「そんな平和的解決手段でどうにかなってたまるか」
踏み入れた山奥は、極寒の地と成り果てていた。
「寒っ……」
あまりの寒さに桜が声を漏らす。
着の身着のままで飛び込んだのは無謀だったか、と思わせるほどの豪雪。
このままだと、助けるどころかたどり着く前に私たちが凍えて死ぬだろう。そう確信した。
「仕方ない。桜、ちょっと寄れ」
「寄れって、押しくらまんじゅうにも限界はあるよ!?」
「そんな平和的解決手段でどうにかなってたまるか」
中指と親指に魔力を集め、パチンと弾く。即席で癒術が編み込まれる。
展開した保温の癒術が、じんわりと私と桜の体を温める。これならしばらくは持つだろう。
「……あれ? なんか暖かいよ?」
「体温を上昇・保持する癒術を使った。副作用はほとんど出ないはずだが、異常があったら言ってくれ」
「癒術、ってなに?」
ああそうだ、そこからだったか。
この世界なら誰でも知っていることだが、桜は知らないかもしれない。
「魔術の一種だ。魔術の中でも、人体に直接的または間接的に作用する魔術を総称してそう呼ぶ。その名の通り医療目的の術式が多いが、危険なものも結構あるぞ。ああ、そもそも魔術ってのは――」
「魔法!? ひょっとして、魔法があるの!?」
突如桜は目を輝かせて食いついた。
魔法と来たか。なんで桜が魔法なんて言葉を知っているかは疑問だが、私は首を振った。
「魔法もあるが、魔術とは別物だな。一応は魔術の延長線上にあるものだが――。魔術はあくまで技術だが、魔法は奇跡と言った方が近い」
「でも、でも、あるんでしょ? やってみたい!」
「また今度な」
現在緊急事態進行中。後でやろうね、後で。
横殴りの雪を浴びながら、急ぎ足で柔らかな雪を踏む。僅かに体を浮遊させる魔術を併用しているが、想定していたのはあくまでも春山だ。
「雪が深くて歩きづらい……」
「ねえねえノアちゃん、良いこと思いついたんだけど」
「どうした?」
「ちょっと失礼するね」
ひょいっと。
まるで荷物か何かのように、桜は私を抱え上げた。
「ノアちゃん軽いねえ」
「ひゃっ、ちょっと、桜! 急に何するんだ!」
「走るよ。方向教えて」
その言葉に意識を切り替える。なるほど、確かに合理的だ。
油断すれば体の四分の一が雪に埋まりかねない私と違って、桜なら速く走れる。
「向こうだ、山頂に向かってくれ」
「あいあいさ!」
弾かれたように、勢いよく雪が舞った。
ほんの一瞬で景色がすっ飛び体にGがかかる。吹きすさぶ風がより一層強くなった。
雪だろうと山だろうとまるで無関係に、矢のような早さで桜は駆ける。
人間とは思えないほどの凄まじい速度だった。
(加速魔術……!? いや、魔術を使ったそぶりは無かった。まさか、こいつ、これを人力でやってんのか!?)
「ノアちゃん、ぎゅーって捕まって。ギア上げるよ」
「へ、ちょっと、え? まだ上がるの!?」
「喋らない方がいいよー、舌噛んじゃうよ」
黙ることにした。
桜の胸元に体を埋めるように縮こまると、宣言通り桜は凄まじい勢いで加速していく。
(……桜、背高くていいな)
何食ったらこうなんだろ、と羨ましく思いつつ、私はこの姿勢に甘んじていた。
*****
降り積もる雪は吹雪となり、舞い散る雪華は矢のように荒れ狂う。
その渦中を地竜が如き勇猛さで真っ直ぐに駆け抜けること十数分。ようやく目的地が見えてきた。
「桜、見えてきた! あそこだ!」
「おーらいっ!」
雪煙をけたたましく巻き上げて、ずざざざざっと桜は急停止。
私の体にかくんと重力がかかり、桜の腕の中から投げ出される。体勢を整えるほどの余裕もなく、べたっと深雪に頭から着地した。
「さくらぁ……」
「ごめんごめん、大丈夫?」
桜が私を雪の中からずぼっと引き抜く。あー、もー。びしっと決まらない。
駆け込んだ村に出歩く人は無く、立ち並ぶ民家の戸はぴっちりと閉められている。
「ひょっとして、とっくに避難済み?」
「いや――」
村の中央にある教会の窓から明かりが漏れている。
吹雪いて見にくいが、煙突から呼気のように煙が溢れていた。
「あそこだ。あそこに人がいる」
氷点下を割った白の世界で、教会から漏れる光だけが時を動かす。
凍り付いた戸を魔術で溶かしゆっくりと開く。
教会内の礼拝堂では、村中の人々が大量に薪をつぎ込まれた暖炉の周りで身を縮こまらせていた。
「誰だ……?」
力なく、村人の一人が私たちに問う。
向けられる目線を一手に引き受けて、私は教会の中へと足を踏み入れた。
「救華の特級癒術士、ノア・スカーレット」
名乗り、救華の証したる白衣を示す。
この周辺において救華とは、人道組織であり、統治機構であり、信仰の番人でもあった。
迷える人々の道標。背負う白衣の重みには、それだけの意味がある。
「救華の癒術士……? 助けに来てくれたのか?」
「癒術士? まだ子どもじゃないか、冗談だろう?」
「仮に癒術士だとして、この寒さに何をしてくれるってんだよ……」
浮かない顔の村人の間を歩み、懐から十字短剣を抜き出す。
こういう扱いは慣れている。見た目で侮られるのは、何も今に始まったことではない。
「寄れ。――熾天使の火恋」
十字短剣を起点に中級癒術を展開すると、寒さに震える人々の体が温められた。
天使の名を借りた術名だが、実際は技術体系に沿って編み込まれた癒術だ。聖なる祈りも神秘の力も使ってない。
こういう名をつけるのは、ぶっちゃけ民草向けのパフォーマンスだった。
「おお、暖かい……」
「これが神々に仕えし救華の癒術……!」
「神よ、ありがとうございます……」
祈りを捧げる人々に、私は黙って顔を背けた。
救華は神に祈らない。祈ることで思考を止めない。ただ誰かを救うため、人の力を果たし続ける。
そんな救華だからこそ、人の心を救うために信仰を利用する。それで誰かが救えるのなら、救華は手段を選ばない。
それが、救華という組織のあり方だ。