第24話 三姉妹共同作戦
「ねえ、ちょっと思い出したんだけど……ばあちゃん、蒼司くんに言ってたよね。余所の女の人を連れ込んだら、この家から追い出すって」
「ああ……そういえば、確かにそんなこと言ってたな」
でも、それがどうしたんだ。首を傾げる私だったが、舞夏は晴夏の言わんとしている事に気づいたらしく、口元に手を当てて「あ!」と、小さく叫ぶ。そして次に、バンと自分の両手をちゃぶ台に叩きつけた。
「ちょっと、それ超ヤバいじゃん! 今はばあちゃんがたまたま風呂に入ってるからいいけど、風呂から上がって来たばあちゃんが蒼ちゃんたちの様子を見たら、絶対に激怒するよ!」
すると晴夏は、困った顔をして頷く。
「そうだよね……。蒼司くんはあの朝田さんって人を連れ込んだわけじゃないし、むしろ向こうから押しかけて来たみたいだけど……それを説明したところで、ばあちゃんが耳を貸すかどうかは分からないし」
「そりゃ、まず耳を貸したりしないでしょ! ばあちゃんはただでさえあたしたちより感覚が古いんだし、おまけに一度言ったことは、絶対に曲げない人だし。このままじゃ蒼ちゃんが追い出されちゃうよ!」
蒼司がこの家から強制排除されてしまう。それに気づいた晴夏と舞夏は、大騒ぎだ。けれど私は、興奮する二人に加わる気にはなれず、冷淡に口を開いたのだった。
「それもまあ、仕方ないんじゃないか?」
「立夏……!」
「どうしてよ!? 蒼ちゃんは何も悪くないじゃんか!」
「悪いかどうかを判断するのは、ばあちゃんだ。それに蒼司が追い出されたとしても、私たちは元の生活に戻るだけで、別に何も困ることはない。……そうだろう?」
というか、ぶっちゃけこの辺が、潮時だったのかもしれないと思う。
蒼司が何のためにこの家に転がり込んできたかは知らないが――いやまあ、およその想像はついているのだが、それでも蒼司の望むものがこの家で得られるとはとても思えない。
そもそも蒼司は、いろんな意味でこんな田舎にいるべきじゃない。あの独特の感性は、旧態依然とした田舎の人間関係においては、ただ裏目に出るだけだ。だから絵を描くにしろ教師になるにしろ、もっと自分にふさわしい場所へ行った方がいい。
それが、蒼司自身のためにもなるのだから。
「そうかもしれないけど、でも……!」
どうしても割り切れないのか、晴夏は口ごもりながらも反論の言葉を探している。一方、いかなる時も主張のはっきりしている舞夏は、私の目の前で仁王立ちするのだった。
「あたしはそんなの、おかしいと思う! だって、蒼ちゃんは真面目に講師をしてただけでしょ? ねえ、あたしたちで蒼ちゃんを助けてあげようよ! 何とかして、あの朝田って人を追い返すの。ばあちゃんが風呂から上がってくる前に!」
すると、晴夏も嬉しそうな顔をした。
「それはいいかもね。取り敢えず、蒼司くんたちには別の場所に移動してもらって、そこでじっくり話し合いをしてもらえばいいんだし。ねえ、立夏?」
「……私は遠慮しとく」
「な、何でよ!?」
「これ以上、蒼司には関わりたくないからだ」
「立夏……」
悲しそうな顔をする晴夏に対し、舞夏は私の答えが到底、納得できないのか、怒りをあらわにして詰め寄って来る。
「それって、蒼ちゃんがイケメンだから? イケメンは嫌いだから、困っていても放っておくの? それってあたしと同じじゃん! ただ、イケメンが好きか嫌いかの違いしかないじゃん!」
「違う、そういう事じゃない。蒼司がイケメンかどうかは、どうでもいいんだ。お前と一緒にするな」
「じゃあ、どういう事なのよ!?」
「どうだっていいだろ。ともかく私は、手伝わないからな」
自分でも、意固地かなと思わなくもない。でも、ここで私が蒼司を助けてしまったら、蒼司がこの家に居候し続けるということを認める事になってしまう。
それは何となく、納得がいかなかった。蒼司はいつも勝手にこの家へやってきて、無自覚に人の心を弄ぶ。そして、その事に気づきもせず、涼しい顔をして去っていくのだ。
そんなの――そんなの、許せるわけがないじゃないか。
どうして自分が、ここまで意地を張ってしまうのか、私は分からなかった。ひょっとすると、私は蒼司の言う通り、過去のことで蒼司を許していないのかもしれない。蒼司に裏切られたと感じ、ひどく失望した子どもの頃の記憶が、今もまだ私の中に強く残っているのだ。
そんなことを考え込んでいると、晴夏が静かに尋ねてきた。
「立夏、蒼司くんと何かあった?」
「な、何もない! あるわけないだろ!」
私はどきりとし、その弾みで思わず声が裏返ってしまった。晴夏は時々、すごく鋭い事を言う。一見すると、やたらとおどおどしていて、自分のことで手一杯であるように感じるが、その実、晴夏はいつだって周囲の事をよく見ているのだ。
しかし晴夏は、それ以上のことには言及せず、やわらかく微笑んだ。
「それなら……蒼司くんのせいで傷ついたとか、危害を被ったとか、そういうのが無いなら一緒に助けてあげようよ。蒼司くんは蒼司くんで、この家や新しい仕事に馴染もうと、すごく努力してると思う。立夏と蒼司くんの間に何があったかは分からないけど、そこは評価してあげていいんじゃないかな?」
「晴夏……」
「もし私や舞夏が困っていたら、立夏は迷わず助けてくれると思う。だから蒼司くんのことも助けてあげようよ。……ね? 蒼司くんもこの家の一員になろうと、一生懸命に努力しているんだから」
「……」
そう説得されると、さすがに何も言い返せなかった。
蒼司は『変化』を求めて、結城の家へ戻って来た。あいつがこの家の一員になろうとしているのも、講師として生徒に接しているのも、全ては自分の絵へと昇華させるためだ。
だが、どういった下心があるとしても、確かにその努力は認めるべきかもしれない。蒼司は弁当を作ってくれるし、家のことも頼めば快く手伝ってくれる。高いところにあるものを下ろしたり、重いものを運んだり。おかげでばあちゃんは、足に負担がかからなくて済むと、喜んでいた。
(まあ……確かに私は蒼司がいなくても一向に構わないが、ばあちゃんたちは生活に困るかもしれないな……)
それほど、蒼司の存在がこの結城の家に、馴染んできたという事でもあるのだろう。それは蒼司が努力して得た成果なのだから、どれほど私がイチャモンをつけても覆らない。
多分、この家で蒼司の存在を認めていないのは私だけで、舞夏も晴夏もそしてばあちゃんも、蒼司には結城の家にいて欲しいと思っているのだろう。
……そういう事なら、仕方がない。癪だし腹も立つが、あいつの存在が我が家には必要だと、認めざるを得ない。私は小さく溜息をついた。
「……分かった、手伝うよ」
「立夏、本当!?」
「もう、強情なんだから。もう少し早く、そう言ってよね!」
晴夏と舞夏は、嬉しそうに破願した。
「でも、どうするんだ? 取り敢えず、朝田さんを家の前から追い出さなきゃいけないんだろ?」
すると、優等生の晴夏が、さっそく作戦を口にする。
「私と舞夏がばあちゃんを足止めするから、その間に立夏が、傘と車の鍵を蒼司くんたちに渡して、家から移動してもらうの」
「何で私が蒼司の方担当なんだ? 私もばあちゃんの方へ行きたい」
何を好き好んで、あんな修羅場に身を投じなければいけないんだ。そう主張してみたものの、舞夏と晴夏はあっさりとそれを却下する。
「だって、あたしたちの中じゃ、立夏が一番そういう交渉事に向いてるじゃん。度胸もあるしさ」
「しかも相手は専門学校生で、私たちより年上でしょう? そんな人に太刀打ちできるのは、私たちの中で立夏くらいだよ」
「そうか……? なんか貧乏くじを引かされている気がするな」
ぼやく私とは対照的に、舞夏と晴夏はテンションが高く、やたらとやる気を見せている。
「大丈夫、立夏ならやれるって。それでいこ! 外はかなり雨が降ってるから、タオルとかあった方がいいかも。あたし、取って来る!」
「やれやれ……あいつ、二十八にもなるくせに、手のかかる奴だな」
ぶつくさ言いつつも、私たち三姉妹は一斉に動き出した。
まず、晴夏が風呂場に向かうと、ばあちゃんが丁度、風呂から上がって着衣を終えたところだった。晴夏は足がまだ痛むというばあちゃんを洗面所の椅子に座らせ、その足をマッサージし始める。もちろん、そこで足止めをし、居間へ戻さないためだ。
その間、舞夏はさり気ない風を装ってタオルを持ち出すと、素早く私に手渡した。そして、晴夏の加勢をしようと、洗面所へ戻っていく。
そして私は、傘とタオル、それから車の鍵を手にすると、母屋の玄関を出て未だ話し込んでいる蒼司たちの元へ向かった。
朝田さんは、今やすっかり泣きそうな顔になっていて、蒼司は更に苛立ちが濃くなっている。二人はまだ、話し合いを続けているようだ。
「――ともかくさ、いい加減、帰ってもらえないかな」
「い、嫌です!」
「こんなことされて、僕が君のこと本気で好きになると思ってるの?」
「せ……先生はひどいです! 私のこと好きじゃないなら、どうしてあんなに優しくしたんですか!? 勘違いさせるようなことばかり言って、いざ告白したらそんなのは困るだなんて……そんなに人の心を弄んで楽しいですか!?」
「またそれか。何度、言わせれば気が済むの? それは君の一方的な勘違いと思い込みだって、さっきから言ってるでしょ。僕は君だけに優しくしたつもりは無いし、生徒には平等に接してるつもりだけど? だって君は、僕にとって、これっぽっちも特別な存在じゃないんだから」
「そ……そんな……! そんなの、あんまりです!! 先生は私をからかってるんですよね? 反応を見て楽しんでるんですよね? そうでなきゃ……こんなの、ひどすぎです!!」
蒼司があまりにずけずけとものを言うせいか、朝田さんの口調にも相手を責めるニュアンスが濃くなっていく。
どう客観的に見ても状況はドロ沼化していて、できればスルーして通り過ぎてしまいたかったが、晴夏や舞夏も作戦に加わっている以上、私だけ逃げ出すわけにもいかない。
仕方がないので、頃合いを見計らって私は蒼司と朝田さんに声をかけた。
「あのー。ちょっといいですか?」
「立夏……?」
まさか、私がそこにいるとは思っていなかったようだ。蒼司は驚いて私の方を振り返った。一方の朝田さんは、蒼司から傷つけられた憤りを私へと向ける。
「……! な、何よ、あなた? 邪魔しないで!」
しかし、蒼司はそんな朝田さんを完全に無視して、私に謝ったのだった。
「立夏、騒いでごめん。すぐ終わるから、中に入ってて。ここにいたら濡れるよ」
それは、朝田さんと接していた時とは別人かと思うくらい、優しい声音だった。私に対する態度と朝田さんに対する態度が、あまりにも違いすぎる。
――お前なあ、その優しさを少しでもいいから、朝田さんへ向けてやれよ。私は内心でそう呆れてしまった。どうやら当の朝田さんも同じことを感じたらしく、ひどく顔を強張らせる。そして、急に剣呑な口調になって言った。
「……。先生って、その子には優しいんですね。この間も、その子に声をかけるために、わざわざワゴンを停めてたし。その子は先生の、何なんですか?」
「何だっていいでしょ。君には関係ない」
「でも、彼女まだ高校生ですよね? それにちょっと……いろんな意味で、先生にふさわしい相手だとは思えないんですけど」
そりゃまあ、私は珍獣ですから。そんな事を言われたところで、別に今さら何とも思わないが、何故か代わりに蒼司がムッとしたのが分かった。私はすかさず口を開く。
「何か勘違いされてるみたいですが。さっきも言った通り、私と蒼司は遠い縁戚関係にあるので、そういう感情は全くありません。蒼司が私に対して優しいのは、単にこの家の居候だからです」
蒼司はそれに関して何も言わなかったが、一瞬だけ、傷ついたような表情をした。
何でお前がそういう顔をするんだ。事実を言っただけなのに、まるで私が悪い事をしてしまったみたいじゃないか。