6.籠の鳥
自分だけが絶対であると皆に知らしめるには何が一番効果的であるか。
父の跡を継いで王となった時にまだ幼かった少年がまず考えたこと。
王の権力にものをいわせて厳しい規律を作り、反論できないようにすればいい。
情けなどは決してかけず、絶対的に厳しい罰を加える。
年のわりには知識も経験も豊富であった少年が恐怖政治をしくことはいともたやすいことであったけれども、彼は第一に、自分と家臣たちが対峙する玉座を大きく作り直した。
成長した今でこそ彼の体躯に対して玉座の大きさは丁度よく見えるけれど、当時は玉座に王を据えているように見えたものだった。
少年王が己の誇示以外にこだわったのはこれだけだったのだけど―。
「王。先日遣いを出した国より手紙が参っております」
王よりも一回りは年上であろう家臣の一人が過ぎるほどに恭しく王に手紙を差し出す。
王は玉座より手を伸ばすこともしないため、家臣が側近くに寄ることを許されている。
目の前に差し出されたそれを受け取った王はさっと目を通し、破り捨てた。
「どうしてどこの国も考えることは同じなのか。娘と金を差し出す故、攻め込むのは止めて欲しいとのことだ」
よほどおかしかったらしい。王はいつまでもはばかることなく笑っていた。
家臣たちは平伏したまま何も言えずに王の笑いが収まるのを待つしかない。
続く王の言葉は分かりきっている。
「俺の要求は王族すべての命と人民・領土の提供だ。…それなりにこの国も有名になったものだと思っていたがまだまだだということか。まあ良い。丁度久々に暴れ回りたいと思っていたところだ」
王が立ち上がると、家臣たちは一斉に声を上げる。
「いつ、攻め入りますか?」
老齢の家臣が前に出て王に尋ねる。
王の機嫌が悪い時に勝手に発言すれば即刻処刑ものだが、そこは仕えている家臣たちもわきまえている。
気分が高揚している時に煽り言葉を投げかけられて機嫌を損ねる者はいない。
「いつ出発できる?」
「王がお命じ下さればいついかなる時も」
「そうだな…」
いつもであれば「明日だ」と即答する王なのであるが。
「2日後の早朝とする」
一瞬間を置いて答えた王は、そのまま玉座を離れ、家臣たちの前から去った。
皆は平伏したままだ。
王は自身が命じた時以外に家臣たちが自分に仕えることを嫌う。
王の姿が完全に見えなくなった時、下位の家臣たちが準備に走り出した。
そして最後に残ったのは上位の家臣たち。
王に漏れ聞こえでもすればやはり即刻処刑もの。
だから耳元でこっそりと呟いた。
「なぜ今回は翌日ではないのか」
「牢の…あれでは?」
「だとしてもあの王が私情を持ち込まれるだろうか」
「相手は女だ。いくら冷酷な王でも例外ではあるまい」
「お前はよく眠るな」
家臣たちの噂が絶えないのは、玉座に姿のない時の王の居場所が城の地下牢であると知れているからにすぎない。
王自身それに全く気付いていないわけではないが、間違っていることでもない上、別段怒りを感じているわけでもないのでそのままにしている。
自分は『ローズ』に溺れていない。
王として権力を振るい、恐怖を与え、君臨している。
そんな自分がこうして頻繁に少女のもとを訪ねていることに苦笑したことが何度あったことか。
少女は「何度も申し上げているでしょう?」と少しだけ目を開けて王に答える。
王がやってくる時と去る時の瞬間だけろうそくの明かり以外の明かりが差し込む。
それ以外は常に薄暗い中にいるから時間の感覚が全くもてないのだと。
王はいつものように牢の中に入り、少女と向かい合う。
少女は顔を上げない。
ぼんやりとどこを見ているのか、目を伏せたまま決して王を見ない。
そんな少女を王は抱き寄せ、欲望のままに蹂躙してきたのだけども。
「ローズ、牢を出たいか?」
今回はいつもと違って、王はポツリと問いを少女に投げかけた。
「…私、ようやく仕事が終わったのですか?」
それでも目を伏せたままの少女に王が首を振った動作が見えただろうか。
「お前が牢を出る方法は2つある」
王は、俯く少女の様子を伺うようにジッと見つめたまま言う。
「俺の子を宿すか、或いは俺を殺してこの鍵を奪う、か」
少女は、小さく息を漏らした。
「なら私、恐らく一生ここにいるのでしょうね」
「お前にとってはありえない話か?」
「ええ」
すると突然、少女は顔を上げて身を乗り出し、王の顔に自分の顔を近づけた。
ほんの少しの距離にもどかしさを感じてしまうほど、少女は近くにいた。
王が少女の瞳を見たのは、少女を初めてここで抱いた時以来だった。
鼓動が大きな音をたてる。
「だってそうでしょう?私があなたから鍵を奪えるはずがない。お子を生むのはあなたの妻の仕事。私の役目ではありません」
「……」
王は自分で思っていたよりも動揺していた。
久方ぶりに見た少女の瞳は最初に見かけた時と同じように輝きを失っていない。
薄暗い牢の中にあってもくすんでいないその色に不意打ちをくらったのかもしれないと思った。
そして確固とした言葉。
「そうだな、お前の言うことはあながち間違ってはいない。だがいくら俺でもここでこうしている間に隙ができるかもしれない。考えたことはなかったか?」
「ありません」
「こうして身体をつなげている以上、いつか子ができるかもしれない」
「そうですね。でも私は決してそれを望まない。だって誰よりも一番哀れなのはその子どもだから」
王は次の言葉が思い浮かばずにそのまま黙った。
少女の瞳は嘘を告げていない。
そして沈黙を破ったのも少女。
「それに私、いつでも覚悟はできているのです」
「何だ?」
「死、です」
少女はようやく王から離れ、再び目を伏せた。
あなたから死を賜ること。自ら死を選ぶこと。
もしその時が来たならば、私はためらうことなくそれを受け入れましょう。
はっきりと耳に響いた少女の声に、王の鼓動はもう一つ音をたてる。
今また少女の瞳を見ることはかなわない。
だがさっき面と向かったそれに、どうして自分が『ローズ』をここへ連れてきたのかはっきりと思い出された。
ズキ、と頭に走った痛みにおもわず顔をゆがめた王は、今度は自分が身を乗り出して少女を胸に抱く。
「2日後の早朝遠征に出る。お前も連れて行く」
少女の身体が、一瞬大きく揺れた。
それから2日後、王は自分の言った通り、少女を彼女の存在を知らない家臣たちに見つからぬよう自分の籠に乗せた。
少女の姿を久々に見かけた家臣たちが驚いたのも無理はない。
死んでいるどころの話ではない。以前見かけたよりも美しくなったのではないか。
両手を縛られ、強引に籠に乗せられた少女の姿に、家臣たちは目を見開き、息をすることさえ忘れそうになった。
籠の中はやはり薄暗い。
少女と向き合うように籠に乗った王は、自由を奪われたままの少女を真っ直ぐに見つめた。
相変わらず俯いてどこを見ているのか分からない少女と、そんな少女と微妙な距離を保って座る王。
ろうそくの明かりはないけれども今こうして籠の中にいる自分と少女は、牢にいる時と全く同じであると思わないではいられなかった。




