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温室皇子の亡命生活記  作者: 三珈友兎
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0.前書き 1.祖国占領

 帝都の空は今日も青く、虚しい。


 神暦1019年、ヨーロッグ文明は苛烈を極めた大戦の終結から2回目の春を迎えようとしていた。国府前の広場には桜が咲き誇り、その下は終戦記念日を祝う人間達で溢れかえっている。


 あれは騙し討ちに違いがなかった。合衆国は幾多もの無理難題を飲み込み、それこそ苦渋の決断で平和条約を受け入れたはずだった。それを我が連合軍は踏みにじり、打ち取った。

 正しいことではあった。彼の国は私の国を乗っ取り父上を利用しただけでなく、結果として殺しもしたのだ。

 …いやそれは違う。殺されるようにしたのはかの国だが、殺したのは我が軍…私である。確かに我々は勝者であるが、すべての罪を彼らに着せることはできない。


 私はこの夏、帝位を退く。我が息子フェルマスティオが全てうまくやってくれると信じて。

 確かに無責任かもしれない。後世の人間は私を自らの子供に全ての混乱を押し付けた軟弱王とそしるだろう。しかし私は…疲れてしまった。

 合衆国内や我が国…いや、この文明のあらゆる場所で不穏な勢力の存在が報告されている。ある組織は合衆国の再建、ある組織は神聖大臣の敵討ち…またある組織は私への恨み。どの組織も自らの正義を貫かんと必死だ。終戦から2年がたったとはいえ、我が国の警察・軍隊では彼らを完全に押さえつけることは不可能だろう。

 私は退位した後に殺される。それは遅かろうと早かろうと、きっと変わらない。なれば私は私が経験した彼の戦争の経験を今ここに記しておき、後世の世で役立ててもらいたいと思う。




 996年8月。合衆国大統領 グランチェロ=オーティネブは当時国を支配していた政党である「祖国再興愛国結社」(祖再愛)結成の父 フルード=レルティーの「文明統一論」発表から150年になるのを機に、同書の論理性と正統性を説き文明統一を成し遂げようという声明を発表した。

 勿論我が国や連邦は遺憾の意を表明し、このような危険な思想は現代に残っているべきではないと断言した。

 今思えばあれが父が最後に父らしく、又我が国の皇帝らしく公に対しふるまった場面だったかもしれない。


『かの書は今や全く別の文化や社会をそれぞれに持つ我が文明圏の諸都市諸国家を一緒くたにし、それらの文化・社会、そして人民の生活を破壊するべきであると述べる非常に危険なものです。現代にもあの考え方が適合する?冗談じゃない、当時でさえ時代遅れも甚だしいと鼻で笑われていましたよ。』

「…陛下、発言は慎重になさったほうがいいかと。」

「おっと、これは失礼。」

『…コホン。しかしまぁいずれにせよ、あれは我がヨーロッグ文明全体にとって悪となりえる悪魔の書です。ことに軍国主義、あれだけは看過できないものがあります。合衆国の排出した偉大なる将軍ズティウェスラックだって言っていたでしょう。常に軍事は政治に服従するべし。これのみが我が文明圏が永久に平和を享受する条件であると考えます!」


 あの時の歓声と、父の高揚した表情は今も忘れることができない。私にとっての父の最後の立派な姿なのだから。


「…いやぁ、まいったな。いい歳こいて少し感情的になりすぎた。」

「いえ、ご立派でしたよ陛下。ねぇ殿下?」

「うん、父さん格好良かった。」

「あっはっは、照れるなぁ。...しかしジャックが言っても今一信ぴょう性に欠けるな...」


 その時、私はムッとして部屋を飛び出してしまった。父は普段から私の事を世辞の上手い息子だと言っていたし実際にそう想っていたのだろう。しかし本心から尊敬していた私はそれが否定されたような気がして腹が立ったのだ。あれが最後にならなくて幸いだったと心の底から思っている。

 そういえば…あの侍従の名はなんといったろうか。ペトラ…だったか。いやソフィだったかもしれない。まぁどちらでもいい、今はネマーキッシュと呼んでおこう。確かそんな苗字だったはずだ。

 歳は同い年だった。私が10歳になったときにつけてもらったのだ。それ以来着替えと風呂と夜以外はずっと一緒だった。それなのに名前を憶えていないのは…そうだ、私は彼女のことをずっとネマと呼んでいた。その上結婚したときに面倒だから名前をネマに変えてもらっていたのだ。だからきっとよく覚えていないのだろう。

 ネマは淡い橙色の活発な少女で...特に料理がうまかった。


...そういえばあの晩もネマが作った料理を頬張っていた。


「陛下!緊急事態であります!」

 伝令はひどく慌てた様子だった。

「なにがあったかね。」

「陛下、落ち着いてお聞きください。合衆国陸海軍が海上及び上空より我が国に対し攻撃を開始し、我が軍が応戦中であります。」

「何?それは本当か。」

「はい、ですので早く避難のほうを…」

「敵の数はどのくらいなんだ。」

「敵の数!?…ええと、ああ、3000人ほどです!」

「それなら大した数じゃないだろう。我が軍で何とか対処できるはずだ。それよりも早く指揮をとらねばならないな。」

「え、ええ、宜しくお願い致します!」


 あの兵士の間抜け面は今思い返すだけでも腸が煮えくり返りそうだ。しかし父は家臣に全面的な信頼を寄せていたから、それまでこの国の君主がしてきたように閣議を招集し、戦争の指揮をとろうとした。

 ああ、あれほど冷静に動いた君主が救二神暦通して他に果たしていただろうか。それほどわが父は誇るべき方だった。




 あれから数時間、ネマと続報を待ちながら食卓に座っていた。私は時間も時間であったから眠りかけていたがネマはしっかりと起きていた。きっといつもからこんな時間まで働いてくれていたのだろう。眠気など微塵も感じさせず...あれは耳をすましていたのだろうか。私には聞こえない戦場の音が彼女には聞こえていたのかもしれない。或いはただ静かな空間の中、戦場で戦う者達の事を思っていたのか。

 そんな中伝令は駆け込んできた。


「殿下!」


 私は彼を見た瞬間一瞬竦んでしまった。彼の軍服にはべっとりと血がついていたのだ。初めて見る血の色は、禍々しいほどに...あまりにも暗かった。


「殿下、早くお逃げください!早く!」

「待ちなさい。どうしたというのです伝令よ。」

 声も出ない皇太子に代わって兵士に問いをかけるネマの姿はさながら女帝のようだった。私が彼女の家来なのではないかと疑ってしまうほどに堂々としていた。

「敵が...敵がすぐそこに!陛下が...捕らえられて...。」

 そんな彼女でもその一言には大いに動揺したようだった。一瞬ビクリとして動きが止まった。然し、だからこそ彼女は問いを続ける。

「陛下はどうなったのです。」

「わかりません...殺された様子は、ないのですが。」

「そうですか...。」

 彼女は3秒ほど間を空けて私に言った。

「殿下、お聴きの通りここは危険だそうですから逃げましょう。」


 その時私は混乱していた。父が捕らえられた、音は聞こえぬが敵もすぐくる、我が国は滅んだも同然である。色々な情報や推測が脳内で飛び交っていた。


「でもどこに逃げるっていうんだ。父さんは捕らえられたんだろう?敵が今どこまできているのかもわかってないし...そもそも父さんの無事だってわかってないし...というかそこまできているならもう逃げ場なんてないんじゃないのか!」

「落ち着いてください殿下。」

「落ち着いてられるか!おい兵士、父さんは無事なんだろうな!」

「殿下。」

「敵はどこにいる!俺がそいつらを全員...」

「殿下!」


 あの時はあれ程女性は恐ろしい顔をできるのかと感心してしまった。まるで鬼のような彼女の表情を前にして喋り続けられるものなどいるのだろうか。


「殿下、いまはそのような場合ではございません。」

「...。」

 ただ黙ることしかできなかった。状況を飲み込めなかったし何より飲み込みたくなかった。然し我が国には沈黙は了解の証だという不文律がある。

「お分かりになればよろしい。」


 ああ、母親がいたらこんな感じだったのだろうか。と同い年の少女にそのような失礼な考えを抱いてしまった事を告白しよう。こういった異常事態においては、寧ろこんな日常的な妄想が捗るものなのかもしれない。


「ええと、確かここに...あ、あった。殿下、これをご覧下さい。」

 彼女が持ってきたのは地図だった。この文明圏全体が描かれている。ノーフォン大陸、アサール大陸、ハシェーム大陸。我が国があるフトゥシェーム島。そして...

「陛下、こちらがキテヌス島です。」

 キテヌス島...我が文明の出発点。大戦争によって「救二」時代が終わりを迎えた時、唯一人類が駆逐されなかった母なる島。今となっては合衆国の一領土に過ぎないが。

「ああ、知ってるよ。それがどうした?」

「ここに逃げましょう。」

「...は?」

「2度は言いません。」

「いや、待ってくれ。そこは合衆国の領土だろう?敵地に逃げ込むなんてアホらしいじゃないか。それなら寧ろ長距離を覚悟して連邦まで水路で行った方が...」

「いえ、ご安心ください。彼の地の首長とは密約を結んでいるのです。」

「そんなのは初耳だぞ!そもそも信用できるのか?」

「殿下は歴史や伝統に何よりも重きを置く方ではありませんでしたか?」

 確かに、我々を匿う理由になり得るほど我が家とあの地には深い歴史がある。そもそも我がテンペル家こそが我が文明最初の首長であり、それはつまり元来のキテヌスの統治者であったことの証明でもあるのだ。以来彼の地にあるキテイ大社と我が国、我が王家は時代によっては大々的に、時代によっては細々と交流を続けてきた。

 しかしだからといってそれは1000年ほどは昔の話。最早神話や伝説の類だ。態々リスクを冒してまで我々を匿うとは到底思えなかった。

「しかし他に信用できる場所がありますか?」

 確かにそう言われれば、ない。連邦だっていざとなれば我々など切り捨てるだろう。いや、そもそも入国を許すかも怪しい。彼の国だって合衆国と本格的に敵対はしたくないはずだ。


「わかった。貴女についていくよ、ネマ。」


 その後のことはよく覚えていない。どのように城を抜け出し、島を抜け出したのか。どのように合衆国軍から身を隠したのか。全てネマがやってくれた。全てネマが上手く。私は彼女にただついて行っただけだった。


 然し何れにせよ、この時に始まってしまった。温室育ちの私の亡命生活は。祖国を想い...父や彼女を想った20年間は。

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