第2話 中間テストと宿泊研修
「や~ん、おばあちゃんのロールキャベツ、おいしい!」
歓声を上げる舞夏に、私はすかさず釘をさす。
「私とばあちゃんが二人で巻いたんだぞ。ありがたく食え」
「はいはい、立夏お姉さま。とーっても感謝してますぅ~!」
「お味噌汁もおいしい……! 何ていうか、旨味ぎゅっと詰まってる感じ」
晴夏はみそ汁を口にして、そう顔を綻ばせる。その反応に、ばあちゃんも嬉しそうだ。
「いい煮干しが手に入ったからね。市販のダシより手間はかかるけど、その分、深い味が出るんだよ」
「あ~、ご飯が美味しいって、幸せ~!! ……って、そういえば、蒼ちゃんは? 一緒にご飯食べられるかと思って、楽しみにしてたのに」
舞夏は残念そうに唇を尖らせた。蒼司は晴夏や舞夏の前では、やたらと猫を被る。そのせいか、舞夏は蒼司のことがいたくお気に入りなのだ。それに対し、私は素っ気なく答えた。
「蒼司はまだ帰ってないみたいだぞ。さっき、祠にお供え物を運ぶついでに見てみたが、アトリエは真っ暗だった」
「そうなんだ……何かあったのかな? また、誰かに言い寄られてるとか……あたっ!」
私は卓袱台の下で、慌てて舞夏を小突いた。舞夏が言っているのは、以前、蒼司と教え子である専門学校生の間で起こった、ある恋愛トラブルのことだ。
その専門学校生は、蒼司への気持ちを募らせるあまり、告白しようとこの家へ突撃してきたのだ。
その時の話は、今でも壱夏ばあちゃんには秘密にしてある。ばあちゃんは不純やだらしなさを嫌うから、もし蒼司をふしだらな奴だと判断したら、容赦なく追い出してしまうに違いない。
あの件に関しては、蒼司にも不可抗力だった部分もあるため、できるだけ伏せておく方がいいと判断したのだ。その事を知っているからか、晴夏が慌ててフォローしてくれた。
「あ、あれじゃないかな。高校もそろそろ、中間テストの季節だし。専門学校も何か課題とか、用意しなくちゃいけないのかも」
すると、舞夏は途端に眉をしかめる。
「あー、中間テストかあ……。テンション下がるわー。今その話、聞きたくなかった……」
「あ、ご……ごめんね、舞夏。確かに、月渡学園(うちの学校)もどことなくピリピリしてるっていうか……高校に入学して初めての大きなテストだから、みんな口には出さずともすごい気合い入れてるし。確かに食事中に聞きたい話じゃなかったかも……」
二人のやり取りを聞いていた私は、すぐさま晴夏に加勢した。舞夏は末っ子特権を発動させ、しょっちゅう訳の分からない事を言って晴夏を困らせるからだ。誰かがお灸を据えないと、舞夏は力押しで自分のわがままを通してしまう。
「謝ること無いぞ、晴夏。中間テストがある期間は、この一帯にある高校はみな殆ど同じで、しかも入学式の時から分かっていた事なんだし、舞夏も当然、準備してるだろうしな」
「もー、何よ。立夏はすぐそうやって嫌味たらしく言うんだから。あたしはいいの! 将来、漫画家になる予定なんだから、別に勉強なんかできなくても困らないし? むしろぶっちゃけ、やるだけ時間の無駄ってカンジ!」
舞夏は得意げに胸を逸らせた。舞夏が漫画家になるべく努力しているのは、私も知っている。しかしだからと言って、勉強をしなくていいという事にはならないのではないか。そう思っていると、壱夏ばあちゃんがぎろりと舞夏を睨む。
「馬鹿をお言いでないよ。星蘭高校へ行きたいと言ったのは、舞夏、お前だろう。星蘭高校には中間テストがある事も、ある程度は勉強しなきゃいけない事も、全て知っていて了解の上で進学先として選んだんだろう。それを今さら、必要ないから勉強はしませんなんて甘えは許されないよ。……自分で言い出したことには最後まで責任を持ちな!」
「わ……分かってるってば! ちょっと立夏に言い返したかっただけ!」
舞夏は首を竦め、慌ててそう返した。まさに、蛇に睨まれた蛙状態だ。ばあちゃんの鋭い眼光で睨まれたら、誰だってそうなる。舞夏にはいい薬だ。
すっかりしょげ返ってしまった舞夏を気遣ったのか、晴夏は話題の矛先を変えた。
「でも、中間テストが終わったら、宿泊研修もあるし。いやな事ばかりじゃないよ」
「あー、宿泊研修かぁ……。面倒臭いよねー、ああいうの」
などと言いつつ、舞夏の表情はニマニマとかなり緩んでいる。舞夏はもともと、文化祭とか体育祭とか、みんなでわいわい言いながら取り組む学校行事が好きなのだ。何故か、いつも面倒そうなふりをするけれど。高校生にもなってワクワク感を全開にするのは、恥ずかしいと思っているのかもしれない。
晴夏は私にも話を振って来た。
「虹ヶ丘高校は宿泊研修、どこへ行くの?」
「どこだったけ。確か、山の中にある宿泊施設だったと思うぞ。キャンプ場が併設されていて、飯盒炊飯とかで米を炊く実習もあるって言ってた。近くに川が流れていて、魚が獲れるらしい。イワナとか、ヤマメとか」
「キャンプかぁ……まあ、定番だけど楽しそうじゃん」舞夏は私に対し、何故だか上から目線の感想を述べる。「うちの高校は、宿泊研修を島でやるらしいよ。いいでしょ~?」
「へえ、そうなんだ。すごいね!」
舞夏のあからさまな自慢に、晴夏は感嘆を返した。そんなだから舞夏が調子に乗るのだと私は思ったが、晴夏の様子を見ると、心からそう思っているらしい。
俵山から南に下ると、駅前商店街があって、JR新陽海駅から東西に鉄道が延びている。その更に南には、藍浜という町が広がっている。
藍浜は埋め立てによって新たに誕生した町であり、大きなマンションや新しい今風のお洒落な一軒家が多い、いわゆる新興住宅地だ。藍浜は海に面しているため、眺めの良さも新興住宅地のセールスポイントの一つらしい。
俵山でも、例えば高校の屋上などに登れば、藍浜の町とその向こうに広がる海を臨むことができる。つまり、俵山から海は意外と近いのだ。
藍浜の南東部に猫屋島という大きな島があり、宿泊施設を始めとしたさまざまな施設があるのは私も知っている。舞夏の通っている高校、星蘭高校は、そこで宿泊研修を行う予定なのだろう。
舞夏は、さきほどの「面倒臭い」という発言もどこへやら、今や全身からウキウキ感を発しながら、饒舌に説明する。
「まだ、友達から聞いただけだけど、バンガローに泊まってシーカヤックを漕いだりするんだって! バーベキューもするんだよ! めっちゃ良くない?」
「すごい、お洒落だねー。羨ましいよー」
そう返す晴夏に、今度は私が質問をする。
「晴夏が通ってる月渡学園は、どこで宿泊研修をする予定なんだ?」
「古くて大きなお寺だって。そこで座禅を組んだり、瞑想したり、写経をしたりするって聞いたよ。一応、キャンプ実習とかもあるみたいだけど」
「何それ、渋っ!! 高校生のする事じゃなくない!?」
舞夏はぎょっとして叫んだ。確かに、バンガローに泊まってシーカヤックを漕ぐ星蘭高校の宿泊研修に比べると、随分と地味で渋いと私も思う。宿泊研修というより、もはや何かの修行だ。
ところが、それを聞いていたばあちゃんは目を輝かせた。
「いいじゃないか。座禅や瞑想、写経……心が静まり、日ごろの悩みや煩悩も忘れられる。できたら、晴夏の代わりに私が参加したいくらいだよ」
ばあちゃんが半ば本気を感じさせる口調でそう力説するものだから、私たち三姉妹は思わず笑ってしまった。
「ははは。確かに、ばあちゃんは好きそうだな。そういうの」
「おばあちゃんなら、お寺で生活することになったとしても、すぐ馴染んじゃいそうだしね」
「あたしは、絶対ムリ! お菓子とか食べられないだろうし、漫画も描けないんでしょ? 一日でおかしくなりそうだもん」
「そうだな。それにお寺で宿泊研修をしたくらいじゃ、舞夏のわがままは矯正できないだろうしな」
「何よ、あたしのはわがままじゃないもん。ちょーっと主張が強いだけだもん!」
そんな話をしながら、夕飯の時間は過ぎていった。
食後は大抵、手伝いの時間だ。風呂掃除やトイレ掃除、食器洗いなどを、三姉妹で分担し取り掛かる。今日の私の当番は食器洗いだ。台所で皿洗いをしていると、ばあちゃんが声をかけてきた。
「立夏。蒼司が帰って来たみたいだ。悪いけど、離れまで夕飯を持って行ってやってくれるかい?」
「あー……うん。分かった」
ばあちゃんはそう言うと、蒼司の夕飯を盆に並べた。メニューは私たちと全く同じ。それぞれの皿には丁寧にラップがしてある。レンジで温めたのか、ラップは水蒸気で曇っていた。
私はその盆を持ち、蒼司のアトリエとなっている西の離れへと向かった。
その時間になると、さすがに蒼司も帰宅しているらしく、部屋には明かりがついている。玄関でチャイムを鳴らすと、すぐに蒼司がその端正な顔を覗かせた。
蒼司は私が立っているのを見るや否や、少年のように嬉しそうに笑う。
「あれ、立夏? 来てくれたの? もしかして……僕が帰るのを待ってた?」
「何でそーなる。……今日の夕飯を持ってきてやったんだ。ばあちゃんに頼まれたから」
「それはわざわざ、どうもありがとう。上がってく?」
「いいよ、別に。特に用も無いし、お前と二人きりになりたくないしな」
私は皮肉たっぷりにそう返すと、夕飯のプレートを蒼司に押し付け、母屋に戻ろうとする。
すると蒼司は、途端に悲しそうな顔になった。例えるなら、『ちゅ~る』を食べる途中で没収された、にゃんこのようだ。