第11話 イケメンアレルギー
激しい応酬を繰り広げる私と舞夏を、晴夏は困ったように交互に見つめていた。しかし、徐々に険悪になる空気を察したのか、慌てて口を挟む。
「や、やめなよ、二人とも。それより、一緒に夕飯を作ろう? ばあちゃん、きっとお腹を空かせて帰って来るよ」
すると、舞夏は何故か、今度は晴夏へ詰め寄っていくのだった。
「そういう晴夏はどうなのよ?」
「えっ……何が?」
「晴夏はイケメンが好きじゃないの?」
「私は……別に……」
晴夏は赤くなって、しきりと眼鏡をずり上げながら、もごもごと口ごもる。私もいい加減、恋愛沙汰とは無縁だが、晴夏は更に輪をかけて、この手の類の話題に疎い。舞夏もそれを分かっているくせに、自分の味方を増やしたいがためだけに、晴夏へ話の矛先を向けたのだ。
「晴夏だって、イケメン好きだよね? ね!? はっきり答えなさいよ! カマトトぶったって駄目なんだから!!」
「えっ……えええぇぇぇぇぇ……!?」
「やめろ、舞夏。晴夏を巻き込むんじゃない」
「何よー! それじゃ、あたしが一人でガツガツしてるみたいじゃない!」
「いや、お前ひとりがガツガツしてるんだ。間違いなく」
「も……もう、この話はやめやめ!! 早くカレーを作っちゃお! ……ね!?」
真っ赤になって大声を出した挙句、ぜえはあと肩を上下させる晴夏に、舞夏も私も目をぱちくりさせた。晴夏が今みたいにはっきりと自己主張することは、殆どない。
変にヒートアップしてしまったが、別に晴夏を巻き込むつもりは無かった。申し訳ないことをしたと私が後悔していると、舞夏も気勢を削がれ、鼻白んだ顔をしている。
「わ、分かったってば。……まあ確かに、イケメンがどうだろうと、お腹は空くしね。取り敢えず、着替えてくる。ちょっと待ってて」
「私も、二階で着替えてくるね」
「おー」
晴夏と舞夏は、連れ立って二階へと向かう。そして制服から私服へ着替えると、再び一階へ下りてきた。それから、先ほどのやり取りが嘘のように、三人でカレーの仕上げに取り掛かった。
「ねえ、夕飯のメニューって、カレーだけでいいかな?」
「うーん……サラダでもつけるか。ばあちゃんは野菜が好きだからな」
「あ、それならあたし、トマト洗う! 晴夏はキャベツの千切りね」
「えっ……うん」
「おいこら、舞夏! 千切りなんて大変な作業を、しれっと晴夏に押し付けるんじゃない! 晴夏もちゃんと言い返さないと駄目だぞ!」
「ご……ごめんね、立夏」
「あーあ、せっかく楽ができると思ったのになー」
「まったく、油断も隙も無いな……!」
そんなこんなで三姉妹でカレーとサラダを作り終えた時、ようやくばあちゃんが返ってきた。私たちはみな揃って、玄関へばあちゃんを迎えに行く。
ばあちゃんはいつもの着物ではなく、ジャージにポロシャツを着ていた。多分、植木の剪定をしていた時の格好のまま、病院へ行ったのだろう。
「あいたたたた……!」
「ばあちゃん……」
「ばあちゃん!」
「ばあちゃん、大丈夫!?」
「三人とも、帰ってたのかい。……ああ、嫌だね。梯子から落っこちるなんて。齢は取りたくないもんだよ」
すると、ばあちゃんに付き添っていた蒼司が、怪我の具合を説明する。
「医者によると、足首を捻っただけだって。幸い、骨折はしていないそうだよ。もっとも、完治するまで何度か通院はしなきゃいけないみたいだけど」
しかし、晴夏と舞夏はそれを聞いていなかった。二人は目を丸くし、蒼司に釘付けとなっている。熱に浮かされたようにボーッとして、ほんのりと頬を赤らめる始末だ。晴夏に至っては、手にしていた菜箸を落っことしてしまった。
「えっ……もしかして、蒼司くん!?」
「何ていうか……イケメンなのは昔からだけど、服とか髪型とか、洗練されててカッコイイ……! 芸能人みたい!!」
口々に感嘆の声を漏らす晴夏と舞夏に対し、蒼司はにこりと笑顔を浮かべて答える。そういった称賛は慣れっこだと言わんばかりの態度だ。
「はは、ありがと。……君が舞夏ちゃんだよね? それから、眼鏡をかけてる方が晴夏ちゃん。二人とも、きれいになったね。子どもの時のことしか知らないから、僕もびっくりしたよ」
「やーだ、蒼ちゃんってば! 相変わらず、お世辞がうまいんだから~!」
「こ、こんにちは、蒼司くん」
舞夏は蒼司を前にして完全に舞い上がっているし、晴夏も髪の癖をやたらと気にしている。どうやら蒼司の容姿は、奥手な晴夏すら目覚めさせるほど、刺激的であるようだ。
その時、私はふと気づいた。自分の事はよく分からないが、舞夏や晴夏が大人っぽくなったのは事実だ。これからも、どんどん垢抜けて大人びていくのだろう。それはつまり、十分、蒼司の毒牙にもかかり得るという事だ。
舞夏は「イケメンは正義」な思考回路の持ち主で十分に危なっかしいし、晴夏も異性の免疫がほぼ無いため、とても危ない。次女として、危険極まりないこの状況を、みすみす放置しておくわけにもいかないではないか。
「蒼司、ばあちゃんを送迎してくれて助かった。あとの事は私たちがするから、もう帰っていいぞ。……それじゃあな」
ついでに、しっしと右手を振って、犬を追い払うような仕草をすると、蒼司は戸惑ったような表情を浮かべる。
「ええと……立夏ちゃん。何だか、あからさまに僕を追い返そうとしてない……?」
それを見ていた舞夏は、目を吊り上げてそれに反対した。
「やめなよ、立夏! 何てこと言うのよ!? 蒼ちゃんは親戚とはいえ、一応うちのお客さまなんだよ!? それに、ばあちゃんを病院に連れて行ってくれたんだし、そういう対応はあまりにも酷すぎるんじゃない!?」
「そうだよね……せめて、夕飯だけでも食べていって貰ったらどうかな?」
晴夏も舞夏の意見に賛成らしい。ちょっとショックだ。晴夏が私より、こんな顔だけ男の肩を持つなんて。二人が蒼司に夢中になればなるほど、私のテンションはダダ下がりしていく。
「そうか? 私は一刻も早く、お帰り願いたいと思っているんだが」
「もう、それが失礼だって言ってんの! ……ごめんね、蒼ちゃん。立夏は男性慣れしてないから、こういうつっけんどんな態度になっちゃうの。せっかくだから、うちで夕飯、食べて行ってくれるよね?」
「そうさせてもらえるなら、僕も助かるな」
「やったあ!」
舞夏は嬉しそうにガッツポーズをしたが、私は小さく、ちっ、と舌打ちをした。そんな私の胸中を知ってか知らずか、蒼司は呑気に口を開く。
「この匂いはカレーだよね? いいね。僕、カレー好きだなあ」
私はすかさず、蒼司に言ってやった。
「そうか、そんなにカレーが好きなのか。それなら、カレーのチェーン店が近くにあるぞ。因みにおすすめはオニオンポークカレーだ。せっかくだから、外で食べてくると良い」
「いや、チェーン店のカレーなら東京でも食べてたし、僕が食べたいのはこの家のカレーなんだけど……。立夏ちゃん、そんなに僕の存在が邪魔なのかな?」
「害虫は、寄りつく前に追い払うのが、基本だろう」
私は冷ややかな口調でそう告げた。晴夏も舞夏も当てにはならない。だから、自分の力でどうにか蒼司を追い出さなければならない。すると、意外なことに、ばあちゃんが口を挟んだ。
「……立夏。蒼司の分も、用意してやりなさい」
「ばあちゃん、でも……!」
「いいから、そうしなさい。みんなに話さなければならない事もあるしね」
私たち姉妹は、顔を見合わせる。ばあちゃんの話とは何だろう。蒼司と関係のある事なのだろうか。少し嫌な予感がしたけど、それがばあちゃんの指示なら、逆らうわけにもいかない。
私は仕方なく、蒼司の分もカレーを用意してやった。
そして、最悪の夕餉の時間が始まってしまった。
蒼司は気持ち悪いくらい猫を被っているし、舞夏と晴夏はいつもよりやたらとテンションが高い。私はちゃぶ台の隅で、溜息をつきながら、黙々とカレーライスを口に運んだ。一刻も早く、蒼司が帰ってくれないかと、そう願いながら。
食事が終わり、食器を提げ、ばあちゃんはいつものように人数分の茶を淹れてくれる。そして、私たち三姉妹に、こう切り出した。
「……さてと。話というのはね、蒼司のことなんだよ」
「蒼司くん?」
「蒼ちゃんがどうかしたの?」
「蒼司は暫く、この家に住みたいと言っているんだ。ほら、西の離れがあるだろう。そこをアトリエとして改装し、使用したいと言うんだよ」
私は呆気にとられ、声も無かった。てっきり、蒼司は長居しないだろうとばかり思っていたのに、今日だけでなくこれからも、ずっとこの家に長居するつもりなのか。
その事実に早くもうんざりしたが、それよりは、ばあちゃんがそれを許したという事の方が、ショックだった。
「ええぇ!? 西の離れをアトリエにって……蒼ちゃんのアトリエは東京にあるんじゃなかったっけ?」
一方、舞夏は驚いたような声を出すが、その顔はニヤついていて、喜びを隠しきれていない。それに気づいているのかいないのか、蒼司は変わらずの作ったような笑顔で答える。
「そっちのアトリエは、もう既に引き払ったよ。当分はこっちで制作に専念するつもりなんだ」
「……はあ? 何でまた……蒼司は東京で、せっかく売れっ子の画家になれたんだろ? それなのに、どうしてわざわざ、その成功を捨てるような真似するんだ?」
私が冷ややかに突っ込むと、蒼司は何食わぬ顔をしながら、肩を竦めて見せる。
「東京じゃなくても、絵は描けるよ。むしろあの街は、情報が溢れすぎていて、創作活動には不向きな面もある。プロモーションを打ったり、自分や作品を売り出すのにはちょうどいいところだけど……僕はまあ、既にそこそこ売れてるしね」
「すごい、蒼ちゃん。プロの余裕って感じ……カッコいい!」
舞夏が賛辞の声を発したが、正直、そんなアホっぽいコメントにはとても付き合っていられない。私はそれを無視すると、ばあちゃんに向かって身を乗り出した。
「ちょっと待てくれ、ばあちゃん。そりゃどこで絵を描こうが、確かに蒼司の自由だが、それが我が家である必要も無いんじゃないか? 離れとはいえ、同じ敷地内で生活するわけだろ。晴夏や舞夏も年頃だし、蒼司だって未婚なわけだし、ちょっと危なくないか?」
力説する私の隣で、舞夏と晴夏は半眼になる。
「何か、自分は年頃じゃないみたいな言い方……あたしたち、三つ子なのに」
「立夏、まるでお母さんみたいだね……」
いくら突っ込まれても、そこは譲れない。晴夏と舞夏は、そもそも蒼司の事をあまり覚えていないみたいだった。私がその名を口にして、二人ともようやくその存在を思い出したくらいだ。
しかし、私は知っている。蒼司の軽薄で残忍な本性を。だから、絶対に蒼司をこの家に居座らせるわけにはいかなかった。
「心配しなくても、未成年をどうこうしたりはしないよ。それはさすがに、犯罪だしね。僕はあくまで、この家には絵を描くために来たんだから。女の子と付き合いたいなら、すぐに東京へ戻ってるよ。東京は人口が多いだけあって、きれいな女の子が多いし、人間関係もドライだから遊びやすいしね。……どう? 信じてもらえないかな?」
蒼司はいかにも誠実そうにそう言った。舞夏と晴夏も、それに倣っていかにも神妙な顔をし、真面目に考えてますみたいな雰囲気を醸し出している。でも、姉妹である私には、下心があるのが見え見えだ。
「あたしは良いと思うけど」
「私も、別にいいと思う。蒼司くんは主に離れで生活するつもりなんでしょ? 使っていない離れを遊ばせておくのももったいないし、丁度いいんじゃないかな?」
――ちっ。私は小さく舌打ちをした。
何で二人とも、そうコロッと騙されるんだ。蒼司はもっともらしい事を言っているように見せかけているが、単に田舎をディスってモテ自慢をしただけだぞ。冷静に内容を吟味すれば、これ以上、中身の無い空虚な会話も無いって、すぐに気づくはずだ。
それに気づけないのは、二人とも完全に蒼司の外見に騙されているからだ。
……はっきりとそう言ってやりたかったが、晴夏と舞夏はすっかり瞳をハートマークにしてしまっていて、私の言う事など耳を貸しそうにも無い。私がいくら口を出したって、馬の耳に念仏だ。となれば、残る手段は、ばあちゃんに直訴しかない。
「……本当にいいのか、ばあちゃん? あいつの女癖の悪さ、知ってるだろ? 大学時代も度々、問題を起こして、他所の女の人を泣かせてたじゃんか。離れとはいえ、住まわせたら絶対に危険だぞ! あいつが晴夏や舞夏に手を出さない保証なんて、どこにもないじゃないか!」
私は、はっきりとそう指摘し、蒼司に向かって人差し指まで突きつけてやった。蒼司はさすがに返す言葉も無いのか、引き攣った笑みを浮かべている。
あと、もう一押しだ。私は口を開きかけたが、それを遮るかのように、舞夏が不服そうに唇を尖らせる。