第12話 珍獣VSイケメン
「もう、心配しすぎだって、立夏はー。あたしと晴夏だって、もう子供じゃないんだし、蒼ちゃんだってそんなことするような人じゃないよ。……ねえ?」
「そうだよ。そもそも蒼司くんは、有名人なんだし……常識的に考えて、迂闊に悪評が立つようなことを起こすとは思えないよ」
晴夏の言う通り、蒼司はかなりの人気画家で、メディアにも幾度か取り上げられているのだ。無駄に顔がいいせいか、メディア露出に全く抵抗が無いらしい。
だが、残念ながら、そんなことは何の役にも立たないのだ。
「バカ、晴夏や舞夏は何も分かってない! 蒼司に常識とか良心とか、一番欠けている概念だぞ!? 前頭葉と下半身が直結していて、理性を完全に腐らせている、それが蒼司という人間なんだ!!」
「ええと……立夏ちゃんの中で、僕は一体どういうイメージなのかな……?」
蒼司はますます、頬を引き攣らせる。私はその蒼司を、真正面から睨み付けた。そんな、被害者みたいな顔をしても無駄だ。私には全てお見通しなんだ。
蒼司はこの家に、混乱と騒動しかもたらしはしない。そう――昔もそうだった。
私が徹底抗戦の構えを見せたその時、それまで黙っていたばあちゃんが、不意に口を開いた。
「およし、立夏。蒼司には蒼司の事情があるんだよ。この子がおバカなのは昔からだけど、だからと言って困っている人間を放ってはおけないだろう」
(蒼司が、困ってる……?)
私はそこで、ふと疑問に思った。
そもそも、蒼司は成人であり成功していて財力もある。田舎でのんびりスローライフを満喫しつつ、創作活動をしたいと言うなら、いくらでもアトリエを用意できるはずだ。
それこそ、北は北海道、南は沖縄まで、選び放題であるはず。それなのに、どうしてわざわざこの結城の家に転がり込んできたのだろう。ばあちゃんの口ぶりだと、何か事情があるようだが。
蒼司へ視線を向けるが、にっこりと憎たらしい笑みを浮かべるばかりで、その表情からは何も読み取れない。
「それにね、うちだって女四人だけじゃ不安じゃないか。物騒な世の中だし、田舎だからって安心はできない。おまけに私はこんな足になってしまっだからね。何かあっても、お前たち三人を守ってやれない。だから……一人くらいは、男手があった方が安心ってものだろう?」
「ばあちゃん……」
まあ、蒼司がいた方が心強いかどうかはともかく、だ。ばあちゃんは私たちのために、蒼司を離れに住まわせることにしたのだと分かった。自分が足を捻ってしまったから、余計に私たちの事が心配し、何かあってからでは遅いと思っているのだろう。
それがばあちゃんの考えなら、私がそれに真っ向から盾突くわけにもいかない。
――納得は、全くしていないけれど。
「すみません……助かります、壱夏おばさん」
蒼司はばあちゃんに向かって頭を下げた。すると、ばあちゃんは目を細めて、優しかった口調を一変させる。
「だけどね、蒼司。立夏の言う事も一理ある。この際だから先に言っておくよ。……女が抱きたけりゃ、外で抱いてきな。この家に他所の女を一人でも連れ込んだら、その時点で即座に追い出すよ。もちろん、私の孫たちに手を出すなんて、論外だからね! 分ったかい!?」
「も……もちろん、分かってますよ。当り前じゃないですか。っていうか、結構ストレートなんですね、壱夏おばさん……」
「当たり前だ。伊達に結城のバカどもを相手に、戦ってきたわけじゃないよ! 花も恥じらう大和なでしこのままで、いったい何が守れるって言うんだい!?」
「え~、あたしは蒼ちゃんが相手なら、別に全然オッケーなのに……」
舞夏が口を挟むと、次にばあちゃんは、その舞夏へぎろりと視線を送る。
「おだまり、舞夏! 顔でしか男を判断できないような大馬鹿者は、黙って保護者の言う事を聞きな! いいかい、晴夏もだよ!?」
「ば、ばあちゃんってば、分かってるよ……」
ばあちゃんにぴしゃりとやられ、浮足立っていた晴夏や舞夏も、少し反省したようだ。正座して背筋を伸ばしている。さすが、私のばあちゃんだ。誰もばあちゃんには敵わない。少なくとも、私たち三姉妹は、ばあちゃんには逆らえないのだ。
(できればこの調子で、蒼司も追い出して欲しかったところだけど……まあ、仕方ないか)
蒼司を離れに置くと決めたのは、他の誰でもない、壱夏ばあちゃん本人だ。それを気に入らないからと言って、私が勝手に追い出すわけにはいかない。
腹は立つけれど、蒼司も永久にこんな田舎に滞在するわけでもないだろうし、いつかは田舎の生活に飽きて東京へ戻るだろう。それまでの辛抱だ。
今日の皿洗いは私の当番だった。ばあちゃんの話が終わり、私は台所へ行って、食器洗いを始めた。腹の立つことがあったからと言って、家事をしないわけにはいかない。むしろ、蒼司のいる居間にはいたくなかったし、丁度良かった。
私は一人で台所に立ち、黙々と皿洗いをする。
洗剤をつけたスポンジで食器を洗い終え、すすぎに入った時だった。背後で台所の引き戸が開く音がする。こういった時に台所にやって来るのは、大抵、舞夏だ。両手が塞がっていた私は、後ろを振り返りもせず言った。
「……舞夏か? さっきカレーを食べたばっかだろ。菓子を食うと太るぞー?」
すると、真後ろから、思いも寄らぬ声がする。
「さっきは残念だったね、立夏ちゃん。僕のこと、追い出したくてしょうがなかったみたいだけど」
私はぎょっとして後ろを振り返った。
「何だ、蒼司か……。背後に立つな、気味が悪いだろ!」
「ひどいなあ、僕は君の食器洗いを手伝いに来たのに」
「別に手伝わなくていい。期待もしてないしな。それより、お前のねぐらは西の離れなんだろ? とっとと自分の巣に帰ったらどうなんだ?」
すると、蒼司はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。居間で見せていた笑顔とは、明らかに性質の違う笑顔だ。何故か蒼司は、昔から、私の前ではその性悪な本性を隠しもしない。
「残念だったね、離れは明日からリフォームするんだ。もちろん、壱夏おばさんの許可は取ってある。それまでの数日間は、こっちの母屋で寝起きさせてもらう予定だよ。リフォームが終わったら、本格的に離れへ移動するけどね」
「お前……どこまで迷惑な奴なんだ! いいか蒼司、母屋で寝起きをするのは勝手だが、絶対に二階へ上がって来るなよ! 二階は私たち三姉妹の部屋があるんだからな!」
「ふうん、それは知らなかった。晴夏ちゃんや舞夏ちゃんの部屋は二階にあるのか。なるほど、へえ~?」
「……おい、私の話を聞いてたか? もし、二階に踏み込んだりしたら……」
「したら? ……どうする?」
「この手で即座に去勢してやる!!」
私は完全に据わった目をし、包丁を右手で握って凄んだ。因みに、皿洗いの最中の、泡だらけな包丁だ。蒼司はそんな私を見て、腹を抱えて笑うのだった。
「あははは……!! いやあ、本当に面白いなあ、立夏ちゃんは! 今まで僕の周りにはいなかったタイプの女の子だよ!」
(こいつ……!)
蒼司は大方、私をイジッて楽しんでいるのだろう。私はよく、変わってると言われるし、女らしさのかけらも無い。都会の洗練された女の子たちは決して見せないような、粗野で荒ぶったリアクションが、おそらく蒼司には新鮮に見えるのだ。
まさに珍獣を眺める感覚なのだろう。
私はムスッとして蒼司を睨んだ。私は動物園の熊じゃないんだぞ、と。すると、蒼司はふと真顔になって、話題を変えた。
「それにしても……立夏は、本当に僕のことが嫌いなんだね」
「当たり前だろ。お前の人格の一体どこに、好きになれる要素がある?」
「はっきり言うね。……悲しいな。子どもの頃は、普通に話をしてくれたのに」
「私が子供の頃は、お前の淫乱な本性に気づかなかったというだけだ。こんな奴だったと分かっていたら、最初から近づいたりはしなかった」
すると蒼司は、すっと鋭利に目を細める。そして、ずい、と私に詰め寄った。
「僕が淫乱……か。……どうしてそんな事が言えるのかな? 立夏が僕の、何を知ってるというの?」
(……何でこう、こっちににじり寄って来るんだ、こいつ?)
私は思わず、後ずさりしそうになったが、寸手のところでその場に踏みとどまった。蒼司を相手に退くのも、何だか腹が立つ。
怯んだら負けだ。こんな奴に負けてたまるか。そして、蒼司を無視して、再び皿洗いを始めた。
「よその女の人を連れ込んでは、度々、泣かせてたら、こいつは男としてヤバいと判断されるのが普通だろ。身から出た錆だ。自業自得って奴だ。イケメンだからって、何をしても許されるわけじゃない」
「そうかな? イケメンを目当てに近寄ってくる女性たちと、自分がイケメンであることを利用して生きている僕……中身を軽んじて外側だけ利用しているのは、どちらも同じだ。そうであるなら、どちらが良いとか悪いとか、一方的に決めつけるのはお門違いってものだよ」
「なるほど。いかにも下半身の緩い男が、口にしそうな言い訳だな」
「……」
「お前が何を考え、どれだけ女を泣かそうと、そんな事は私にはどうでもいい。晴夏や舞夏に近づきさえしなければ、別にお前に対して干渉するつもりもないしな。絵を描くなり、スローライフを満喫するなり、好きにすればいいさ。でも、二人を泣かせたり傷つけたりするなら、絶対に許さない。それだけは忘れるな」
そう啖呵をきると、蒼司はそれきり黙り込んだ。
っていうか、そばに立つんじゃない。皿洗いの邪魔だろ。
しかし、いちいちそれを注意するのも何だか面倒で、私も蒼司を無視して皿洗いを続けた。台所の中は、蛇口から流れる水の音が響くばかりだ。
やがて蒼司は、静かに口を開く。
「……立夏は姉妹想いなんだね」
「家族だからな。当然だろ」
「分かった。そうまで言うなら、あの子たちには近づかないよ。あの二人……晴夏ちゃんと舞夏ちゃんには、ね。でも……それってつまり、裏を返せば、立夏自身には何をしてもいいって事だよね?」
「はあ?」
――何言ってんだ、お前。私は蒼司の方を向いて、顔を見上げた。蒼司はその私の顎に右手を添え、くいっと持ち上げる。そしておもむろに顔を近づけてきた。
「……!」
まさか、蒼司がそんな暴挙に打って出るとは、思ってもみなかった。そもそも私は、あまり恋愛に興味がなく、言動も女子っぽくないので、あまり男子からそういった目で見られたことはない。告白したことはもちろん、されたことも一度も無いのだ。
なので、私は完全に不意を突かれた上に、不覚にも固まってしまった。
あともう少しで唇と唇が触れ合うかという、至近距離。蒼司はそこで不意にぴたりと止まり、ニヤリと笑みを浮かべる。
「……びっくりした? 冗談だよ」
そして、何事も無かったのように私から身を離すと、呆気にとられる私をその場に残し、台所の入口へと向かう。そして、最後にこちらを振り返って言った。
「……本当に可愛いね、立夏は。君は僕の事を嫌いみたいだけど、僕は君のこと、けっこう好きだよ。だから……これから仲良くやろうね、立夏」
そして、そのまま悠々と台所を出て行く。
(あ……あの野郎~~~……!!)
私は手の中にある泡だらけのスポンジを、力いっぱいに握りしめた。
間違いない。蒼司は私をからかったのだ。どうせ威勢がいいのは口先だけで、何もできはしない小娘だと、小馬鹿にして侮ったのだ。
そして、何より私自身に、その事を思い知らせてやりたいと思ったのだろう。
だから、私は蒼司が嫌いなんだ。あいつがいいのは見てくれだけで、その性根は絶望的なまでにねじくれ曲がっているのだから。
蒼司の勝ち誇ったような笑みを思い出すと、今でも胸が悪くなる。イケメンの得意顔ほどムカつくものはない。この洗剤まみれのスポンジを、自慢の顔にぶち込んでやれば良かった。いや、次に同じようなことをしてきたら、絶対に反撃してやる。
「何がイケメンだ。ふざけやがって……爆発でもしてろ!!」
私は鼻息荒くそう吐き捨てると、ガシガシと皿洗いに没頭するのだった。