ポジティブな彼女。ネガティブな私。
「後悔してる暇なんて、あると思ってるの?」
遠い遠い記憶の中で、零ちゃんが、不敵に笑った。
◇◇◇◇◇◇◇
私のクラスには、きらきら女子が居る。名は香神 零という。茶色い長髪の美少女、生徒会長、テニス部部長、成績トップ。おまけに性格もいいときてる。
対して私は、黒髪ポニーテールの眼鏡っ子。キング・オブ・モブ。成績、中の下。無口で根暗。存在はたぶん空気と等しい。
高三の春。交わるはずがない二人が、交わった。
なぜか。
それは私が、高校の廊下で、彼女と思い切りぶつかったからだ。
「ごめん!大丈夫?」
謝られたけど、眼鏡がふっとんでよく見えない。でも焦った声から心配してくれてるのが、ちゃんと伝わった。
「こちらこそ、ごめんなさい!あれ?どこ行った?」
私は牛乳びんの底みたいな眼鏡を、手探りで探す。
零はそれを手に握らせてくれた。
「ごめん。あたしのせいで壊れちゃった。弁償するね」
零はこんな、スクールカースト最下層の私にまで優しい。天使、いや女神か!?
私は真っ赤になって眼鏡をはめた。
「ありがとう!」
「眼鏡のフレーム、ものすごく歪んでるよ」
「あ」
「ふふ!橋本さんって面白いね!」
零の笑顔が弾けて、私も照れながら笑った。
それからは彼女と、自然に話すようになった。
私と零が一緒に居ると、クラスの皆はすごく嫌な顔をした。私は申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、
「友達と一緒に居て何が悪いの?」
と彼女が言うので、皆は黙るしかなかった。
零は私と違って前向きだ。いつも先を見据えて懸命に頑張ってる。
ネガティブの塊のような私は、その姿が眩しくて仕方なかった。
──「どうして零ちゃんはそんなにポジティブなの?」
出会ってから三ヶ月ほど経った、ある日の夕方。
誰も居ない教室で、私は何気なく聞いた。
「後悔してる暇なんて、ないから」
「そんなに忙しいの?」
彼女は答えに困ったのか、珍しく顔を曇らせた。
「奈々ちゃん、信じられないと思うし、言ったら笑っちゃうかもよ?」
「そんな!笑わないよ?」
零ちゃんは、何か悩んでるのかもしれない、と思った。私なんかで良かったら相談に乗りたいとも。
だけど予想外の爆弾が、私の頭にずどんと落ちてきた。
「あたし、もうすぐ死ぬんだ」
意味が分からなくて、思考が真っ白になる。私の間抜けな顔を見て、零ちゃんは悲しそうに長いまつげを伏せた。
「ほら、やっぱり。信じてくれないでしょ?」
「死ぬって……どういうこと?」
「あたし、見えるの。人が死ぬ、最期の瞬間。初めは半信半疑だった。でも、おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなる時。あたしはその場面を夢で何度も見てた。次は、あたしの番」
「分かってるなら、避けられないの?」
「詳しい状況まで見えないの。制服で倒れてるところくらいかな」
そこまで言って零ちゃんは、大きな瞳で私をじっと見た。
「ていうか、奈々ちゃんはあたしの言うこと、信じてくれるんだ?」
「当たり前でしょ!友達だもん!」
鼻息荒く言うと、零ちゃんは目をぱちくりしてから、くしゃっと笑った。
「奈々ちゃんのそういうとこ、好きだよ」
彼女はリュックを背負いながら、楽しそうに提案した。
「ねぇ!帰りにどこか寄ろうよ!ケーキとか食べに行かない?」
「いいね!私チーズケーキが食べたい!」
本当はすごく動揺してたけど、零ちゃんが笑っていたから、それはとりあえず隠しておいた。
私たちは高校を出た。
それから数メートル先の停留所で、バスを待った。夕方だからか人が多い。私たちは列の後ろの方に並んだ。
わいわいとお喋りをしていた、その時だ。
全身黒で固めたマスク姿の男が、突然ナイフを持って襲いかかってきた。
「危ない、奈々ちゃん!」
零ちゃんが叫び、覆い被さる。私は彼女の下敷きになって地面に倒れた。頭を打って、意識が一瞬、飛ぶ。
気が付くと、大勢の人の逃げ惑う足音がした。
悲鳴がこだましている。私の手に、ぬるりとした生温かい液体が触れた。
「零ちゃん!」
我に返って、彼女の下から這い出る。
彼女は背中を刺されていた。
いやだいやだいやだ。どうしてこんな。何で零ちゃんが。
私は零ちゃんをぎゅっと抱き締めた。
「死なないで!零ちゃん!お願い!」
零ちゃんはぜえぜえ息を切らして、笑った。
「そっか。あたしの最期は奈々ちゃんを守るためにあったのか」
妙に腑に落ちた声。いやだ。こんな形で零ちゃんが死ぬなんて。そんなのいやだ!
「奈々ちゃん。ありがとう。私の分までよろしくね」
その言葉を最後に、事切れる彼女。
私はわけが分からなくなって、泣き叫んだ。
どうしてこんなことになったの?
どうして零ちゃんが死ななければいけなかったの?
どうして簡単に人の命を奪うの?
どうして?どうして──?
その後、犯人は自殺した。バス停で待つ人たちや、道行く人たちを、好き勝手に切りつけて。
あいつは他人のだけでなく、自分の命さえ、軽く扱った。
私は許せなかった。犯人も自分も。
何であの時、彼女を庇えなかったのか。
何で死んだのが、私じゃなかったのか。
明るい彼女が死んで、何で私みたいな人間が生き残るのか。
責めるばかりの毎日が続いた。苦しい日々が永遠に感じた。
時が経つ。何年も何年も過ぎて、日常は塗りかわっていく。
すっかり大人になった私は、笑うことにした。閉じ籠るのを止めて、太陽に胸を張ることにした。
零ちゃんは託したのだ。真っ直ぐ前を向いて、短い命を散らして。
私に渾身のバトンを渡したのだ。
【一生懸命に生きなきゃ、だめだよ】
私だって、いつどうなるか分からない。死は生といつも隣り合わせだ。
だから後ろを向きそうな時、思い出す。零ちゃんの向日葵のような笑顔と、ひたむきさを。
「後悔してる暇なんて、あると思ってるの?」
自問した私は、今日も一人。
限りある命を燃やし尽くそうと、精一杯、前を向いた。
作者より
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