「この吹雪さ。斬っていいかな?」
「癒術士様」
声をかけたのは、私とは少し異なる白衣を着た初老の男性。
この型の白衣は村守の証し。村守とは、村の長と教会の主を兼任する役職だ。
彼もまた救華の人間で、この村の守り手として統治と信仰の保持を担っている。
「別室を用意します、こちらへ」
「それは必要か?」
「では、必要な部屋にお通ししましょう」
妙な会話だが、これが救華流の挨拶だ。
今は災害の真っ只中だ。わざわざ部屋を用意する余裕なんてあるはずもなし、そんなものは望まない。
持てなしは不要だ。救うことだけ考えろ。
交差したのは、私たちが持つ理念の確認作業に過ぎなかった。
「どうぞ」
通されたのは凍てついた執務室。寒さで脳が凍らないよう、私たちの体を温める癒術だけを行使する。
部屋の椅子を三つひっつかんで、着席。
「改めて自己紹介しようか。癒術士のノア・スカーレットだ」
「ヘルケ村の村守、ビスクになります。礼式には逆らいますが、感謝の言葉を述べさせていただいても?」
私は苦笑いして首を振る。
状況はまだ終わっていない。礼を言うのも受け取るのも、全て救い終わった後だ。
「今は救うことだけ考えろ」
「……癒術士の方はいつもそう仰いますね」
「救済バカで悪かったな」
「とんでもない」
積み重ねてきた人の道が全てだ。
私たち癒術士は、どこまでもそういう生き物だった。
「そちらの方は?」
「こいつは桜。なんつーか……、拾った?」
「拾われました、天斬寺桜です!」
「テンザン……。はい、サクラさんですね。よろしくお願いします」
言い直す気持ちは分かる。耳慣れないテンザンジという言葉が名前を意味しているとは、ちょっとだけ認識に難がある。
まあ、桜のことは置いておこう。それよりも話すべきことがある。
「状況を説明してくれ」
足を組み、パスを渡す。
この天災は命にかかわる。とくれば、これは私たちの仕事だ。
これ以上損害を出す前に、食い止めなければならなかった。
*****
「なるほど、ね……」
ビスクの話を聞き終わり、私は腕を組んだ。
はっきり言って分かったことはそう多くない。分からないことが分かった、と言ってしまってもいいくらいに。
「雪が降り始めたのは昨晩で、寒波が猛威を振るい始めたのは今朝方か。今の状況を見るに、早い段階で村人を教会に集めたのは英断だったな」
このビスクという男、村守として極めて優秀だった。
これだけの災害に対し、犠牲者をゼロに抑える手腕は大したものだ。
「家屋にいくつか被害は出ておりますが、人的損害は抑えられております。この寒波で体調を崩したものが数名いるくらいですね」
「処置は?」
「行いました。今は安静にしております」
「後で私も診ておこう」
村守も救華の人間だ。癒術士ほどではなくとも多少の癒術は扱える。
本職として後で診るつもりだが、そちらの心配はあまりしていなかった。
「エリクシルへの連絡は?」
「それが出来ていないのです。通信鏡に障害が起こっているようでして」
「通信障害……。そうか」
通信鏡はこの大陸で広く利用されている、遠距離通信設備だ。
癒龍国エリクシルでは周辺の村々に最低でも一つは配備している。維持費は決して安いものではないのだが、それだけの価値はあった。
「人力で応援を呼ぼうとした頃には既に雪が積もっておりまして、この場所で閉じこもっていた次第です。すっかり後手に回ってしまいました」
「いいや、そんなことはない。ここまでやれば上出来だ」
そうなると、たまたまこの辺を私が通りかかったのは僥倖だった。
人事を尽くせば天命もたまには力を貸してくれる。天運に任せるなんて真っ平ごめんだが、使えるもんならなんでも使う。
(――望むならば、より多くを与えましょう)
「うぜえよ」
脳裏に響いた声に、唾を吐いた。
「……? ノア殿、いかがなされました?」
「なんでもない。それよりも、だ」
通信はできない。応援は呼べない。吹雪は加速的に勢いを増していく。
ここまでの経緯は把握した。ならば対応だ。
「これからの話をしよう」
あまりぐずぐずしていられない。判断の遅れはそれだけ被害を拡大させる。
迅速が第一、精確が第二。そのどちらも求められるのが、私たちの仕事だ。
「ここに立てこもるとして、どれくらい持つ?」
「備蓄はありますので食料は持つでしょう。問題は熱源です。薪はもう三日も持つかどうか……」
「癒術で暖気を保持すれば、倍は節約できる。一週間ってとこだな」
思っていたよりも劣悪な状況だ。
食料に問題が無いのなら、面倒なのはやはり水だろう。井戸が凍り付いた今、水を得るには雪を溶かさないといけない。
また、癒術で温めると言ったが私の魔力にも限界がある。それもどこまで持つか……。
(――求めなさい。私は、求めるものを与えます)
「黙ってろ」
呟く。脳裏に響く声は消え去った。
「やはり無理にでも応援を呼ぶべきでしょうか」
「この吹雪だ。んなことしたら死ぬぞ」
「ですが、ここで座していても死を待つだけです」
「これだけの大事、救華はもう気付いてるはずだ。すぐに応援が来るさ」
来るかどうかは分からないが、絶対に気が付いているという確信はあった。
――だって、救華にはあの子がいる。彼女が私の状況を把握していないはずが無い。そんなことは、絶対にあり得ない。
「村人を連れて山を下りるってのは現実的じゃないな……。確実に犠牲が出る」
「でしたら、籠城でしょうか」
「それっきゃねえか」
この吹雪がどういったものなのか。どれくらい続くのかは分からない。
ひょっとしたら数日で消え去るかもしれないし、数週間と続くかもしれない。確実なのは、吹雪は今も勢いを増し続けているということだけだ。
「……ねえ、ちょっといい?」
黙って会話を聞いていた桜が口を挟む。
どうした、と目を向けると、桜は小首をかしげて提案した。
「この吹雪さ。斬っていいかな?」
桜は至って真剣に、澄んだ目をしていた。