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ローズ  作者: 紫藤なごみ
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8.一筋の光を覆う闇

いい天気だった。

寒くもなく、暑くもない。

これからたくさんの命が天に昇ることになるとは思えないほどに静かな朝だった。

少女がゆっくりと目を覚ますと、そこにはすでに武装した王の姿があった。


少女はぼんやりと視線を定めず辺りを伺った後、真っ直ぐに地面に落ちる自身の髪を整え、衣服を身に着けた。

「出発のお時間ですか?」

ここが城であるならば、少女はいつも牢の中から王を見送る。

光の中へ戻る王を。

王は振り返って少女を見た。

今日は、少女は自分と向き合ってくれるらしい。

秘めている感情は分からなかったが、視線だけは今は彼のものだった。

王は、翻る自身の大きなマントで少女と自分を隠すように、そっと唇を落とした。


昨夜、はっきりと認めたくない感情に気付いた。

きっとそれは強固なのに、しかし可能であるならば永遠に曖昧にしておきたい感情。

忘れていたはずだった。封じておいたはずだった。

これから命を狩りに行く自分には絶対に許されないソレを―。


「ローズ。俺はこれからあの国を滅ぼしに行く」

「…ええ。存じております」

「どれほどの時間を要するか分からない。いつここに戻れるか分からない。そうだな…俺自身が逆に返り討ちにあうということもありえなくもない」

「らしくないことをおっしゃるのですね」

「…人の運命というものはいつどこで変わるのか分からないものだ。お前を、見つけたように」

そして王は、少女に背を向けた。

「ローズ。お前はこのままここに置いていく。安心しろ。この場所に相手国の者たちは手は出せぬ。…好きにしろ」

「…え?」

「俺から解放してやろうというのだ。自由を与える」

少女は目を見開いた。

背中を向けている王の表情は分からなかったのだけど。

「王?」

「だが、もし―」

王はテントの端を持ち上げた。

急に太陽の光がテント内に差し込む。

少女は眩しさのあまり目を細めた。

「俺が再びここに戻った時、もしお前が逃げずに留まっていたなら…俺は二度とお前に自由は与えない。生涯、放さない」

少女の返答を聞かぬままに、王は光の中に消えた。



気付いてしまったなら、それを認めるしかないではないか。

たとえ彼女がどのような選択をしようとも、許容するしかないではないか。


恐らく王の口元は、自分でも驚くほどに緩んでいた。





おかしなことだが、人は抱く感情によって言動を左右されるという。

自分はそれには絶対に当てはまらないと思っていた。

人としての感情を、捨て去ったつもりだったから。


「もし…ローズがあの場所に残っていてくれたなら―」


今まさに自分の前に跪いているたくさんの家臣や兵たちを見渡して、そしてそれほど遠くない所に見えている相手国の城を目の前にして、王は一人そっとごちた。

口から出た言葉とは裏腹に、やはり渇望してやまないのだ。

昔、一度は失ってしまったものを、彼女となら取り戻せるだろうと思ってしまったから。

だから。

残っていて欲しい。待っていて欲しい。

ローズ、お前は今頃―。



「皆、今回我らが欲す領地はあの国だ。オレは皆を信頼している。存分に働き、武功をたてよ。オレは必ず、褒章として皆に応えよう」

大勢の男たちの掛け声が一斉に上がった。

この声に、王自身も奮起する。

だが今回は、いつもの国とりとは少し意味合いが違うのだ。

恐らく早く片をつけて張ったままのテントに戻りたいと思っている。

ああやはり、一つの感情が冷酷であったはずの王の行動を支配している。

「皆、行け!」

王の掛け声と共に、皆は一斉に走り出した。


新興国を攻略することは経験上それほど難しくはない。

他の国々との結びつきは強くはない。軍の強さも想定できるだろう。

王は数人の家臣たちに守られながら自軍の最後尾に立って成り行きを見守っていた。

時折頭をよぎるのはやはり彼女で、今は戦いの最中なのだからと何度も首を振って気をまぎらわせようとするが、そのたびに彼の頭の中の彼女は真っ直ぐに彼を見つめてくる。

「どうかされましたか?王」

家臣たちが尋ねてくるほどに、彼女は彼の思考を奪う。

「いや、何でもない。気にするな」

これはよほどの重症だ。

だったら早くこの戦いに勝利するしかない。

王は馬を用意させ、はやる気持ちに促されるように軽々と飛び乗った。

「俺も出る」

刀を大きく振り上げて、王は一気に駆け出した。


これまで国とりにそれほど苦労したことはなかった。

王の統制の元、家臣たちはよく働いてきた。

そして今回もよく働いてくれている。

しかしなかなか城は落ちない。

どういうことだ?王は考えずにはいられない。

かなりの数、相手国の軍人を倒した。

辺りを見渡せばそれは一目瞭然で、しかし全く向かってくる敵の数が減らないのだ。

王にもそうであったが、それ以上に兵たちには疲労の色が見え始めている。

このまま長引けばこれまで勝利の味しか知らぬ屈強の兵たちでもさすがに持たないだろう。

だが引くわけにもいかなかった。

この国にこれほどの軍力があるなどとは―。

王は守りの家臣たちをそのままに一人戦場に駆け出す。

相手国の王を倒してしまえばあとはたやすい。

王自らが前線にやってきたことを認めた兵たちの士気は上がったのだけども、

かえってそれが敵国の兵に存在を知られることとなった。

不意に何かでおもいきり殴られた王は落馬し、そのまま意識を失った。




暗闇に浮かぶ幻影は、時にしてその者が常に抱いている心情を的確に表す。

一時夢の中に堕ちれば現れるは己のことを無様だとあざ笑う父。

何を恐れているのかと軽蔑しきったような瞳を向ける母。

そしてもはや誰であるのか判別できぬたくさんの視線。

握る刀で空を斬ってもそれらは決して滅することなく王の心を縛り続けてきた。


貴様らに俺の何が分かる。何が言える。元はと言えば貴様らが…。


いつもと変わらぬ言葉に応戦するはやはり変わらぬ言葉。

闇の中であがく王の腕を掴んだもの。

それは。


ローズ?


瞬間王の気持ちが緩む。

しかしすぐさま彼を襲った、痛み。


愚か者。己の罪を認めずして私を欲するなど身の程知らずもよいところ。


彼女はたくさんの影たちに吸い込まれるように王の元を離れていく。

王がすがるように手を伸ばしても、彼女はすでに遠かった。




「ローズ!」


目を覚ますと、自分が全身に汗をかいていることに気付いた。嫌な感触だった。

だがまだ自分が生きていることをすぐに悟った王は、汗をぬぐおうと手を動かそうとしたが、手だけではなく、汗をかいている全身の自由が奪われていることを知る。

ゆっくりと顔を上げた。見たことのない光景。

確か自分は戦場にいたはずだ。それなのにここは―どこかの建物の中なのか。

視線を定めると、少し離れた所に座っている一人の青年。

ようやく理解した。

自身を取り囲んでいる武器を構えた兵士たち。

ここは、敵国の城の中なのだと。


「ようやくお目覚めか?随分うなされていたようだが?」

「…このような所で眠ったことがないのでね。夢見が悪かったようだ」

「それは申し訳ない。仮にも一国の王たるあなたに」

「まさかまだ生かされているとは思わなかった」

カツン、カツンと音をたててこちらに向かってくる相手に対して王はニヤリと笑ってみせる。

初対面であるけれど、誰であるのか分からないはずがない。

「初めまして。あなたがこの国の王か」

「こちらこそ初めまして。強大な国の王にお会いできて恐悦至極」

相手の青年王もニヤリと笑って少年王を見下ろした。


「あなたが敵の手に落ちるのはこれが初めてか?」

「…二度目だ」

「ほお。それは意外」

少年王は目を伏せて静かに答えた。

相手にばれぬよう縛られた腕を動かしてみたが、どうにも逃れられそうにない。

「一度目はどのようにして逃げおおせたのか存じ上げないが、今回はそうはいかぬ」

「殺すか」

「あなたはこれまで罪もない者たちの命を容赦なく奪ってきた。その償いなどできるはずもないが、せめてできることはするべきだ」

「俺の国の者たちは」

「ご安心を。すべて生かしておりますよ。目の前で主の死をつきつけられるほどの絶望はないゆえ。それに―」

青年王は不意にしゃがみこんで少年王を見据えた。

そして強い力で彼の髪の毛を掴み、グイグイ引っ張った。

「私事で申し訳ないが、個人的に…お前には恨みがあるのだよ」

痛みに表情をゆがめる少年王をあざ笑って、青年王は髪の毛を掴んだ手をおもいきり振り下ろした。

少年王は地べたに顔をつけたまま上目で相手を見る。

「お前の国に攻め込んだのはこれが初めてだったと思うが」

「…ああ、そうだったな。だがこれを見ればすぐに分かるだろうよ」


青年王は立ち上がって後ろを振り返った。

彼の動きにつられるように視線を動かした少年王が見たもの。



玉座の後ろから現れた一人の女性。

長い髪をゆっくりと揺らしながら、薄いピンク色のドレスを引きずりながら。



「ローズ…!」


少年王の小さくもはっきりとした声がその場に響き渡った。

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