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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
『常識』って面倒くさい
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第10話 蒼司が描きたいもの

 すると、蒼司は再びニコッと笑う。


「ああ、そうそう。テスト勉強の方は進んでる? もし時間に余裕があるなら、僕につき合って欲しいんだよ」


「なっ……私に何をさせるつもりだ……?」


 私がぎょっとし、一歩、後退しながら、戦隊モノの決めポーズみたいな格好で身構えると、蒼司はおかしそうに笑う。


「そんなに警戒しないでよ。危険な事じゃないからさ。頼みというのは、僕の絵に関することなんだ」


「……!」


 それなら、こちらも適当に聞き流すわけにはいかなかった。蒼司が唯一、決して奢りもせず蔑ろにもせず、嘘をついたりもしないのが絵だからだ。


 蒼司が絵の話をする時は、真剣な時と決まっている。だから他のことはともかく、絵に関する話なら私も真剣で返したかった。


 その気配を察したのか、蒼司も僅かに肩の力を抜く。


「どうにかして、スランプから脱したくて……こうして結城家の離れをアトリエにさせてもらったわけなんだけど。やっぱりどうにも筆が進まなくてね。それで考えたんだ。少しの間、『描かなきゃ』って思考から離れた方がいいんじゃないかって。今の僕は、『描かなきゃ』じゃなくて、『何が描きたいか』を優先すべきじゃないかと思うんだ」


「ふうん……それで?」


 すると蒼司はとっておきの秘密を打ち明けるみたいに、目を輝かせて両手を大きく広げるのだった。


「僕が今、一番描きたいのはね、立夏……君だよ! 君をモデルにして絵を描かせて欲しいんだ!」


 私を、モデルにして、絵を。


 鼓膜を震わせたはずのその言葉を、私はすぐに脳内で処理することができなかった。


 モデルって、あれじゃないか。普通はキレイな人がやるものじゃないか。珍獣と称されてきたこの私が、モデル? ちょっと何言ってるか分からない。


 ところが、完全フリーズした私の前で、蒼司は輝かんばかりの笑みを放っている。


 ――こいつは本気だ。そう悟った瞬間、私は目ん玉をひん剥いた。


「はあ!? む、むむむむむ、ムリ! 無理!! 私はそんなスタイルだって良くないし、美人でもない! 絵のモデルなんてなれるわけないだろ!!」


 ところが、ありがた迷惑なことに、蒼司はそれを全力で否定するのだった。


「そんな事無いよ。立夏は十分、魅力的だよ! それに僕は立夏を描きたいんだ。たとえ立夏の容姿がどうであったとしても、全然関係ない。だって、僕がそうしたいんだから!」


「お前なあっ……!」


 だからどうして、そこで私の気持ちがどうであるのかを考えないのか。どうしてそこで、私もきっと快諾するに違いないと考えてしまうのか。


 蒼司にはそういうところがある。決して他人の事を考えられない性格なわけではないのに、ちょいちょい自分しか見えなくなって暴走するのだ。


 すると、さすがに蒼司も今回ばかりはそこのところに気づいたらしく、意外とあっさり我を取り戻した。


「……でも、僕が君の絵を描くとなると、精神的に負担をかけることになるかもしれないし、場合によっては時間的にも拘束してしまうことになるかもしれない。だから、立夏の許可を得た方がいいと思ったんだ。君の知らないところで勝手に絵を制作することもできるけど……それは姑息な感じがするからしたくないし」


「……。変なところで律儀なんだな」


「僕はいつだって律儀なつもりだよ。立夏に対しては特にね」


 そう答えると、蒼司はふと真剣な顔になる。


「……確かに立夏の言う通り、スタイルのいい子は他にいくらでもいる。顔の造詣が整ったきれいな子もね。でも、その子たちじゃ意味が無いんだ。モデルは誰でもいいっていう訳じゃない。だって、僕が描きたいのはきれいな女の子の絵じゃないんだから。僕は、君でなければ嫌なんだよ」


 思わずため息が漏れた。私は蒼司の苦悩を知っている。


 私の前では、決して深刻な様子を見せないけれど、蒼司にとって絵を描くことができないということは、砂漠の真ん中で水が飲めないという事と同じくらい苦しく、生命にすら関わることなのだ。


 そして、蒼司は今も苦痛の真っ只中にいる。それを知っているのに、嫌だと撥ねつける事なんてできなかった。


 正直に言って、絵のモデルになることにはかなりの抵抗があるけど、写真とは違ってそのままの姿がキャンバスに落とし込まれるというわけじゃない。


 蒼司が私をどう描くつもりかは知らないが、キュビズムとかみたいな抽象画になる可能性だってあるわけだし。


 それはそれでいろいろとアレだけど、少なくとも絵のモデルが私だと第三者に知られる確率は減る。そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなる気がする。


 私は蒼司をじろりと睨んだ。


「……ヌードじゃないよな?」


「まさか。服を着たままでいいよ。でももし、立夏が許可してくれるなら……」


「するわけないだろ! 私のヌード画を描いたりしてみろ、パレットナイフで容赦なく往復ビンタだからな!」


「ははは。それじゃ、まるで金田一に出てくる事件現場みたいになっちゃうね。いや、江戸川乱歩かな?」


「どっちでもいいし、そもそも笑い事じゃない!」


 何だかいまいち信用ならないが、さすがの蒼司も私に断りなく、勝手に裸婦画を描いたりはしないだろう。蒼司は画家だ。モデルとの関係が悪化すれば、絵の制作に影響が出ることも当然、知っている。


 蒼司に常識が無いのは確かだし、あまり当てにもしていないが、絵に対する真摯な情熱は本当だと、その部分を信じたい。


「それで……私は何をすればいいんだ? キャンバスの前に座っていればいいのか?」


 渋々、モデルになる件を承諾し、そう尋ねると、蒼司は意外にも少しほっとしたような顔をした。もしかしたら、内心では私がモデルを断固拒否するのではないかと、緊張していたのかもしれない。


「いや、まずは最初に鉛筆でスケッチをしようかと思ってるんだ。立夏はモデル初めてでしょ? そういう練習期間があった方がいいかと思って。僕も絵のイメージを膨らませたいしね。すぐに用意するから、待っててくれる?」


「え、今からか? かなりテキトーな服装だぞ!?」


 因みに、私の今の服装は、上はぶかぶかパーカー、下はジョガーパンツ。早い話が、完全にルームウェアスタイルなのだ。


「それでいいよ。何度がスケッチするから、その度に違う服装で構わない。それより、時間は大丈夫?」


「まあ、三十分くらいなら平気だ」


「じゃあ、すぐに取り掛かろう」


 蒼司はさっそくアトリエの中央を占めていたキャンバスとディーゼルを手早く片付けると、何もなくなったその空間に椅子を置いた。そこに座れということだろう。


 そして自分も離れたところで同じ椅子を広げ、スケッチブックと鉛筆を手にして座る。


 私が決心を固めかねて立ち尽くしていると、蒼司が可笑しそうに着席を促した。


「……どうぞ。せっかくだから座りなよ」


「でも、どういったポーズをすればいいのか分からないし……」


「最初はただ座っているだけでいいよ。何枚か描く予定だから、徐々に慣れてくるよ」


「何か、緊張するな……」


 私は恐るおそる、椅子に腰かけた。その瞬間、蒼司の瞳が私を捕らえたのを感じる。


 その目を真正面から受けるのは、さすがに恥ずかしいし居心地も悪いので、ちょっと体の正面を斜めにずらし、蒼司から視線を外すことにした。


「あ、いいね。そのまま動かないで。もうちょっと力を抜いても大丈夫だよ」


「こ……これで精一杯だ!」


 蒼司は笑ったが、すぐに真剣な瞳になる。そしてすぐにアトリエは無言になり、蒼司が鉛筆を走らせる音のみが響くようになった。


 蒼司がどんな絵を描いているか、もちろん私の方からは見えないが、鉛筆の走る音を聞く限り、けっこう筆が乗っているのではないかと思う。


 私も、最初の数分は緊張していて、動かないようにじっとしているだけで精一杯だったが、だんだん思考を巡らせる余裕が出てくる。


(今更だけど……なんだかんだで、蒼司に上手く乗せられたような気がするな。私は蒼司に甘いんだろうか……。いや、私のスケッチごときで蒼司がスランプから脱することができるなら、それはそれでいい事ではあるが……)


 それでも、釈然としないものは残る。頼めば何でもしてくれる、便利な居候先の女の子。蒼司にそう思われるのは、やはり癪だ。


 何より、このまま蒼司に振り回され続けると、また子どもの頃みたいに痛い目に遭うかもしれない。ある日突然、このアトリエから忽然といなくなる――蒼司はそういった事も十分にあり得るヤツなのだから。


(そもそも、面と向かって好きだとか、君でなければ嫌だとか……本人を前にして臆面もなく口にするなんて、一体どういう精神構造してるんだ? まさに鋼のメンタル……っていうより、もはや超硬合金の域だろ! あのノリが高校でもポロッと出なきゃいいんだけど……あらゆる面において不安だな……)


 そりゃ、世の中には恋愛に疎い人もいれば、逆に恋愛に対して積極的な人もいるわけだから、例えば公衆の面前で堂々とプロポーズをし、あまつさえそれをSNS上へ無邪気にアップする恋人たちがいたとしても、あれこれ言うつもりなんてちっとも無い。


 別に羨ましいとも思わないが、同時に非難したり難癖をつけたりするほどでのことでもないとも思うからだ。私にあまり興味がないだけで、虹ヶ丘高校の生徒にもつき合っているカップルはいるだろうし。


 でも、自分自身がその演者になるのはごめんだった。理論的な理由なんてない。嫌なものは嫌なのだ。ましてや、スキャンダルの中心になるなんて、どんな経緯があれまっぴらご免だった。


(やれやれ。世の中には、恋人や配偶者のことを、あまり周囲に詳しく話したがらない人もいるというのに……)


 そして、私はふと悠衣の姿を思い出す。


(悠衣も……蒼司の半分でもいいから、自分の気持ちを表に出すことができれば、もう少し楽なのかもしれないけど……)


 悠衣は悠衣で、極端だ。たとえ自分自身が傷ついてでも、男鹿との関係を秘密にしようと全力を注いでいる。


 それはあまり意味のない努力なのではないか。その血の滲むような努力は、けれど、男鹿さえも傷つけてしまうのではないか――恋愛に疎い私ですらそう思ってしまうこともしばしばだが、それでも悠衣の心は頑なだ。


 ところが、蒼司はその真逆で、もし自分の立場が悪くなったとしても、己の気持ちを押し殺したり隠したりするのは絶対に嫌だという。まったく、同じ恋愛観でも人によって、こんなにも違うものなのか。 


(男女差というのもあるのかもしれないけど……でもやっぱり一番は、価値観の差かな。悠衣が守りたいのは男鹿との関係で、蒼司が守りたいのは私への気持ちと情熱なんだ、きっと……。どちらがいいとか悪いとかじゃなく)


 もし、悠衣が蒼司の半分でも楽観的になれたら幸せなのだろうか。いや、決して今の状態が不幸そうに見えるというわけではない。ただ、何というか……無理をしているように見えてしまうのだ。


 男鹿はどうなのだろう。悠衣は時々、明らかに不自然なほど男鹿と距離を取る。入江はあまりその事に気づいていないようだけど、男鹿は気づいているような節がある。多分、気づいている上で、敢えて気づいていないふりをしているのだ。


 でもどんな理由があっても、距離を取られたら多少なりとも不愉快に感じたり、傷ついたりするのではないか。そのあたり、男鹿はどう思っているのだろう。


 ああだこうだと考え込んでいると、蒼司が声をかけてくる。 


「……よし、と。それじゃあ座る向きを変えてもらおうかな」


「もう終わったのか? えらく早いな」


 アトリエの壁に掛かっているお洒落な時計を見上げると、スケッチが始まって五分ほどしか経っていない。私が高校の美術の授業でクロッキーをした時は、十五分経っても仕上げられなかったのに。素直に感心する私に、蒼司は苦笑を返す。


「曲がりなりにも、これが僕の仕事だからね」


 それもそうか。そういえば、大学生の時から蒼司はやたらと絵を描くスピードが速かった。人物画でも風景画でも、魔法みたいにあっという間にスケッチしていた。蒼司にとって、これくらいは本来、朝飯前なのだ。


 ただ、私が美術部に入り実際に絵を描くようになったことによって、それがどれだけすごいことか実感できるようになっただけなのだろう。


 そう納得していると、蒼司は私に、椅子に座る角度や姿勢を変えるよう、更に促してくる。


「少しポーズをつけてもらっていい? もちろん、辛くない範囲でいいから」


「……こうか?」


 蒼司に頼まれ、私は咄嗟に足を組んでみた。そして膝の上に軽く両手を合わせる。どこにも力が入っていないので、あまり辛くない。


「ああ、それでいいよ。その姿勢を何分か維持できそう?」


「大丈夫だと思う」


「そう、それじゃ始めるね」


 そう告げると、蒼司は再び鉛筆を走らせ始めた。そのままアトリエに沈黙が降りると思いきや、蒼司は私に声をかけてきた。


「さっき、何を考え込んでいたの?」


「え?」


 何故、それが分かったのか。驚いたはずみで、危うく蒼司の方へと首を動かしそうになる。モデルは動いちゃいけないんだっけ、いかんいかん。一方、蒼司はというと、スケッチの手を緩めることなく、微笑を浮かべた。


「何か考えていたでしょ。表情が変わったからすぐに分かったよ」


「それは……」


 お前にはあまり関係のないことだ――そう答えようとして、不意に思い出した。そういえば私は昨日、蒼司に悠衣のことを相談しようと思っていたんだっけ。


 けれど、こうしていざという時を迎えると、俄かに迷いが出てきた。何故なら、蒼司も悠衣のことを知っているからだ。


 悠衣は自分のかかえている問題を、できるだけ誰にも知られたくないと思っている。だから、もし話すとしても、絶対に悠衣のことだと分からないようにしなければならない。


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