第3話 宇宙人の恋
「立夏、まだ僕のことを避けてるの?」
「当然だろ! お前この間、私に何をしたのか忘れたわけじゃないよな!?」
「ええと……そんなに避けられるほどのこと、何かしたっけ?」
(こいつ……!!)
もう忘れたのか、お前は鳥頭か。蒼司をシバき回してやりたい衝動をどうにか抑えつつ、私は母屋に聞こえないよう小声で言った。
「お前、私にキスをしただろ! 好きだとか何とか訳わからんことを口走った挙句、不意打ち同然に!!」
「ああ、なんだ。その事か。確かに不意打ちじみていたかもしれないけど……僕が立夏の事を好きなのは本当だよ。立夏が望むなら、今度からはちゃんと予告をしてからにする。それならいいでしょ?」
「い……いいわけあるか! ってか、予告の有無が問題なんじゃない! そもそも、キスなんかするな! 私は別に、お前のことなんか好きでも何でもないんだぞ!!」
この会話も何度目だろうか。口にするたび若干の虚無を覚えるが、蒼司の鳥頭がしっかりそれを記憶するまで、何度でも繰り返してやる。しかし、そんな私の決意を、今日も蒼司は笑顔で無に帰すのだった。
「その点は気にしてないよ。僕が立夏を大好きなのは変わらないし、立夏が僕の事を好きになってくれるまで、いつまでも待つつもりだから」
「その時が永遠に来なくて、爺さんになったらどうするつもりなんだ? そうでなくとも、私が他の男とくっつく可能性だって十分にあるだろ」
「それならそれで構わないよ。僕はずっと立夏を想い続けるから」
「こ……怖っ! っていうか、気持ち悪っ!!」
私は思いっきりドン引きしてしまった。そりゃ、私だって誰かから好意を寄せられたら、悪い気はしないが、そこまでして恋い慕って欲しいとは思わない。誰かを好きになる時も同じだ。極端な感情は、一見すると美しいようにも見えるが、結局はみんなが不幸になる。
すると蒼司は、私の反応に苦笑をするのだった。
「ひどいなあ、一途だと言って欲しいよ。……っていうか、立夏は本当に変わってるね。普通の女の子は、そういうことを言われて喜ぶ子も多いのに……」
「……ほほう。つまりそうやって、女を次々と口説いていたというわけか。サイテーだな、お前」
「まあ、否定はしないけど……僕は恋愛相手にはいつも本気だよ。長続きしない事も多いっていうだけで。そこは信じて欲しいな」
「知らん。つーか、興味も無い!」
確かに蒼司はいわゆるイケメンというやつで、顔の造形だけは一級品並みだから、その外面に騙された気の毒な女の子たちが、何人か餌食になってしまったのかもしれない。でもまあ、それは私には何ら関係のない事だ。
「ともかく、私は帰るからな」
「……立夏」
「な、何だ?」
急に蒼司が真面目な口調になったので、私はぎょっとしつつ振り向く。
「僕が立夏の事を好きなのは、本当だよ。絵を描くことしかできないのに、何も描けなくなってしまって、それなのに筆を折る勇気も気概も無くて……特にこの数年は本当にどん底だった。でも、立夏に再会できて、僕の絶望的だった世界は変わったんだ。真っ暗闇に、一条の光が差したんだよ。立夏には本当に感謝しているんだ。だから、邪険にされると、とても辛い。立夏がそれほど僕のことが嫌いというなら、仕方ないけど……」
「……」
(十歳近くも年下の子どもに、そういう事を堂々と話せてしまうところは、蒼司のすごいところというか、何というか……)
特に世の男性は、普通、自分の弱いところは人に見せたがらないものなのではないのか。人前で強がる男性は何人も見て来たけれど、蒼司のようなタイプは今まで身近にいなかったから、どう対応してよいものか戸惑ってしまう。
でも、蒼司は蒼司で本気なのかもしれない。いろいろとズレているというか、突っ込んでしまいそうになる部分も多々あるが、元来、蒼司は感性が宇宙人だから、それも致し方ない事なのかもしれない。
(別に私も、蒼司のことが嫌いってわけじゃないが……)
そもそも、好きとか嫌いという以前に、私と蒼司が必要以上に親密にする事には、問題がいくつも横たわっている。年齢差ももちろん問題だが、一番はそれぞれの置かれた立場だ。私はまず、一つの妥協案を口にした。
「……分かった。ただ、一つ約束しろ。もう二度とキスはしないって」
「え、どうして?」
「どうしてって……そこからなのか!? 本当に考えても分からないか!?」
「分からないな。僕はこんなにも立夏の事が好きなのに、どうしてキスしちゃ駄目なの? 立夏が絶対に嫌だというなら、ともかく……二度とっていうのはあんまりだよ」
私は頭を抱えたくなった。一体、どれだけ遠い星から来た宇宙人なんだ、こいつは。でも、ここで話をやめるわけにはいかない。
「それじゃ聞くけど、お前の職業は何だ?」
「うーん……敢えて言うなら、芸術家……かな?」
「そうだな。ただいま絶賛休業中の芸術家だ。その代わり、今は何をしてる?」
「虹ヶ丘高校で非常勤講師をしているね。あと、専門学校の講師も掛け持ちしているよ」
「そう、その通りだ。一方、私は毎日どこに通ってる?」
「虹ヶ丘高校だね」
「つまり、お前は非常勤とはいえ虹ヶ丘高校の教師で、私はその生徒だ。仮にも教師が生徒とキスするなんてヤバいだろーが、いろいろと」
「……そうなの?」
「そうなんだよ! 世間的にはNGもNG、超NGだし、もし学校にばれたらお前、ソッコーでクビだぞ!! 社会的信用が失墜して、少なくともこの俵山にはいられなくなるんだぞ!!」
私は脅すような口調で蒼司にそう突き付けた。大袈裟なくらいでないと、蒼司には伝わらないと思ったからだ。それに、私の指摘そのものは、大袈裟でも何でもなく、間違いのない事実でもある。
ところが、蒼司はけろりとして反論するのだった。
「別に平気だよ。クビになったら、新しい職場を探すし。教職は確かに刺激的で勉強にもなるけど、立夏の方が僕にとってはずっと大事だしね」
「お前はそれで良くても、私は嫌なんだっつーの! 教師と恋愛する女子生徒なんて、俵山みたいな田舎じゃ、公序良俗に真っ向から喧嘩売ってる尻軽女っていう扱いなんだ! 絶対に針の筵を味わうことになる! 私は、そんな生活、まっぴらご免だ!! それに……お前が実際にクビになったら、私の立場は、気持ちはどうなる!? お前が職にあぶれることになっても、私は全く心を痛めないし気にしないとでも思っているのか!?」
そこまでくどくどと説明して、ようやく蒼司は事の重大さを理解したらしい。先ほどまでの怖いもの知らずな威勢を引っ込め、若干、気落ちした風に言った。
「そうか……ごめん。そこまでは考えていなかったよ。何かトラブルになったとしても、立夏が僕と同じように割り切れるわけじゃないって事だよね。ここは立夏の生まれ育った場所なんだし、孤立したくないと思うのは当然のことだ」
「ようやく分かってくれたか? そんなわけだから、私のことは諦……」
ところが、蒼司は私の言葉を遮って続ける。
「それなら僕は、立夏が虹ヶ丘高校を卒業するのを待つことにするよ。それまでは、交際を迫ったりキスをしたり、そういうことは絶対にしない。僕が立夏に片思いするだけ。それならいいでしょ?」
「はあ!? 卒業って……少なくとも二年は後だぞ? その頃に私の気持ちがどうなってるかなんて分からないし、大体お前、本当に待てるのか!?」
「もちろん待つよ。立夏の為ならね。そもそも僕、これまで片思いとかした事無いんだよね。好きになった女の子とは、大抵、速攻で両想いになってつき合ってきたから。だから何ていうか……逆に、すごく新鮮だよ。これはこれでっていうかんじで!」
「あー、そうかい。そいつは良かったな」
蒼司は妙にワクワクしている。本気で私が高校を卒業するまで、大人しく待つつもりだろうか。
私は半眼になってそれを見つめた。恋多き蒼司にそんなことができるだろうか。いや、できるわけがない。蒼司にとって、恋の刺激は空気や水と同じくらい、生きていくのになくてはならないものなのだから。
待つのに飽きたら、さっさと俵山から出て行くだろう。大学生時代、そうだったように。実際にそうなった時、必要以上に傷つかないためにも、あまり深入りはするべきでない。
「……っていうか、どんなことになっても私は無関係だからな! 何があっても、絶対に巻き込むなよ!」
念押しすると、蒼司はまっすぐすぎるほどの真摯な瞳を、私に向けた。
「分かってるよ。約束は必ず守る。……だからまたアトリエに遊びに来てよ、立夏」
(うっ……)
蒼司の目はいたって真剣だった。眉間に影が落ちて、愁いを帯びているようにも見える。そうすると、端正な顔立ちが余計に引き締まって見えた。舞夏が見たら、間違いなくきゃあきゃあ言うことだろう。かくいう私も、ちょこっと心が揺れたほどだ。
多分、蒼司は世の女性がそういう表情にすこぶる弱いことを、無意識のうちに知っている。わざとやっているわけではないだろうが、本能的に察しているのだ。私はとうとう根負けし、溜息をついた後、口を開いた。
「……分かった。たまになら、来てやってもいい」
「本当?」
蒼司は表情を一変させ、子どものように無邪気に喜んだ。そのような顔をされたら、さすがの私もどきどきとしてしまう。その動揺を悟られないためにも、わざと乱暴な口調で付け加えた。
「でも、何かしたら二度と来ないからな!」
「うん、分かってるよ。まかせて!」
(軽っ! 蒼司のやつ……本当に分かってんだろーな?)
蒼司は満面の笑顔だったが、私はついジト眼になってしまうのだった。
こう言っては何だが、蒼司の感覚は常人と少しズレている。そのズレが芸術の上では大いに役に立っているんだろうが、普段の生活にまで持ち込まれると大いに困る。
蒼司は私の事を好きかもしれないが、私は別に蒼司のことが特別に好きというわけではないし、たとえ好きだったとしても、恋愛が他の全てに勝るとも思えない。私にとっては、日々の平穏な生活を守ることの方が、恋愛よりずっと大事だ。
もっとも、この辺りの感覚は、人によってずいぶん違うんだろうけど。
蒼司のアトリエには、相変わらずほのかに油絵の具の匂いが漂っていた。けれど、以前と比べてその匂いが強くなっているということはない。むしろ、だんだん薄まっていっているような気さえする。
おそらく――いや、ほぼ間違いなく、蒼司はまだ絵を描くことができないでいるのだろう。新しい油絵の具を全く使っていないから、匂いもどんどん薄まっているのだ。
でもその事を直接本人に尋ねるのは、さすがにいくらなんでも酷であるような気がして、私はそのまま何も言わず、母屋に戻ることにしたのだった。