「ノアちゃん、カモン」
部屋を後にし、礼拝堂へと戻る途中。
「荒っぽくて済まんな、戦場育ちなんだ」
「……いえ。“七災”の実力、見せていただきました」
さすがのビスクも苦笑いしていた。拡散波・癒式ぶっぱには思うところがあったらしい。
「なんだお前、私のこと知ってんのか?」
「その年の特級癒術士なんてあなたしかおられませんよ」
肩をすくめる。だからって、その異名で私を呼ぶか。
去年までは騎士団に従軍して、実戦の中で癒術を磨いていた。その頃の二つ名が“七災”だ。
由来はちょっとした言葉遊び。意味はまあ、そういうことだった。
「おっと、もう八災になられたんでしたっけ? お誕生日、おめでとうございます」
「勘弁してくれよ……」
「これはこれは、失礼しました」
やっぱそれ、一年ごとに増えていくシステムなのかよ。
一昨年は六災と呼ばれ、去年は七災。今年からは八災らしい。ちなみに誕生日は4月だ。
ノアちゃん成長記録が二つ名と共に拡散されていく。本当にやめてほしかった。
「華王様直々に頂いた名と聞きましたよ」
「国ぐるみで子ども扱いしてんだよ。あの紅茶王め、覚えとけよ……」
まだ子どもじゃないですか、とでも言いたげな視線は努めて無視した。
窓の外を見やれば、吹雪に閉ざされた空は暗い。夜がゆっくりと足を伸ばしはじめると、寒さは一層鋭さを増したように感じられた。
激しい降雪は未だ止むそぶりを見せない。
(…………)
窓から目を離す。一つ、確かめたいことがあった。
「通信障害が起きてると言ってたな。通信鏡を見せてくれるか?」
「ええ、構いませんが……。通信魔術も習得されていらっしゃるのですか」
「いや、そっちはからっきしだ」
通信魔術は上級魔術に位置する。どうにかするには専門の通信技師が必要だ。
だからまあ、私が見たところでどうにかなるわけではないと思うけど。
「こちらです」
案内されたのは凍てついた執務室。
そこに備え付けられたテーブル型の通信設備に、巨大な鏡が設置されている。これが通信鏡だ。
「使ってみてもいいか?」
「構いませんよ」
ビスクに許可を取り、鏡に私の魔力を込める。
通信鏡の仕組みは三段階に分けられる。
まず充填された魔力を特殊な波状に変換し、次にそれを指定方向へと放射する。最後にもう一つの通信鏡でそれを受信して、魔力を元の形状に戻せば通信の成立だ。
途中で中継地点を通って通信波を延伸したり、傍受されないよう送信者と受信者の間でしか通じない暗号を施したり、そういった機能もあるが今はあまり関係無いだろう。
「んー……」
癒国側へと魔力は放射されるが、数分待っても接続されなかった。
魔力の放射自体は問題無く行われているようだ。だとしたら……。
「この吹雪の前は問題無く動いてたんだよな」
「そうですね。先月末に定期連絡を行いましたが、その時は異常は見られませんでした」
おそらくは、放射されてから癒国に届くまでの間に、何らかの原因で通信波に異常が起こっているのだろう。
なるほど、ね。なんとなく分かってきた。
「何せこの吹雪です。魔力波が雪にかき消されているのではないでしょうか」
「……物質界に実体を持つ雪と、因果律から伝播する魔力じゃそもそも存在する界が異なる。因果律に作用するためには術式という橋が必要だ」
魔力とは、運命を支配する因果律に存在する物質だ。それは私たちの魂を通って物質界へと伝播する。
物質界から魔力を操作する手段は原則ないが、その例外が術式になる。
術式を使って魔力を加工し、加工した魔力を用いて因果律に逆干渉して、本来ならばあり得ない事象を引き起こす。それが魔術の仕組みだ。
もっともこれは専門的な話で、大体の人は「魂から出てくる魔力を術式に通すと、魔術が使える」くらいの解釈で利用している。
「大事なのは、魔力に干渉する手段は術式しかないということ。だったらおかしくないか? ただの雪が通信波をかき消せるわけないだろ?」
「ですが……。だとしたら……」
「――まだ憶測だ。断定するに一手足りない」
現時点でこれ以上は分からない。分からないが、方向性は見えてきた。
(もっと調査が必要だ。だが、この吹雪の中でどうやって……)
少し、手管を考える。
日が落ちた外では風が強く轟いていた。
*****
「よいしょっと――。熾天使の炎情」
暖気癒術を再展開すると、礼拝堂に忍び寄っていた冷気は退いた。
氷点下を大きく割り、今の気温はマイナス20度ほどだろうか。もはや熾天使の火恋では暖めきれないため、一段階上の癒術に頼ることにした。
「癒術士様、ありがとうございます」
「あなたが居なければ今頃どうなっていたか……」
「助かりました。これぞ神の思し召しでしょう」
「ああ……。いや」
村人はそんなことを言うが、私は楽観的にはなれなかった。
熾天使の炎情は上級癒術。恒常的に温められる術式としては、これが限界だ。
短期的にもっと温める術式はあるが、それを常時展開するのは私の魔力量でも持つかどうか――。
(願うのです。あなたが望む全てを叶えましょう)
「余計なお世話だ」
脳裏に声が響く。私はそれを舌打ちでかき消した。
それを使えば全ての問題は完膚なきまでに解決する。だが、私は、安易にその力に頼るわけには行かなかった。
「ノアちゃーん、こっちこっちー」
身を縮こめる人々の中、一際元気な桜がぶんぶんと手を振る。
なぜか、その周りには小さな子どもたちが集まっていた。
「桜、何してんだ?」
「遊んでた!」
「遊んでたかぁ」
元気だな。元気なのは良いことだ。そんな感想が浮かんだ。
「ノアちゃんノアちゃん、見てて見てて」
すぱっと、桜は両手で3本薪を構える。一つを宙に投げ、二つ、三つと放り投げながら器用に回す。
弧を描きながら反時計回りでくるくると回転する薪に、子どもたちの目はぴったりと吸い寄せられていた。
「ジャグリングか、上手いな」
「カスケードもできるよ?」
反時計回りを描くシャワーから、空中で軌道が交差するカスケードにスイッチする。クラブカスケードならぬ、ロッドカスケードとでも言うべきか。
手慣れているのだろう、安定感は高い。この調子だともっと行けそうだ。
「ノアちゃん、カモン」
くるくると回しながら、桜はにっと笑う。オーケーオーケー。
薪を拾ってふわっと投げる。3ロッドカスケードから4ロッドカスケードへ。難易度は上昇したが、桜はまだ安定していた。
「五本はできるか?」
「まだ練習中だけど……! 今日の私なら行ける気がする!」
その意気やよし。
タイミングを見計らってもう一本薪を投げる。桜はパシッとキャッチし、五本の薪を絶え間なく回す。
「あっ……ちょっと、きついかも……!」
「大丈夫大丈夫。自分を信じろ」
五本を回すとなるとそれなりに高度も必要だ。天井近くまで軌道を描く薪を子どもたちは楽しそうに見ていたが、大人は危なっかしそうに見ていた。
「あー! もう無理! ここまで!」
限界に達し、軌道がばらっと崩れた。
一本、二本、三本と両手でキャッチ。桜は四本目を足裏で受け、五本目は私の頭の上に落ちてきた。
「よっと」
軌道をずらし、落ちてきた薪を足の甲で蹴り上げてから受け止める。
「わー、ごめん。大丈夫?」
「ああ。五本でも十分できるじゃないか、上手いな」
「へへー。結構練習したんだぁ」
ぱちぱちぱちと、無邪気な拍手に包まれる。ヒヤヒヤして見ていた大人たちも、胸をなで下ろしていた。
ちょうど良い頃合いで調理所の方から良い匂いが漂ってくる。そろそろご飯時のようだ。
「あ、もうこんな時間なんだ。私ちょっと手伝ってくるね!」
返事も待たずに桜はぺたぺたと駆けだす。懐いているのか、子どもたちも桜に付いていく。
いっそこの事態にそぐわないくらいに元気な桜に、私は少しの笑みをこぼした。