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ローズ  作者: 紫藤なごみ
7/20

7.融解

「どうだ、外の世界は」


馬車がガタリゴトリと堅い音を響かせながら走る中、王は少女に問う。

と言ってもここは薄暗い馬車の中。

両手を縛られ自由を奪われている少女が外の世界を覗き見ることなどできないのだけど、

それを分かっていて敢えて王は問うた。

少女がいつ奴隷としてあの部屋に入れられたのかは王とはいえど分からないが、

一度『奴隷』となった者が外に出られるとしたら、それは死した時のみ。

本当ならば少女もたくさんの中のそれに混じるはずだったのだけど、

王に『発見』されたが故、自由と引き換えにこうして外の空気を吸うことを許されている。

「外の空気は美味いか?」

外の中にある小さな籠の中に閉じ込めて、それでも王は少女に問うた。


そうですね。少女はようやく一言だけ発した。

それは果たして肯定か。それとも…。


少女に何かを期待したわけではなかった。

視線定まらぬ少女を目の前に、王はふと懐古する。

即位して数年。ひたすらに、ひたすらに、自分ではやってきたつもりだ。

そしてこれからもそれは変わらない。


一つにまとめられている両手を王に引かれて、少女は顔を少し上げる。

気付いた時はすでに王の腕の中にいた。

「王…?」

「お前を何のために連れてきたと思っている」

王は頭の中に浮かんだ光景を振り払うかのようにしきりに首を振って、少女の服に手をかけた。






夜、王は大きなテントを今回攻め入る国から少し離れた山中に張らせて、そこに主だった家臣たちを集め、明後日の攻撃について指示を出した。

相手国はこれまで王が滅ぼしてきた国々と比べれば新興国に入る部類。

しかも王は自分と幾分年の変わらない若き王だという。

「密偵に探らせたところ、今の王は先代の王の娘に婿入りした外来の王だという。そして年は俺より何年か上とのこと。それで『娘を差し出す』とはよく言ったものだな」

「大方その辺より連れて来た娘を養女にでもして差し出すつもりだったのでしょう。王をたばかるにもほどがあります」

「まあそれも今宵限りよ。あの国も、そして大勢の民も、明日にはすべて俺のものになる」

王はよほど機嫌が良いらしい。

右手にワインを持って時折それを吸いながら笑いを絶やさない。

そんな王を、幾人かの『ローズ』を知っている家臣たちはチラリチラリと見ずにはいられなかった。

「どうした?俺の顔に何かついているか?」

「い、いえ。大変ご無礼をいたしました。申し訳ございません」

家臣たちは慌てて平伏した。

王の性格上、ここで手打ちにされても文句は言えない。

だが王は、それも笑って許した。

「明日、すべてが片付いたら皆で祝勝といこうではないか」

王はグラスに入っていたワインを一気に飲み干した。




王のテントに集まった家臣たちをそれぞれのテントに戻した後、

王はそれまで籠の中に閉じ込めておいた『ローズ』を自分のテントの中に呼び入れた。

場所が籠の中から広いテントの中に変わったというだけで、相変わらず少女は閉じ込められている。

少女が向き合うことを許されているのも、相変わらず王ただ一人だった。


少女はテントの中に入ってようやく、両手の自由を許された。

今の今まで縛られていた両手首を軽くさすって、小さく息をついた少女を、王はワインを飲みながら眺めていた。

「どうした、疲れたか?」

「ええ。生意気なことを申し上げれば、あなたのせいです」

「俺が?」

「あんなに揺れる狭い中で…。絶対外の方々に聞かれました」

「ああ…。珍しいな、お前が今更ソレに文句をつけるなんて」

王はこらえるように笑って自分でワインをグラスに注ぐ。

「牢の中にいるのとは違いますから」

明かりのせいだろうか、少女の頬が染まっているように見えたのは。


アルコールには強い方だと自負しているが、明日の戦いを目の前にして、少々気持ちが高揚しているのは間違いない。

己の身体にワインを流しこむたび、瞳に映る『ローズ』が揺らぐ。

王は少女を近くに呼び寄せて、右手に持っているグラスを少女に差し出した。

「お前も飲め」

「私、お酒は飲めません」

「これまで一度も飲んだことはないのか?」

「そんなことは…ありませんけど」

王は右手のグラスを一度傾けた後、強引に左手で少女の顎を上げ、ワインを少女の口に流し込んだ。

確かにゴクリと飲み込む音はしたけれど、むせてしまった少女の口からはワインの筋ができる。

「勿体無い。これは値打ちあるワインぞ」

王はその筋を自分の口で吸う。

そしてそのまま、少女の口を吸った。

「ローズ。俺が憎いか?」

「何ですか、突然」

「憎かろう。お前の国を滅ぼし、お前を奴隷にし、そして今はお前の自由を奪い身体を蹂躙しているのだからな。できることなら殺してしまいたいほど、俺が憎かろう」

「…人は憎しみだけでは生きていけません。確かに最初は王を憎んだかもしれません。けれどこれも運命だと受け入れてしまえば何の感情もなくなります」

「諦めか?」

「いいえ。前進です」

すると、少女は両腕を伸ばして王の身体を抱えた。

「ローズ…?」

酔いは少々まわっていたと思うが、しかしこれは間違っていない。

初めて、少女の方から王に両手を差し出してきたのだ。

いつもは王が手を伸ばす。

すると少女は抵抗することなく王に抱かれる。

少女はいつもなされるがまま、そこにいるのだ。

右手に持っていたグラスをその場に落とし、明らかに動揺している王に対して少女は真っ直ぐに視線を上げた。

「少し…気がたっておいでですね。私でよければ、それを鎮めるお手伝いを致しますが」

ローズと目があったのはこれで3回目か。

今度は、にっこりと微笑んでいた。


翌日、王が目を覚ますと隣にローズはいた。

いつも、牢にいる時も少女を隣に目覚めてきたものだが、だが今日はなんだか心持ちが違うような気がした。


―俺の隣で、お前は本当に眠ることができるのか?


少女の顔にかかっている髪をそっとかきあげてやる。

指通りのよいその髪は、流れるように王の指の間を抜け、落ちる。

今度は少女の頬に触れてみた。

温かい、血の通う人間。

堅く閉じられたそのまぶたの奥を見ることはなかなかに困難だ。

いくら権力を持ってしても、なんと難しいことなのか。


寝息をたてる少女を見て思った。

俺は、どうしてこの女に気を許してしまうのか。

俺は、どうしてこの女の言動をすべて許すのか。


そして。

俺は、どうしてこの女を抱くのか。


懐かしい気持ち。

遥か昔、確かにこのような気持ちを抱いたことがあった。



「いと…しい?」



俺が?この女を?

誰でもない、この女が、愛しいのか?


今やこの世界のほとんどの領土を有するこの王に手に入らぬものなどない。

金も、女も、権力も。

すべてが自分の思うがままなのに。

たった一つに、気持ちを縛られるというのか?


ふと、王は自分の両手の平を眺めた。

この手でたくさんの人々の血を流した。容赦なく斬り捨ててきた。

己が死した後は、確実に地獄行きであることも分かっている。

この目でたくさんの涙も見てきた。この耳でたくさんの哀願の声も聞いてきた。

それらすべてを一つ残さず踏みつけてきたのだ。


その両手で、少女に触れる。その目で、少女を映す。その耳で、少女の声を聞く。

いつの間に安らぎを覚えるようになっていたのだろう。


危険だった。

これまでがむしゃらに生きてきたこの少年にとって、安らぎを感じてしまうことは己の首を絞めることになりかねなかった。

少しでも大事だと、愛しいと感じてしまう存在を許しては、自分が自分でなくなるような気がしてならなかった。

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