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未完成、ぼくら。  作者: 天野 地人
イケメンは爆発しろ!
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第17話 蒼司の絵 

 不審には思ったが、あまり覗き見をするのもまずいと気づいた。


 もし、覗いていたことが蒼司にバレたら、「やっぱり僕の事が好きなんだね」とか、超絶に勘違いしたコメントを返してきそうだ。


 おまけに、ニヤリと勝ち誇ったような、すんごく嫌な笑顔付きで。


 だから私は、引き戸を強めにノックした。蒼司はようやく来訪者の存在に気づいたらしく、パレットを置くとこちらに歩み寄って来て、戸を開ける。


「あれ……立夏ちゃん。どうしたの? 離れには絶対に来ないだろうと思っていたのに」


「私もなるだけ近づきたくなかったんだが、ばあちゃんに頼まれたからな。……ほら、これ。今日の晩飯だぞ」


「これはご丁寧に、どうもありがとう。上がってく? ……って、そんなワケないか。君は常に、僕に何かされるんじゃないかっていう被害妄想に取り付かれているからね」


「どこが被害妄想だ、どこが! 大体、今の「上がってく?」も、他の女性に対するいつもの口癖がうっかりポロッと出ただけだろ。全然、本心じゃないくせに!」


「ははは、よく分かったね。実は、まさにその通りなんだ。さすがは立夏!」


 悪びれもせず、蒼司は笑う。私の事を、手のひらの上でコロコロ転がしてるつもりなんだろう。自分は女性経験が豊富だから、相手が珍獣でも手こずったりはしないというわけだ。


(こいつ、どこまでも私の事を、おちょくるつもりだな……)


 このまますごすごと戻ったのでは、何だか負けたみたいで悔しい。私は蒼司を押しのけ、離れに入ると、刺々しい口調で告げた。


「……上がっていくかと聞いたのは、お前の方だからな。後悔するなよ!」

「何だ、無理しなくていいのに」


 蒼司は私から受け取った膳を、入口の近くにある小さなテーブルの上に置いて言った。マグカップやタブレットなども置いてあるところを見ると、そこが休憩スペースなのだろう。


 一方、私は土間で靴を脱ぐ。


 アトリエの中に入ると、つんとした油の匂いが鼻腔に流れ込んできた。油絵の具に加えて画用液、クリーナーなど、様々な匂いが混ぜ合わさっている。美術部の匂いにもちょっと似ているだろうか。独特だけど、私はこの匂いが嫌いじゃない。


 アトリエの壁際には、大小さまざまな絵が立てかけてあった。面と向かうと、やはり迫力に圧倒される。


 鮮やかな色の洪水、斬新でありながらも、何故か安定している構図、時に大胆で時に繊細な筆致。特に、美術館などでしか飾れないような大きな絵は、そこに描かれている濃密な世界の中に呑み込まれてしまいそうな感覚になる。


 絵の事は何も分からないが、それが並大抵の力量では描くことが出来ない作品だという事は、おぼろげながらに理解できた。比べては悪いが、虹ヶ丘高校の美術部員の絵とは、レベルというか次元が全く違う。


 当り前だが、蒼司が大学の時に描いていた時の絵よりも、更に技術力がアップし、洗練されている。


 気づいた時には、私は深々と溜息をついていた。


「……相変わらず、蒼司はいい絵を描くな」

「そうかな? 珍しいね、立夏が僕を褒めるなんて」

「別に褒めてない。思ったことを口にしたまでだ」

「それなら、尚更だ。明日は雪が降るかもね」

「……勝手に言ってろ」


 私は蒼司をじろりと睨む。でも、すぐに気を取り直した。なんだかんだ言って、私は蒼司の描く絵が好きだ。子どもの頃からそうだった。


 こいつの描く絵は、上手いとか下手以前に、見る者の心を惹き付ける何かがある。それらの絵に囲まれていると、不思議と蒼司に対する腹立たしさや警戒も薄れていく。自分の中に巣食っていた悪いものや嫌な気持ちも、全部流されて、透明になっていく気がするのだ。


 蒼司の絵には、それくらいの力がある。


 これでもう少し、本人の性格がまともなら、言うこと無いんだけど。


「……お前の中で、もし仮にいい部分があるとしたら、それは絵だと私は思う。絵描きとしての能力が突出しすぎていて、特に人格面においては問題だらけになってしまったんだろうな。天は二物を与えずというが、まさにその典型例だ」


「ええと……それは褒めたいのか貶したいのか、どっちなの?」


「事実だろ?」

「まあ、否定はしないけど」


 苦笑する蒼司。一方、私はアトリエの中をゆっくりと巡る。こうしていると、つい先ほどまでいがみ合っていたのが嘘のようだ。わだかまりや壁が消えていくと、不思議と子どもの頃に戻ったような感覚になる。


「……何だか、こうしていると、昔を――あの夏の日々を思い出すな」


「そうだね。あの時、僕はまだ大学生で、立夏は小学生だったっけ」


「蒼司は私が描いて欲しいと頼んだものを、何でも描いてくれた。大きくなってから気付いたんだが、あれはすごい事だったんだな。絵を描くのが得意な人でも、得手不得手はある。それなのに、蒼司は人間も動物も虫も、車や自転車まで、あっという間にスケッチしてたんだから」


 すると、蒼司はおかしそうに笑い始める。


「君は手厳しいクライアントだったからね。ちょっとでも手を抜くと、すぐにそれを見抜くんだ。『おい蒼司、私のこと子どもだと思って舐めてるだろ!』……ってね」


「私、そんなこと言ったか?」


「覚えてないの? それはもう、怖い顔をしていたよ。ぎろりと僕を睨み付けてね。そこは昔も今も、全然、変わってないかな」


(そうだったか……? 自分ではよく覚えていないな)


「その代わり、会心の出来が仕上がると、驚くくらい喜んでくれた。にこにこして、目を輝かせて……いい絵だ、私は気に入ったって、とても褒めてくれたよ」 


「何と言うか……我ながら、生意気な子どもだったんだな」


 自分の覚えていない子どもの頃の話を持ち出され、何となく気まずかったけど、事実だからそう言った。絵を描いてくれと蒼司に頼んだのは私なのに、その出来に文句を言うなんて、控えめに見ても偉そうなお子様だと思う。


 けれど意外なことに、蒼司は首を振ってそれを否定したのだった。


「そんな事はない。僕はあの時、月宮の家から、芸術の道へ進むことを猛反対されていたんだ。月宮の家の人たちは、芸術には全く関心の無い人たちばかりだからね。彼らは僕が描く絵のことなど、路上の落書きくらいにしか思っていなかった。

 あの時の僕は世界から孤立していて、誰にも僕の描く絵の価値や、それに対する情熱を理解してもらえなかったんだ。あの時期は、とても……とても孤独で辛かった」


「……そうだったのか。そんな事情があっただなんて、私は知らなかった」


「まあ、立夏はまだ小さかったし。僕も家の話をあまり外でしなかったからね」


 心なしか、蒼司の眼差しも優しい。理由は分からないけれど、もしかしたら蒼司も昔を思い出しているのかもしれないし、アトリエの中でまで喧嘩はしたくないと考えているのかもしれない。蒼司は更に、柔らかく微笑んだ。


「……それを理解してくれたのはただ一人、立夏だけだった。だから立夏は、僕にとって特別な存在なんだ。何しろ、僕のファン・第一号なんだからね」


 ひょっとすると、蒼司は今でも、月宮の実家で、あまり良い扱いを受けていないのかもしれない。だからこそ、結城家の方へ来たのではないだろうか。


 何か複雑な事情がありそうだったが、蒼司はそれをあまり話したがっていない雰囲気だった。これ以上、その事についてあれこれと尋ねるのは、多分あまり良くない事だ。


「まあ……確かに私は蒼司が描く絵の、最古参のファンかもしれないが、でも今となってはそれも大したことじゃないだろう。何せ、蒼司は既に画家として成功しているんだから。蒼司のファンは、今や他に大勢いる」


 ファン第一号なんて言われると、例えそれが事実であっても、ちょっと気恥ずかしい。照れ隠しもあって、ぶっきらぼうにそう言うと、蒼司はふと真顔になる。


「成功……か。確かに僕は、全くの赤の他人からすれば、成功者の一人と言えるのかもしれないね。でもそこに意味を見出すかどうかは、人それぞれだよ」


「……? それはどういう意味だ?」


「僕は欲張りだから、現状じゃとても満足できないってこと。人生は、変化そのものだ。創作というのはね、変化の生み出すエネルギーが無ければ、成し遂げられないものなんだよ。そうでなければ、どれほど素晴らしい作品を生み出す芸術家(クリエイター)だったとしても、あっという間に腐り落ちてしまう。僕はただ、腐り落ちた作品の上で、安穏としていたくないだけだ」


 蒼司の顔はいやに真剣だった。いつも猫を被っていたり、私の前ではどこまで本気か分からない戯言を口にしたりするが、そういった人を食ったような態度ではない。だから、それは蒼司の心からの本心なのだと思う。


「……。それは確かに、欲張りだな。絶望的なまでの強突く張りだ。でも……貪欲なのは悪いことじゃないと思う。きっとこういうのは、満足してしまったら終わりだろうからな。それに……欲張りな方が蒼司らしい。性悪なお前が今さら謙虚ぶっても、更に嫌味になるだけだ」 


「ははは。さすがは立夏だ。……僕のことをよく分かってる」


 苦笑しつつもどこか嬉しそうな蒼司を尻目に、私は部屋の端にあった絵を指差した。


「私はこの絵が好きだな」

「へえ……どういうところが?」

「一見すると、淡い色調でまとめてあってとてもきれいだが、何というか、こう……そこはかとなく毒を感じる。お前の性格の悪さが一番出ていて、いい絵だと思うぞ」


「……。僕の性格の悪さが滲み出ているのに、好きなの?」


「きれいなだけの絵はつまらないからな。美しいものには、棘なり毒なりがつきものだろ」


「いや、そういう意味で聞いたんじゃないんだけど……」


 蒼司の涼しげな瞳が、じっと私を見つめる。そこに試すような気配が潜んでいるのに気づき、私はようやく蒼司の言わんとしている事を悟った。


「ちっ、ちちち、違う! べ、別に絵が好きなわけであって、お前が好きとは一言も言ってないぞ!!」


「あはは、やっと気づいたのか。いやあ、本当に面白いよ、立夏は。一緒にいて全く飽きないんだから」


 蒼司は声を上げて笑った。何だか、とても楽しそうだ。


 一方の私は、耳まで赤くなってしまった。こんなことで顔を赤くするなんて、不覚もいいところだが、身体反応なんだから仕方がない。でも、何となく面白くなくて、私は口元をへのじにする。


「むっ……! そうやって、私の事をからかって楽しいか!?」 

「別に、からかってるつもりは無いけど」

「嘘つけ! 昼間も弁当に海苔で、『ざまあ。』って書いてたじゃないか!」


「ああ、あれか。あんなの、ただのいたずらじゃない。文字は別に何でも良かったんだけど……『ざまあ。』が嫌なら、今度から『Love』にしようか」


「まず、文字なんかいらないって事に気づけ! 普通の白飯でいいだろ、普通ので! どうしても嫌がらせを続けるつもりなら、明日から自分の弁当は自分で作る!」


「そうはいかないよ。僕は立夏と、もっと仲良くなりたいんだから」


「……は?」


 思わず、目が点になった。私はこれほど蒼司を嫌っているのに、正気で言っているのだろうか。もしかしてこいつ、一昔前に流行ったドMとかいうやつか。


 そう訝っていると、蒼司は肩を竦めて見せる。




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