「風邪引く前に帰るからな」
斬っちゃダメ。
そう通達すると、桜はぶーたれた。
「なーんーでーさー!」
「そもそも斬るって、吹雪だぞ? どうやって斬るんだよ」
「んーっと……。あんまり上手に説明できないんだけど……」
くるくると横髪を巻いて、桜は言葉を探す。
「こう、さ。吹雪って形がないじゃん。形があるものは形がある刃で斬れるんだけど、吹雪には形がないから普通じゃ斬れない。だから形がない刃があれば、吹雪もずぱーんっていけるでしょ?」
うんうん、なるほどなるほど。そういうことね。
わからん。
「いけねえよ。どういう理論だよ」
「天斬寺理論!」
「胸を張るな、胸を」
無駄に張られた大きなそれにため息をつく。
この状況だというのに、桜はどうにも緊張感がなかった。
「いけると思うんだけどなー」
「はあ、もう……。まったく」
なんだか良くわからないけど、桜は妙に自信に満ち溢れていた。
まあ、いいか。そこまで言うなら仕方ない。
「ビスク、まだ話すことはあるか?」
「いえ、こちらからはありません」
「そうか。すまんが、少し外す」
ほら行くぞ、と桜の手を取る。
外は寒いし、遊んでいる余裕もない。こんなことやるだけ無駄だろう。
でも。
私は桜の言葉を、無意味なものとは思えなかった。
「え、え、ノアちゃん?」
「吹雪ぶった斬るんだろ? やろうぜ桜、それで万事解決と行こう」
ほんの一瞬、桜はぽかんとする。かと思うと、満面の笑みを浮かべて、
「うん! まっかせて! 千切りでも乱切りでもなます切りでも、お好みの形に切り刻んじゃうよ!」
「なんでもいいが、風邪引く前に帰るからな」
「あ、信じてないでしょー」
「まあな」
本当に吹雪が斬れるとは信じがたいが、何かは起こるかもしれない。
私は桜に、不思議とそんな可能性を感じていた。
*****
そして再び吹雪の中に立ち、私は早々に後悔していた。
癒術で体を温めるのだって限界がある。寒いものは寒いのだ。
「一度室内の温もりを知ってしまうと、この寒さは尚更堪える……」
「元気ないねえ。雪ってテンション上がらない?」
「これもう雪ってレベルじゃない。災害だってば」
元気に雪を蹴る桜を見ると、本当はこいつただ遊びたかっただけなんじゃないか、とすら思えてくる。
私たちが教会に滑り込んだ時よりも吹雪は強さを増し、外気は鋭くなっていた。
村中の施設は降り積もる雪に覆われ、深々と凍てついていく。
(これは、思ったより持たないかもしれないな……)
現状認識を下方修正する。
価値があるのは最悪の想定、求められるのは最善の一手。
今必要なものはなんだ。救うことだけ考えろ。
「ノアちゃーん、やるよー?」
「ああ……。そうだな、やるか」
桜のことは置いておいて、私は遠くの空を眺めていた。
分厚い雲に覆われて、絶え間なく雪を振り下ろす曇天。遠くの空にも雲の切れ間は無く、風で雲が動く様子もない。
雪雲は完全にこの地に停滞している。
(…………? 雲が、動いてない……?)
そんなことを考えていたとき、視界の隅に映る桜の様子が変わった。
背負っていた竹刀袋の中から、見慣れない形の模造剣を抜く。あれが竹刀なのだろう。
桜の顔が変わる。
引き締まる。
浮ついた様子は鳴りを潜め、研ぎ澄まされた気迫を放つ。
(…………桜)
洗練された動作で、ゆっくりと一礼。瞳を閉じ、竹刀を握り、虚空へと切っ先を向ける。
少し離れたこの場所からでも剣気が伝わる。
それはこの冷気よりも冷たく、鋭くて。
ともすれば本当に吹雪を斬れるんじゃ無いかとすら思わせた。
(騎士団の演習は見たことがあるが、あれとは全然違う。桜のあれは、まるで――)
存在証明だ。
風に漂うヤナギのように。水面に漂う流木のように。
静を支配し、呼気を操り、己が身を刃と変えて空間を裂く。
実在する。桜はそこに居る。
強く、美しく、一振りの刃がそこに立っていた。
「星夜天斬流――」
呟くも、桜は動かない。瞳を閉じたまま静を纏い続ける。しかし。
現象は、明確に変異していた。
魔力が、ゼロになったのだ。
桜の周辺から空間に漂う魔力が消え去る。魔力の海に沈むこの世界から、あの場所だけが断絶する。
そんな現象、本来ならば起こりえない。私たちが知る常識では測り得ない奇跡。
それはまるで。
魔法のようだった。
「――桜」
声をかける。桜は、ゆっくりと目を開いた。
私の顔を見る桜に、ただ黙って首を振る。
「それはまだ、やめとこう」
私が止めると、桜は大人しく竹刀を下ろした。
この桜という転移者が行おうとしていたことが、何なのかは分からない。分からないが。
それが魔法だとするならば――。安易に使うことは許されない。
「今使おうとしたのは、魔法か?」
「魔法……。これって、魔法、なのかな。わかんないや」
「……そうか」
分からないままに使おうとしたのか。いや、分からないからこそ、試そうとしたのか。
魔法と魔術の間には、絶対的な差が存在する。
魔術はあくまで技術であり、魔法は選ばれし奇跡と称されるが、実際に魔法を使える私に言わせればそんなものは戯言だ。
「一つだけ、大事なことを教えておく」
「なに?」
「魔法を使うには代償を伴う。一度二度でどうこうなるものではないが、乱用は許されない」
「……やっぱり、そうなんだね」
桜は、少しだけ切ない顔をしていた。
自分が使うそれの正体を、朧気ながら掴んでいたのだろう。
「ノアちゃん」
「なんだ」
「今度、魔法のこと教えてね」
「……ああ、必ず」
教えなければならないだろう。現に桜は、選ばれてしまった。
この世界で魔法を扱えるということ。
それは、超越者であることを意味しているのだから。