きそばパンは心強い味方だぞ! 早弁して腹が減ってるときに、どんだけ弁当の代替品として空腹を満たしてくれることか!」
「いや、そもそもあたしやりっちゃんは、早弁をすること自体が殆ど無いし……あんな炭水化物以外の一切の存在を許さない! みたいな突っ走ったパン、賭けに勝って手に入れても困るだけなんですけど」
悠衣はバッサリとそう言い切った。確かに、焼きそばパンは少々、胃に重たすぎると私も思う。
すると、入江もしかめっ面になってしまった。入江にとっては、何故そこまで愛すべき焼きそばパンが否定されなければならないのか、理由がどうしても分からないらしい。
「何だよ、いらないんだったら俺にくれりゃあいいじゃん」
「だーかーらー、それじゃ賭けにならないじゃん! 勝っても負けても、得をするのは入江だけなんだから!」
「じゃあ、何のパンなら納得するんだよー? メロンパンか? チョココルネか?」
「いや、まずは取り敢えず、パンそのものから離れような?」
入江があまりにもズレた返答をするものだから、私も思わず突っ込んでしまった。すると、そのやり取りを聞いていた男鹿は、とうとう噴き出したのだった。
「ぶっ……あはははは!」
「男鹿? どうしたの、爆笑なんかして?」
突然、笑い出した男鹿に、悠衣も私たちも目を丸くする。
「いや……本当はちょっと不安だったんだ。お前らが内心で嫌々、俺と同じ班になることを選んだのだったらどうしようかってさ。俺が怪我したの見て、可哀想だから仕方なく仲間に入れてあげようとか、そう思われてたらさすがにキツイし。
俺だって別に好きで怪我したわけじゃないけど、それでもこの時期に足を打撲したのは俺の不注意だと言えなくも無いわけだしな。それで迷惑かけるくらいなら、班分けの話は自分から断ろうって……ずっとそう思ってたんだ」
それを聞いた悠衣は、ムキになって反論した。
「そんなワケないじゃん! あたしだってりっちゃんだって、入江だって……男鹿が可哀想だから入れてあげてるなんて、そんなこと少しも考えてない!」
「ああ、分かってるよ。だから……ありがとな。かなり気が楽になった」
男鹿は嬉しそうだった。男鹿は入江や悠衣と親しいし、私との仲もそれほど悪いわけではない。けれど、だからこそ私たちには楽しい宿泊研修を過ごして欲しいと思ったのかもしれなかった。
かと言って、怪我している男鹿をすんなり入れてくれる班が、他にあるとも限らない。さて、どうするか――それを考えると、さしもの男鹿も不安だったのだろう。
そのせいか、男鹿の言葉は真剣味を帯びているように感じられた。
「べ、別に……そんな大したことしてないし……」
一方、悠衣の頬は見るからに赤みを帯びる。どことなく、もじもじしていて、時おりチラッと男鹿の方へ視線を向けているように見えるのも、決して私の気のせいではないだろう。
普段、軽口ばかり叩き合っている相手から、不意に真剣な謝意を伝えられたのだ。それだけでも動揺する要素は十分だが、悠衣が赤面している原因は、間違いなく相手が男鹿だからだ。
それに気づいたのだろうか。男鹿の頬も心なしか赤く染まっているように見えた。頭を掻き、照れ隠しのように悠衣から視線を逸らしてしまう。
確かに今現在は放課後で、教室の中には柔らかい初夏の夕日が差し込んでいるが、二人の頬が赤いのはそのせいだけだとはどうしても思えない。悠衣と男鹿を包む、初々しくも甘酸っぱい空気が、それを証明している。
トクン、トクンと、二人の軽やかに奔る心臓の鼓動の音が、今にも聞こえてきそうだ。
いつもはお子様で、こういった色恋沙汰には鈍い入江も、さすがにその甘酸っぱい空気を察したらしい。ニヤニヤと笑って男鹿と悠衣をからかう。
「何だ、何だぁ? いい雰囲気じゃん。お前らもうつき合っちゃえよ」
その瞬間、悠衣と男鹿の顔は、ほぼ同時に林檎みたいに真っ赤になった。そしてこれまた、ほぼ同時に声を荒げる。
「う、うっせー!」
「入江、あんた調子に乗ってるとぶちのめすよ!?」
「うひゃひゃひゃ、二人とも真っ赤になってやんの!」
「……やめとけ、入江。お前いま、完全に小学生男子と化してるぞ」
囃し立てる入江にそう突っ込みつつも、私の胸中にも温かい気持ちが広がった。
入江が男鹿と悠衣をからかった時、実を言うと私はかなりどきりとした。悠衣が傷つくのではないかと恐れたからだ。
けれど実際には、悠衣は傷ついた様子がない。それは男鹿も入江も、中学時代から悠衣と仲が良く、見知った仲だからだろう。
ひょっとすると悠衣は、本当は男鹿と親しくするところを見られるのが嫌だというわけではないのかもしれない。多分、悠衣のことを何も知らない赤の他人に、無責任にあれこれと噂されるのが嫌なだけなのだ。
(蒼司は言っていた。悠衣の問題は、時間が解決してくれるって。このまま、中学時代のトラブルが完全に過去になるといいんだけどな……)
そして、悠衣が自然に自分らしくいられる日が、早く来ればいいと思う。悠衣が男鹿のことを好きなら、過剰に無理をしてそれを隠したり、否定したりしなくても済むようになればいい。
だって、悠衣が誰かを好きになることは、決して悪いことでなければ恥ずかしいことでもないのだから。
悠衣に襲い掛かった理不尽な経験に負けないで欲しい。そんなもののために、好きだという気持ちを諦めないで欲しい。悠衣にはいいところもいっぱいあって、幸せになる資格が十分にあると、私は友達としてそう思うから。
それからすぐに、テスト週間に突入した。
虹ヶ丘高校に入学してから初めての大型テストということもあり、かなりの緊張感とプレッシャーがのしかかって来る。
さすがに高校受験の当日ほどじゃないけれど、決して気は抜けない。その雰囲気にのまれ、いつもは晴夏ほど勉強しない私も、自室の机にかじりつきだった。
因みに、テスト週間の間はさすがに蒼司のアトリエには行かなかったし、蒼司も私を呼び出したりしなかった。
というか、美術の授業や部活も無いので、蒼司と会うことはほぼない。蒼司に振り回されることが無いのでほっとする反面、何だか物足りないような感じもしないではない。
……いかんいかん。私も徐々に、蒼司に毒されているのだろうか。良くない傾向だ。しっかりと自分を保たねば。
蒼司の常識と理性は、これっぽっちも当てにならない。私が正気を保たねば、また世間的NGという名の分厚い鋼鉄の壁を素手でぶち破るみたいな、誠に嘆かわしい事態が起こってしまうかもしれない。
だからこうして、たまには互いに距離を取ることも必要だろう。いやはや、冷静になることができて本当に良かった。
そんなこんなで、いよいよテスト週間も最後の日がやって来た。最後の科目は英語のライティング。これが終わったら、私たちは晴れて自由の身だ。
あとは結果を天に任せるのみである。
テスト問題と格闘すること、およそ五十分。そしてとうとう、テスト終了のチャイムが鳴る。
「……はい、それではテスト終了です。答案用紙を提出してください」
ライティングの担当教師である内藤先生の指示に従い、生徒たちは答案用紙を自分で教卓まで持って行って提出する。そして席に戻り、号令をかけ、授業を終えると、内藤先生は答案用紙の束を手に教室を後にした。
その途端に、教室を覆っていた緊張した空気は、どっと弛緩する。
「あー、終わったねー!」、「いやあ、マジで疲れたー!」、「テスト、どうだった? 難しくなかった?」、「なあ、帰りどっか寄って行こうぜ!」――などなど。同級生たちはみな、一斉にざわざわとざわめいている。
私も悠衣や入江、男鹿と共に机を挟んで集まった。