懐古;7.表裏一体の心
兄は、とても得意気だった。
今まで誰もかなわぬと思っていたノイルを地べたに這わせ、たっぷりと皮肉を言った上でフィリアを登場させるという演出を見事にやってのけた。
ノイルは彼女が思った以上に驚いていた。
ぶつぶつと「王女は死んだはずだ」と繰り返していた。
兄に自分の本心を知られぬよう目を丸くして自分を見上げている彼に向かって何か言おうと思ったが、言葉にすれば兄に彼の助命をしてしまいそうで。
何もかも吐露してしまいそうで。
だから何も言わなかった。
無言でただ、彼を見下げていた。
彼を牢に連行させた後、兄は至極喜んでいた。
お前の態度もなかなかであったぞと、褒め称えてくれた。
その後、彼女は兄の妻である王妃と面会した。
王妃はにこやかに彼女に近づき、そっと手をとった。
「今までお辛かったでしょう?これからは心安らかにお健やかにお過ごし下さいね」
「ありがとうございます…」
なんだか真っ直ぐに王妃の顔を見られなくて、ふと視線を落とした。
その先に、目に映ったもの。
「お兄様、もうすぐお子様が生まれますの?」
「ああ…この国に入ってもう数年立つがようやく授かったんだ」
さっきまでノイルに向けていた表情の欠片をすべて払い落として、兄王は口元を緩めた。
王妃もとても嬉しそうに両手を自分の腹に添える。
「王子でも姫でも構いませぬ。元気に生まれてくれさえすれば…」
今まさにフィリアの目の前にいる二人は、彼女の理想そのものだった。
優しい父と母を持ち、皆に望まれてその時を待っているその子ほど幸せな存在はないだろう。
生まれ落ちた後の幸福がすでに約束されている。
地位も身分も何もかも、生まれる前からすべて持っているのだ。
羨ましいと思った。
「どうした?フィリア。なんだか怖い顔をしているが?」
「…え?」
ハッと我に返った彼女は、思いがけず冷汗をかいていることに気付いた。
たいしたことはないと適当にごまかし、与えられた部屋に入ってようやく一人になった時、彼女はこの冷汗の原因を知った。
嫉妬したのだ。兄夫婦と、その子どもに。
「同じ命なのに、随分と不公平なことよね…」
まだ膨らみのない己の腹に手を当て、ぽつりと呟く。
かつては、自分もこの命の誕生を望んではいなかった。
悲しみが、憎しみが、切なさが、ただ増すだけなのだと。
しかし実際宿ってみるとどうだろう。この上なくいとおしい。
そして、この子どもがノイルの血を引いているのだと思うとより一層いとおしい。
さっきはノイルを助けるためならばこの子どももろとも自分は死んでも構わないと思ったが、けれど、あまりにも幸せそうな兄夫婦の姿を目の前にして、にわかにその考えが覆る。
しばしたって、彼女は部屋のカーテンを開け放った。
城の門を叩いた時はまだ日が高く昇っていたのに、今はもう、沈みかかっていた。
「すみません。失礼します」
日がすっかり沈んだ頃、厨房は大忙しだった。
なんといっても今日は祝いの日。
いや、前夜祭とでもいうべきだろうか。
明日、世界を震撼させたノイルを処刑する。
完全にこの国の勝利が決する日。
城中が沸き立っていないはずがない。
城に仕える女たちは立ち止まる暇さえ惜しんで料理を作り、運んでいた。
そんな中、現れたのは―フィリア。
さすがに相手は王の妹ということで、女たちは一時動きを止めて頭を下げた。
「あの…何か私にも手伝えることってありませんか?」
「まあまあまあ滅相もない。姫様はどうぞ王のお側でお休み下さいまし」
どうやら厨房を取り仕切っているらしい一人の女性が前に出てきて首を振った。
しかしフィリアはにっこり笑って言う。
「私、これでもお料理にはちょっと自信があるんです。突然やって来て皆様のお世話になるなんて心苦しくてたまりません。ですから、ぜひ何か振舞わせて頂けないかと思いまして。…そうだわ、私と兄の故郷の料理を作りますわ。これからこの国にお世話になる身として、皆様に我が故国の味を知って頂きたいのです。…勿論兄の許可は頂いておりますわ」
女たちは顔を見合わせて考えた。
見れば至るところで鍋を沸騰させているたくさんの炎。
十分に漂っているアルコールの匂いに酔いそうになりながらも走り回っていた。
正直、フィリアの申し出はありがたい。
「そうでございますか…王の許可が出ていらっしゃるのでしたら…ねえ、みんな?」
他の女たちも戸惑いつつも頷いた。
フィリアは満面の笑みで喜んだ。
「よかった!ではお手伝いさせて頂きますね。何なりとお申し付け下さい」
再び、女たちはせわしなく動き出した。
フィリアは、一つの鍋と大量の材料を受け取って、片隅で料理を始めた。
本当に、本当にこの日の晩は慌しかった。
絶えず女たちが出入りし、酒や料理を運んでいた。
そんな中、ようやくその足取りが落ち着いてきたのは、深夜になってからのことだった、
色々な匂いが大いに混ざり、漂っていた。
それに加えてかなりの疲労。
女たちが一息ついているところに、フィリアが鍋の火を止めて振り返った。
「時間がかかってすみません。ようやく出来上がりました」
「まあ。それでは早速王様に…」
「それよりも先に皆様に召し上がって頂きたいですわ」
「え?けれど王より先に、なんて」
「兄を始めとして男の皆様はすでにお腹も満たされておいででしょうが、こちらの皆様はずっと食わず飲まずで動いていらっしゃったのです。これぐらいよいではありませんか」
彼女に指摘されて、女たちはようやく自分たちも空腹であることに気付いた。
一つ一つ丁寧に碗に料理を盛り付けていく彼女を伺うと、とてもいい匂いがした。
「我が国の郷土料理とも言えるスープです。どうぞ召し上がって下さい」
皆に碗を持たせて、フィリアは口元を緩めた。
姫君自らが料理したものを口にするなど恐れ多いと思いつつも、嬉しさを感じずにはいられず、女たちは一斉にスープを口にした。
途端、あちこちで碗が音をたてて落ちる音がした。
と同時に、到底言葉とは言えないうめき声が響き始めた。
しかしそれはすぐに止んだ。
発していた主すべてが息絶えたのだ。
恐ろしい形相のままその場に横たわったたくさんの女たちを目の前にして、フィリアは無表情で懐から小瓶を取り出し、じっと見つめた。
「さすがはお父様。即効性のある劇薬を娘に持たせるなんて」
そして彼女は、手製の料理が入った鍋を持って男たちのいる広間へゆっくり歩いていった。
コンコン。
この部屋に入るのはこれで二回目だ。
深夜ではあったけれど、兄王と王妃はまだ眠りについていなかった。
フィリアに微笑みかけた王妃の側にいた兄王は酔っているのだろう、視点定まらない様子で彼女を見た。
「フィリアじゃないか〜?どうした〜?」
「王。やはり酔っておられますのね」
ごめんなさいねと、王妃はフィリアに声をかけた。
彼女は表情を変えることなく二つ皿を持って二人に近寄った。
「お兄様、随分酔っていらっしゃるようですね」
「ええ。祝勝会やらなにやらとおっしゃって一番飲んでおられたのです。ですから無理に先にお部屋へお連れ申し上げたのです」
「道理で、広間にはいらっしゃらなかったはずです」
彼女は、手に持っていた皿を二人に差し出した。
「お兄様、この匂いが分かりまして?昔お母さまが作ってくださった料理を真似事ですけど作ってみましたの。勿論お母さまがお作りになられたものにはかないませんけど、お城の方々は褒めて下さいましたわ」
「まあ。フィリア様が自ら?」
「ええ。つたないものですけど、ぜひお義姉さまにも食べて頂きたいですわ」
「勿論です。私、結局一度も王がお生まれになられたお国に参ることができませんでした。ですからとても嬉しいのです。これからももしご無理でなければ折につけてフィリア様のお料理を食させて頂きたいものです」
「構いませんわ」
王妃は横になっていた王を支えて起こし、声をかける。
「王。妹君が王のお国のお料理を作って下さいましたよ。共に頂きましょう」
「ん〜?何だか懐かしい匂いがするな〜」
フィリアの背には再び冷汗が流れていた。
兄王と王妃、二人同時に食べてもらわなければならないのだ。
故に彼女も前に出て兄を支え、皿からスプーンでスープをすくって兄の口元に持っていった。
「さあ、お兄様」
王妃もスプーンを持った。
そして。
二人はスープを口に入れた。
「まあ美味しい…うっ…」
先に反応したのは王妃だった。
フィリアはすぐさま二人から離れ、冷たい目で様子を伺っていた。
兄王よりも、王妃の苦しみようが激しかったかもしれない。
王妃は右手を彼女の方に伸ばしてわめき散らした。
「フィ…様…これ…は…あああっ苦しい…」
その後すぐに絶命した王妃の後ろから這い出すように顔を出した兄王は、まるで喉元をかきむしるような仕草をしていた。
「フィリア…お前…」
声にもならない声はすぐさま消えた。
残ったのは、睨みつけるようにこちらを見ている二人の死骸。
フィリアの表情は全く変わらなかった。
「お兄様。お許しなどいりません。フィリアは愛するノイル様のため、お兄様を裏切ったのですわ。お義姉さま。どうぞ私のことをお恨み下さい。私はお義姉さまと一緒にそのお腹の御子も殺したのですから」
まず最初に厨房にいた女たちを、殺した。
その後、広間で飲んでいた兵士や家臣たちすべてに料理を振る舞い、殺した。
警備にあたっていた兵士にもわざわざ料理を運んで、殺した。
そして最後に兄夫婦とその子どもを、殺した。
今この城にいる生存者は自分と、牢に閉じ込められているノイルのみ。
たくさんの人々と肉親を手にかけたというのに全く哀しみが沸いてこないのはなんでだろうと、フィリアはぼんやり考えながら兄夫婦の部屋のドアを閉めた。




