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ローズ  作者: 紫藤なごみ
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懐古;8.涙

いとも簡単に兄の国を滅ぼしたフィリアは、その足でノイルの閉じ込められている牢へ向かった。

小さな明かりを一つ手に持って、もはや大量の死者が眠る巨大な墓と化したこの城の中を静かに歩いた。

これまでは閉じ込められているのは自分で、訪ねてくるのはノイルの方であったけれど、今は彼女が彼を訪ねようとしている。

彼を生かす手はずを整えた上で、自分がローズであることを明かす前に、どうしてもフィリアとしてノイルともう一度話をしなければならなかったのだ。

そうでなければ、自分も、そして恐らくノイルも、これから前には進めない―。


立ちはだかる大きな門にも似た地下牢への仕切りを開けると、ノイルはそこにいた。


何もない牢の中で一人目を閉じ、座っていた。

明かりの少ないこの場所は薄暗く、目が慣れるまで彼の表情をはっきりと伺うことができなかった。

そしてようやく慣れてきた頃、彼がしきりに何かを呟いていることに気付いた。



ありえないことなんてまさにありえないのだと、彼に言ってやりたかった。

あなたが変わってしまったこと。

私を牢に閉じ込め、手篭めにしたこと。

その結果、私に新しい命が宿ったこと。

この手で、たくさんの人間を殺してしまったこと。

あなたを愛しているのだと、気付いてしまったこと。

人はどれだけの矛盾の中で生きているのか、言ってやりたかった。



「最後に憎い敵の顔でも拝みにいらっしゃったか」と自嘲するような表情でフィリアを見たノイルに、彼女は持っていた鍵で二人を隔てている鉄格子を開け、中に入った。

きちんと向かい合っておかなければならない。

ローズではなく、フィリアとして。


それから、彼女と彼は淡々と話をした。

彼はなぜ彼女の国を滅ぼし、父王を殺したのかはっきりとした明言は避けたけれども、これまで長い時を牢で共に過ごしてきた彼女には言われずとも分かっていた。

だからこそ哀しかった。

そして、自分も彼に対して同じ気持ちを抱いているからこそよりそれを強く理解できてしまうことが切なかった。

彼は世に冷酷で残虐非道な王だと言われているが、つい先ほど自分がしたことを思えば、何ら彼と違うところはない。

所詮自分も彼も、愛する者を失うことを恐れて他人を犠牲にしたに過ぎないのだから。

自分勝手にも程がある。

だが彼女は、彼を愛したことによって、本当の意味での『愛』を知ったのだ。


フィリアは大きく息を吸った。

そして彼をまっすぐに見た。


出陣前、彼はローズに「生涯、放さない」と言った。

それが何を意味する言葉なのか分からないはずがない。

しかしフィリアが亡くなったことに絶望して彼女の国を滅ぼし、父王を殺した彼が、実はフィリアが生きていたと知ったならば何と答えるのか、興味があった。


「私のことを、まだ好いていますか?」


だが、彼ははっきりと言った。

好いてはいるけれども、愛しく思う女が別にいると。


正直、嬉しかった。

ああ。ローズはフィリアの代わりではなかったのだと。

このような人だから、私はあなたを愛したのだと。


嬉しかったけれど、ほんの少しローズに嫉妬心を抱きながら、フィリアは最後にフィリアとして彼にそっと唇を寄せた。





翌日、牢より出され、すべてを知ったノイルは、己のしてきたことを彼女に詫びた。

これまで全く罪悪感も抱かず、後悔することもなく、ただただがむしゃらに突き進んできた彼が、フィリア一人のために初めて涙を流したのだ。

どうしてこんなことになってしまったのか。

自分が父王に見捨てられたと知った時からか?

それとも、彼女を愛してしまった時からか?

今となってはどうすることもできないけれど、しかし涙は止まることを知らず、言葉はひたすらに悔いている。

フィリアの次に愛しく思った女は、ローズ。

だがローズは死んだと思っていたフィリアだった。

気付けなかった自分も愚かであると思うが、やはり自分はたった一人の女しか愛せないのだと、改めて思い知った。

だが、その愛しい女の手まで、自分のように血で染まってしまった。

すべては、自分のせいなのだ。

ひたすらに、彼は彼女に詫びた。


そんな彼に抱きしめられながら、フィリアも涙した。

いつしか二人の流す涙は混じり、一つとなり、更に下へと流れ落ちた。

やがて、彼女は彼から少し身体を離し、彼の手を自分の両手で包み込んだ。

そしてそのまま、その手を自身の腹に当てた。

「あなたがたくさんの人たちの恨みや憎しみを背負って地獄に堕ちるというのなら、喜んで私もそれに従いましょう。けれどもこの子には…美しいものだけを見せてあげたいと願うのは、許されないことでしょうか…?」

ノイルは目を丸くした。

なされるがままに彼女の腹に手を当て、彼女の顔と腹を交互に見ている。

「王女…?」

「たくさんの命を奪った私たちにも、神の慈悲というものはあったようですね」

苦笑しながらフィリアは頷いた。


その後、二人は城の高台からこの国を見渡した。

早朝、いまだ王の死を知らずに眠っているこの国。

治める者亡き後の国を征服することなどいとも容易い。

フィリアはまっすぐに静かなこの国を見つめていた。

故国が今隣にいるノイルによって滅ぼされた時も、こんなに静かだったのだろうか。

そう思うと、チクリとどこかが痛まないわけではなかったけれども―。


「ノイル様。あとどれほど、この世界には国が残っていますか?」

「大小入れても数える分であったと…」

「ならば、早くそれらの国も滅ぼしてあなた様のお国となさいませ。この世界を、一つになさいませ」


再び、彼は目を丸くした。

しかし彼女の目は真剣だった。

昔と変わらぬ澄んだ瞳で彼を見上げていた。


「私のことで今更これまでなさってきたことを後悔なさらないで下さい。もしここであなた様が手を止めてしまわれたなら、あなた様がこれまで奪ってきたたくさんの命に対して申し訳がたちません。本当に私に詫びたいとお思いなら、早くこの世界を一つにし、もう二度と血の流れぬ世界をお創り下さい。そのためならば、私も何でも致しましょう。この命に代えてでも」

「王女。あなたはもう二度とそのお手を血に染めてはならない」

ノイルは彼女を強く抱きしめた。

もう、彼女がフィリアであるのかローズであるのかなんてどうでもよかった。

目の前にいるのは、たった一人の愛しい人。

初めて守りたいと思った、唯一無二の存在。

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