「勇者と魔王って、何?」
それはそうとして。
私には私で事情があるのを忘れていた。
「桜、すまない。続きは歩きながらでも良いか?」
「いいけど、どうしたの?」
「実は追われる身なんだ」
抜け出してきた癒国では今頃ちょっとした騒ぎになっているだろう。
乱心した華王様が追っ手を差し向ける前に、できるだけこの国から離れたい。
「ノアちゃんって実はお姫様? クーデターに巻き込まれて国を追われて、これから祖国を取り戻すために協力者を募りに行く途中だとか?」
「その通りだ」
そういうことにしてみた。
桜は神妙な顔をして、「そういうパターンかー……」と頷いていた。
「天斬寺の名を背負うものとして、困っている人を捨て置くことはできませぬ。不肖の身ながらこの天斬寺桜、あなたの刃となりましょうぞ」
不肖と言うより素性不詳の少女は、静かに覚悟を決めた。
「すまん、桜。冗談だ」
「なんですと!?」
しかも本気で驚いていた。
冗談に決まってるじゃないか、悪かったって。そんな大事件、そうそう起こってたまるか。
「本当のこと話すと、私勇者なんだけど魔王討ったら国を追われることになった」
「まさか、国の上層部と魔王が内通して――!」
「いいや、そんなことない。ただちょっと、華王様と魔王の倒し方で喧嘩しちゃって」
「あ、これただの音楽性の違いだ。バンドが解散するやつだ」
異邦人の少女、この状況を一言でまとめて切って捨てていた。ところでバンドってなんだろう。
「……で。本当はどういう状況なの?」
「さっき言った通りだよ」
ひらひらと手を振る。そろそろ質問のターンを返そう。
全ての疑問には答えられないだろうが、多少なりとも疑問を解こう。
「あのね、ノアちゃん。聞きたいことがあるの」
「なんでも聞いてくれ」
「勇者と魔王って、何?」
その言葉に足を止めた。
振り向く。桜の顔は至って真剣だ。冗談で聞いているようには見えなかった。
「言葉の意味はわかるよ。この世界で勇者と魔王がどういうものなのか、それが知りたいの」
「……魔王が世に混沌をもたらし、勇者がそれを討つ。“この世界”では誰もが知っている伝承だ」
「なるほどね、なるほど」
“この世界”という、世界が異なることを前提とした言葉。
桜という少女につきまとう違和感は、そこに集約している。そんな風に思えた。
「それで、ノアちゃんが勇者なの?」
「まあな」
「まだ小さいのに」
「……自分の運命に立ち向かうのに年は関係ないだろう」
「わー、かっこいい! かわいい!」
8歳ジョークは異邦人には大好評だった。
華王様もこれくらいの緩さで受け入れてくれれば、何も喧嘩別れしなくても済んだのになー。そんなことを愚痴りたくもなる。
「そういえばノアちゃん、いくつ?」
「この間8歳になった」
「学校はどうしたの?」
「とっくに卒業済みだ」
「お父さんとお母さんは?」
肩をすくめる。おいおい、子ども扱いは勘弁してくれ。
「この世界の8歳ってたくましいんだねぇ」
「言っとくが、私はちょっと特殊な方だ」
「ちょっと? ちょっとだけなの?」
「……かなり」
「正直者さんめ」
まあ、私勇者だし。勇者ならこれくらいは当然だと思う。知らんけど。
質問に受け答えしながら、山中の街道を二人で歩いていた。今のところ追っ手はまだ来ていない。
(……転移者、か)
この奇妙な友人は、この世界に住む人間なら誰でも知っているようなことも知らなかった。
見慣れない服装。見慣れない黒髪。
常識は欠落しているが、会話の節々に良識が滲む。
単なる記憶喪失ではなく、育ってきた環境が決定的に違うだけ。そんなことすら感じさせた。
「桜」
「なになに?」
質問も落ち着いてきたところで、私は話を切り出した。
「できれば癒国まで送りたいところだが、私も追われる身だ。この先の村に立ち寄るから、そこで救華と連絡を取る」
それまで機嫌良く話していた桜は、私の言葉に黙り込む。
眉根を寄せて、「私今考えています」と言わんばかりの顔をしていた。
「ああ、救華ってのは癒国を代表する人助け集団って思ってくれれば良い。桜が困ってるなら、絶対に助けになってくれるからそこは安心してくれ」
「んーと……。そうじゃなくて」
「どうした?」
「ノアちゃん、追われてるんでしょ? 連絡しちゃっていいの?」
考えるのは、自分のことより人のこと。
当然のようにそうする桜に、「華王様、桜のこと気に入るだろうな」なんてズレた感想を抱いて少し笑う。
「居場所が知られると多少面倒だが……。私はいい、なんとかする」
「ねえ、ノアちゃん。それよりもさ――」
桜が何かを言おうとした時。
するりと風が吹き抜け、私たちはそろって身震いした。
寒い。
寒いし、寒かった。
「……ノアちゃん、質問があります」
「……なんだ、桜」
山の奥から吹きこむ寒風に、はらはらと雪が舞い散る。
話すのに夢中で気がつかなかったが、街道の先を眺めれば、そこは一面の銀世界だった。
「今の季節は?」
「5月。春だ」
「気候で言えば?」
「温暖な時期になる」
「この地域でこういった現象はよく見られるの?」
「無いな」
そうは言いつつも、現実は変わらない。山中はしっかり雪に閉ざされていた。
遠くから眺める山頂は、降りしきる豪雪で白く煙っているようにすら見える。
「……ノアちゃん、これって自然現象?」
「調べてみないと分からないが、一つだけ確かなことがある」
これは災害だ。そう言うと、桜は面持ちを硬くした。
この先には私たちが目指していた村がある。本来ならば温暖なこの季節、冬の備えもほとんど出来ていないだろう。
そんな時期に冬将軍の襲撃を受ければどうなるか、結果は想像に難くない。
「桜、用事ができた。済まないがここで引き返せ、道沿いに進めば街に着く」
国を捨てた身であれど、救華の魂に汚れは無い。
救華戒律に殉じるべく足を踏み出した私の隣に、躊躇うこと無く足が並ぶ。
「旅は道連れ、って言うでしょ?」
「心は道、とも言うな」
「あ、私が知ってるのとちょっと違う。でも似たような言葉もあるんだねぇ」
桜はにへらと笑う。
自分だって大変な境遇だろうに、まるで楽観的に。
桜は差し伸ばす手を躊躇わなかった。
「大変だぞ」
「だったら尚更手伝わなきゃ」
「雪山は多くの人が死ぬ場所だ」
「なら、急がないとね」
「――付き合わせて悪いな」
「大丈夫。私冬生まれだから」
脅そうと、彼女の表情に陰りは無い。
その様子に、私は笑って肩をすくめた。
「行くか、桜」
「行こう、ノアちゃん」
パンパンパンと、桜と3回手を叩く。
ざくざくと雪を踏みながら、私たちは渦中の山へと足を向けた。