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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
イケメンは爆発しろ!
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第22話 蒼司の評価 

 それから数日の間、蒼司は以前のように私にしつこく絡んでくることはなくなった。私がアトリエで言ったことが、よほど堪えたらしい。


 私も、敢えて蒼司に関わることは無かった。その必要が私には無かったから。


 舞夏や晴夏は相変わらず、蒼司を前にすると浮足立った反応を見せたけど、ばあちゃんが睨みを利かせていることもあって、あからさまな態度は控えている。


 おかげで、私の生活は随分と快適になった。無為に苛々することも無ければ、腹を立てることも、ハラハラしたり心配することも無い。平穏がこれほどありがたいものだなんて、以前は思いもしなかった。


 これならまあ、蒼司が離れをチョロチョロしていても、どうにか生活していけそうだ。そんな事を考えていたある日だった。


 私はその日、提出しなければならない古典の授業の課題があり、美術部には顔を出さなかった。どうにか課題を提出し終え、自転車に乗って自宅へと向かう。


 緩い上り坂に差し掛かったので、自転車から降りて押して上がった。そして坂道を登り切って自転車をまたぐと、向かいからワゴンがやってきて私のそばに停まった。


 不審に思っていると、運転席の窓が音もなく降りる。


 そこから顔を覗かせたのは、蒼司だった。


「立夏ちゃん、今帰り?」

「そうだけど……」


 見慣れないワゴンだ。レンタルか何かだろうか。不思議に思って顔を上げると、蒼司の向こう――助手席に、若い女の子が座っているのが見えた。


 髪型をユルフワ系のボブカットにしていて、花柄の散りばめられたワンピースを着ている、かわいらしい女の子だ。と言っても、多分、私よりは年上だろう。大学生くらいだろうか。


 ――蒼司の奴、さっそくナンパかよ。私はぎょっとしたが、よく見ると後部座席にも同じくらいの若者が複数人いて、中には男の子の姿もある。彼らは一体、蒼司とどういう関係なのか。私の視線に気づいた蒼司が、簡単に説明をした。


「この子たちは、専門学校の生徒さんたちだよ。僕、美術系の専門学校の講師も始めたんだ。今日は美術館見学の授業があって、今はその帰り」


「ふうん、そうなのか」


 専門学校の講師まで始めたなんて、知らなかった。何とはなしに相槌を打っていると、助手席に座っている花柄ワンピースの女の子が、蒼司に尋ねる。


「あのー……月宮先生、先生はこの子とどういう関係なんですか?」


「お世話になっている人のお孫さんだよ。一応、教え子でもあるかな」


「へえ……そうなんだ……」


 助手席の女の子は、ユルフワなボブヘアを揺らし、じろじろと私を見つめる。何だか観察されているみたいで、居心地が悪い。一方、蒼司は私に視線を向けると、微笑んだ。


「もう遅いから、気をつけて帰るんだよ」

「……うん」


 そして、ワゴンは再び走り出すと、そのまま私が上って来た坂道を下っていく。私は両手を自転車のハンドルに添えつつ、上半身だけ捻ってそれを見送った。


(美術館か……そういえば、俵山のずっと北に、美術館があったっけ。確か、広い公園もあるんだ。中学校の遠足で行ったことがある)


 おそらく、蒼司たちはその帰りなのだろう。ワゴンはレンタルしたのかもしれないし、専門学校の所有物なのかもしれない。美術系の学校なら、作品の搬入・搬出があるだろうから、そういった車を所有していてもおかしくない。


(それにしても、高校の非常勤講師だけじゃなく、専門学校の仕事まで請け負うなんて、それじゃますます、絵を描く時間が削られるんじゃないか……? ……まあ、私にはどっちでもいい話だけど)


 そんな事を考えながら、私は家へと向かった。


 帰宅すると、いつものようにばあちゃんの家事を手伝う。足首を痛めてからというもの、ばあちゃんのできることは限られているから、代わりに私が手足となるのだ。高いところのものを取ったりするのはもちろん、しゃがんだ作業もばあちゃんには辛いらしく、私が肩代わりしている。


 因みに、私が学校に行っている間は、蒼司がよくばあちゃんの手伝いをしているらしい。頼めば快く手伝ってくれると、ばあちゃんは喜んでいた。蒼司がそんな事をしていただなんて、ちょっと意外だ。


 それからほどなくして、夕飯の時間になった。しかし、その時になっても蒼司は戻ってこない。


 蒼司が帰ってきたのは、私たちの夕飯が終わってから、ずっと後のことだった。蒼司は母屋の玄関からばあちゃんに声をかけ、そのまま離れへと戻っていった。ちょうど居間にいた舞夏は、嬉しそうに玄関へ飛び出して行ったが、すぐに蒼司が離れへ行ってしまったので残念そうに戻って来た。


「何かさあ、蒼ちゃん最近、あまり母屋へ来ないよね。どうしたんだろ……?」


「さあ? 絵の制作に集中したいんじゃないのか?」


 テレビ番組をダラ見しながら、私が適当に答えると、舞夏はふてくされて叫ぶ。


「あー、あたしの中のイケメン成分が足りてないんですけど~! 今すぐイケメン成分を補充したーい!!」


 すると今度は、台所から戻って来た晴夏が笑いながら言った。晴夏は今日、皿洗いの当番だったのだ。


「仕方ないよ。それが蒼司くんの仕事だし、そのために離れをアトリエに改装したんだし。それに、母屋には私たちがいるから、遠慮してるんじゃないかな?」


「それは分かってるけどさー……。あ、そーだ! ちょっと立夏! 聞いたんだけど、蒼ちゃんが虹ヶ丘の美術教師になったって本当!?」


 舞夏が唇を尖らせ、こちらに身を乗り出すのと同時に、同じくちゃぶ台のそばに座った晴夏も、驚いて私を見た。


「えっ、そうなの!?」


「本当だぞ。……最悪なことにな」

 私は半ばうんざりしながら、投げやりに答える。すると、舞夏は更に眉を吊り上げた。


「何よそれ、どうして黙ってたの!?」


「別に言う必要も無いだろ。こっちはできるだけ、蒼司と関わりたくないんだ。それなのに、どうして家に帰ってまであいつの話をしなきゃならんのだ?」


 しかし舞夏は、そんな説明ではとても納得できないらしく、半眼になってにじり寄って来る。


「何かさー、すっごいムカつくんですけど! 立夏って、蒼ちゃんの事を嫌いだなんだと言いながら、一番、仲よくしてるよね? そういうの、抜け駆けって言わない?」


「やめてくれ、誹謗中傷もいいところだ。……代われるものなら、今すぐにでも代わってやるぞ。星蘭を退学して、虹ヶ丘に入学し直すか?」


「そんなの、できるわけないじゃん! あーあ、何か納得いかなーい!」


 私の心中など露ほども知らず、舞夏は勝手にぶすむくれている。私はできるなら、蒼司とは顔を合わせたくないというのに。それを考えると、さすがにちょっとイラっとしてくる。


 一方、私と舞夏の雰囲気が悪くなったことを敏感に察した晴夏は、慌てて話題を変えた。


「あっ……そういえば、この間、ネットで蒼司くんの記事を見たよ。それでつい、いろいろと調べちゃった」


 私はパソコンを持っていないが、晴夏と舞夏はパソコンを持ってる。舞夏はもちろん、漫画を描くためで、晴夏も小遣いを溜めてノート型を買っている。私も時々、それを使わせてもらっていた。 


 舞夏は晴夏の切り出した話に興味津々らしく、コロッと機嫌を直し、姉の方を向いた。


「え、本当? 蒼ちゃんって、どういう風に書かれてるの?」


「蒼司くんは実力派の新星として、かなり期待されていたみたいだよ。その証拠に、蒼司くんの描く絵は大学院在籍中の頃から、けっこう注目を集めてたみたい。国内だけじゃなく、国外のコンテストや展覧会でいくつも賞を取ってるし、東京、パリ、ニューヨーク……あちこちで個展を開いてる。実力が申し分ないのはもちろんのこと、あのルックスだから美術系のメディアにも幾度となく写真付きで取り上げられてたみたいだよ。そういう、芸術方面の世界では、やっぱりかなりの有名人だったみたい」


「へえ、本当にすごいんだ。さすがは蒼ちゃん!」


「それだけじゃないの。蒼司くんの絵は雑誌や書籍の表紙になったり、企業や有名ブランドとタイアップしたり、本当に大学院を卒業してからも大活躍だよ。そのせいかファンも多くて、蒼司くんの絵は景気に左右されることなく、結構、高値で取引されていたみたい。ただ……」


「ただ……何だ?」

 俄かに話の雲行きが怪しくなってきて、私は思わずそう尋ねていた。最初はあまり二人の会話に参加するつもりは無かったが、晴夏の話を聞くともなしに聞いているうちに、つい口を挟んでしまったのだ。


 すると、舞夏はニマニマと笑いながら、私をからかうような視線を送って来る。

「何よ、なんだかんだ言って、立夏も蒼ちゃんの事が気になるの?」

「……うるさいぞ、舞夏」


「もう、二人とも喧嘩はよしなよ。気になったのはね、半年前くらいに蒼司くんの絵を酷評する記事が、権威ある美術雑誌に掲載されたらしいの。……蒼司くんはまだ若いし、急に人気者になったその反動か、アンチもすごく多いみたい。蒼司くんの作品は低俗で大衆に迎合していて品格に欠ける、精神性が宿ってない……そういう風に、こき下ろされたんだって」


 それを耳にした舞夏は、我が事のように怒り始めた。


「何それ、完全に言いがかりじゃんか! 漫画界隈にもよくいるよ、そういう人。人気漫画に噛みついて、あそこが駄目ここが駄目、こんな漫画のファンは低俗って酷評することで、自分が偉くなったと錯覚してる人。蒼ちゃんの絵を悪く言う人も、絶対そういうタイプじゃん!」


「もしかしたら……蒼司くんがこの家に来たのって、それが原因なのかな? 自分の絵についてあれこれ言われて、傷ついたのかも……。だから、東京にはいたくないって思ったのかもしれない」


 晴夏も悲しげにそう言った。確かに、晴夏のような気の弱い人間なら、自分の作品を酷評されるなんて耐えられないだろう。その気持ちは、私にもあるからよく分かる。例えば、私は絵が下手だという自覚はあるが、だからと言って面と向かってそれを指摘されることに慣れているわけじゃない。


 でも、あの蒼司に限って、そんなことがあるだろうか。


「……。あいつがそんなタマか?」

 そう呟くと、舞夏と晴夏は口々に私を非難した。


「もう、立夏はすぐそういう事、言うんだから。蒼ちゃんだって人間なんだから、傷つくこともあるでしょ!」

「そうだよー。私だったら……そんなこと言われたら、悪意ある言いがかりだと分かっていたとしても、きっと立ち直れないと思うな」


 そうだろうか。私は考えてみた。そりゃ、蒼司だってそんな風にこき下ろされたら、決していい気はしないだろう。だが、それで東京のアトリエを引き払い、この家に来るなんて、ちょっと大袈裟すぎやしないだろうか。


 蒼司だって、芸大生時代には、それなりに自分の作品を厳しく評価される機会はあっただろうし、そんなことでいちいち引っ越ししていたら永遠に定住できず、流浪の民になってしまう。


 蒼司がこの家にやって来たのは、明らかに別の原因があるのではないか。


(まあ……私には関係の無い話だけどな)


 蒼司の身に何があったのか。何となく察しはついたが、私はそれを舞夏や晴夏には黙っておくことにした。二人にはなるだけ、蒼司の餌食にはなって欲しくないし、蒼司にだって他人には知られたくない事はあるだろう。


 何より、私の推測には、何らかの確証があるわけではない。好奇心と憶測だけで、あれこれ言い触らしたくない。


 晴夏と舞夏は未だ蒼司に関するネット情報で盛り上がっているが、私は早々に離脱することにした。二人の姉妹に声をかけると、階段を上って二階の自室へ戻る。



 事件が起こったのは、それから二日後のことだった。



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