3.寝物語-1
今は昔、ある国に一人の王がいた。
その王には正妃の他に幾人かの側室がおり、子どももたくさんいたが、
王は分け隔てることなく皆を慈しんでいた。
民にも評判の良い王だったのだが、やはり国を治める者として厳しい判断をせざるを得ない場合もあった。
まして小国であったが故、たくさんの国に人質として王子や王女を差し出していた。
その中でも一番遠い国に出されていたのが、正妃が7番目に生んだ10歳の第12王子だった。
いくら正妃が生んだ子とはいえ側室が生んだ子を入れて12番目の男子だ、王位につけるはずはない。
しかしそれでも正妃の子、他の兄弟たちは誰一人として人質に出されてはいなかったのに、この王子が出されたのは、相手国の強さと圧力に父王が屈したからにすぎない。
王子が国を出発する際、王は王子に何度も「すまない」「必ず早いうちに呼び戻すから」と頭を下げてくれたものだった。
王子は父の気遣いが嬉しかった。
だからこそ今にも胸の内よりあふれ出しそうになっていた不安をなんとかおし留めて生まれ育った城を後にしたのだ。
王子は人質とはいえども、相手国でそれほど寂しい思いはしなかった。
王子のことを軽蔑した目で見るものも確かにいたが、それを乗り越えられる存在は心の中でいつも笑ってくれている父。
そしてもう一人。
この国の第8王女。
王女は王子と年が同じで、すぐに仲良くなった。
国と国は互いに人質を出してかろうじて均衡を保つもの。
王女の姉たちはすでに他国に嫁ぎ、兄たちも皇太子を除いてほぼすべてが人質に出されていた。
自分と似たような境遇の二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。
二人は共に勉強をし、遊び、語り合った。
王女は王子が家族と離れ離れになっていることを気にかけていつも笑顔でいてくれた。
いつしか王子は、王女に恋をしていた。
「いつか私もお姉さまたちと同じようにどこか知らない国へ嫁ぐのでしょうね」
「そのようなお話が出ているのですか?」
「いいえ。けれどすぐ上のお姉さまは11歳の時に嫁がれたの。だから…」
「悔しいです。もし私に力があったなら…あなたを国の道具にはさせないのに」
「仕方ありませんわ。王族に生まれた故の運命ですもの。私も、あなたも」
「ですがだからといって自由をあきらめてしまわなければならないのですか…?」
王子が人質に出されてから3年がたとうとしていた頃、王子は一時帰国することを認められた。
懇意にしていた王女は幸いにもまだ嫁ぐことなく国に残っていたけれど、
王子は一時的とはいえ国に帰れることを喜びつつも王女と離れがたく思っていた。
王女もすでに13歳、いつどこかの国に嫁いでもおかしくない。
しかし立場上気持ちを伝えることができないままに王子は3年ぶりに帰国した。
よくぞ戻ったと王は王子の頭をなでた。
王子は王女のことを気にしつつもこの時ばかりは王子ではなくただの子にもどって素直に父王に甘えた。
王子が故郷に滞在するのは3日間の予定だった。
王子は滞在最後の日、王に「街へ出ても良いでしょうか」と申し出た。
この国にしかない物を王女への土産にと考えた結果だった。
王は笑って許可した。
これが、王と王子の最後の笑顔の会話となった。
王子は王女への土産に、この国にしか咲かない花をかたどった髪飾りを買った。
再び生まれ育った国を離れることに寂しさを感じなかったわけではないが、
それでももしかしたら早く王女に会いたいという気持ちの方が強かったかもしれない。
髪飾りを手に、王子は一つ決意していた。
戻ったら今度こそ王女に気持ちを伝えよう。
そしてもし王女が自分と同じ気持ちを持ってくれているのなら、父王にかけあって力になってもらえないか頼んでみよう。
王子ははやる鼓動を抱えたまま父のいるであろう玉座に向かった。
しかし父王はそこにいなかった。
玉座にいない王がいる所といえば妃たちのところか自室。
王子は兄弟姉妹や母、父の妃たちへの挨拶も兼ねて一部屋一部屋回って父を探したがどうにも見つからない。
城中歩いたと思われた頃、王子はふとあともう一箇所、探していない所があることを思い出した。
城の地下牢だった。
とはいえ、牢は犯罪者を閉じ込めておく場所。そこに王がいるとは思えない。
しかし王子は一応、と思い牢へ向かった。
心優しい父王。
たとえ相手が犯罪者であっても慈しむ心を常に持っていた父王。
普段誰も寄り付かぬ地下牢には、王子自身数える分しか行ったことがなかった。
それも父王と共に赴き「いくら犯罪者でも人は人であるから」と教えられた場所。
薄暗いそこには明かりはほとんどなく、厳重に鍵がかけられている。
鍵を持っているのは王のみ。
だから外から鍵が閉まっていれば、そこに王はいないということになる。
王子はおそるおそる地下牢へ続く階段を降りる。
同じ城内とはいえ、やはり恐ろしさを感じないはずはない。
だから鍵が開いていないことを確認したらすぐさまこの場所を離れるつもりだった、のに―。
どうしてドアが少し開いているのか?
王子はドアの隙間に視線を向ける。
薄暗い明かりが目の前で揺らめいているように見える。
そこはひどく静かで、犯罪者など一人もいないように思われた。
しかし犯罪者がいようがいなかろうが堅く閉ざされているはずの地下牢への道が開かれているということは…。
王子は意を決してドアに手をかけようとした。
その時。
「…王様、それは真でございますか?」
人の声がした。
それは父王の第一家臣。
「真だ」
続いて王の声。
王子の動きはその時すべてが停止した。
「しかしそれは他国の怒りを招いてしまうのではないでしょうか」
「あの国はたくさんの国々の中でも群を抜いての強国だ。その国を倒したとなれば他国とてそう簡単に我が国に手出しなどできなかろう」
「ですが…私は心配です。逆に我が国を倒して名声を上げようとするかもしれません。それに…」
父はどこかの国に戦いをしかけようとしているのか?
王子は少々ショックを受ける。
あの慈悲深い心優しい父王が?
戦いを好まぬと言って自分を含め子どもたちを人質に出している父王が?
王子は目を見開いたまま話の続きを伺う。
「12王子はいかがなさるおつもりですか。王子は明日には国を立たれあの国にお戻りになられます」
「それでもわしの意思は変わらぬ」
「ならば12王子をこのまま城にお引き留めなさいませ。みすみす巻き込まれると分かっていてお戻しになる必要性はありません」
「いや、12王子は予定通り明日この城を立つ。引きとめれば向こうはなぜだと疑心するであろう」
「ですがこのままでは王子は…」
「構わぬ。あれ一人がいなくなってもわしにはまだたくさんの王子がいる。元々この計画のために3年前、あれを人質として送り出したのだ。いなくなっても困らぬ子であるが、唯一のとりえは正妃の子であるということ。正妃の子を出したわしにあの国の王も警戒を解いておる。…王子があの国にたどり着いた日に総攻撃をしかける。よいな!王を始めとしてすべての王族を皆殺しにするのだ」
王子は、一体自分が何を聞いたのは瞬時に理解できなかった。
これが本当に父王の言葉なのか―?
そして何よりも。
自分はいらない子であったのか?
皇太子始め確かに父にはたくさんの王子がいるが、自分の知っている父は誰一人隔てなく接してくれる優しい人であったはず。
それさえも嘘であったというのか?
王子はゆっくりとその場を立ち去った。
そしてまっすぐに自室に篭った。
このままでは自分は父の軍隊によってあの国の人々共々殺されるのだろう。
自分に優しく接してくれたあの国の王も、そして恋焦がれている第8王女も。
死ぬ。
王子は静かに目を閉じた。
限りない闇が王子を覆った。
そして次に目を開けた時、王子には一筋の光が燦々と差し込んできた。




