第1話 花粉症地獄
新しい連載をはじめました。はじめて青春ものにチャレンジしてみました。楽しんでもらえるように頑張ります!
ああ、眠い。春はどうしてこう、眠いんだろう。
日差しや風が温かいからって? 若しくは、桜やチューリップなどの匂いが漂ってくるから? まあ、それも無くはない。
でも一番の理由は、他にある。
桜の花びらが儚げに舞い降りてきて、私の机の上にふわりと着地した。教室の中では、他のクラスメートたちが、みな浮足立った様子でぎこちなく会話を交わしている。
どこかよそよそしい、校舎内の空気。新しい制服はまだ、身体に馴染んでない。それでも確かに、今は輝かしい高校生活の記念すべき第一歩のはずだった。
でも今の私には、そんな事にしみじみと浸っている余裕なんて、これっぽっちもなかった。
「ぐぇーっしゅ!」
クラスの中では、男女ともすでに仲良しグループが作られている。でも私は、そのどれにも属していない。教室の片隅でただ一人、自分の席に座っている。誰も私に話しかけてこないし、私も話しかけない。まるで、いてもいなくても同じ、影法師みたいだ。
私はそう――完全に世間一般で言う、ボッチとかいう状態に陥っていた。
念のために言っておくが、私のボッチには理由がある。原因は決して、私の個人的性格のせいではない。因みに、イジメにあっているわけでもない。入学式からまだ四日――イジメが発生するほど、深い付き合いをしている生徒はまだいない。
ただ、ちょっとした不幸が私の身に降りかかってきたのだ。それは、この県立虹ヶ丘高校、第三十三回入学式当日の事だった。
「ぐぇっ……、ぐぇっしゅ! ぐぇっしゅ!」
入学式の時から、ずっとくしゃみが出てる。これはあれだろうか。いわゆる花粉症とかいうヤツだろうか。春に訪れる、人々を咳と涙と鼻水の地獄へと突き落とすという、恐怖のアレルギー疾患大王。くしゃみのしすぎで眠くなってくるなんて、生まれて初めての経験だ。
今まで、花粉症なんて出たことなかったのに。こんなに急になるものなのか?
「ぐ、ぐ……ぐぇっしゅん!!」
ああ、止まらない。止まらないじゃんよ。よりにもよって、この時期に発症しなくてもいいのに。そう、学校生活というのは、何事も最初が肝心なのだ。入学式から最初の一週間ほどで、その後の人間関係がほぼ出来上がり、固まってしまう。
本当は、みんな緊張しつつも周囲を窺っているわけだ。誰と友達になろうかなーとか、あの人、いい人そうだなーとか、話しが合いそうだな、趣味が合いそうだなとか。探り合いながらの椅子取りゲームは、既に始まってる。
それなのに、私はただ「ぐぇっしゅ! ぐごっ……ぐげぇぇっしゅ!」と、絶望的に品性の欠けた無様なくしゃみをしているだけ。多分、クラスメートからは、「ぐぇっしゅ! の人」って覚えられてる。
このままじゃまずいと危機感を覚えなくも無いが、とにかく息をし、目を開けるだけで精一杯なのだ。頭はぼんやりするし、目や鼻が地獄みたいに痒いし、ぎりぎりで生命活動を維持しているような有り様で、会話による意思疎通などできるはずもない。
薬はもちろん服用しているが、学校へ登校しなければならないから、あまり強い薬は飲めない。
つまり、私は生まれて初めて花粉症の恐ろしさに打ちのめされ慄いていて、完全に友達をつくるどころではなかったのだった。
――だから要するに、私は出遅れてしまったのだ。友達づくりの椅子取りゲームに。
その結果、入学式から僅か数日後、私はめでたくボッチの座を手に入れたのだった。男子はもちろん、女子も誰も話しかけてこない。無視されているわけではないが、既に中の良いグループが出来てしまっていて、それぞれ固まっている。こちらから話しかけるのもなかなか簡単じゃない。
そもそも、この花粉症が収まらなければ、まともな会話など絶対に不可能だ。
(あー、高校入学して、いきなりボッチか。やっちまったなー……)
などと、花粉症の治りきらないぼんやりした頭で、そんな事を考える。まあ、焦りが無いわけでもないが、慌てたって仕方ないしな。精神力や気合で治るわけでなし、今はじっとしているしかない。
友達は――まあ、そのうち何とかなるだろう。
二発ほど、くしゃみをぶっ放したその時、目の前の椅子に一人の女子生徒が腰かけた。そして私の方を振り返り、声をかけてくる。
「わあー、もしかして花粉症? 大変そうだねー。あたしのティッシュ、貸そうか?」
目の前に座ったのは、ポニーテールをした活発そうな女子だった。体育会系とかによくいる感じの子で、夕日をバックに光り輝く汗を撒き散らしながら、グラウンドを疾走してそうなタイプだな、というのが第一印象だった。まあ……それはさすがに偏見かもしれないけど。
でもとにかく、明るくて弾けてて、スポーツ飲料水の広告みたいな、キラキラした青春を謳歌している上級民には違いない。少なくとも、運動音痴で眩しい夕日とも光る汗とも無縁であり、カエルみたいなくしゃみをしてのたうち回ってる、憐れな私とは住む世界が違う感じだ。
でも、ティッシュは有難いから、礼を言って受け取ることにした。
「あ、ども。すみません」
頭を下げると、ポニーテールの女子は、カラカラと笑う。
「えー、何で敬語なのさー?」
「いや、何となく……」
「何それ、超ウケるし! ……あたし、姫崎悠衣っていうんだよね」
「私は……結城立夏と申す者です」
「あっはは、お前は武士か!」
姫崎さんはやはり屈託なく笑うと、こちらの顔を覗き込んできた。
「結城さんって、意外と面白いねー。ねえ、あたし達、友達になろうよ!」
「はあ……」
「……反応、鈍っ!」
「すまん……そうじゃない……口を開けたら、鼻水が……!」
そう答える間も、鼻水が垂れそうになる。私は急いで姫崎さんから貰ったティッシュを取り出し、それを鼻に当てた。
「そ、そう……本当に、大変そうだね……。大丈夫?」
そして姫崎さんは、くしゃみを連発する私の背中をさすってくれた。まあ、咳とは違うから、背中を撫でられたところでくしゃみが減るわけでもなかったけど、それでもけっこう嬉しかった。クラスの中で私を気遣ってくれたのは、姫崎さんだけだったから。
ただ、どうして姫崎さんがこの時、私に話しかけてきたのだろうと、奇妙に思わないでもなかった。だって姫崎さんみたいな、いわゆるリア充なら、他にいくらでも友達ができそうなのに。
どうしてクラスの隅っこで奇怪なくしゃみを連発している、私なんかに声をかけたのだろう。
(まあ……単に物好きなのかもしれないな。珍獣ハンターとかみたいに、ヘンな生き物を見つけたら放っておけないのかもしれない)
とにかくそれが、私こと結城立夏と、姫崎悠衣の出会いだった。